「日本再生」名古屋学習会
名古屋においても、「日本再生」学習会が毎月、東瀬野・同人を軸にコツコツと開催されつづけてきた。参加者には自営業者が多く、自力でメシは食えるという上で、政治への主体的関わり方・主権者への脱皮とは? ということでやってくるなかで、やはり直接、がんばっている議員の話を聞いてみたいということになり、9月20日、愛知県選出の大塚耕平参院議員をゲストスピーカーにお招きした。

大塚議員のお話は、いつもながらパワーポイントを使用した大変わかりやすいお話で、マニフェストとは何かについて、歴史的な語源などを交えながら説明された。
マニフェストというと一般的には、数値目標など具体的なことを盛り込んだものと理解されているが、それは「狭義のマニフェスト」であり、理念や政策目標といった、
大きな方向性までを含めてマニフェストということである。したがって、憲法をどうするかとか消費税をどうするか、あるいは別の意味で年金制度をどうするかといった、一政権の任期(最長四年)中に具体的な約束ができない問題(約束すればウソをつくことになる)については、インデックス(政策集)として整理されたり、政権の理念として掲げられたりするということである。
さらに一番のポイントは、やはり政党が一致して約束できるか、というこであり、党内の反対で実現できそうもないことを「やります」というのは、国民にウソをつくということである。またマニフェストは政権をとる可能性のある政党だけが掲げられるのであって、例えば公明党はマニフェストと言っているが、連立の基軸政党である自民党のマニフェストに賛成するということはいえるが、公明党独自のマニフェストというのは論理的に成り立たない話。

また、参加者のなかでは地域経済への関心が高いということから、税金の無駄使いをやめるためには、地方に税源を委譲し(地方分権)身近なところで税金が使われる仕組みにすることで、地域住民のチェックが働くようにする。これが地方分権であり、地域経済の活性化にもつながることであると説明された。さらに、こうしたチェックが働くためには、地方議会議員や首長に、本当に公正に仕事ができる人を選んでいかなければならないことが強調された。すなわち、地方分権による税源委譲とは、自治体改革のスタートであり、ここでも有権者に試練が問われるということである。

大塚議員のお話は、「日本再生」294号(10/1)に掲載予定。

「墓参」
9月15日、「がんばろう、日本!」国民協議会の共同墓(八王子市)で、第二回目とな る墓参が行われた。
真夏のような日差しが照りつけるなか、二十一名が参加した。
「草莽崛起」と刻まれた墓に納められているのは、現在は山下あきこ同志のみであるが、「死」はいずれ誰にも訪れるものである。どんな人でも死に直面したときには、自らの人生を振り返る。山下あきこは死の直前に、「戸田代表の下にいながら、あるがままの事実を率直に見ようとせずに、なんともったいないことをしているか」と、この世に残る仲間に反省を促した。
その時に後悔しないよう、年に一度、墓前で「死」について考え、自らのこれからを少しでも「よりよい」ものにするべく静かに考える機会としたいものである。
「草莽崛起」の墓に入るには、やはりそれなりの資格を要する。人生の折り返し点をすでに通過したものにとっては、「死」を前にしてまで、とりつくろいのその場かぎりの「決意」でやりすごしていては、残された時間は簡単に失われてしまう。
後からは、「どのようにここまでの人生を歩んできたのか」、「どの時期にどのような社会意識を持ったのか」、「いつ、どういう理由でこの人生選択をしたのか」を節目節目できっちり語れる、若い世代が迫っているのだから。

「千葉・囲む会」
第16回の千葉・戸田代表を囲む会が、9月6日船橋市で開催された。
これまで千葉市内で開催されてきた千葉・囲む会を、今回は船橋市で開催した理由はふたつ。
ひとつは政権交代にむけた民主党のチームの一員である野田議員(国対委員長)にぜひ出席していただくこと。
二つ目は、隣接する千葉13区から出馬予定の若井康彦氏(同人)の活動を、千葉における国民主権の基盤整備として構造的に位置付けることである。

野田・国対委員長は、昨年の民主党代表選からの経過を振り返りながら、新体制の下で政権奪取にむけたチームがつくられていることを強調した。また総裁選に関連して、四人の候補のいずれも、喫緊の課題である「経済」についてまともに取り上げていない・取り上げられないことを指摘、誰が総裁になっても(小泉再選はほぼ確実であろうが)経済問題が政権選択を争うキーであり、ここで正面から勝負を挑む旨を述べた。

予定候補である若井康彦氏(同人・千葉13区)、田嶋要氏(千葉1区)からは、政権交代にむけた決意が述べられた。田嶋氏は初参加であるが、東大法学部から官僚の道を選ばずあえて民間(NTT)へ進んだ経緯や、政治の道を志した経緯が率直に述べられた。若き改革への思いは、参加者も共感を持てるものであった。

「囲む会」の活動を、千葉における国民主権の基盤整備として再定義するべく、今回は自治体議員の参加も精力的に呼びかけた。
野田議員地元からは、田中明県議、石渡船橋市議が参加。他にも江田白井市議、岩田白井市議、篠崎鎌ヶ谷市議、内藤沼南町議、武笠松戸市議が参加。
千葉13区は定数是正にともなって新設された選挙区。バラバラな地域の寄せ集めというところでは、「政治縁」から人間関係を再編して求心力をつくりだすほかはない。
今回の「囲む会」では、国会議員、予定候補とともに自治体議員の参加によって、国民主権の基盤整備を千葉でどのように推し進めていくのか、その組織構造の糸口がつかめる一歩となった。

次期総選挙で政権交代がなるかどうか。そのバロメーターのひとつは、首都圏では千葉あたり(千葉都民と金権千葉の境界線)で国民主権の火の手があがるかどうかである。1区、13区あたりはその試金石となろう。

「次期総選挙を政権選択選挙に」
第51回定例講演会は、枝野幸男・民主党政調会長を講師に、8月21日開催された。
枝野政調会長はまず、自由党との合流とマニフェストは、十年前に始めた政治改革の二つの集約点であり、十年前に蒔いた政治種(政権交代可能な政党政治の確立)が芽吹き始めたというところから、話を始めた。
自由党との合流によって、自民vs民主という政権選択の構図が見え始め、マニフェスト(政権公約)によって、白紙委任ではなく「有権者が選択する」(何を選択するのかがはっきりする)流れになりつつある。
だからこそ、「今やボールは有権者に返されている。確かに芽は出てきた。これを花開くところまでもっていけるかは、有権者にかかっている」(代表集約)のである。

また枝野政調会長は、マニフェストの本質は、選挙前に政党が全党一致して国民に約束することであり、それができなければマニフェストではないと強調した。早い話、派閥や若手グループでのマニフェストというのはありえないし、候補者個人が政党の政権公約に加えて地域事情などを勘案した公約(努力目標)を掲げることはありえても、政党として一致して国民に約束する、ということがなければ、それは「マニフェ ストという名前の人騙し」でしかない。
その意味でも自民党がどこまで、それができるのか。より厳密に言えば、連立与党としてそういう約束が国民と出来るのかは、総裁選のアレコレに流されることなく、厳密にみていかなければならない。

民主党のマニフェストのコンセプトは、「強い日本」をつくる、である。そのための政策的柱として、「税金を食い物にするお化けを退治する」ことと、「地方分権」を掲げることになる。
「強い日本」については、コアの支持者には異論もあったが、大規模な世論調査を行った結果、むしろ「依存と分配」の外側にいる有権者には支持が予想以上にあったとのこと。「強い日本」とは、社会的連帯であり、公益をしっかりと確立することであり、そのための自立や自律を担保するということである。いわゆる弱者保護ともね弱肉強食のレッセフェールとも違う、市民社会に相応しい経済社会のインフラ整備で ある。新しい価値観を論争的に提起しようという積極的な意欲が伺える。
「税金を食い物にするお化け」については、もう少し「大人の政治的表現を」という声もあるが、これもむしろ、正体が良く分からないという意味では「お化け」であり、これにしっかり挑戦するということを、分かりやすく争点を鮮明に絞り上げて示すことが課題であると述べられた。 ここは、福岡での「囲む会」で、原口議員が繰り返し強調した、依存と分配の中でおこぼれにあずかっているのか、それともその外側にいてそれと戦っているのかというところである。

七月の「政治文化を変える」という講演会のうえでのお話でもあり、またそれぞれこの十年間の紆余曲折の集約・脱皮がみえつつあるというなかで、フロアからの質問のほうも「傍観者」に止まらないものになりつつあった。

「戸田代表を囲む会in福岡」
8月19日、福岡市において、「戸田代表を囲む会in福岡」が、原口一博議員をゲストスピーカーにお迎えして開催された。
福岡、北九州では2年前から毎月、細々とではあるが、加藤、曽根崎の両同人が軸となって、「日本再生」の学習会を続けてきた。
「継続は力なり」である。小難しい政治の話をフォロワーとしてマジでやり続けていれば、志のあるバッジをつけようという主権者との接点も生まれてくる。そんななかで、今年の統一地方選では、学習会参加者が全員、なんらかの形で選挙活動に参加して体を動かすという経験も積んだ。
民主・自由の合併は、政権交代に向けた大きな弾みとなりうるが、もうひとつ、これを契機に地方においても、国民主権の組織的な結集をはかっていくことが重要である。福岡の学習会に参加している古賀潤一郎氏は、元県議で、次回は山崎拓・自民党幹事長との一騎打ちに臨む。民由合併で、ここは政権交代の象徴選挙区のひとつであり、同時にいわゆる保守系の古賀氏の周りには、「これまでどおりではダメだ」ということが実感的によーく分かり、なおかつ「だからこそ逃げるわけには行かない」という責任意識の人々が集まる。いわゆる保守系無所属てあり、また意識的に既存政党とは距離を置く人たちである。一騎打ちの構造ができることによって、既存政党には興味がない有権者の注目も高くなっている。こうしたネットワークで国民主権の地方における組織化を進めること、民由合併の波及効果を意識的に最大限、生かしていかなければならない。
今回の福岡での囲む会の開催は、そうした意図もあってのものである。

古賀潤一郎氏を紹介していただいた古賀敬章氏は、二年前の参院選以来の学習会参加者である。来年の参院選に捲土重来を期す。山口県議時代の自民党青年部以来、原口議員とは新進党まで同じ道を歩んできた。民由合併で、再び一つの道を歩む同志となる。この十年、紆余曲折しながらも「国民主権で政権交代」という方向を目指し、政治文化を変えるための土づくりに汗を流してきた者が、それぞれの経過は違っても、「次期総選挙を政権選択選挙に」という決戦の場に合流しつつある。

囲む会では、原口議員が「依存と分配の政治の内側にいるのか、それと戦う側にいるのか」を、さまざまな問題をとりあげながら熱く語り、政権選択選挙をともに戦うべく、民主党のマニフェストについても分かりやすく説明された。
参加者からは、志と情熱にあふれた若き政治家を間近にみて、改めてそれぞれ、主権者としての責任や務めを自覚したとの発言があった。中尾友昭・山口県議、江藤博美・福岡市議も参加。越谷市議の白川同人も、かつて福岡で市議をしていたこともあって、久しぶりの帰郷を兼ねて参加した。

翌日、8月20日には、足を伸ばして佐賀市役所に木下市長を訪問。農水省キャリアから市長に転じた木下市長(二期目)は、原口議員とは子どもの時から一緒に育ってきた間柄。議員、市長、さらに今回は知事も同世代の保守系改革派ということで、教育問題などでも新たな歯車が回る展望も拓けている。
木下市長は、口利きを文書化して情報公開の対象としたり、人事を抜本的に改革するなど大胆な改革をガンコなまでに推し進めている。市役所一階の受付は、お役所とは思えぬようなスマートで機能的なつくり。市長就任後、市民と接するところだからと、ここはカネも手間もかけて変えたとのことであった。

市内では炎天下、原口議員が郊外のショッピングセンターで街頭演説。地方では鉄道よりも車の利用が多いため、道路沿いでの街頭演説が多くなるとのこと。
(左が木下市長)

「安全保障政策の若きエキスパートを、ぜひ国会に送ろう」
8月9日―10日にかけて行われた第三回全国幹事会では、今春の統一地方選の総括(政治文化の入れ替え戦)を踏まえて、次期総選挙をマニフェストによる政権選択選挙とするための組織戦、とりわけ「有権者の試練」についてそれぞれに応じた課題設定をいかに的確に行い、組織目的に応じた時間の使い方の共有(スピード感の一致)を図るかについて、討議した。

10日午前中は「囲む会・拡大版」として、衆院予定候補・長島昭久氏(東京21区/立川、昭島、日野)をゲストスピーカーにお迎えした。
長島氏は、安全保障政策の若きエキスパートであり、前原氏の講演会などでも的確なコメントをいただいている。
この日は、専門の政策分野の話よりは、人となりをお話しいただいた。

政治を意識した最初のきっかけは、小学校三年のころ。通学途中の駅でヘルメットをかぶり角材を持った学生の集団に出くわした。70年安保の時である。幼いなりに「この人たちが、こうまでして戦おうとしている社会の不条理とは何なのだろう」という思いを抱き、日記に書いたという。もうひとつ、そのことを父親に「今日こんなことがあった」と言ったら、何の関心も示さなかったこと。その“落差”も強く心に残ったという。以来、小学生のころの日記には、折に触れて政治の話題が出てきていて、親は空恐ろしい思いだったとのこと。

高校生のときにソ連のアフガン侵攻が起こる。これもショックで、そこから国際政治に関心を持つようになり、各国の政治家の伝記などを読み漁ったとのこと。
大学卒業後、石原伸晃議員の秘書を務めていた時にあったのは、湾岸戦争。ここでも政治への思いを強くする。

93年、日本新党が大きなブームを巻き起こしたとき、立候補の誘いがあった。
しかし迷った末に見送る。なぜかと言えば、その当時、自分には確かに政治への思いはあったが、それはまだ漠然としたもので、明確なストーリーを持っているわけではなかったから。このときふわっとした気持ちで立候補していれば、当選できたかもしれないが、その後は道を見失っていただろうと思う、とのこと。
その後、「踏み切れなかった」という挫折感を抱きながら、一念発起して渡米。一回りも若い学生に混じって語学を習得し、大学院(ヴァンダービルド大)で国際政治を学び、ついには外交評議会で初の日本人研究員となった。
三年の予定だった滞米は、七年に及ぶものとなった。

ちなみに、米国外交評議会は数あるアメリカの外交政策シンクタンクのなかでも頂点に位置するもので、外交政策に携わる知的サークルの「元締め」のようなところである。

ワシントンにいる間にイヤというほど感じたのは、日本からやってくる政治家の卑屈さと官僚の傲慢さ。90年代の日本の安全保障政策は、場当たり、ドロナワを繰り返してきた(これがイラク支援法で完全に破綻した)。彼らに日本の安保政策は任せられない! という思いを募らせていたところに、東京21区での補選の話があり、急遽帰国。「日本を変えるため、ワシントンから帰ってきました」という、今から思えば相当ズレた感覚で戦い、一敗地にまみれた。

以来三年。地道にコツコツと地域を回り、駅頭で演説をし、とやってきた。石の上にも三年というが、今年に入ってからようやく、その効果が少し見えてきた、というところに今回の民主・自由の合併がきまったことで、手ごたえが大きく変わってきた。
さっそく「民主」「自由」の旗をたてて演説をしているが、有権者の反応は目に見えてよい。訴えるほうもこれまでは、いろいろ言っても結局「よろしくお願いします」だったのが、「今度の選挙は政権交代の選挙です!」と初めから訴える。そうすると「そうよ、がんばって」とかえってくる。それが事務所の雰囲気をさらに盛り上げ、「政権選択・政権交代」にむけたエネルギーを事務所としても増幅して発進するというサイクルになってきた。

―――長島さんは大学(慶応)では応援団に所属、リーダー長を務めていた。長島さんを評して、「五月の節句の武者人形のようだ」と言ったひとがいるが、それがぴったり当てはまるような爽やかなひとである。同時に今回のお話ではやはりその爽やかさの根底には、社会観・社会正義観・不条理に対する問いが人格形成の基礎にあってのものだということが、よくわかった。これは原口議員のお話(5月11日)にも通じるものである。
専門家としてぜひ、バッヂをつけて政策立案に携わってもらいたいのはもちろんのことであるが、「こういう人に政治家になってもらいたい」と思わせる人柄(人格形成)であることが、改めてよく分かった。

次期総選挙がいつになるにせよ、ぜひとも当選させたい人の一人である。
立川、昭島、日野にお知りあいのある方は、ぜひ「長島昭久」のことを知らせてください。
長島昭久氏のホームページはここ  http://www.nagashima21.net/

自衛隊指揮官から見たわが国の防衛の諸問題
第30回東京・戸田代表を囲む会のゲストスピーカーは、金田秀昭・元海将。能登半島沖の「不審船」追跡の時は、護衛艦隊司令官、湾岸戦争後の掃海艇派遣の時には派遣担当責任者を務めた自衛隊の指揮官である。

金田氏は、今年は「わが国安全保障観の再生元年」「防衛落鱗(目からウロコが落ちる)元年」ともいうべきターニングポイントとなるであろうと期待を込めつつ、指揮官としての経験を踏まえたお話をされた。

北朝鮮の核・ミサイルに関連しては、ならず者国家やテロ集団と大量破壊兵器との結びつきという、冷戦時代の「抑止」が効かない新たな脅威という大きな背景にふれつつ、わが国が今後整備すべき防衛力について、分かりやすくお話された。
前原氏講演とも重なる部分もかなりあるが、指揮官としての実務に通じたお話は、政治家や学者とはまた違う角度からの、リアルな問題定期であった。

またイラク復興へのかかわりについても、今回の特措法の議論がどのようにボタンの掛け違いであったのかが、本来こういう議論があってしかるべきという提起とともに、分かりやすく語られた。イラク支援法は、自民党総裁選にからむ政局のかけひきに使われて、まともな議論がおこなわれないままであったが、わが国の国際協力活動の基本をきちんと示す(基本法の理念となるべきもの)ことへの貴重な機会をみすみす逃した、との指摘は、西元・前統合幕僚会議議長のお話(6/14)にも通じるものである。
また自衛隊の派遣に際しては何よりも、国民の付託と大義が必要であること、それがあれば自衛官は死を覚悟することもできる、そのために日夜訓練を積んでいる、とのお話には、強い職務観・責任感がにじんでいた。

国民保護法制、国際協力活動基本法の制定は、有事法制成立後の具体的な課題であり、これらを通じて、ようやく一歩を踏み出した新時代の安全保障論議の土俵を、より確実なものとしていくことが求められる。
次期総選挙には、与野党がマニフェストを掲げて政権を争うべきであるが、安全保障についても建設的で現実的な21世紀にふさわしい政策競争が行われるよう、有権者もまた脱皮しなければならない。

「7.13 関西政経セミナー」
7月13日 大阪にて関西政経セミナーを開催。
第一部は村田晃嗣・同志社大学助教授による講演「イラク戦後の国際秩序形成と日本 の役割」
第二部はパネルディスカッション「国民主権の力で政権交代の波を!」 
   パネラーーは、樽床伸二 衆議院議員 田中誠太 大阪府議会議員 森山浩行 大阪府議会議員 山下大輔 和歌山県議会議員 吉本 誠 兵庫県議会議員 市村浩一郎 衆院選予定候補 。司会は戸田代表。

以下は速報。
7月13日午後、大阪市内で第6回関西政経セミナーを開催。70名余が参加したセミナーは、予定時間を30分オーバーする終始熱気のこもったものになった。第一部では、村田晃嗣・同志社大学助教授が「イラク戦争後の国際秩序がどうなるか、判断は難しい」としながらも、国際政治をみる視点として「軍事力」「富」「価値」の複眼が必要であり、「アメリカの図抜けた力は、ならずもの国家には効果を発揮したものの、むしろ同盟国との間に深刻で難しい問題を派生している」と米韓関係を例に引き指摘。また、国連美化論の裏返しとしての国連無用論の危険性にも警告を発し、日本の利害を相対化した国連改革へのコミットの重要性が強調された。最後に、イラク復興支援特別措置法の問題に触れ、「根本的な外交・安全保障のビジョンづくりを回避したままの状況対応策はコストが高くつく」と指摘。戸田代表は、これをうけて「アメリカが日本に要求しているのは、共同事業体をつくり発展させる能動的な関係。その媒介環になるよう国連も再定義しなければならない」と第一部を集約した。

第二部では、自治体議員と国会議員によるパネルディスカッションで「有権者との関係をどう変えたか」「自治体の財政破綻の現状をどう変えるか」をテーマに、政権公約としてのマニフェストのあり方を媒介にしながら、様々な変革の意思を日本再生への流れへ統治していく、政党の機能や能力とは何かが熱心に討議された(詳細は別途報告)。

会場の集中が4時間半にわたって維持され、あとの懇親会でも休まず続いたのは、聴き手の「現状を変えたい」という政治意思と、政治家(リーダー)内部の変革に向けた意見の相違を、政治家同士が不断に討議という文化で解決していく姿が「手にとるように」わかる条件の結びつきであったと思う。20代の初参加者が、「政治家と同じ目線で話せるというという実感を持つことができた」と目を輝かせていたのが印象的であった。

関西では、今回のセミナーの議論をさらに深めるため「関西・戸田代表を囲む会」(第一回)を8月28日に開催。次回(第7回)関西政経セミナーは、年末12月3日(水)午後6時半からいずれも大阪市内で開催する。

「政治文化を変える〜マニフェストの使い方」
7月10日、第50回定例講演会は「政治文化を変える〜マニフェストの使い方」。
パネラーは、飯尾潤・政策研究大学院大学教授(写真上・左)、福嶋浩彦・我孫子市長(写真上・右)、福山哲郎・参院議員(写真下・左)、世耕弘成・参院議員(写真下・右)。
飯尾先生は、次期総選挙をマニフェストによる選挙とすべく提言している「21世紀臨調」の主査でもある。
また福嶋市長は、市民自治の力を高めるためのさまざまな施策を講じている(第45回定例講演会 参照)。
福山、世耕議員はそれぞれ民主党、自民党でマニフェスト作成の中心メンバーであり、またともに、「政治文化を変える」という超党派の研究会でも活躍している。

四月の統一地方選挙を契機に、一挙に拡がった感のある「マニフェスト」の訳語として、飯尾先生は「政権公約」を提唱。
「あれもこれも」の羅列や「あったらいいな」のウィッシュ・リストではなく、体系的なものであるのはもちろんのこと、「政権公約」である以上、それに責任をもつのはなによりも政党であり、個々人の政治家の公約とは意味が格段に違う。
21世紀臨調共同代表の一人、佐々木毅・東大総長は次期総選挙にマニフェストを掲げることで、「政党に責任を、有権者に試練を」と述べている(「中央公論」8月号)。

飯尾氏は、「政治文化を変える」という主旨は、政治家がどういう苦労をしているか、まずは政治家の現状を有権者にさらしていっしょに考えてもらう、ということが原点であると述べた。「政治家が悪い」と言っていても、「いい人」がどこかから現れて問題を解決してくれるわけではなく、「普通の人」が日常的に政治活動や政党に参加する以外に道はない。
そこからすると、マニフェストで選挙を戦うということは、「政策で競う」「政策で選ぶ」という政治へ転換していく一歩として重要である。

福嶋市長は、市民が主権者であることを実感できるまちづくりをめざして取り組んでいる施策をいくつか紹介しながら、市民自治をベースにして政治文化を変えたいと述べた。三期目の公約として掲げた八つの提案は、「すべての口利きの文書化―情報公開対象」や「立法機能を充実させるための議会改革」など、意欲的なもの。また、「市民参加」についても、コンサルや専門家に任せたほうが、市民が考えるよりも「よい」まちづくりのプランができるかもしれないが、立場・利害の異なる市民同士が意見をぶつけあって合意を形成していくプロセスが大事であり、失敗を恐れずむしろ失敗や紆余曲折のなかから多くのことを学んでいくことが大事だと、「民主主義」の核心に触れられた。

福山議員、世耕議員はそれぞれ、ご自身の体験から「政治家の現状」を率直に訴えた。
福山議員は、同志とも言える秘書からの献金をきちんと報告書に記載していたら、辻元問題のときに「秘書からピンはねしている議員一覧」にあげられ、「そりゃ、ないだろう」と。世耕議員は、サラリーマンをしていたときに、叔父の後継者として半ば「無理やり」に立候補させられた時、「政策なんか関係ない」という世界にあ然とした経験や、そのなかで「政策を軸に活動する苦労」など。

「先生」という政治家に対する呼称ひとつをとっても、福山議員、世耕議員は事務所その他では使っていない(それを「常識」にしている)が、「外」では逆に、『先生』と言わないと、「生意気だ」と有権者から見られることもあるそうだ。したがって「様子を見ながら(ここでは「先生」と言わなくても大丈夫・・・)」やっているという「苦労」も披露された。

マニフェストを導入すれば、すべてが解決するというわけでは、もちろんない。
小泉総理が、自らの総裁選マニフェストを「踏絵にする」と発言するなど、それ自身が政局の駆け引きともからむ。
しかし、「政治改革10年」の混迷に主権者主導でケジメをつけて、次のステージに進むためにも、次期総選挙では政党がマニフェストを掲げて有権者が選ぶという形になることが望ましいし、ぜひ必要である。
そのためには、秋の総選挙では早すぎる。
そういう世論を大いに喚起していこう!

(「次期総選挙をマニフェストで」については、メルマガNo50を参照。パネルディスカッションの内容は「日本再生」292号(9/1)に掲載予定)

「自治体座談会」
6月15日、自治体議員と首長による座談会を開催。前半は各地からの参加者による自己紹介を兼ねながら、今回の統一地方選について懇談。後半では、田中大輔・中野区長、石川良一・稲城市長を交えて自治体運営をめぐる首長と議員との関係などについて、議論した。

各地からの参加者は、市区議会議員六人(うち政令指定都市1)、都府県議会議員三名、市長一名。
年齢的には二十代・二人、三十代・三人、四十代・二人と全体に若いが、懇談では「若いというだけで当選する時代ではない」というのは共通認識であった。
「若さ・ビジュアル・パフォーマンス」を売りにする候補者との明確な差別化は、それぞれにはっきり意識している(「自分の営業スタイルはこう」)。既存の政治市場は硬直化しており(自治体議員でも二世が・・・)、新規参入をめざすなら「新たな市場」を開拓しなければならない。「しがらみがない」という売りでいくなら、「若さ・ビジュアル・パフォーマンス」では通らないくらいには、有権者の目も肥えている。「今回、あちこちの選挙を手伝ったが、若い候補者で当選した人たちは結局、駅頭・辻立ち、個別といった基本的な活動をきちんとやってきた人たち」との報告もあった。
どういう市場を開拓するのかが見えていれば、どういう商品が必要かも分かる。誰がどういう理由で投票してくれたかが分かるから「雨の日も駅頭をやった(他にやっている人はいなかった)こともあって、『がんばっている』と評価された期待票。次は業績が評価される。それにふさわしい議会活動をやりたい」ということになる。有権者市場が見えていなければ、「雨の日の駅頭」もパフォーマンスに終わり、間違って当選したとたん、四年間は「なにをやっているのか見えない人」になってしまう。それをもう一度「見た目」で当選させるような有権者は限定される。

田中・中野区長(写真・右)、石川・稲城市長(写真・左)との討議では、破綻寸前の自治体財政(もはや「優先順位を入れ替える」などという改革の段階ではない)をめぐって、現状を直視し責任を問いあう緊張関係を、首長と議員の間につくりあげることが焦点となった。両首長とも「厳しいのは分かるが自分のところだけはなんとかなるのではないか・してくれという議員の旧思考」を清算し、首長以上の「全体益」の観点から詰めていく、という議員活動の意義を強調した。

「三位一体」改革は、責任の押し付け合いの様相を呈しているが、それでも何かやったことにしなければならないほど、事態は抜き差しならないものだ。権限・税源を地方に移して、交付税・補助金を削除すれば、中央の財政に残るのは何か。借金して借金を返すだけ、というシロモノだ。地方は地方で、これまで国からきていたものが、七割から八割に削られる。どうしたってこれまでどおりになどやっていけない。
サッチャー型改革を先送りし続けた結果のツケが、このように「逃げ場のない」形で自治体に押し寄せようとしている。国は自治体にツケ回しできるが、中野区は稲城市に付回しはできない。自分たちのところで問題を解決しなければならないし、それは国を批判していればできるというものではまったくない。
こうして「失政十五年」の破綻に向き合わざるをえないというから、自治体改革が待ったなしで問われる。ここでの問題設定と問題解決の能力をめぐって、首長と議会・議員の緊張関係(二元代表制におけるチェック機能)をつくる「はじめて」の実践的舞台が準備される。

「三十代、一期生議員大いに語る」
6月11日に開催された第27回東京・戸田代表を囲む会のゲストスピーカーは、手塚仁雄・衆院議員(左)と、細野豪志・衆院議員(右)。
手塚議員は93年日本新党で東京都議に初当選、96年総選挙で自民党大臣経験者・小杉隆氏に挑むも惜敗、三年半の浪人生活中毎日街頭演説を続け、その力で2000年には小杉氏を破って当選した。(このときの総選挙で、東京では自民党の大臣経験が軒並み民主党の新人に敗れた。地方でも「一区現象」と言われたように、都市部では自民党が民主党に小選挙区で敗れた。)
一方の細野議員は、この93年を見て、「自分も政治家になれるかも」(それまで政治家になりたいという思いはあったが、なれるとは思っていなかった)と思い、政治家になるうえで必要と思われる経験を積みながら(シンクタンク研究員、政策秘書)、2000年の総選挙で「落下傘候補」として見事に当選を果たした。(その間のとんでもないドラマは、自著『パラシューター』に詳しく記されている。ご一読を!)

形成過程は違っても、徒手空拳で既存の政治市場に挑んできたお二人の話は、「若さ」だけでは片付けられない。
既存の政治市場は、硬直化していて参入障壁がきわめて高い。自民党では45パーセントが二世、三世である。「地元で出られるのは二世、三世や天下り。自分のように何もなくて政治に挑戦しようとするものにとって、『落下傘候補』というのは誇りですらある」と細野議員。
世の中を変えようと思って政治に挑戦するなら、既存の市場の外に、新たに独自の有権者市場を開拓しなければならない。「政治に関心がない層にターゲットを絞って活動した。例えばイメージで言うと、子供を保育園に連れて行くお母さん。その子供がまず興味を持ってそれからお母さんが興味をもつ。そういうポスターをつくった」と手塚議員。

既存の政治市場の「外側」は、当然、「依存と分配」ではない。そこに新たな市場を開拓するには、投入する商品も「依存と分配」ではダメだ。どこに支持層を見出し、そこに働きかけるにはどういう主張、活動スタイルが必要なのか。そしてそれにふさわしい組織集約はなにか。固定的な利害関係でつながっていない、したがって「囲い込み」型でない組織集約は、口利きでつなぐよりも数倍、数十倍のエネルギーがじつは必要なのだ。

手塚議員は浪人中続けてきた駅頭を、当選後も欠かさない。その継続のなかで、どこに支持者がいるのか―新たな市場をどこに開拓するのか、が具体的に見える。マニフェストについても、中身は当然大切であるが、その支持基盤までが見えていれば、マニフェストによる政党の紀律化という問題も見える。「党がマニフェストを掲げても、それと関係なく旧来どおりの選挙をやる人もいるだろう。そういう人たちを入れ替える、その新陳代謝を政党としてやり続けることだ」と手塚議員。自民党政治とは違う支持基盤に立脚することが具体的に見えていれば、政策の方向が「依存と分配」になるはずがない。

細野議員も、「口利きは基本的にお断りする、ただしその後の信頼関係修復には数倍の手間をかける」と言う。政策や理念で信頼関係をつくれれば政党である。そこまでの人がそう簡単にはいないからこそ、「政党政治が不在」なのだ。したがって、口利きや利害ではない信頼関係をつくる(政策・理念とまではいかない)ための手間ひまは、半端なものではない。「半分は啓発活動―政治家というのは利用するものではないのだと分かってもらうための―と割り切ってやっている」とは細野議員。
一時の風にのって当選しても、こうした活動を続けなければ、移り気な無党派の姿しか見えてはこない。

若さは確かに変革のエネルギーになりうるが、むしろ本質は、こうした新たな政治市場を開拓し、それにふさわしい商品を開発しつづけ、政治文化を入れ替えていく活動の継続の力であろう。
就職気分で議員になってみようという若者も少なくない昨今であるが、「自分にもできるかも」というのに対してその「思い上がり」を説教するのではなく、手塚・細野議員のような活動を続けるとはどういうことか、何が必要なのかを教育できるかが「大人」に問われる。

「政治家は、如何にして政治家となるか」
5月10-11日にかけて03年度第二回幹事会が行われたが、その「合間」に、原口一博・ 衆院議員をゲストスピーカーにお招きして、「戸田代表を囲む会」が開催された。
今回の幹事会は、各地での統一地方選の取り組みを踏まえて、@「国民主権の政治文化への入れ替え戦の開始―新たな政治市場のとば口は開いた」ことの実践的な教訓を共有しつつ、A一年以内にかならず行われる総選挙で、新しいステージへ競りあがるための組織計画・組織イメージをふくらませるべく、候補者(当選した人も捲土重来を目指す人も)・選対メンバーを交えて開催された。

このなかで原口議員にお願いしたのは、「政治家としての飛躍を語る」ということであった。候補者としてはもとよりフォロワーとしても脇役に止まっていたときと主役になったときとでは、政治の風景は大きく変わる。観客席で拍手したりブーイングをしている時と、舞台に上がって主要な役をこなすとき(「投票するに値する候補がいない」というなら自分たちでそれを作ろうというところまで、主権者の役割を担おうというとき)とでは、「政治」のとらえ方は大きく変わる。
そこで今回は、「変革の主体者として政治を語る」人物像とはどういうものか、ということで原口議員にお願いした。候補者を育てるフォロワーとしても、そういう人物像についてのリアルな感性は不可欠だからである。
原口議員にはまことに抽象的なお願いで恐縮ではあったが、原口さんらしい社会観・人間観の感性の豊かさと政治家としての器の深まりを実感させるお話しをしていただいた。

一部だけ紹介すると
・予算委員会での論戦を紹介しながら、危機の実相・本質、それを直視できるのか/先送りするのか、何と戦うのか・どちらの側にいるのか(経済、生活の現実)として「争点化」「論争軸設定」がきわめてシャープにかつ全面的に示された。
・外交安全保障の論点は、「アメリカを支持するのかどうか」「イラク戦争が是か非か」といったことではなく、政府の説明責任―それなしに国民の政府に対する信頼はありえず、国民に信頼されない外交安全保障は脆弱であり、失敗する―という点にあること。いわゆる55年体制の空論は、この5年間の党内論議のなかできちんと清算されていること。それだけの責任ある議論の蓄積はある。
・上記のこともふくめ、「依存と分配」「官僚統制主義」に替わるアンチテーゼ、カウンターパートとして民主党を一歩一歩ここまで作ってきた。その蓄積と新しい文化を大切にしたい。
・政治家に必要なもの
1.理念 何のため、何と戦い、何を守るのか。それをどこまで共有できるのか。
2.手順(政策) それを実現するための政策をどこまで実行してきたのか。そのパワーをどこまでつくりあげてきたのか。
3.人間観 「叩いて変わるなら叩かなくても変わる」 「暴力のない平和」(「社会的な平和」「環境的な平和」「心に抑圧のない平和」)

「白川秀嗣・同人が当選」
統一地方選後半、越谷市議会議員に白川秀嗣・同人が当選した。得票は2709票、定数32人中14番目の当選。
三年余り、タクシー乗務の明け番に、地元で「がんばろう、日本!」国民協議会の街頭宣伝を続け(自分が立候補するためでなく、一主権者の活動として)てきたことが大きな蓄積となり、そこと地域活動(おやじの会など)が結びついて、「普通の人」が「疑似」主権者から本格的な主権者へ脱皮していくうねりが見え始めた。
岡村同人(牽牛倶楽部・幹事)も、連日越谷にはりついて、選対を「信頼と責任」で回していくカナメとなった。

今回の統一地方選は、どういう条件があれば、「政治文化の入れ替え戦」に火がつくのかについて、実践的な教訓となった。しかと総括して、政権交代への本格的な道すじへつなげよう。

(前半・後半を通じて当選した会員は、「日本再生」289号(5/1)に掲載。小豆島での活動報告は、「会員掲示板(サロン・ド・アンクルズ)」に掲載)

「経済論戦をどうみるか」
第25回東京・戸田代表を囲む会は、4月17日大塚耕平参院議員をゲストスピーカーにお招きして行われた。
4月は、統一地方選挙の前半戦と後半戦の「合間」に、二回の「囲む会」というタイトな日程であり、候補者や選対にかかわっている会員のなかには参加できないものもいたが、今回は前半戦で当選した川崎市議の堀添氏や証券関係者などが参加した。

大塚議員のお話は、いつもながら論点をクリアにした大変分かりやすいものであった。
経済論戦が「混乱」している大きな要因は、次元の違う問題(いわゆるマクロ政策とミクロの対策)をごちゃごちゃにしていることにある。困ったことに、「分かったうえで」論点をすりかえているのならそれはそれで、ひとつの論争のテクニックではあるが、大半は「分かっていなくて」ただただ情念の赴くままに、いいたいことを言っているというのが、テレビの討論番組から国会の議論まで含めた現状である。

またこの間の「○○対策」というもののほとんどが、ちぐはぐだということ。政策目標に対して一方では「促進」する方策を(足して二で割る式の折衷的なものがほとんどだが)行いながら、他方ではそれに逆行する政策を打ち出している。要するに、誰に対しても「いい顔」をしたいということで、結局「政治に意思がない」ということが、事態を泥沼化させている。
(稲城市の石川市長は、財政をきちんと運営したいなら、「いい顔」をしたがる人を首長に選ぶべきではない、とインタビューで述べていた【「日本再生」287号】)

ゼロ金利がこれだけ続き、日銀がジャブジャブにお金をつぎ込んでいるにもかかわらず、その大半が国債購入資金になるという図式に端的なように、むしろ「構造改革」の掛け声の下ですすんだのは、公的部門の肥大化・民間部門の縮小である。
まさに日本経済は、「確信のないまま『未知の領域』にはいりこんだ」(大塚議員「論座」4月号)。過去の成功体験とその惰性で政策を小出しにする(戦力の逐次投入―日本軍の最悪の作戦「計画」=計画になっていない)のではなく、「失敗から学ぶ」「これがうまくいかなかったらどうするかを考えて政策を打つ」という発想の転換が必要である。

それは政権交代によってのみ可能である。

「盧武鉉政権と北朝鮮問題」
4月15日、第24回東京・戸田代表を囲む会は、金大中政権で統一相を務められた康仁徳氏をゲストスピーカーにお迎えして開催された。
康仁徳氏は1932年生まれ。70年代の南北対話に第一線の実務者としてかかわったのをはじめ、一貫して対北政策の研究立案に関わってきた。98-99年には、金大中政権の初の統一長官を務めた。現在は、聖学院で客員教授を務めるかたわら、韓国内でも後進の指導に当たられている。

康仁徳氏は、盧武鉉政権誕生の原動力となった386世代(30代、80年代に社会人になった60年代生まれ)に対して「旧い世代」、「進歩的」層に対して「保守派」とご自身の立場を説明されながら、北朝鮮問題や盧武鉉政権の今後の政策について、「国を思う」志にあふれたお話をされた。

詳細は『日本再生』289号に掲載するが、印象に残ったのは、北朝鮮問題は「平和的に解決」しなければならないが、そのためにはわれわれは(日本韓国ともに)これからもいくつもの「瀬戸際」を乗り越えていかなければならない。平和的解決というのは、むしろ緊張が伴うもので、問題なのはその緊張に耐え、乗り越えていくだけの忍耐力である、というお話だ。
北朝鮮は脅威であるからこそ、その権力実態、形成過程や思想的核心までをリアルにとらえつくす責任意識・当事者意識が不可欠だ。忍耐力はそこからのみ生まれる。それなしに、ワイドショー的に騒ぐだけでは、自国の生存さえ他人に頼る(北朝鮮があるからアメリカ支持以外なし、という類)ことになる。

外交・安全保障政策を議論するための責任意識とは何か。
このことを身をもって示されたお話であった。

「統一地方選前半終わる」
統一地方選の前半戦が終わった。神奈川県知事選挙では、松沢成文氏が見事当選した。マスコミでは「無党派」が強調されているが、はじめてマニフェストという形で、政策を明確にして有権者との「契約」ということを明らかにしたこと、また「キャンペーン革命」として団体や系列ではなくネットワーク型の組織戦に徹し、資金も公開するなど、透明性とアカウンタビリティーを実体化しての勝利であることに注目したい。

県議、政令指定都市の議員選挙でも、会員の当選が相次いだ。

千葉県議(船橋市)田中明13883票(定数7/7位)
川崎市議 堀添健5435票(定数9/7位) <写真左>
大阪府議(堺市)森山ひろゆき 18317票(定数10/8位)
香川県議(小豆郡)石井亨6827票(定数2/2位)
大阪府議(八尾市)田中誠太19221票(定数4/3位)
和歌山県議(和歌山市) 浦口高典9231票(定数16/10位)
静岡県議 篠原太無投票
 
国民主権の確実な地殻変動が感じられる。
「国政選挙にはいくが地方選挙には行かない(バカらしい)」ということでは、国民主権とは言えないということが分かる部分の行動の兆候は確実にある。そこに何かを訴えることのできる感性・主張・キャラクターがあれば、新しい層を集約できる手ごたえはある。
自治体の運営・経営に対する責任意識や政策があるものは、「イラク戦争」についても、主権者の視点から対応ができる(「やむをえない戦争」を最低の出発点として、これに「教えるもの」をどれだけもっているか、あるいは「いっしょに考える」ことのできる感性をどこまでもっているか)。
駅前で商売しているたこ焼き屋のオジサンが、「いろんな人が演説しているが、みんな『戦争反対』しか言っていない。アンタが言っているのはそれとは違う」と言ってくるご時世なのだから。

後半戦は、より身近な基礎自治体の選挙だ。
自らが属する共同体に対する責任意識(主権者)意識を、生活レベルからも国家レベルからも問える・問われる選挙である。
会員各位の、さらなる健闘を!

「ブッシュドクトリンの最前線」
イラク戦争はブッシュ・ドクトリンの最初の「実験」である。
「民主帝国」アメリカとどうやってつきあうのか―これはどの国にとっても「やっかいな」問題だ。
中国も当面(10―15年の単位で)、アメリカと事を荒立てず、(アメリカ主導の)国際政治の破壊者や挑戦者ではなく、参加者となることを明確にしている。
「北朝鮮があるから日本はアメリカを支持する以外にない」というのは明らかに思考停止である。
アメリカが北朝鮮に対して、イラクと同様のアプローチをとった時、わが国はどうするのか、その時の国益とは何なのか。こうしたことを考え抜くことなしに主権者とは言えない。
北朝鮮問題は、ブッシュ・ドクトリンの「もうひとつの前線」である。
「民主帝国」アメリカといかにつきあうのか、そのなかで自国の国益・生存を確保していくか―韓国はその第一義的当事者である。

戸田代表は、康仁徳氏(元韓国統一相/写真中)と、李鍾元氏(立教大学教授/写真左)とじっくり語り合った。康仁徳氏には 4月15日の「戸田代表を囲む会」で、李鍾元氏には5月19日の定例講演会でお話していただく。

□第24回 東京・戸田代表を囲む会
ゲストスピーカー・康仁徳氏「ノムヒョン政権と北朝鮮ならびに日米韓協調の今後」
4月15日(火)18時30分より 
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所
会費・同人/2000円 購読会員/3000円

□第48回 定例講演会
講師・李鍾元氏「ブッシュ・ドクトリンと北朝鮮問題を考える」
5月19日(月)18時30分より
総評会館
参加費・会員/1000円 一般/2000円

「上海訪問記」
【変わる上海・変わらぬ上海】
2月19日から23日まで、上海国際問題研究所の招待で上海、蘇州を訪問した。
上海を訪れるのはじつに六年半ぶりで、その変貌ぶりには目を見張る。当時はまだ浦東開発に着手したばかりであったが、今回はその浦東地区に新たにできた空港に到着。ドイツのリニアモーターカーが試験運転を始めている。市の中心部にも東西・南北に走る高速道路ができ、地下鉄も3本がすでに出来ている。
日本で買っていった地図には地下鉄路線が日本しか書いていないとか、浦東地区では地図にのっていないビルがそこらじゅうにできていたりとか、とにかくその変貌のスピードはすさまじいと改めて実感。
なにせ、三ヶ月もあれば立ち退きが終了するという社会体制のうえ、地震がないから高層建築も簡単にできるという事情もあって、ホテルから見える浦東地区には高層ビルが林立する。足元の旧市外でもそこここで、旧いレンガづくりの四 合院風の旧い住宅街が取り壊されて、あるところではマンション建設が始まり、あるところではところどころに瓦礫の山が見える。
それでも「交通法規は命の友」というスローガンは以前と変わらず、信号におかまいなしに道路を横断する歩行者・自転車と横断歩道につっこんでくる車という環境で出歩くのは、なかなか大変である。
2010年の万国博覧会開催を控え「文明都市」をめざす上海。広告が圧倒的に多くなったとは言え、やはり工事現場などにはスローガンが掲げてある。曰く「文明都市をめざそう。10大禁止事項」。やはり第一は「むやみにタンを吐くな」と。
それでも外資系で働く人や私営企業などを軸に、ずいぶん洗練されている。ホテルの女性従業員はみな、背筋をすっと伸ばしているし、街を歩いている女性も日本人のように姿勢が悪くて脚が曲がっているという人はいない。地下鉄内では携帯を片手にメールを打つ人がそここにいたり、若者の身なりや居眠りするサラリーマン風の人など、日本の車内風景と比べてほとんど違和感がないくらいである。
やはり気になったのは空気の悪さ。どんよりとしているのは天候のせいだけではなく、スモッグであろう。インフラが未整備であるために、上海での自動車登録は非常に制限されている(年間400台と聞いた/ただし外資系は別枠。ナンバープレートは三種類あって、黒が外資系、青が一般車、黄色が営業車)が、それでもこれだけ車が増えれば、大気汚染は深刻だろう。上海の小児ガンの発生率は世界の都市のなかで最悪であるとも聞いた。
【上海国際問題研究所】
上海国際問題研究所の日本室長・呉寄南氏(写真下・右端)と戸田代表は旧知の仲。今回は上海国際問題研究所を訪問して、「日本の構造改革と小泉政権の内外政策」というタイトルで戸田代表がスピーチを行い、意見交換をした。
上海国際問題研究所は1960年、周恩来総理の指示によって創立された、中国有数のシンクタンクである。旧租界地区にある建物は、最初の党副主席(名前を忘れた)が住んでいたところで、文化大革命時には林彪の息子が占拠していた(毛沢東暗殺計画もここで練った)という、中国現代史を刻むものでもある。所長の兪新天女史は上海市政治協商会議のメンバーでもある(写真右・右から二人目)。所長人事は上海市政府。
その後の懇談では、16回大会後の課題について、率直な意見交換が行われた。とくに、「江沢民体制は『先に豊かになった』(ケ小平談話)人たちを体制に取り込むことにとりあえず成功した(「三つの代表」に象徴)。胡錦濤体制は、『取り残された人々』のことを第一に考える政権になる」との指摘は印象に残る。胡錦濤の「新三民主義」(権力は民のため、情は民にかける、利益は民に図る)という話もでた(「三民主義」は孫文が唱えた「民主、民族、民生」)。
市場経済化・グローバル化に伴う格差の拡大は深刻な問題である。
高度成長まっしぐらのなかでは、上海北部の貧しい地区に住む人たちも、「いずれ自分の家を持つ」ことが夢ではないし、今は共同炊事場しかない暮らしでも、「その時」のためにシステムキッチンのカタログを読み漁る。(中国ではマンションを買うと、間取りから内装からすべて自分でしつらえる。だから書店にはインテリア雑誌が何種類もある。)「彼らは一年以内にいなくなる」とは、一年あればそれだけの稼ぎを得ることができるという意味なのだ。そして次の人たちがそこに入り込み、また彼らも一年後にはいなくなる。
しかしそれがいつまでもつか。そしてその上昇気流に乗れなかった人たちはどうなるか。ちょうど韓国の地下鉄放火事件があったばかりだった。この背景にはIMFショック後のV字回復に取り残された人々の「社会的恨み」が感じられるという話題には、とても他人事ではない、という感じを持っているように思えた。
同時に街を歩いていて感じるのは、以前にはなかった人々の「お疲れ」感である。日本にはもうなくなった、上を目指してがんばるエネルギーはまだまだいたるところに感じられるのだが。最近、大学生の間では「村上春樹」が大ブームだというのも、な んとなくうなずける。
【次を見据える】
 蘇州ではシンガポールとの共同開発による工業団地(園区)に進出した日本企業を訪問。部品メーカーは、機械生産のため労働コストはあまり変わらない、むしろセットメーカーの中国進出に伴ってつい最近進出してきたとのこと。レンタル工場という使い勝手のいいシステムが準備されている。
家電メーカーは、この工業地区開発の最初の時点から準備しており、すでに六年目。ここでもシステム設計者の人件費は上海基準になるので、けっして安くはない。オペレーターなどは地元採用だが、それとてそれほど安いわけではない。やはり、これか らの中国市場への足かがりという意味が大きい。
労務管理には苦労しているようで、試行錯誤の結果、全員の業務評価を公開して、ダメな人には辞めてもらう、がんばる人にはインセンティブを与えるシステムにしているとのこと。そうしないと労働者のなかから、「なんであの人が自分と同じなのか」という不満が出るという。また、モノづくりの基礎としての掃除など生活習慣・紀律を教え込むことに力を入れているとは、さすが日本企業と感心した。
一方で、日本との関係で起業している日本留学帰りの若い企業家たちの視線は、別のところにある。
自分たちの中国社会での地位は、日本の再生にかかっているという彼らは「私たちは日本人以上に、日本のこれからについて真剣に考えています」という。
 彼らは、中国(というより上海か)の生き残りは産業の高度化にこそかかっていると考えている。グローバル競争のなかで、「安価な労働力」だけでは生き残れないということだ。だから政府が鳴り物入りで行っている「大西部開発」への視線も冷ややかだ。「あれでは民間は乗れない」と。(「大西部開発」は、沿岸部と内陸部の格差是正のための目玉とも言える国家政策。)
グローバル競争で生き残るためには、中国企業に世界市場で通用するブランド力をつけなければならない。いずれ元が変動相場制に移行する時を見据えての戦略である。先進国の技術やノウハウを早急に取り入れるためには「外へでろ」ということであり、日本企業の人的・技術的集積とブランド力は「お買い得」なのだと。
日本の中小企業には技術・ノウハウは豊富にあるが、銀行の貸しはがし・機能停止で資金難にある。ここに目をつけているのは欧米のハゲタカ・ファンドだけではないということだ。
いずれにしても、東アジアにおける日本の「適正な位置」を戦いとらずしてはどうにも立ち行かない局面であることだけは確実である。

「松沢、起つ! 神奈川力宣言!」
衆議院議員・松沢成文氏が、3月27日告示の神奈川県知事選挙への出馬を表明した。
各地で改革派の知事が誕生し、それぞれの改革を進めるなかで、それらとスクラムを組みながら、国政と連動して「日本再生」への改革を目指す。
民主党を軸に、政権交代にむけた「核」が国政レベルで見えつつあるからこそ、地域でも「住民自治・地域主権」の動きをさらに広め、連動させていくことで、国民主権のうねりはさらに加速される。この春の地方選挙はで、そうした連動のうねりを作り出していくという意味でも、松沢議員の知事選への挑戦をぜひ成功させたい。
松沢議員は、「神奈川の財政は厳しい。財政再建団体への転落寸前で、今知事になるというのは、倒産寸前の会社の社長を引き受けて、すべての責任を負わされるという立場。だから『当選確実な選挙区なんだから、このまま国会議員をやればいいのに』という人もいる。しかしそれではサラリーマンになってしまう。困難でもそれが必要ならチャレンジし道を切り開くことに挑戦してこそ、政治家だ」と、あえて衆院議員から知事選にチャレンジする覚悟を語っている。
知事になってやりたいことは山ほどある。財政再建のための切り詰めはもちろん必要だが、それだけでは先の展望が見えず活力は失われる。統廃合による空き校舎を利用したコミュニティーカレッジや、水源税を利用した環境・教育・公共事業の循環サイクルなど、「神奈川力」を再生するプランを語り出したら止まらない。
水源税も、財政の足しという発想ではなく、県内に水源を抱える県民が「環境保全・水資源保税」のために負担するという理念の目的税とし、上流の下水整備や森林保全のボランティア活動、木造校舎への補助金―森林の再生、などという「神奈川循環」をつくることを目指す。
また「首都圏連合」を組んで、空港や港湾、道路などに戦略的に取り組む「広域行政」を目指す。現在は東北三県が、いわば実質的な道州制のような広域行政に取り組んでいるが、その首都圏版である。とりわけ大型インフラの戦略的な再編、環境(ディーゼル車の排ガス規制や産業廃棄物処理など)の広域的な取り組みは、日本再生にとっても重要である。
一方では、より市町村という基礎的自治体が強化され、他方ではより広域的な行政が求められる時代、「『県』という枠組みは変わらざるをえないし、変わらなければならない。従来の『県』の枠組みにとらわれる守旧派になるつもりはない」と、松沢氏は言い切る。
知事選挙は、統一地方選のトップを切って、3月27日告示、4月13日投票。神奈川県の有権者数は800万人。名前の浸透だけでも大変である。神奈川県在住の方、神奈川県にお知り合いのある方は、口コミでぜひ今日から、松沢の決意を知らせてください。名簿を紹介していただける方は、「がんばろう、日本!」国民協議会03-5215-1330 FAX03-5215-1333までよろしくお願いします。
3月19日には午後6時30分より、横浜ベイシェラトンにて「決起集会」が行われる。
松沢氏のホームページは http://www.matsuzawa.com/kanagawa/ 毎日更新されています。

「地方自治―改革への挑戦と課題」
2月7日開催の第45回定例講演会は、「地方自治」をテーマに、福嶋浩彦・我孫子市長と田中大輔・中野区長をお招きして開催された。
福嶋市長はこの一月に三選をはたして、三期目を迎える。補助金のゼロベースからの見直しや、介護保険の独自判定など、「我孫子方式」と呼ばれる先進的な取り組みを数多く行っている。いずれも「福嶋イズム」とでも言うような、市民自治・市民参加の理念がしっかりと貫かれた施策である。
田中区長は、区職員としての行政経験を踏まえて昨年六月に初当選された。当選以来、公約でもあった「区民対話集会」を月に二回、区内各地で開催し、その内容をホームページですべて公開している。

田中区長は、「中野では『市民自治』とか『区民参加』というのは言葉としては早くから標榜してきた(革新自治体)が、それが形骸化し財政的にも破綻した。その事実をきちんと直視して、財政再建と区民参加を両立させていく区政運営をしなければならない」と述べた。
40代半ば以上の世代にとっては、今日の破綻状況は「誰かのせい」にできない。何が間違っていたのか、何を正すべきなのかは、事実を正面からとらえれば見えてくる。この「生きた反省」を語れるかどうかである。

多くの自治体は財政的破綻に直面している。あと五年もすれば、団塊世代の職員が大量に退職期を迎えるが、退職金の準備がある自治体は多くない。「五年後」に間違いなく直面する問題について、今回の地方選挙で「何も触れない」「知らないふりをする」、聞かれれば「前任者までのことで・・・」と責任を逃げるetc。これでは首長として失格である。それを有権者が問えるか、ということが試される選挙でもある。

福嶋市長は、何よりも自立の精神をもつことが大切で、市民の自治能力がなければ、例え権限や財源が自治体に委譲されても、「陳情の延長の参加」にしかならないと指摘。
我孫子では「合併しない」方向で、そのためにさらに「自分の足で立つ」ための市政改革に取り組むとのこと。その改革とは一点、市民の自治能力を高めるための施策として説明された。

自治能力とは、「問題設定能力」と「問題解決能力」である。地域の自治力が高ければ、この「問題設定能力」と「問題解決能力」を競い合うことが、選挙の意味になり、それが政党の意味・役割ということになる。これが「政権交代可能な政党政治」の基礎文明である。
今回の統一地方選挙は、このような政治文化を基礎から打ち立てていくための「とば口」を開くための攻防である。国政では、日本再生のための改革の組織戦が見え始めている。これを支えることができる、ホンモノの基礎を固める組織戦ということでもある。

9日の「戸田サロン」では、この統一地方選挙を、上記のような観点からいかに戦うのか、立候補予定者の「格付け」も含めて行った。
自治体の首長は「大統領」的な権限があり、だからこそ、この権力をいかに行使するのかについて、ルール化、制度化がどこまでできているのかを問わなければならない。情報公開であり、市民参加である。そしてそれをつねに、市民の自治能力をさらに高めるように改革しているかである。
一方、議会は首長・行政のチェックがその役割である。議院内閣制の国政では、与党は政権に責任を負うが、地方自治においては、「与党」というのはおかしいのである。首長・行政のチェックとは第一義的に税金の使い方であり、経営状況のチェックである。それができるだけの「実務能力」が、議員としての最低限の能力である。
そのためには、税金をもらう政治活動(議員)と、税金をもらわない政治活動(一主権者としての政治へのかかわり)とで、何がどう違うのか、決定的には責任の取り方の総括・飛躍を語れなければならない。この感性がなければ、土建屋とは形の違うぶら下がりになる(「行政に要求ばかりする市民」「補助金をアテにしたNPO」など)。
首長、議員に求められる資質=職務にふさわしい実務能力を、有権者が問い、格付けし、その結果に少なくとも四年間は責任をもつということが必要である。

(45回講演会の内容、戸田サロンの内容は、石川・稲城市長のインタビューとともに、3/1発行の『日本再生』に掲載予定。統一地方選挙への実践的指針として活用していただきたい)

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