望年会

世界的なリーダー交替の年となった2012年と、「憂鬱な圧勝」から本格的に始まる「負担の再分配」の時代

12月22日、恒例の望年会を事務所にて開催。年末の総選挙から一週間、「憂鬱な圧勝」という総括(12/19 メルマガ)を受けて、それぞれ総括を語りあった。

戸田代表からは「政権交代という最後の『坂の上の雲』を追っていた活動は、民主党であろうと、主権者運動モドキであろうと、この事態には対応できない。すでに21世紀の新しい現実は目の前にあり、負の再分配の時代は始まっている。ここで社会的公正、持続性が問われており、新しいガバナンスが問われている」「この選挙を通じて、たたみ方、立ち上げ方という新しいマネジメント、ガバナンスの実践的糸口にスッと入ったグループ(ガバナンス、マネジメントの問題はチームでないと、個人では分からない)が生まれている。実質的に『坂の上の雲』を追ってきたほうは、さらに活動が後退している」
「今回は投票率が10ポイント近く下がり、なおかつ無効票が200万を超えて過去最多となった。従来と違い白票の割合が増えている。ここに有権者の“悩み”“憂鬱”が現れている。おそらくその多くが『政権交代には意味があった』と考えているはずで、そこと最後まで対話できなかったということでもある」「票とは人であり、人間関係。どこからどういう票をとってくるか、それがまったく見えずに「お詫び」やら「成果」やらを訴えても、選挙活動にはならない。民主党はまったくそこが見えていない」
「小選挙区制においては有権者も、どの政党が一番いいか、どの政策が一番近いかなど、ベストを選ぶのではなく『よりまし』な選択、『最悪を避ける』選択を覚えなければならない」などが提起された。

選挙戦を通じて、三党合意の意義、ここを後退させるわけにはいかないこと、あるいは政権交代には意味があった、これを簡単にチャラにするわけにはいかない、といったことをそれぞれが活動の現場で訴えたが、予想を超えて、民主党の国会議員自身の中に、それを訴える主体性がなかったことが、この結果につながったといえるだろう。その現状のなかにあって、バッジ組、非バッジ組のなかからは、既存政党の現状を腹に納めた上で、主権者運動のスタンスで活動することが、より実践的に体得されつつある。

「それでも民主党には存在意義がある」といえるのは、圧倒的に国会議員ではなく、地方議員の中から、ということになるだろう。また今回踏みとどまることができたのは、三年間のなかでキラリと光る活動の糸口をつかんだ議員だといえるだろう。
とくにチーム白川からは、独立変数の主権者運動としての選挙へのかかわりのモデルとなりうるような活動が報告された(「日本再生」404号「一灯照隅」参照)。

2012年は予定通り、世界的にリーダー交替の年となった。そこにアラブ諸国も加わり、日本も最後に滑り込んだ結果が、「憂鬱な圧勝」である。どの政権になろうと、負の再分配の時代、そこでの合意形成や多数派形成が待ったなしに問われる。自民党政権の失政を待っているような猶予は、もはやわれわれには与えられていない。


望年会in京都を開催

総選挙最終盤の12月14日、京都市内で恒例の「望年会in京都」を二部構成で開催。

一部の関西政経セミナー特別講演会は、四年連続になる村田晃嗣・同志社大学教授の外交講演。日本の総選挙の結果にかかわらず、世界の劇的な構造変化はまったなしで進む。これに日本外交が存在感をもてるのかどうか?3年3か月前の総選挙で生まれた政権の業績評価とは、われわれ国民の責任が問われる問題でもある。村田先生は、「責任を政党におしつけてはならない。(政権の失敗は)われわれの失敗である」と喝破された。また、「安倍自民党が大勝したとしても、野田政権が挑戦しようとした課題(税と社会保障の一体改革、定数是正、TPP)は宿題として残る」ゆえに「総選挙は準決勝、決勝は参議院選挙である」とわかりやすく示唆された。

アメリカが10年ぶりにアジア太平洋に軸足を置こうとしているとき、いまほど日本の戦略的外交と日韓協力が必要な時はない。アジアでのアメリカのプレゼンスを日本が支えることができるかどうか。そのための「国内政治の安定」は、首相公選やら道州制やらの制度いじりで可能なのか?政権交代可能な二大政党制は、ないものねだりで生まれるわけはない。米大統領選挙は老若男女がボランティアで参加し1年をかける。有権者の政治参加の文化が政党政治を鍛える。村田先生は「決められない政治というが、決めるだけが政治ではない」「複数の時間軸が必要な戦略的外交は有権者の政治に対する忍耐力にかかっている」と問いかけられた。

二部は、望年会。冒頭、戸田代表は「日本がどうなっており、どうなりうるかの事実を正面から問うことを、郵政選挙でも、前回総選挙でも避けてきた。政党にはこの事実を正面から言うことに恐れがある。有権者に対する信頼をしきれないという本質問題は、選挙が終わって安倍さんが大勝したからといって無くならない。前回選挙での初の政権交代で、ボールは有権者の側に投げ返された。有権者が、自分たちが選んだ政権を、大学に例えれば、重要な単位を落としたんだから退学だ、となるのか。それとも、責任感とは忍耐力であると学べるか。今選挙後に問われるのは、失われた20年の負の遺産を清算するだけの責任性、負の再分配の時代という時代観、日本社会の持続性のために最低二十年、三十年先から今を規定する責任性と胆力です」と提起。

諸富徹・京都大学教授、池田光繁・全京都建設協同組合専務理事、大阪と京都の「日本再生」読者会メンバーなどからの発言をうけ、懇親を深めた。参加のべ53名。
(杉原卓治)


これからの建設業はどうなりうるのか?

11月16日、京都市内で「持続可能なまちづくり」をテーマに勉強会を開催。主催は、300余りの建設業者が、協同組合法にもとづいて設立・運営している全京都建設協同組合。「がんばろう、日本!」国民協議会が後援。

諸富徹・京都大学教授と前田武志・参議院議員(前国交大臣)が、「これからの建設業」を展望するための基盤となる、日本社会の現状と未来〜持続可能なまちづくりについての報告・対談をおこなった。

冒頭、川久保雄二郎・全京都建設協同組合代表理事が「建設業を取り巻く環境は非常に厳しいが、変化の時代は業界にとってのチャンスでもある」とあいさつ。

諸富教授からは、人口減少・低成長時代の公共投資は、財政・環境制約やエネルギー政策の転換からも変わらざるをえないが、決定的には「ガバナンスの変化」(例:大戸川ダム建設中止は、国ではなく大阪、京都、滋賀、三重の4府県知事が上下流の利害調整をし、洪水対策などの解決策を出したことで実現)が背景にあると強調された。

コンパクトシティも、人口減少、環境制約、財政制約という3つの長期トレンドを読み込んだ都市経営がキモであり、社会資本投資(公共交通・上下水道など)の方向を地域(自治体〜首長・議会・住民)自らが決め、中心地に民間投資を呼び込んで活性化していく戦略(例:富山市)。

「だれかに決めてもらい、将来世代につけをまわす」(建設国債に依存した分配型公共事業が典型)のか、「自分たちが地域の将来像を決め、その方向に投資する」のか、建設業にとっても請負業の習慣から脱皮し、自ら地域の主体となって考え、行動できるかどうかが問われる。

前田参院議員は、国交大臣就任直後の紀伊半島大水害や3・11の教訓を引きながら、国のガバナンスにとって不可欠の治山治水は「多重防災」の考えが重要であり、「低炭素まちづくり法」(12月4日施行予定)のめざす「持続可能なまちづくり」、社会資本の維持管理・更新、良質な住宅ストックの供給と流通市場形成、課題先進国としての国際貢献などと相まって、「持続可能で活力ある国土・地域づくり」(「日本再生戦略」7月31日・閣議決定)の核をなすと指摘。「国土強靭化計画」(自民党)との政策思想の違いを際立たせた。

(ちなみに、「日本再生戦略」の「三つの重点分野」は、「グリーン(エネルギー・環境)」「ライフ(健康)」「農林漁業(6次産業化)」であり、これらの担い手として「国土・地域づくりを支える建設産業の再生」が不可欠とされている)。

質疑応答のあと、光本大助・副理事長(光本瓦店拒纒\)より、「(組合として)どっちを向いて生きていくか考えていた方向が、今日の内容を聴いてわりといい線いっているなと思った」と勉強会のまとめがあった。
(杉原卓治)


太陽光発電事業@飯田市

飯田市・中部電力によるメガソーラー。発電量が表示されている。この日はよく晴れていた。
11月15-16日。太陽光発電を地域事業として展開している「おひさま進歩エネルギー株式会社」を、飯田市に訪ねる。
同社はファンドを通じて集めた市民の「意思あるお金」で、自然エネルギー事業を展開、2から3%の分配を実現するという実績を持つ。
買取制度がスタートする前から、すでに自然エネルギーを、利益を出せる事業として手がけている。

社長の原さんには、来年1月のシンポジウムに来ていただくので、楽しみにしてください。インタビューは12/1号に掲載予定。

飯田市は市としても、自然エネルギーに力を入れていて、中部電力と共同でメガソーラーを設置している。
環境問題への取り組みは、京都議定書のころから。当時「環境」を掲げた○○計画は、いっぱいあったが、そのうちどれだけが今日まで集積をしてきたか。飯田市はぶれずに、市長が変わっても、この方向を着実に進んできた。

「おひさま」のゆるキャラ、「さんぽちゃん」と。右が原社長。
地図にある太陽光パネルの設置場所は、同社のホームページでも見ることができる。
飯田市は市議会も、議会改革のトップランナーのひとつ。マニフェスト大賞では、毎回ノミネートされる「常連」だ。
そして「おひさま」はNPOから出発した社会企業。
市長・議会・市民の三位一体の集積が伺えるのも、飯田市の強みではないか。

そんな飯田市の「おひさま」には、「おひさま」の事業をテレビで見て、迷わず転職してきたA君(今年で4年目)や、3.11を契機に生き方を変えたB君といった、外から入ってきた若者のエネルギーも溢れている。


マニフェスト政治、「次」のステージへの転換を〜エネルギー・温暖化戦略を軸に

久しぶりとなる講演会を10月3日に開催。「エネルギー・温暖化戦略」を軸に、マニフェストの次のステージについて、福山哲郎参院議員にお話しいただいた。
福山議員といえば、議員になる前から温暖化に取り組み、グリーンエネルギーをライフワークにされてきた第一人者。しかも3.11には官邸で、官房副長官として福島原発事故対応に当たられた。

お話はやはり、3.11に官邸でどう対処したのか、というところから。くわしくは著書「原発危機 官邸からの証言」(ちくま新書)に述べられているが、当時の官邸の対応・対処にはすべて、「どういう情報が伝えられ」「どう判断したのか」という、きちんとした根拠がある、ということ。それをすっ飛ばして「遅い」「少ない」「出来ていない」という平時の感性のまま(ついでに言えば、自民党長期政権の時代の政府批判の感性のまま)、政府の対応を批判すれば事足りる、という姿勢そのものが問われなければならないだろう。

もうひとつ印象に残ったのは、原発ゼロについて。閣議決定に盛り込まれなかったことをもって「骨抜きになった」との批判があるが、これでは見えるものも見えなくなる。
国民的議論を経て、「ゼロ」という方向は決まった。しかし「ゼロ」とは「原発稼動ゼロ」ということと、「使用済み核燃料」「放射性廃棄物」のリスクコントロールという、もうひとつの難問がある。稼動ゼロの厳しさについては、論議の結果、ある程度国民的な理解ができつつあるといえるだろう。だからこそいよいよ、本丸ともいえる使用済み核燃料の処理という問題に向き合わなければならない。国民的議論は新しいステージを迎えたということだ。

これを「骨抜きになった」としてしまえば、ここまでの国民的議論そのものもチャラにすることになる。福島のあれだけの犠牲の上に、ようやく始まった国民的議論の糸口を、こんなことでチャラにしてしまっていいのか。「ゼロ」の方向性は民主党政権も、民主党も明示している(自民党は立場を決めていない)。問われているのは民主党政権よりも、むしろ私たちだというべきだろう。

講演の詳細は「日本再生」402号(11/1)に掲載予定。

「原発危機 官邸からの証言」(ちくま新書)は、当時のノートを基にそのときの事実、何をどう判断したのかが抑制的に記されている。原発事故という未曾有の危機、首都圏300万の避難という最悪のシナリオすら想定されるという事態に、法制の不備をはじめ何の備えもないなかで、「よくここまでやった」というのが率直な感想だ。
政府、国会、民間の事故調が出揃った後に、検証に耐えうる(自己弁護ではない)当事者の証言が出てくる、ということも、貴重な政治文化のひとつではないか。


次世代に、健全な日本を遺すために

第119回 東京・戸田代表を囲む会は、五十嵐文彦・財務副大臣(当時)をゲストスピーカーにお迎えして9月24日に開催。
「次世代にこれ以上ツケを回さないために」と題して、「なぜ消費増税なのか」を改めてお話しいただいた。
お話の詳細は、「日本再生」401号(10/1)を参照していただくとして、印象に残った点をいくつか。

質疑の中で「何のための増税なのか、若い世代にもメリットが感じられるような説明を」という趣旨に対して、反対圧力を和らげるために「将来の社会保障の手当て」を強調しすぎた面があるが、すでに「先食い」をしていることを、もっときちんと知らせなければならない、と言われたこと。「増税の先食い(社会保障のビジョンが後回し)」との批判は、財政のシビアな現実を直視していないということだ。(財政の現状に対する危機感)。
同時にだからこそ、「世界同時多発財政恐慌」といわれるような、国際経済・金融の現況に対する危機感があることがヒシヒシと感じられた。

また複数税率(軽減措置のひとつとして挙げられている)の視察で訪れたイギリスでは、実際にファストフード店であれこれ試したり(レシートを要求して確かめたり)、スーパーのディスカウントセールやタイムサービスまで見て回ったりと、「大臣目線」の視察ではなかなか見えてこない、生活者感覚の視察の様子が伺われた。


メガソーラー、疎開保険、100年の森 ・その3

西粟倉村の100年の森
ほぼ100年、手入れしてきた森は下草が青々と茂り、まっすぐに伸びた杉やヒノキの間から青空が見える。今から50年、ちゃんと手入れすれば、こういう森に囲まれた「上質な田舎」を作ることができる。
西粟倉のヒノキを使った椅子
湯郷温泉「季譜の里」ではリニューアルに際して、ロビーには西粟倉の木を使って家具を作る家具職人・大島さんの製作した家具を揃えた。今日はリニューアルオープン。無垢の木の香りが心地よい。森を次世代に残そう、地域とともにある宿にしようとの、作り手の思い、女将さんたちの思いが感じられる空間だ。

森の学校の拠点は、廃校になった小学校。中にはオフィスのほかにショップ、カフェ、家具などの展示スペースがあり、体育館には西粟倉の木で作った家(骨組み)まで展示されている。二日目はここで天然うなぎのランチ!牧代表自ら、川にもぐってとってきたといううなぎは絶品。ときにはオオサンショウウオもかかる、とのこと。他にも地の野菜のおいしいこと!

西粟倉の森はほとんどが人工林だが、鳥取との県境(智頭町と接している)には天然林が広がる。天然林といっても数百年前までは、たたら製鉄や炭焼きで、人の手が入っていたところではある。
写真は人工林と天然林との境目。左は杉林、右はブナなどの広葉樹林。違いが分かるかな?
天然林は自然保護区域のため、「取っていいのは写真だけ。残していいのは足跡だけ」という世界。倒木によって、若い木には伸びる空間が生まれ、朽ちれば栄養分となって芽を育てる。生態系の絶妙なバランスと循環が、五感で自然に体感できる。この光景は、「もののけ姫」を思わせる。

細切れの山を集約化することで、森林管理も効率化され、森林組合の雇用も増えた。ニシアワー(西粟倉材を使った製品のブランド)ブランドの加工所でも、雇用を生み出している。過去五年で西粟倉へのTターン者は50人。


メガソーラー、疎開保険、100年の森 ・その2

続いて訪れたのは、岡山県との県境にある山あいのまち、智頭町。じつは3.11の後「疎開保険」というものをやっていると知って、興味をもっていたところ。

智頭町はまちの面積の9割以上が森、という森林のまち。昔から鳥取と京都を結ぶ街道の要所として栄え、智頭杉が有名なところだ。鳥取市との合併を断念し、森を生かして「みどりの風が吹く“疎開”のまち」として自立・持続可能性を実現しようとしている。

智頭の見所のひとつ。昭和30年代の風景がそのまま残る板井原集落。住民はほとんど町へ降りているが、春から秋、農作業のために戻ってくるので、人の暮らしの息遣いが、そここに感じられる。空き家になった古民家で若い女性が開くカフェでは、なんと月1000杯ものコーヒーが供されるという。
森林セラピーの遊歩道の途中にある三滝。マイナスイオンが降り注ぐ。

「疎開保険」は、一人1万円(1000人まで)。激甚災害の指定を受けたときには、1週間避難先として町が受け入れ、食と住を保障するというもの。
3.11以前に考え出されていたが、被災地にお金を送っているときに自分たちが1万円いただくわけにはいかないと、いったん募集を中断したとのこと。
ただしこれは、単なる「保険」商品ではない。申し込んだ人には年に数回、智頭町のおいしい野菜や手づくりの品が送られてくるのだ。元々は自分たちで食べるだけだった野菜。それが人から「おいしい」といわれることは、作り手のおばあさん、おじいさんにとっては何よりもうれしいことで、毎日の励みにもなる。納品に参加しているのは、いまや100軒にのぼるとか。栽培はできなくても、集荷や発送という作業で係わる人たちもいる。

住民が自ら公共事業を担う「百人委員会」から生まれた「森の幼稚園」。園舎を持たず、森のなかでこどもたちを自由に遊ばせる(いわば「放し飼い」状態)。雨の日も雪の日も、こどもたちはズンズン森へ入っていくという。 自然の中で子育てしたいと、もりの幼稚園のために移住してくる人もいる。ここでは集合したり、お昼寝したりする。庭先の柿の木は、子どもたちがよじ登るので、百日紅のようにツルツル。
疎開の意味は、災害時だけではない。ストレスの多い都会の生活から、一時避難してくる場所、という意味もある。森林セラピーもそのひとつ。町民の家に民泊して、半日は会社の業務をやり、半日はいっしょに畑しごとをする。あるいは森林セラピーを受ける。そういうことで、うつの予備軍が解消される。
いまやメンタルケアは企業の人事管理にとっても重要事項。大阪から2時間、光ファイバ完備という地の利を生かして、企業とのタイアップも模索している。

お話を伺った寺谷町長は、再登板の町長、最初のときは
観光庁から、観光カリスマに指定されるようなまちづくりをリード。しかし合併問題で辞職(合併に反対だったが住民投票で僅差で合併賛成が上回ったため。その後町議会が合併を否決)。町の青年たちに担ぎ出されて再登板してからは「ほんものの自治」を掲げている。

インタビューは401号(10/1)に掲載予定。


メガソーラー、疎開保険、100年の森 ・その1

9/5から9まで、岡山、鳥取で地域の取り組みを訪ねてきた。

まずは岡山県瀬戸内市。
牛窓、邑久、長船という三つの町が合併してできた市だ。ここでは東京ディズニーランド10個分という広大な塩田跡地に、メガソーラーを建設する計画が進んでいる。製塩業が廃れた後、塩田跡地はいったんは廃棄物最終処分地になったりもしたが、その会社も倒産。さまざまなけいかくが浮かんでは頓挫し、いわば「お荷物」になっていた。しかし排水設備を稼動しなければ、一帯が浸水するなど、維持費は否応なくかかる。

そこで跡地を市が取得、開発計画について検討していたところに、3.11が起こり、再エネ買取という画期的な仕組みが動き出した。
当初メガソーラーは選択肢のひとつでしかなかったが、この流れをうけて40代の市長、副市長が一気に舵を切った。

瀬戸内市の計画がたんなる企業誘致とは一味違うのは、メガソーラーの公募にあたっては、事業者に対してまちづくりへの提案・参画を条件にしているところ。雇用を生み出すことにとどまらない、ともにまちをつくる役割を求めようというもの。

湿地ということもあって、環境的に保全するところも必要になる。将来、太陽光発電施設と、渡り鳥が生息する湿地が隣接するような光景が見られるようになるかもしれない。

武久市長は大学卒業後、地元で農業経営に携わり、邑久町議になった後、イギリス・バーミンガム大学で公共経営のMBAを修めたという異色の経歴の持ち主。帰国後はコンサルタントとして自治体経営に係わり、09年市長に就任した。07年からき関西学院大学大学院で、公務員に行政経営を教えるかたわら、京都大学大学院博士課程にも在籍するという、「二足のわらじ」ならぬ「三足のわらじ」をはきこなしている。ちなみに京都大学での指導教授は、植田先生と諸富先生だとか。

インタビューは401号(10/1)に掲載予定。


第118回東京・戸田代表を囲む会

9月4日、第118回 東京・戸田代表を囲む会。ゲストスピーカーは千葉県野田市の根本市長。

「国がやらないなら自治体がやろう、自治体から国を変えていこう」とのスタンスで、国に先駆けて野田市で取り組んできた公契約条例、自然保護・生物多様性、当事者とともに取り組む障がい者福祉、などについてお話を伺った。

自治体のいいところは、スローガンではなく具体的な施策、取り組みのところで議論が深まること。

今回も市民参加や施策の持続性などについて、地方議員会員を軸に活発な意見交換が行われた。

お話の詳細は「日本再生」10/1号に掲載予定。


第115回東京・戸田代表を囲む会

7月19日、第115回となる東京・戸田代表を囲む会を開催。ゲストスピーカーは大阪・八尾市の田中誠太・市長。公務の上京日程にあわせて、お話ししていただく機会をつくっていただいた。

これまでもインタビュー(387号)や、関西政経セミナー(396号)で紹介しているが、東京で直接お話を伺うのははじめて。20代のときから市議3期、府議2期という30年の政治活動キャリアを持ち、現在は市長2期目。

マニフェストの着実な実施―検証―深化をはじめ、3000人の職員の「公僕としてのモチベーション」を高めるトップとしてのマネジメントなどを手堅く集積していることが、改めてよく分かるお話だった。

制度論の「花火」をあげたり、「坂の上の雲」的「志」を振り回したりする「改革派」の話は、憂さ晴らしにはいいかもしれない。着実に成果を蓄積していく改革の実務家としてのお話は、依存と分配の文化に慣れ親しんだ人々には、「刺激のない」「物足りない」ものに聞こえるだろう。しかしこの日の同人議員との質疑は、財政問題や自治体経営、職員のマネジメントなど、自治分権の具体的実務に関わる、きわめて刺激的で示唆に富んだものとなった。

詳しい内容は399号(8/1発刊)に掲載の予定。

次の囲む会は8月1日。ゲストスピーカーは唐亮・早稲田大学教授。「現代中国の政治」と題して、改革開放体制の「次」の課題についてお話しいただく。


囲む会、総会

●気候変動政策とエネルギー政策を統合せよ
4月の囲む会は、一方井誠治・京都大学特任教授をゲストスピーカーにお招きして開催。気候変動政策とエネルギー政策を統合せよ、との主旨で、ドイツの気候変動政策を紹介しながら、日本に必要な政策課題についてお話しいただいた。
ドイツ、EUの政策の先進性は知られているが、日本との最大の違いは、日本が「気候変動対策→CO2削減の国民運動」という発想でしかないのに対して、ドイツおよびEUは、気候変動エネルギー戦略(政策統合)であり、低炭素経済にむけた経済のパラダイムシフトであること。

転機となったのは、70年代の二度にわたるオイルショック。ここからドイツは経済成長とエネルギー・CO2排出を切り離す、というパラダイムシフトを目指し、2000年代に入ってからはGDPは伸びても、エネルギー・CO2は減るという「成長」モデルを実現している。
一方の日本。70年代のオイルショックを「省エネ」で乗り切ったという「成功体験」は、じつは旧来型の成長モデルの補強でしかなく、京都議定書以降も、GDPの伸びとエネルギー・CO2の伸びは相関したまま。しかもそのGDPの伸びは、ドイツに比べて低いものにとどまったまま。

ようやく「破綻」の危機というところから、「21世紀の課題―未来圏からの風」を受けらざるをえないところに来ている。

●総会
七回大会、関西政経セミナー(4/16)を受けての総会を、5月12日開催。冒頭、戸田代表からは、自治分権が行動原則となり、実践レベルでの経験値の集積が可視化されているなかで、それをテーゼ風にまとめるという形で整理された。
続くトークでは、福嶋・元我孫子市長、山中・松阪市長、熊谷・千葉市長、松本・和光市長を交えて、さまざまな角度から市民自治の原則が行動的、実践的に展開された。参加から引き受けるへ、協働から自治へ、といったことが、会話のキャッチボールの中で次々と深められ、新しい風景が見えてくるという、ワクワク感に満ちたトークとなった。
討議では、それぞれの活動の報告や課題―民主主義観の転換に伴う新しい課題について討議された。

●「参加する」から「引き受ける」へ〜民主主義観の転換
5月の囲む会は、湯浅誠氏をゲストスピーカにお迎えして開催。「参加する」から「引き受ける」へ、という(政権交代後の)民主主義観の転換について、活動家という立場から行動的・実践的に提起していただいた。社会問題を社会の一員として引き受ける(誠治が悪い、誰が悪い、という犯人探しではなく)、そのために智恵を絞るということは、結局民主主義の問題であること。決めて欲しい→思うように決めてくれないから幻滅する→また誰かに期待する。その繰り返しでは、いつまでたっても「決めてくれる人」など、現れない。自分が引き受け、自分たちが決める。そのために何をするべきか。こうした民主主義の問題が先鋭的に現れているのが大阪であり、被災地。
(当日は依頼を受けて、被災した授産所で作った製品の販売も行った。http://www.insweb.jp/report/minnaDE.html)

まさに、無責任連鎖を終わりにする最後の決戦場こそが、自治の現場となっている。


被災地応援ファンドツアー 陸前高田・大船渡編

陸前高田の市営野球場。昨年3月に完成、直後に津波ですべて流されたまま。
遅ればせながらのご報告となります。
4月21日、第三回目となる被災地応援ファンドの応援ツアーに参加。今回は陸前高田と大船渡。訪ねたのは、三陸とれたて市場(大船渡)、御菓子司木村屋、いわ井、そして八木澤商店。

一関からの移動のバスの車中で、木村屋・木村さん、いわ井・磐井さんのお話を聞く。木村屋、いわ井は他の店とともに、グループ補助金を使って共同店舗を開業。今は開店にむけて最後の準備に追われているところ。御菓子と雑貨という生活必需品ではないけれど、あるとホッとするものを商うお店が始まることは、被災地にも普通の生活が戻りつつある一歩なのかもしれない。
そびえ立つガレキの山がいたるところに。
とはいえ、津波に流されたまちは、未だに土台を残すだけで何もかも失ったまま。整理された瓦礫の山が、そこここにそびえていて、これを片付けることは復興への大きな一歩だと、改めて実感する。
国の対応の遅さはいつも批判されるところだが、それでもグループ補助金など、これまでにない仕組みもあり、「よくぞここまでやってくれた、という思いもある」とのこと。またようやく事業の復興は始まったが、家族を一度に失った同級生について、涙を見せない気丈なヤツだが、一人になったときは泣いているのだろうと、心の復興が大きな課題だとも。復興の話題が取り上げられがちだが、そういう人たちがいることも、ぜひ心に留めておいてほしいと。

三陸とれたて市場での昼食。お弁当とめかぶ(てんこもり)ご飯。
昼食は三陸とれたて市場にて。自慢の地魚を使ったお弁当に、ワカメのしゃぶしゃぶと、めかぶご飯。新鮮なワカメはしゃぶしゃぶすると、きれいな緑いろに変わる。めかぶはたっぷりごはんにのせて…。あ〜おいしい!
三陸とれたて市場は、若き八木代表が、三陸の漁師が食べているめちゃくちゃうまいモンを直販して、漁業を付加価値の高い産業にしようと、漁師たちと起業した。震災四日後、無事が確認できた生産者が「ここまで潰れたら、さっぱりする。いちからいいものを作るっぺし」と言うのを見て、「商売をたたんで(出身地の)静岡へ帰ります」とは言えなくなった。
今回訪ねた事業者さんたち。左から 三陸とれたて市場・八木さん、いわ井・磐井さん、酔仙酒造・金野さん、木村屋・木村さん、八木澤商店・河野さん。ちょっと風が冷たい?
すぐに、津波ですべて流されて柱だけが残ったスケルトン状態のスーパー跡を使って、事業再開へむけて動き出す。当初はおかあちゃんたちがつくる「浜のミサンガ」をネット販売しながら凌ぐ。地域の生活を丸ごと背負ってしまった以上、前に進むしかない!
三陸とれたて市場のファンドはすでに満額となり、とれたての具材で作る浜のおばちゃんたちの手仕事(お客さんには出さない、自分たちの「まかない」。これが「とんでもなくうまい」のだそう)を販売する計画を着々と進めている。
三陸とれたて市場の物語は、以下の「ほぼ日刊イトイ新聞・東北の仕事論」を参照。
http://www.1101.com/tohoku_shigoto/toretate/index.html

津波で流され、発見された八木澤商店の「経営理念」。こういうものをちゃんと見つけてくるところがエライ。
午後は八木澤商店へ。一関の工場建設予定地は、小学校の校庭。当初、醤油醸造の復興には十年かかるかもしれない、とのことで他の醸造所の協力による委託製造(つゆ、たれ)から始めたが、やはり地域になくてはならない企業として、醤油の醸造を一日も早く再開しようと。陸前高田市内はまだ土地利用が決まらないため、紹介された一関市内での建設を決めた。
河野社長いわく、社会の公器としての中小企業だからこそ、被災してつらい目にあった子供たちが、外へ出ていかないと働く場がない、ということにしてはいけない。なんとしても新卒の採用を続けると、地域の同友会の先頭に立って去年も、今年も、来年も新卒を採用し続けるとのこと。(今年、ワタミの渡辺会長には、コールセンターへ100人の採用を引き受けてもらったとのこと。)
八木澤商店の事務所では、土曜日に出勤してくれた社員さんに、そのお子さんも加わって、みんなのお買い物に対応してくれた。この子が大きくなったときに、今日のことを思い出してくれるといいな。

八木澤商店については、以下の河野社長の話がすべて。
http://www.musicsecurities.com/blog/community_news.php?st=cal&bl=120&cg=8現在、「八木澤商店しょうゆ醸造ファンド」は、1億円の募集額中、4000万円の調達ができました。あと6000万円、9月には工場が完成予定です。
http://www.musicsecurities.com

自治の底力で立ち上がろうとするところには、かならず人々のドラマ、物語があることを、今回も強く感じた。各事業者への支援は、出資金のほかにも商品を購入する「勝って応援」という方法も。上記URLを参照されたし。


東大和グルメコンテスト うまかんべぇー祭りで南街有志(南親会)出店の「大和丼」が一位に入賞

 連休前半の4月28日、29日に「第一回東大和市グルメコンテスト“うまかんべぇー祭り”」が開催された。
 昨年4月、市長に就任した尾ア保夫氏が、「元気と笑顔のまちをつくる」として、産業振興課に観光係を設け、昨年のウォーキングイベント「もみじまつり」に続いて、市民、職員の自発的な参加を求めて企画したもの。
 「おいしいものを食べると自然に笑顔になる。参加者みんなが笑顔になるグルメコンテストを開催することにより、東大和市のご当地グルメを発掘、創造することをめざします」(4月の市報より)。
 市民による実行委員会を立ち上げ、市民がまったくの無償で企画・運営にあたった。また市内企業の多くの協賛、協力を得た。キャラクター「うまべぇ」は、市内在住のイラストレーターつしまひろし氏のデザインによる。出店数は18団体に及んだ。

 当日は晴天にめぐまれ、主催者が当初予定していた1万人を倍増する2万人が参加した(28日9千人、29日1万1千人)。市内南部にある都立東大和南公園は子ども連れなどの参加者で溢れかえった。
 祭りの運営はすべて実行委員が行い、また職員のボランティア参加は50人以上だという。
 開会式には、前日に東大和市と友好都市協定を結んだばかりの福島県喜多方市長、市議会議長、議員連、そして旧山都村村長の姿も。ゲスト出店として喜多方市の物産が販売され、喜多方ラーメンなどを販売し盛況。吉本興業からもお笑いコンビ「キャベツ確認中」が笑顔に挑戦。
 ずらりと並んだテントのお店には、おやじの会や、ユニオンガーデン管理組合、そして職員組合も参加して、腕を振るった創作料理が並んだ。一日目、二日目とも売り切れが続出し、「完売」の札が下がった。少しでも料理が残っているテントには長蛇の列。
 一日目、二日目とも参加者によるコインでの投票を行い、南親会(南街地域が大好きで、特に子どもたちのことを愛している、おじさん、おばさんたち)出品の「大和丼」が一位に輝いた。自治会、青少対、高齢者の見守り活動や、障害者支援のリサイクルショップなどで気心の知れている仲間が一堂に会した。
 大和丼は、錦糸玉子にきざみ海苔、特製手づくりのから揚げ4個に秘伝をたれをかけて、マヨネーズの上に地元東大和産のお茶パウダーと、二中通級学級の生徒たちが育てた「南街梅」をあしらった手づくり感満載のどんぶり。また、ポップコーンも早朝から手づくりし、お茶パウダーをトッピングして「お茶茶コーン」とネーミングした。
 いずれも早い時間に完売し、いっぱいの汗とから揚げ作成で火傷も負ったスタッフたちに一位の朗報が届いた。南親会代表の濱本さんは「まさか一位になるとは思わなかった。料理を考える中で地域のつながりも深まった」と言っている。
 今後、三位までのグループは多摩うまいものフェアへの参加や、市内での各イベントに参加して、よりいっそう市民の元気と笑顔があふれるまちづくりに貢献する。尾ア市長は、今後も「街フォトコンテスト」や観光ガイド、市民大学などをすべて市民自身の無償の活動としておこなっていくプランを発表している。


徳島県神山町を訪ねて

4月14日。徳島県神山町を訪ねる。かつて林業で栄えた山間のまちは、1960年代にくらべて人口は半減(約6000人)、高齢化率は46.6%にも達する。そんなまちに、なんと世界中からアーティストが集まり、東京のIT企業のサテライトオフィスが相次いで進出し、ついには子育て世代が年間15世帯、24名も流入するようになった。そのヒミツとは?

まちづくりを担うNPO法人「グリーンバレー」代表、大南信也氏にインタビューしてきた。詳細は「日本再生」397号(6/1)に掲載予定。
http://www.in-kamiyama.jp/gv/

写真は神山町でのランチの一品。銀座で修行してきた若き料理人が、お母さんがひらく故郷のカフェに食事処を併設して、腕をふるっている。


第22回関西政経セミナー

第22回関西政経セミナーを、4月16日京都にて開催。タイトルは「自治分権とマニフェスト運動の深化・発展」。 問題設定としては、「日本再生」395号にもあるように、「決められない政治」という現状は、民主主義の機能不全→強いリーダーシップが必要なのか、それとも求められているのは民主主義のイノベーションであり、そのための自治分権・フォロワーシップの深化なのか、ということ。

パネラーは、田中誠太・八尾市長、山中光茂・松阪市長、中小路健吾・京都府議、諸富徹・京大教授、戸田代表という豪華メンバー。当然、時間は足りなくなる。 田中市長は昨年の大阪府知事・市長ダブル選挙での、首長連合の立役者の一人。首長連合の構造によって「橋下改革、イエスかノーか」というシングルイシューではなく、分権という方向は一致したうえでプロセスや優先順位を問う、というマニフェスト選挙の深化の方向性が可能になったといえる。

田中市長、山中市長とも、それぞれの方法で市民との直接の議論を重ね、また地域に決定をゆだねる(市民参加を超える市民自治)工夫を重ね、あるいは財政の自律・自立をめざして奮闘している。自治分権を具体的実践的に深めているがゆえに、制度論に終始する「改革」論議には批判的だ。

それ以上に印象的だったのは、冒頭から両氏がそれぞれの表現で、マニフェストに関わるガバナンスの観点をストレートに提起されたこと。すなわち、政治家として選挙で51%を取るときのマニフェスト、ガバナンスと、首長になってマニフェストに賛成しなかった(反対も含めて)49%の人の税金も使って政策を実行するときのマニフェスト、ガバナンスはまったく違う、ということ。
行政の長として(反対している人の税金も使う政策を実行する立場)合意形成をはかる、その責任を、政治家としての政治闘争(51%をとるための闘争)にすりかえている―この点では、民主党も橋下氏も同じであると。

後半は、財政を軸に議論が展開された。交付税さえ満額は来ない、足りない分は地方が肩代わりして借金しているが(臨時財政対策債)、そんなことがいつまでも続くわけがない。というなかでは「無駄な事業かどうか」ではなく「必要な事業だとしても、借金してまでやるべきか」と、市民にも問わなければならない。こうしたなかでは、自治体・市民自身の「覚悟」が問われる。

「制度」の問題も、そこからアプローチしなければならない。例えば水道。上水は国の補助がないので、自治体は必死に智恵を絞る。ところが下水は国の補助があるので「もらえるものは、もらっとけ」となる。こうしたゆがんだ構造で、負担と受益、責任があいまいになる(中小路府議)。EUの自治を支えているひとつの制度的基盤は、交通やエネルギーといったまちづくりの根幹を、自治体が自らマネージできる点。これによって、温暖化対策とエネルギー転換をリンクしてすすめることも可能になっているという(諸富先生)。

マニフェストは「あったら、いいな」の“夢”を語るものではなく、「現状はどうなっており、どうなりうるか」という“将来”を語るものでなければならない。そのためには市民に対しても「必要な事業だとしても、借金してまでやるべきか」と問うマネジメントが必要であり、そこからフォロワーとして「自らの意見を持つ」ことが始まる。絆や共感といったことは、こうした責任の回復の基盤のうえにこそ、可能になる。自治分権のこうした光景が、そこここで始まりつつある。

詳細は、5/1発刊の「日本再生」396号に掲載。


全京都建設協同組合のみなさんと

4/10日、京都での「囲む会」で旧知の全京都建設協同組合のみなさんと、前田・国土交通大臣を訪問。八ツ場ダム、新幹線、高速道路など、「マニフェスト違反」が取りざたされるが、省エネ住宅やPFI、PPPの推進などの成果も上がっている。


第111回 東京・戸田代表を囲む会

第111回 東京・戸田代表を囲む会(4/10)。ゲストスピーカーは小川淳也衆院議員。民主党政調副会長、税調事務局長代理として、昨年来ずっと「税と社会保障の一体改革」のとりまとめにあたってきた。

前半では今後の政権運営への思いも含め、いわゆる政局に関連する話を、後半では、この問題の背景にある(そして文字通り、どの政党が政権に就いても直面せざるをえない)21世紀日本の課題について。

党内論議については、「まとめられない」ことばかりが報じられるが、国会が終わった後、深夜にまで及ぶ議論を連日繰り返してきたというのは、不純な動機だけではできないこと、ギリギリ真剣な議論ができたと思っていると述べられた。

後半は本質問題。現在の社会保障制度ができた1960年代初頭、年金保険料負担は3% 支給開始は55歳、高齢化率は5%だった。それが2010年には、高齢化率は23%、年金保険料負担は労使で18% 支給開始は65歳。給付を削り、負担を増やしても、それでも足りずに毎年20兆円を一般会計から補填。それは赤字国債として、将来世代へのツケがGDPの二倍にまで膨れ上がっている。これが現在の姿だ。

この背景は、劇的な人口構成の変化。2004年にピークを迎えた日本の人口は減少に転じ、2050年には約一億人へ、高齢化率は40%と推計されている。40年の間に、近畿圏に匹敵する人口がなくなるということ。その後、高齢化率は40%強の状態で定常化する。つまり、この40年間こそが、右肩上がりから右肩下がりへの転換をどう乗り切れるかの、決定的なポイントである。

これまで繰り返してきたような、右肩上がりを前提としていたシステムのマイナーチェンジでは、ここから先に進むことは出来ない。同時に抜本的なモデルチェンジは、一点突破や劇場型改革では不可能であることも分かった。
残念ながら現状の日本政治には、「向こう岸」にたどり着くための準備もないし、戦略もないが、とにもかくにも「始めてしまった」以上は、川を渡っていかなければならない。

戦略は二流でもいい、問われているのは一流の実行力だ。


囲む会/北東アジアのダイナミズム 金美徳教授を招いて

3月23日、多摩大学の金美徳教授をゲストスピーカーにお招きしての「囲む会」。
昨年は、疾走する韓国経済を通じて、新興国市場のダイナミズム、それに対応するために何が必要か、といったことをお話しいただいた。
今回は「激動する北東アジアと日本」。北東アジア、とくに北朝鮮に焦点を当て、それを通じて「北東アジアのなかの日本」を考えるというアプローチでお話しいただいた。内容は「日本再生」396号(5/1)に掲載予定。

北朝鮮については、ミサイル発射の話題ばかりが取り上げられるが、ここでは「経済」の話。「北朝鮮に、経済なんてあるのか?」というのは、北東アジアの現実のダイナミズムを見ていない、ステレオタイプの北朝鮮観。「北朝鮮はとんでもない」なら誰でも言えるが、これでは「とんでもない」相手と勝負するための智恵は出てこない。

中国、ロシア、中東などへの労働力輸出は、日本人がイメージする「(貧しいから)出稼ぎ」とか「棄民」とは次元が違う。やる気と能力のあるものが選抜されて出かけるのだ。党や軍に従属しなくても(面従さえしていれば)、経済という別の道で社会的地位を獲得できる、そういう選択肢が、北朝鮮にも生まれている、ということだ。

すぐに体制が変わる、という話ではないが、変化は確実に進んでいる。その北東アジアのダイナミズムを、曇りのない目で見るところからしか、21世紀を生き抜く智恵は出てこない。


上海国際問題研究院 呉寄南さんにインタビュー

3月21日、来日中の上海国際問題研究院 学術委員会副主任の呉寄南氏に、中国新指導部の課題についてインタビュー。
内容は、「日本再生」395号(4/1)に。

印象的だったのは「第二の文革の道は断つ」という点。
重慶市の薄熙来書記の解任については、共青団系と太子党系との権力闘争という見方が、日本の一部にはあるが、そうではないということ。
格差の拡大に代表される社会矛盾の高まりと、農村や年配者に残っている「農民蜂起的マインド」が結びつく危険性については、指導部のみならず社会的リーダーのなかでも危機感が共有されている、と見た。
薄熙来氏の「打黒唱紅」は、こうした背景のなかで、毛沢東路線への回帰の危険性(奪権闘争の危険性)をはらんでいた、といえる。
いいかえれば中国は、「革命」「奪権」ではなく、(漸次的)改革として社会変革を進めていく、という新しいステージの試練に直面しているといえる。この段階での「民主」が問われている。


久しぶりの講演会〜連立方程式をどう解く?

3月1日、久しぶりとなる講演会を開催。テーマは「TPPと消費税〜連立方程式を解く」

消費税もTPPも、賛否入り乱れての議論になっているが、いずれもそれ自体に賛成、反対というシングルイシューでは、どうにもならない。

いわば、「成長と財政再建を、いかにバランスさせるのか」という連立方程式が必要。ここに本当は「税と社会保障」も加わって、多次元連立法定式で、「これからの日本」を考え、議論できなければならない。

ということで、その試みとして山下一仁・キヤノングローバル研究所研究主幹と、大野元裕・参院議員、戸田代表によるディスカッション。

「日本再生」395号(4/1)に掲載。


康仁徳先生にインタビュー

2月22日。金大中政権で最初の統一部長官を務めた康仁徳先生にインタビュー。
総選挙を控えた韓国の社会情勢と、ご専門の北朝鮮分析について伺う。

インタビューの内容は「日本再生」394号(3/1)掲載のとおりだが、このときには「合意なし」と報じられた米朝協議。
ところが5日くらい後になって、「ウラン濃縮凍結と食料支援のバーターで合意」との電撃発表があった。
「これは、2正面作戦がとれないアメリカがイランに注力するための条件整備か」と思われたのもつかのま、今度は北朝鮮の「衛星発射の通告」で、振り出しに戻った感。
そのため3月下旬の核セキュリティーサミット(ソウル)では、当初の予定とは違って、北朝鮮の衛星発射(ミサイル)が主要議題になった。
国際政治の駆け引き、ダイナミズムを見せつけられる展開だ。

すぐに行けるお隣での開催、しかもわが国の安全にとって重要なテーマにもかかわらず、野田総理の出番はなし。理由は消費税。
たしかにここで増税のメドを立てられなければ、日本国債の格下げはすでに織り込み済みで、円高→円安の動きも含め、重要な局面にあることは間違いない。しかーし! 永田町の騒ぎは、それとは無縁の足の引っ張り合い。いい加減にせい!

せっかくの隣国での外交舞台、ここで存在感を示すことのほうが、わけの分からない防衛大臣に迎撃を指示させるより、よほど重要ではないのか?
外交・安全保障で決定的なのは、迎撃システムを使いこなすだけの知略にほかならないのでは・・・


被災地応援ファンド・応援ツアー@南三陸

工場内で、かまぼこ製造工程の説明を受ける。ファンドの資金で購入した機械はこここで使っている。
1月29日、セキュリテ被災地応援ファンドhttp://oen.securite.jp/の応援ツアー第二弾・南三陸に参加。寒鱈まつり復興市と、ファンドに参加している南三陸の事業者さんを訪ねる。

仙台からバスで南三陸へ。東京も寒い日が続いているが、この日の仙台は「この冬一番の寒さ」とのことで、最高気温が零度!との予報。

途中から及善商店の専務・6代目が乗車。隣町の登米市で9月から始めた工場を案内していただく。中にはファンドの資金で買った、かまぼこを焼く機械が。商品数はまだ震災前の半分ほどだが、雇用も約半分、回復しているとのこと。南三陸町に入って津波の跡がまだ残る風景になると、やはり口は重くなる。

寒鱈まつりの会場は高台にあるベイサイドアリーナ。津波の被害を免れたここは、震災時にはダンボールを敷いただけの通路に避難者が溢れ、体育館は遺体の安置所になっていたそうだ。

寒鱈まつりでのモチまき。

寒鱈は南三陸の名物。寒鱈まつりは第10回復興市として行われた。

復興市はhttp://fukkouichi-minamisanriku.jp/ 震災後、このままではまちが廃れてしまうとの危機感から、震災翌月の4月から毎月開催されてきたもの。当初は被災して売るものがない地元商店を助けるため、ぼうさい朝市ネットワークなどを通じて、全国の商店街から出店、被災地の復興を支えてきた。

なにを隠そう、この復興市の実行委員長こそ、ファンドに真っ先に参加した山内商店の山内さんであり、副委員長(事務局長?)は及善商店5代目の及川さん。山内さんは志津川中学校の避難所のリーダー、及川さんは志津川小学校の避難所のリーダー。どちらも南三陸の復興計画にも関わる、地域のリーダー的存在なのだ。

今回の寒鱈まつりの「目玉」は、モチまき。南三陸町の取り組みが総務省の「まちづくり大賞」を獲得した記念に、会場では町長、山内さんなどによるモチまきが行われた。中に「当たり」券があると、出店している店でなにやら豪華賞品がもらえる、とのことだったが、残念ながら当たり券はなし。

山内さんの「海鮮丼」
山内さんの「白子の天ぷら」、「タコのから揚げ」、マルセン食品の「かまぼこコロッケ」などを堪能。及善さんの「笹かまつかみ取り」に挑戦し、伊藤さんのトラウトを購入する。

体育館の中では、語り部さんのお話も。これも復興市で毎回行っている。残念ながら時間の関係で途中まで。

少し遅いお昼はベイサイドアリーナの近く、商工団地に9月に山内さんがオープンした店舗に付属した食事処で、海の幸満載の海鮮丼。ここでファンドに参加している山内さん、及川さん、伊藤さん、三浦さん(マルセン食品)、四天王のお話を伺う。

山内さん、及川さんは震災前から、まちのリーダー的存在、伊藤さん、三浦さんは、その後輩世代にあたる。次の世代を育てる、その土壌づくりをするという先輩世代の意気込みもあって、世代間の連携もバッチリだ。

とはいえ、「10分でまちは全滅した」といわれるような震災からの復興は、並大抵のことではない。最初にファンドに参加した山内さんは、「そんなうまい話(半分寄付、半分投資)が本当にあるのか? まずは自分がやってみて大丈夫だったら続け」という感じだったそう。つづいて及川さんが参加。二社とも満額を集めて、走り出している。そして伊藤さん、三浦さんが続く。

笹かまつかみ取り。18枚をget!2枚おまけしてもらう。上品だけどコクがあって美味。

「自分たちががんばることが、まちの復興につながる」との思いは共通。じつは四社は共同で製氷と汚水処理のための資産管理会社を設立した。社名はYOIM。四人の頭文字からとったもの。

これは震災復興のための「グループ補助金」という仕組みを活用したものだが、名目だけ共同という例が多い中で、ここまで協力し合っている事例はめったにないとのこと。かまぼこ製造など、本来ならライバル同士のところがここまで助け合って協力し合えるのは、魚市場で毎日顔を合わせてきた「魚屋仲間だから」と。

1月にようやく再開にこぎつけた伊藤さんは、「とにかく仕事ができることが、楽しくてしかたない」と、うれしそう。復興市も、これまでは売るものがないので後片付けなど裏方だったが、今回ようやく出店がかなった。(トラウトは油がのっていて、おいしかった!)

土台を残すだけの「おさかな通り」。土地をどうするか、まだ何も決まっていない。
食事の後は、建設中の四社の工場を見学。魚市場(仮)の道路を挟んだ向かい側にある土地は山内さん、及川さんが以前持っていたところ。ここを町に提供し、中小企業基盤整備機構の融資で工場を建設。ファンドの資金で購入した機械もそろい始め、それぞれが事業再開にむけた計画、思いを熱く語ってくれた。

日が傾くころ、南三陸でいちばんにぎやかだった「おさかな通り」へ。震災直後、「何もかも津波で流された」南三陸の町の写真が新聞に出ていたが、今も本当に土台以外、何もない状態のまま。防災庁舎は骨組みだけ。平均80センチ沈下した土地は、満潮時には浸水するという。それでも、高台にすべて移転するのではなく、商工業者がきちんとモノを作り、売れるまちづくりをしなければならないと、及川さんは強く言った。

YOIM製氷工場の前で。

そのためにも、個々が立ち上がると同時に、まち全体で立ち上がること、面での復興が必要だ。山内さん、及川さんは口々に「二番手、三番手が続いて立ち上がれるような仕組みが必要」という。それを後押しするために、自分たちで商店街も作った。個々の力だけでは復興できない人たちにも機会をと。

「従来の顧客はみんな被災した。でもファンドを通じて全国に新しいお客さんができた。これは大口の問屋を一軒、二軒獲得する以上のもの。一人ひとりのお客さんとの出会いが、何よりの資産であり原動力。ファンドのお金は、心のあるお金だ」と、四天王は口々に語る。

以前、山内さんは五年以内に復興のメドをつけなければ、まちから人がいなくなる、と言っていた。まもなく3.11から一年。面での復興のためには、さらなる後押しが必要だ。


ビルマ民主化の今、そしてこれから

第108回 東京・戸田代表を囲む会は、ビルマ民主化同盟副議長・チョウチョウソーさんをゲストスピーカーにお迎えして、1月17日に開催。

2014年、ASEAN議長国に名乗りをあげたビルマでは、国際社会への復帰と民主化が急速に進んでいる。昨年後半からは、クリントン米国務長官、イギリス外相、玄葉外相などが次々とビルマを訪れ、対外開放と民主化のプロセスを、もはや後戻りできないよう国際社会のバックアップも進んでいる。また枝野大臣が、内閣改造のための閣議を欠席、ビルマ訪問を優先した(総理の意向)ように、アジアのパワーバランスが大きく変わりつつあるなかで、ビルマの位置はきわめて重要なものとなっている。

チョウチョウソーさんは、ビルマの民主化に関わり「亡命」。政治亡命を認めない日本で、「難民」としての認定を勝ち取って、日本をはじめ海外からビルマの民主化を支えてきた。
ビルマ民主化の嚆矢は、88年。冷戦崩壊が見えてきた時期であり、この時期には天安門事件や台湾の民主化なども起こっている。歴史的な意味で国際的な構造が大きく変わるは、旧来の枠組みを転換するチャンスであり、ここで「天の時」「地の利」「人の和」を構造的に連動させる、というまさに活動家としての発想、センスが問われる。

チョウチョウソーさんのお話からは端々から、民主化にむけて大きく歩み始めた祖国に対する熱い思い、そして憲法改正など、これから超えていかなければならないハードルについて、決して焦ることなく、着実に一歩一歩前に進もうという沈着冷静さが伝わってきた。

4月には、スーチーさんも立候補する下院の補欠選挙が行われる。「フリー」、自由な投票はある程度確保されてきたようだが、「フェア」、公正な選挙といいうるものに、どこまでできるか。民主化を後戻りさせないためにも、国際社会、私たちがよりいっそう関心を持ち、関与していかなければならないだろう。

*呼称について*
ビルマの呼称は、ビルマ語では「ミャンマー」(文語)「バマー」(口語)だが、独立以来一貫して通称は「ビルマ」。クーデターで政権を握った年軍事政権が89年、英語表記を「Myanmar」に改称、国連の表記も「ミャンマー」となった。軍事政権の正統性を疑問視する欧米メディアや人権団体のなかには「ビルマ」の呼称を使用したり、「ミャンマー/ビルマ」と併記したりしている。
その国の対外的呼称は、民主的な方法によって国民の意思に基づいて決められるべきとの立場から、現時点では「ビルマ」と表記します。


第七回大会を開催 自治分権の着実な集積とパワーアップ

1月7日東京・総評会館にて、二年ぶりとなる、「がんばろう、日本!」国民協議会第七回大会を開催。大会記念シンポジウム、ならびに新年会に全国からのべ約400名が参加した。

記念シンポジウム第一部では、「中東のパワーバランスの変化」と「アジアのパワーバランスの変化」が相互連鎖で波及する、という国際環境の構造が、リアルに提起された。
アメリカの覇権の後退、世界同時多発財政恐慌の様相、受け皿なき中東民主化の行方、そして中東情勢はエネルギー転換とも絡む・・・このような情勢の中で、2012年は世界的な政権選択の年となり、個別のトピックが互いに乱反射しあうこともありうる。

このようなかつてない連立方程式のなかで、これまで「失われていた」日本外交を起動する、という課題が喫緊のものとなっている。
地域における新しい枠組み、レジューム作りにいかに関わるか。「環太平洋連帯」とか「中軸国家」(ミドルパワー)といった「国のあり方」「自画像」が、よりリアルなものとなる。

戸田代表→混沌と混乱は同義ではない。方向が見えないのが混乱。混沌とは、そのなかから新しい枠組みをつくる、それが見えかけているということ。

さらに「課題先進国」という位置取り。たとえばTPPについて、大野氏も中西氏も「ばら色の魔法の杖でもなければ、地獄を招く悪魔のムチでもない」。問題はこれを契機にいかに国内改革に取り組むか、とりわけ地域が東京頼みではなく、自立して世界と向き合うためのツールにすべきと。

戸田代表→国益は「守る」ものではなく、新たに「築く」もの。

いまや外交においても地域の自立・自治がキーワードになることが、これまで以上に実感的に受け取られる内容となった。

第二部では、三人の若手市長の相乗効果を軸に議論が展開された。とくに「市民参加」ではない「市民自治」、すなわちストレートに市民の責任と役割を問う、ユーザーではない株主、ステークホルダーとしての市民とのコミュニケーションが、さまざまな角度から実践的に示された。「市民参加」につきものの市民同士の意見・利害の対立は、どの地域でも「頭痛のタネ」だが、「行政が市民の利害調整をやっているかぎりダメ」「行政にやらせればやらせるほど、市民はソンをしている」「地域内でケンカできる仕組みができたことが、なによりの意義」といった、ストレートにフォロワーシップに訴えるコミュニケーションのとり方が印象的だった。

また「臨時財政対策債」が話題になった。臨対債とは、国が地方に渡す交付金のうち、財源がなくて支払えない分を、地方が地方債を発行して調達し、その分を利子も含めて国が20年かけて交付金で「後払い」するというもの。このご時勢で、20年後まで今のような財政(税収より借金のほうが多い!)が続けられると考えているなら、よほどオメデタイといわざるをえない。

新年会で石川・前稲城市長は、「今のような財政では、二、三年のうちに国は予算を組めなくなる(当然、地方交付税もアウト!)。そういうことを覚悟して今から備えられるかどうか、それによって、その自治体が生き残れるかどうかが決まる」と述べた。

日本国債のXデーがあるのか、ないのか、それはいつなのか、といったレベルの話ではなく、激動や混沌のなかでも、自分たちの生活に必要なことは自治の力で回せる、という底力、それを可能とする社会関係資本の厚みが、きわめて具体的に問われているということである。それは、避難所を自力で運営できるか、自分たちの最低限の安全すら行政頼みなのか、という3.11の教訓でもある。

戸田代表→越えるべきハードルは、決して低くはないが、絶望的に高いわけではない。


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