「サンチョパンサの日記」では、機関紙などで紹介しきれない活動を紹介します。
サンチョパンサは、ご存知のようにドンキホーテの従者。ということは、もしかして、ボスのことをそう思っているのでは、と勘ぐるむきはどうぞご自由に。
まあ、戦後日本の無責任連鎖に向かって「責任の回復」や、「世直し」を大上段から訴え続けてきた姿は、風車に向かって突撃するドンキホーテに見えるかもしれませんが。

2017年望年会

12月23日、恒例の望年会を開催。都議選、衆議院選を通じて、多くの議員が「何党なの?」と尋ねられ、自らの立脚点や初心を改めて確認する機会となったのではないか。有権者も「分かりにくい」構図のなかで悩み考えたのではないだろうか。それぞれの立ち位置からこの一年が報告され、教訓を交流した。

平成の時代が幕を閉じようとし、「失われた○○年」のツケがいよいよ可視化され、戦後国際秩序が大きく揺らぐ―これまでの「あたりまえ」が当たり前でなくなる時代には、「次はコレだ」の乗り移りではなく、政党であれ個人であれ、「生き方としての軸」をまずしっかり持つことが問われる。 「どのような社会に生きたいのか」そのために「どういう政府を作りたいのか」。そこからの合意と連帯をつくりあげよう。

関西政経セミナー特別講演会と望年会in京都を開催

12月7日キャンパスプラザ京都で、関西政経セミナー特別講演会と望年会in京都を開催。

特別講演は、中西寛・京都大学教授が「戦後秩序の危機の時代にどう向き合うか〜国際協調の再構築は可能か」をテーマに、日本を取り巻く国際関係を中心に現状分析。「戦後秩序の変革の要因」として、第一に「大国の現状変革指向」、第二に「恐るべき若者」をあげた。

まず、トランプのアメリカ。トランプ氏自身の強い信念であり、トランプを大統領に選んだアメリカ社会のもつ「戦後体制を主導してきたアメリカは、技術を海外に移転し、経済が弱体化し、損をしてきた」という感情。また「自由で開かれたインド・太平洋」と「公正で互恵的な貿易秩序を築くこと」、これらとは相矛盾する「アメリカが損をしない二国間関係の枠組み」のどちらに比重をおくか?いずれにせよ、アメリカは現状を変革する意志をかなり強くもっているといえる。一方、2020年に「全面的小康社会」をめざす習近平の中国も、口では「アメリカがやらないなら中国が」というが、実際には国際秩序を維持する意思は弱い。小康社会実現のための「改革・開放」と、現状への批判を封じ込める統制色の強まりは、まったく矛盾する。

戦後秩序を揺るがす「恐るべき若者」とは、いずれも30代のキム・ジョンウンと、軍を掌握し急速な「改革・開放」を進める、ムハンマド・ビン・サルマーン サウジアラビア皇太子。失うものをもたない国がチキンレースをはじめると、大国はなすすべがない。北の国民は、昨今の木造漁船漂着にもみられるように、自力で生きていく道をとらざるをえない(したがって、国民の困窮が政権を揺るがすということにはならない)。

米中が、戦後秩序を都合よく変えようとし、北とサウジのような変革要因が生まれる中、大切なのはいわゆる「中級国」(日・独・仏・豪・加・NZなど)が協力して、現状を維持しながら多国間の枠組みを創っていくこと。この局面での、一番のリスクは軍事紛争であり、日本の外交的調整能力と、新しい東アジア秩序に向けた外交的判断が問われる。

望年会に移り、戸田代表より冒頭発言。「戦後アメリカが引っぱってきた国際協調の枠組みは、いったん終わりになります」「立憲主義を培ってきた中級国家の中軸になる日独仏豪NZそしてASEANが、相当踏み込んだネットワークをつくっていかないと国際社会は危なくなる」「ひとごとのように外交や安保を語る余地は日本でもなくなる」

 この条件を国民主権の発展にどう結びつけるのか。今年は、立憲民主党が生まれ、解散権を縛るという側面からの憲法改正が提起され、立憲主義を深める憲法論議が始まった。

望年会では、山本ひろふみ・京都市会議員、宮小路康文・長岡京市議会議員、茜拓也・京都府議会議員選挙予定候補(民進党)、「日本再生」大阪読者会などから発言が続いたほか、 門川大作・京都市長、田中誠太・八尾市長、福山哲郎・参議院議員(立憲民主党幹事長)、 泉健太・衆議院議員(希望の党国会対策委員長)、尾立源幸・前参議院議員からのメッセージが披露された。

「立憲民主主義の観点から考える外交・安全保障」

12月3日は、ほぼ年に一度開催する外交・安全保障のシンポジウム。今回のタイトルは、「立憲民主主義の観点から考える外交・安全保障 〜国際協調の再構築は可能か〜」。

開催趣旨より抜粋

「核兵器をちらつかせながら罵倒しあうトランプと金正恩」「独裁体制を強める習近平」・・・

国際環境は、戦後秩序の枠組みが機能しなくなっていることから「予測不可能性」を高めています。すぐには決着がつかないであろう時代に、「正義」を振りかざすのではなく「正気」を保っていくための論点・視点の整理ができれば、と思います。

また「立憲民主主義」という価値観(戦後秩序の基礎にある価値観)が、多少なりとも実感的に語られるようになってきましたが、わが国周辺においては、それが共有されているとは言いがたい状況です。このようななかで外交・安全保障の方向性をどう考えていくか、とくにアメリカをアンカーとした国際協調が成り立たなくなりつつあるなかで、どのような国際協調が可能なのか、ということを一つの軸にしたいと思います。(抜粋終り)

川島真・東京大学教授、李鍾元・早稲田大学教授、大庭三枝・東京理科大学教授、大野元裕・参議院議員、佐橋亮・神奈川大学准教授による問題提起とコメントでは、相互に論点を整理したり、深めたり、多角的な視点を提供したりという形で、4時間が短く感じられるほど。

とはいえ、話を聞けば聞くほど、問題の深刻さ、複雑さを前にして、思考停止に逃げ込まない忍耐力が試されることを痛感。戦略もないまま、日中戦争のドロ沼に突っ込んでいった旧日本軍の背中を押したのは、「暴支膺懲」(けしからん支那=中国を懲らしめろ)を叫んだ国民の声。その愚を繰り返さない「正気」を保つために。

まちづくり・地域経済と、自治・民主主義

11月4日京都で、第29回関西政経セミナーを開催。 自治・民主主義のインフラとしてのまちづくり・地域経済という視点から、また人口減少社会でのまちづくり・地域経済にとって、どのような自治と民主主義のありようが不可欠か、議論を深めた。

はじめに、川勝健志・京都府立大学准教授から。「全米一住みたいまち」ポートランドのまちづくりは、参加民主主義・自治インフラへの投資がベースに。自分のライフスタイルを実現できる地域にクリエイティブな人々が吸い寄せられ、信頼関係にもとづくネットワークが集積する。多様な人々が集う「話し合いの場」で育まれる人的資本への投資が、事業を成功に導く可能性を高め、これが持続可能な地域経済のインフラに。

つづいて、田中誠太・八尾市長。市長就任前からの八尾の自治の歴史が語られる。地域分権とは「地域住民のみなさんの想いを身近な地域のまちづくりに反映しやすくするための取り組み」という。わかりやすい。市長就任直後、市民からの要望を2,000件とりあげ、全て回答した。それから時を経て、住民自身から「それは地域でやるべきだ」という声が上がるようになった。市制施行70周年のコンセプト「まちは‘人’!八尾は‘人’!」だ。

中小路健吾・長岡京市長は、市政の基本方針にもとづく合意形成(納得感)のカギは、対話を通じた信頼に基づく、自治・民主主義のインフラとしての「場づくり」「話し合いのルールづくり」にあるという。たとえば、「(目の前の)待機児童をどうするか」という議論では「住民VS行政」になりがち。一方、子ども人口の動態分析の情報が共有できれば、話し合いのアウトプットがお互いにみえるようになる。

後半のパネルディスカッションには、戸田代表、今江政彦・滋賀県議、隠塚功・京都市議、白川秀嗣・越谷市議が加わり、まちづくり・地域経済における「住民参加」「当事者性」をどう涵養していくか、「人への投資」を中心に討議。

興味深かったのは、「フィンランドでの生涯教育は、40年後の生活を考えること」という隠塚議員の報告。産業のありようについてもこの時間軸で考える。産業政策といえば、行政が特定の産業を「成長産業」とみなし、投資誘導してきたのが日本。40年後にどのような地域をめざすか、地域経済全体の発展の可能性とビジョンを共有することから、社会的投資の集中も生まれる。

「場づくり」のステージを、依存と分配のそれから、自立した個人による生業の経済活動を前提にした、立憲民主主義の「場づくり」へ。挑戦するのは私たち自身だ。

沖縄で考える基地と暮らし、日本の平和

9月28日から4日間、「沖縄で考える基地と暮らし、日本の平和」というツアーに参加。地元紙記者との懇談、普天間基地や辺野古などの現場、抑止力をめぐる柳澤協二さんと鳩山友紀夫さんのトークや、元陸将も加わったシンポジウムなど、多彩なプログラムを通じて、暮らしと自治に根ざして基地問題と向き合う足場とは何か、改めて考えさせられた。

報告記事は「日本再生」に。こちらでは写真をご紹介。

(左)沖縄の地元2紙は、過去の戦争協力の反省に立って、沖縄戦を「今」につながるものとして次世代に伝えるため、さまざまな努力をしている。琉球新報では、当時の状況を現在の情報、視点で報じたらこうなる、という「沖縄戦新聞」というものを作った(05年新聞協会賞受賞)。

その内容が資料館に展示されていて、当時の報道と現在の情報、視点からの報道を対比できるようになっている。説明してくれたのは、この「沖縄戦新聞」を見て入社したという若い記者。人々を戦争に動員していった報道の責任を忘れない姿勢は、若い記者にも受け継がれている。

(右)翌日、普天間基地がすぐそばに見える嘉数の展望台で話してくれたのは、普天間出身で沖縄戦体験者の取材をしている女性記者。「戦争は終わったが、私に平和は訪れなかった」という戦争孤児の言葉を紹介して、今につながる現実としての沖縄戦のことを話してくれた。

普天間基地を背景に、話す鳩山さん(左)。「最低でも県外」という発言を「無責任」と非難するのは簡単だが、沖縄では「抑止力」というマジックワードの前に沈黙を強いられなくてもいいんだ、「苦渋の選択」はしなくてもいいんだ、という受け取られたことは、深く考える必要がある。

そして自分の言動に、その後も「一人の人間として」向き合い続けている姿勢は、やはり正当に評価されるべきだろう。 辺野古の座り込みでは排除ゾーンから少し外れていたため、トラックの出入りが終わるまで、機動隊の壁に囲まれていた(右)。

今年のアカデミー賞を取った映画「ハクソーリッジ」その舞台となったのは、沖縄中部の前田高地(左 奥の緑の丘)。中部に上陸した米軍は、周りの高台(丘)からの日本軍の抵抗にてこずる。普天間基地を見渡す嘉数の丘も、そうした激戦地のひとつ。ここ来るのは観光客や平和学習の人たちだけではない。米海兵隊、自衛隊にとっても軍事作戦研究の重要な場で、海兵隊は必ず新兵研修に来るとのこと。折りしも海兵隊のレクチャーに遭遇(左)。

基地とまちづくり。

北谷(ちゃたん)町のアメリカンビレッジは、基地の跡地利用の「成功例」といわれる。たしかにテーマパークのような賑わいだが、映画のセットのような「とってつけた」感が否めない。いくつかの大手のデベロッパーが進めた計画なのだろう。統一したコンセプトも見あたらなければ、地域の個性、内発性もない。地元雇用にカネが落ちるだけではないだろうか。

一方で隣接する嘉手納基地の騒音がひどいため、住民が逃げ出しているという。確かに住宅地は虫食い状態になっている。しかも空いた土地を防衛省が買い取って、基地外の米兵住宅にしているとのこと。まちの一角には、あきらかに他とは異質の造りの建物が並んでいる。建築基準法もアメリカのものが適用されるそうだ。 住民が減ったことで町の税収は減るし、米兵は税金を納めないがゴミ収拾などのサービスはやらなければならないので、財政も圧迫される。まさに自治の問題だ。

最後の激戦地である糸満市には、多くの戦跡があり、慰霊の地となっている。今回ははじめて「ガマ」にはいった。陸軍病院南風原壕群20号。首里から敗走する部隊とともに、「病院」も南部に移る。といっても急遽、丘に掘った洞窟で、狭い通路に棚を置いて傷病兵を並べただけの「施設」。施術のほとんどは負傷した手足を切断(麻酔なし)するというもの。 この「病院」も一月ほどで「移転」の命令が下る。自力で動けない負傷兵には、牛乳と青酸カリが渡されたという。

壁が黒くただれているのは、米軍の火炎放射攻撃によるものだという。その「おかげ」で、ガマのなかに充満していた「異臭」が収まったという。当時の状況を想像しようとしても、恐ろしさだけしか感じられない。

後から知ったのだが、希望すると当時の「におい」を嗅がせてくれるという。もちろん当時のそのままではなく、人々の記憶に基づいて再現したものだが、直感的に理解するうえで、嗅覚は助けになる。 いち早く、独自に「文化遺跡」として戦跡を保存した南風原町の取り組みには、頭が下がる。

沖縄といえば「沖縄そば」。有形文化財に登録された古民家「屋宜屋」で。沖縄戦を生き残った建物なのだろうか。

中東危機は、「対岸の火事」か?

「中東化」する世界(暴力と不寛容の拡大)か、「世界の一部としての中東」(民主主義のアップグレードのための協働)か?

末近浩太・立命館大教授の「第31回戸田代表を囲む会in京都」(9月26日開催)での問題提起は、非民主的な空気が蔓延する国際社会、中でも社会の閉塞感漂う日本の現状からみて極めて重い。

「政権批判しなければ自由が与えられ、政権に忠誠を誓えば特権が与えられる。産業の自由化は、サービス業や観光産業に限定され、経済を自由化すればするほど貧富の差は拡大する」(シリア・アサド政権下の経済社会と人々の暮らしの実相) これは遠い国のことではない。日本にも共通の構造問題ではないのか?「モリ・カケ」の根元には国家戦略特区という超法規的特権の構造が横たわる。「格差社会を包摂する」(?)という政党が、トップダウンで差別・選別・分断支配を平然と行おうとする。熟議どころか議論の場さえも奪い、数の論理を振り回す。「国難突破」のためにはルール(立憲民主主義・法の支配・人権)を無視しても構わない?!

「消費者民主主義の心地よさ」に慣らされてきた「私たち」にも、考えざるを得ない機会と場が与えられているのではないか?だからこそ、「何か」を感じつつある人たちと共に考え、民主主義のバージョンアップのための行動を!

そのような感想をもつことのできた「囲む会」であった。

(杉原卓治)

人権のためのジャズ・コンサート

去る8月19日川崎駅近くの市民交流室にて、『JAZZ FOR HUMANRIGHTS−差別のない川崎を目指して』と題したジャズコンサートを開催しました。(主催はジャズ歌手の朴金優綺(パクキム・ウギ)とベーシスト・小杉敏) 当日は150席がほぼ満杯。川崎市でのヘイトスピーチデモはやらせないという意思が、音楽にのせてアピールされました。

コンサートに先立って、ヘイトデモの被害者に長い間寄り添って来られた師岡康子弁護士に、川崎での人種差別撤廃条例にむけたお話をしていただきました。

その後のジャズコンサートでは、ぱく・よんせ さんのピアノソロ、この日のために結成された5人によるスペシャルセッション、そしてコンサートを私とともに準備したジャズ歌手・UG(パクキム・ウギ)さんとギター・トリオによる演奏が繰り広げられました。 (出演者: ぱくよんせpf、大口純一郎pf、中島朱葉as、松島啓之tp、吉野弘志b、広瀬潤次ds、UGボーカル、橋本信二g、勝矢匠b、小泉高之ds)

川崎市は戦時において朝鮮半島から徴用された人々と、その子孫の在日朝鮮人をはじめ、歴史的に外国籍の方々が多く住むまちです。在日朝鮮人は戦後、無権利状態に置かれてきました。その中で様々な差別と闘い、長い時間を通して地域住民とともに地域共同体をつくり、共に暮らしてきています。

ヘイトデモは、この在日朝鮮人が多く住む地区、地域共同体を標的に、今年7月まで14回、繰り返されてきています。昨年、ヘイトスピーチ解消法ができ、川崎市では公共施設をヘイトスピーチ目的には使わせないためのガイドラインの検討・実施が進んでいます。しかし、「人種差別撤廃のための条例への取り組みは、極めて遅い」(師岡氏の話)というのが、現状です。

世界はグローバル化とともに、「分断と憎悪」の政治が台頭していて、日本も決してその枠の外にいるわけではありません。「寛容と連帯」という民主主義の基礎が崩される懸念が出てきています。 また、日本は高度不信社会と言われ、自分たちの代表も信頼できない、また一緒に地域に住む人や、何かを一緒にやる人も信頼できない、という中で自助努力が過剰に言われるようになっています。

大きな歴史の転換期には、社会の中では危機感が広がり、排外的な差別意識が助長されることも伴うことが懸念されます。

小池東京都知事はこれまで通例だった、関東大震災の際に市民によって虐殺された在日朝鮮人の慰霊祭に、追悼文を送りませんでした。自然災害でなくなった人と同列に扱うことで、虐殺の事実を忘れ去ろうというものです。歴史の修正とも言えます。 このようなことも起こってきています。

人種差別は、偏見−差別−暴力−虐殺とエスカレートしていくことを、私たちは歴史の事実から、心得ておくべきです。

川崎の在日朝鮮人を標的にしたヘイトスピーチ、ヘイト集会、ネット上のヘイトスピーチは、しばらくは繰り返されていくことでしょう。人種差別撤廃条例ができるまで、当分は私たち市民が体をはって止めるしかありません。まだまだ、人種差別の被害者の苦しみは続いていきます。そして、川崎市民は条例をつくった後も、条例という「仏」に、絶えず「魂」を入れる活動を続けていかなければなりません。

今回の『JAZZ FOR HUMAN RIGHTS−差別のない川崎を目指して』は、市民に賛同を広げ、人種差別撤廃条例のための市民合意を作っていくために企画したものです。反ヘイトの活動をしている方、人権問題に関心を持っている方、初めてこの問題に接した方など、様々な方々の交流の場にもなりました。今回を、差別のない川崎のまちづくりのスタートラインとしていかなければいけないと考えています。

「音楽のまち・川崎」から「音楽と人権のまち・川崎」へ

(小杉敏) 

第30回戸田代表を囲む会in京都を開催

7月13日、第30回戸田代表を囲む会in京都を開催。テーマは「国際協調で未来を語るのか、過去を取り戻すために国境の壁を高くするのか」。「衰退途上国日本」が、国際協調と普遍主義の観点から困難を受けて立つために、何から始めていくか。意志あるフォロワーの波を、日本でもどのように引き起していくか。都議選の総括も含め、率直な意見交換が行われた。

 はじめに、諸富徹・京都大学教授から「トランプ大統領の決断(パリ協定からの離脱)の意義は、米国企業や州政府が独自に排出量削減に向けた努力を強化あるいは加速させる決意をさせた点にある」「(中国政府の)パリ協定を履行する強い姿勢は、中国に興隆しつつある産業の利益も考慮してのこと」との認識が示され、つづいて「気候変動対策は、日本経済の成長の妨げになるか」と、データに基づく説得力ある問題提起があった。

事実と向き合う姿勢があれば、2002年から2014年までの間(日本の京都議定書締結期間)、高い温室効果ガス削減率と経済成長を実現した欧州のOECD諸国と日本の違いは明らかだ。1995年時点では、炭素生産性(炭素投入量当たりの付加価値)がスイスに次いで2位の世界最高水準であった日本が、2000年以降スウェーデン、ノルウェーに、2007年にはドイツに抜かれ、直近では英仏にも水をあけられ、米国との差が縮まりつつある。さらに注目されるのは、2014年において労働生産性(付加価値生産性)が高い国は、炭素生産性も高いという相関関係が生まれていることだ。

諸富教授は、気候変動対策をきっかけとした「グリーン新市場の創造」や「経済の高付加価値化」を進めるカギは、「環境価値」を内部化しつつ、将来の不確実性にも柔軟に対応できる仕組みづくりであり、2050年(温室効果ガス)80%削減を達成するために人々や企業の活動に十分影響を与えうる、価格効果を有する本格的なカーボンプライシング(炭素税、賦課金、排出量取引制度などの炭素の価格付けに関する制度)の導入が有効である、と結論づける。ここでも、1990年代に炭素税を導入した英国やドイツの一人当たりGDPは当時日本よりも少なかったが、その後堅調に経済成長を続け我が国を逆転し、更に差を広げているという事実に向き合えるかどうかだ。

次の論点は「社会的投資国家」への移行、あるいは「投資の非物質化」について。ここでは、民主党政権の「コンクリートから人へ」の総括視点も提示された。「人への投資」や「同一労働同一賃金」は、単なる人材育成、格差是正、低賃金労働者保護政策ではない。「労働者は守るが、企業は守らない」(日本は真逆!)とは、低生産性部門から高生産性部門への労働力移動と生産性の低い企業の倒産を含む合理化という厳しい政策であり、資本の非物質化にも対応するもの。スウェーデン社会民主主義に学ぶ必要性が、あらためて示唆された。

戸田代表は、「衰退途上国日本」を規定しているのは社会的観点の欠如にあること、住民自治(自治の当事者性)の側から政治の流れを変えていく重層的なフォロワーシップの波が決定的であり、また都議選が示した都会のユウレイの中にも生まれつつある「人格形成の違いから他者を見る」という感性を、歴史的なフォロワーの主体分解の兆しととらえることが重要と強調された。

福山哲郎参議院議員は、「国際協調と国連中心主義、リベラルな価値観、自由貿易主義を前提にした、戦後政治システムそのものが挑戦を受けている」として@グローバル化、A法の支配から力の支配へ、B中間層の崩壊と分断の流れの中で、次の社会ビジョンを掲げる政党の役割と既得権益(層)との軋轢(あつれき)、それを打ち破るための「国民的共同と理解」について言及。

隠塚功京都市会議員は、「将来への投資を行うという意識を、われわれ自身がどう持てるかだ」と、フォロワーの役割を明確にした。「基礎自治体の議員には(政策を)生活者の立場に読み替えていく役割が課せられている。自分にできているか、という反省に常に立たなければならない」(山本忠相和歌山市議会議員)との発言も。

戸田代表からは最後に、「民主主義の深化では、より一層のフォロワーとの認識の共有と、そのための時間差をどう解決するのかが重要になる。フォロワーからも、コミュニティでの社会的活動の小さな経験や追体験を伴いながらアプローチはできる。また、知性の側に立っているのであれば、反知性主義(ムカつく感情をもつ人たち)に対しても、粘り強く伝達し、納得させることが必要になる」との提起があった。

今年、2月、6月、7月と三回の京都での「囲む会」を通じて感じることは、第一に事実と率直に向き合う姿勢、第二に討議によって理解を深める意志、さらには小さき持ち場での協働があれば、相当の格差・分断社会においても「総括の共有」の条件が生まれるのではないかということだ。社会的にも、人生観や価値観の共有まではいかないが、いまの政治や社会へのモヤモヤ感を他人事とせず、自分事として向き合っていこうという流れは確実に生まれ始めている。

(杉原卓治) 

民主政のインフラである社会関係資本を

6月18日、第105回シンポジウムを開催。テーマは「民主主義のバージョンアップ」。世界的にも民主主義の機能不全が指摘されるなか、「自治」や「コミュニティ」の当事者性に足場を置いて民主主義の底力を鍛えるところから、21世紀型民主主義へのバージョンアップの方向性を議論しようというもの。

 第一部は、吉田徹・北海道大学教授による「日本政治の過去、現在、未来〜民主主義の現在地〜」と題する講演。

 講演の最後では、民主政のインフラである社会関係資本(他者に対する信頼や互酬性が当然とされる意識の集積)を作っていくことが、先進国の政治において必要になっていることをあげて、「活動とは物や物質の介入なしに、直接、人と人との間で行われる唯一の活動力であり、複数性という人間の条件、すなわち、地球上に生き世界に住むのが1人の人間ではなく、複数の人間であるという事実に対応している」(『人間の条件』)というハンナ・アーレントの思想を紹介した後、次のように締めくくられた。

 「私たちはどのようにして、地縁・血縁・利益・イデオロギー以外に政治との<回路>、 他人との<関係性>をこれから作り出していくのかを考える時にある」。

 第二部は、吉田先生、小川淳也・衆議院議員、役重真喜子・花巻市コミュニティアドバイザー、稲垣文彦・中越防災安全推進機構アーカイブス・メモリアルセンター長、松本武洋・和光市長によるディスカッション。

 多岐にわたる論点をあえて整理すれば、前半は「当事者性の涵養と、コミュニティを軸とした社会関係資本の集積の試み」といえるだろう。民主主義は共同体の自己決定であるが、その「私たち」という当事者性をどのように涵養していくのか。そしてコミュニティーにおけるそうした当事者性を、より「大きな」意思決定にどのように有意義なものとして架橋していくか。

 役重氏、稲垣氏からは、中山間地域の現場のリアリティに根ざした、コミュニティにおける当事者性の涵養について、示唆に富んだ問題提起がなされた。またフロアの地方議員会員からは、ユーレイ(足≠ェない)といわれる首都圏において、どのように当事者性を涵養していくか、その試行錯誤のあれこれが報告&提起された。地方と都市部という違いはあれ、民主主義をどのように日常のなかで実態化し、社会関係資本として集積していくか、その経験知、実践知の共有という性格の議論となった。

 ここでのひとつの大きな軸は、「分断を乗り越える」。グローバル化と「右肩下がり」という大きな時代の変化を、世代間対立(逃げ切り世代vs逃げ切れない世代 シルバー民主主義など)や、グローバルエリートvs見捨てられた人々、といった対立や分断の構図にしない「私たち」の当事者性を、どう育んでいくかということだ。

  松本・和光市長も加わった後半でも、「自治」を軸に多岐にわたる議論が繰り広げられたが、ひとつの軸は、コミュニティーにおける自治の当事者性を、より「大きな」意思決定にどのように架橋していくか、あるいはそこでの距離感を近づけていくかということであったと思う。

「私たちはどのようにして、地縁・血縁・利益・イデオロギー以外に政治との<回路>、 他人との<関係性>をこれから作り出していくのか」。戸田代表の集約では、このように述べられた。

「地縁、血縁、師弟関係も重要です。それを否定するために言っているわけではありませんが、そういう縁がなくても、『この問題、どう思う』という会話が普通にでき、そこから議論の輪が広がり、そこにコミュニティの縁、自治の縁もつながり、社会的な縁が多元的になる。そういう関係性をつくりだす、それが活動だということです。〜社会的な主体性、社会的な縁、それと地域やコミュニティをどうつなぐか。がんばっている地域というのは、『外』の視点や人を生かしていると言いますが、そういうことにも通じます」。(シンポジウムの詳細は459号にて。)

ポストFITの再エネ・省エネ事業

6月6日から11日、MITエネルギービジョンhttps://www.mit-energy-vision.com/の視察セミナー 「ポストFITの再エネ・省エネ事業」に参加。今や、国内発電量の約三分の一に達し、FITというゲタ(幼稚産業に対する保護政策)なしに、市場で通用するまでになった再エネの「今」と「課題」を、現場で見てきた。

 よく再エネの導入に関して、「ドイツは進んでいる、日本は遅れている、後ろ向きだ」と言われる。事実その通りなのだが、ドイツでもはじめから条件が整っていたわけではなく、草の根の市民の取り組みがさまざまな困難を乗りこえていった結果としての「今日」であり、固定価格買取という優遇制度がなくなるなかで、次の展開を模索する知恵と工夫には、ドイツとは逆の理由で再エネが抑制されている日本でも、学ぶべきところがあるだろう。

主なプログラムは次のとおり

・インパワー社@マインツ 再エネ電力のバーチャル発電所の運営

・マイノーヴァ社 フランクフルト市エネルギー公社による賃貸人電力事業

・市民エネルギー協同組合による再エネ電力直売、自家消費事業@黒い森中部

・市民エネルギー協同組合による配電インフラ新設、熱供給事業@黒い森北部

・フライブルグ市ヴォーバン地区におけるパッシブハウスと小規模地域熱供給

・近隣市における小規模地域熱供給

・住宅の省エネ改修とセクターカップリング

・まとめのセミナー

ドイツのエネルギー転換は、最初のステップである「再エネ導入」の段階をクリアしつつある。(日本はこの段階で「後退」が始まっている。)

 再エネ比率30%程度を目指す「再エネ導入」段階では、FIT政策が必要だったが、今や「再エネのシステム統合」の段階に移行しつつある。ここではFIP(フィードインプレミアム)を通じた市場メカニズムへの統合が必要であり、系統の強化や変動電源に対応したシステムの柔軟性が必要になる。←ドイツは、いまココ

 さらにその先の、再エネ100%の世界に向けた課題や挑戦も見え始めているようだ。  バーチャル発電所や自家消費モデル、その応用形である「賃貸人電力」や「賃貸電力」は「再エネのシステム統合」の段階での、市民協同組合や都市公社の知恵といえるだろう。

   またエネルギー転換の重要な要素である熱利用や、省エネ住宅についても「目からウロコ」の取り組みの数々を、知ることができた。詳細については「日本再生」458号、459号にて。

↑インパワー社。小規模の市民発電をネットワークする「スイミー」モデルの「目」と自社を位置づけている。

↑マイノーヴァ社のアクティブシティハウス。屋根全体と壁面にも太陽光パネルを設置、さらに天然ガスによるコジェネで100%以上の発電ができる。賃貸人に電力を小売。

←市民エネルギー協同組合による再エネ電力直売@アルピスバッハ村。市民組合が地元のスーパーの屋根にパネルを設置、発電した電気をスーパーに直売する。組合のトゥクさんとエンギッシュさんは地元の電気工事屋さん。市民発電の直売事業は、地域のお金を外に出さず、地域のなかで回す取り組みでもある。

↑市民組合による熱供給&モバイル事業@ファルツグラーフェンバウラー村

地域熱供給のために組合を設置、550軒が接続する熱供給網を地域内に建設し、バイオエネルギー村にも認定されている。コジェネで作った電気も地産地消するため配電線も新設、電気自動車6台をカーシェアリングしている。

↑ドイツ南部の黒い森地方。泊まったのは森の中の一軒家、家族経営のホテル。朝の散歩では、牧場に放し飼いの牛にごあいさつ。

↑フライブルグ市ヴォーバン地区のパッシブハウス。20世帯が組合をつくって18年前に建設したパッシブハウス。地域熱供給の設計技師、ビゼルさんも設計者の一人であり住人でもある。庭木の配置まで含め、随所に徹底した省エネ設計が施されている。屋上には太陽光パネルとともにミツバチの巣箱も。省エネ暮らしは「がまん」ではなく、生活の質を高めると実感。

↑フライブルグの大聖堂前のマーケット。土曜日とあって、買物を楽しむ家族連れなどで大賑わい。近隣の農家が家族総出で店を切り盛りする。旬のホワイトアスパラはじめ自慢の野菜や果物、ハーブ、肉、魚、チーズ、花などが所狭しと並ぶ。

歩行者専用の目抜き通りでは、チェロの四重奏に人びとが足を止め、最前列に子どもが座り込んでいる。

ポートランドの教訓を京都のまちづくりに活かす

6月21日、第29回戸田代表を囲む会in京都を開催。 川勝健志・京都府立大准教授の報告(「これからの自治を考える」)で、まず驚いたのはポートランドへの流入人口の多さ。毎週の平均入居者数が400人で、2030年までの移住者数見込み100万人(現在の市人口約62万人、都市圏で約235万人)という。

01年以降の実質GDP伸び率は全米の主要都市圏中一位の年平均4.4%、雇用は12年までの3年間で3.8%増。しかも、企業誘致を呼び水に人口の社会増をめざす従来型の政策とは真逆に、自らのライフスタイルを求めてクリエイティブな人たちが全米から集まり、有能な人材を求めて企業が集まるサイクルという。「理想のライフスタイル」のないものねだりでなく、自分のライフスタイルを創造できる社会関係資本の蓄積が豊富ということだろう。

住民自治の哲学は、政治制度とその運用にも表れている。コミッショナー制(市長含む議員5名が行政の部局長も兼ねる)のすそ野は、NA(ネイバーフッド・アソシエーション=「近隣組合」)が95と広く、参加も個人単位で多様であり、相当な合意形成の手間を想像させるが、「プロセスを無視すると、住民と行政の信頼関係を壊してしまう。これが最大のリスクだ」との共通認識があり、「議会」の役割は「住民の声を聴く場」という性質が強い(住民に近いコミッショナー。「代表」より「対応」を重視)。「私という個人でも社会を変えられるという希望がこの町にはある」このような感性が住民自治の制度を支える。

もう一つの教訓は、「住民自治の低迷期(90年代〜00年代初め)」からの再生期の三つの目標が「コミュニティに参加する人たちの数と多様性を高める」「コミュニティの力量を高める」「公共の意思決定にコミュニティが与える影響を高める」であったこと。この転換(イノベーション)が生んだものが、議論を尽くすことによって生まれる納得感と共感、共同学習の場をつうじて生まれる「享受能力」(非物質的価値を評価できる能力)。「自分の主張を極端に展開せず、“互いに合意を求めて”話し合う。合意点に達して行動に移す。一緒にやっていく」能力。まさに「よきフォロワー」の人づくりだ。

社会関係資本としての「公共空間と人づくり」への意志から本物のまちづくりが始まるとすれば、「ポートランドだからできる」はあたらない。制度の外側にいる人々の思いを包摂できない既成政党を批判する、消費者民主主義のステージは終わった。ポートランドの教訓を京都のまちづくりに活かす。そのために、住民組織をどのように作っていくのか。少なくとも、30年先の京都を見据えて、今何をすべきか?どのようなフォロワーの波を起こしていくのか。これが、今回の囲む会からの新たなステージである。

「第1回埼玉・自治体政策コンテスト大会@こしがや」

5月21日、第1回埼玉・自治体政策コンテスト大会が、越谷市中央市民会館で開催された。県内の議員や行政、市民など発表者を含めて約50人が参加。

主催は、ローカルマニフェスト推進地方議員連盟。埼玉県勉強会実行委員会が取組の中心となり、4月に県内首長や議会、議員、市民団体等を対象に政策エントリーの公募を実施し、公募審査委員会の協議を通して、11の議員、行政、市民団体が最終選考された。当日はそれぞれプレゼンテーションを行い、参加者全員の投票で、優秀賞を競い合いました。

発表内容は、議員による介護政策の提言や、治水対策のための市民との共同討議の取組、議決権の行使を巡る修正案の提出、可決の成果や、議会主催の議会報告会の取組。行政による市長直続のシンクタンクの結成と運用。市民団体による多様な議員と市民の連携による自治の基盤づくり、周辺5市1町を対象とする大気汚染調査、市民による統一マニフェストの実現にむけての課題、高校生へのシティズンシップ教育の現状と教訓、市議会議員候補者の全員を対象とした公開討論会の開催など、実に多岐に及びました。

投票の結果、グランプリには、井出大喜草加市議(家族介護者、若者介護者と地域での介護に関する政策提言)と、市民団体フラット(越谷市で市民が自分事として考える空間づくり)が受賞しました。 最も投票総数が多いプレゼンテーターがグランプリ、次に多い投票が優秀賞受賞と規定されていましたが、どちらも同数の結果だったため、グランプリが両者に送られました。 またコメンテーター特別賞には、埼玉政経セミナー(多様な市民活動と連携をしながらマニフュエストを実行)が受賞しました。

毎年開催されているマニフェスト大賞では、全国各地からのマニフェストが募集されていますが、どうしても中央への各地からの参加となり、本来の地方分権や首長や議員、市民との地域的な横の関係性、つまり自治意識の涵養が生まれにくい状況になっていました。

そこで埼玉県では全国で最初となる埼玉勉強会を、これまで4回開催して来ました。 今回は更に、マニフェスト大賞の地方版として位置づけ、より地域的な関係性づくりを目指し、本年11月の第12回マニフェスト大賞の基盤整備や、将来的には全国選抜大会として各県のグランブリ受賞者による政策競争の舞台にしていくことを思考していました。

大会では、司会を山田裕子越谷市議が担当し、始めの主催者を代表して田中栄志富士見市議のあいさつに続き、発表者が10分以内のプレゼンを行い、コメンテーターの廣瀬克也氏(法政大学法学部教授・マニフェスト大賞審査委員)と西尾真治氏(三菱UFJリサーチ&コンサルティング主任研究員・マニフェスト大賞審査委員)から、それぞれ発表内容の意義と発表者への質問が行われました。

また会場からの質問を受けるなど、話す側と聞く側との関係性を変えて、全員参加型にしていく試みとなり、年一回都内で開催されているマニフェスト大賞受賞式での賞選考が、審査委員会によって決定されて来た慣例を改善しようとする目的もありました。

コメンテーターの講評は、参加者が投票する際の判断材料や視点の提供となり、様々な領域での発表内容が整理出来て、大変勉強になったと声が多く寄せられました。 11組全てのプレゼンの後、投票箱への参加者全員による投票が行われ、別室での選挙管理委員会の作業の後、前述の受賞式に移りました。

 井出議員の受賞では、若者の介護の問題やそれによる貧困問題への関連性を、議員として取り組んだことは、これまでの右肩上がりの制度の外で起きている社会的問題のスポットを当てたことが評価されました。

また市民団体フラットは、当初「くらしと政治カフェ」として出発し、越谷市議とともに、市民が市政の様々なテーマをフランクに話し合って来た事。赤ちゃん連れでも参加できるカフェや古民家の蔵や公園での開催や、リサイクル市場をかみ合わせた企画など、政治や市政をより身近に感じる事が出来る工夫をして来た結果、更により広い市議との連携のため、一旦解散して、新たにフラットを立ち上げた事が報告されました。

そして新たな市議との連携で、まち歩きの取組や次回は農業を考えるバーベーキューを囲む会も企画しているとの事。これらの活動を通して特に市政や議員に要求ばかりする市民から、地域課題の解決のために、がまんをすることが出来る市民が存在することを、議員に知ってもらうことから、議員を変えていくことを目指している点が評価されました。

埼玉政経セミナーは、これまでマニフェスト大賞の議会部門での優秀賞、更に市民部門での優秀賞と二度の受賞経験があり、最初は超党派議員が、統一政策を掲げて選挙を闘った実績の評価から、マニフェストは、市民が策定し、実現までも市民自身が責任を持って取り組みに発展して来ました。 その中で議員は、役割りとして議会での政策実現を担っていることが、コメンテーター賞の評価となりました。

表彰式では、グランプリの議員と市民に表彰状を、主催者代表の田中市議から読み上げられ、副賞の越谷特産のイチゴジャムやせんべいなどと共に贈呈されました。 この日は越谷駅横に開店初日の「ガーヤちゃんの蔵屋敷」で販売されていた特産品の越谷ブランド指定品の紹介もされて、会場の注目を集めていました。 最後の閉会のあいさつでは、白川秀嗣越谷市議が「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければ皆で行け」と締めくくりました。

会場参加者からのアンケートによれば、毎年開催を望む声や、実に様々な活動が日々展開されていることに驚いてしまった、との声も寄せられました。 その後、実行委員会とコメンテーターの先生を交えて、遅くまで交流会が開催されました。

「東北紀行 復興はこれから B」

●東松島 のり三昧  翌日4月23日は東松島へ。東松島はのり養殖がさかんなところで、毎年、塩竈神社で行われる品評会で何度も受賞を果たし、皇室に献上されている。

「のり工房矢本」さんは、のり養殖漁師の奥さんたちが、スーパーで買えないような漁師直送の商品を作ろうと立ち上げた。震災で家も工場も船も全て失うなか、お客さんや取り引き先の応援を受け、事業再開を決意した。

 お話を伺った東松島のアンテナショップ「まちんど」には、「東松島 食べる通信」がディスプレイされている。「東松島 食べる通信」の特徴は、宅配で全国に届けることよりも、地元向けを主体にしているところで、受け取り場所がここ「まちんど」なのだ。

 ショップには地元産品がいろいろ並べられているが、なかでも「海苔」。「東北食べる通信」で取り上げられた相澤さんの海苔と、「東松島食べる通信」で取り上げられた津田さんの海苔が、それぞれの食べる通信といっしょに並ぶ。  じつは津田さんは、のり工房矢本を立ち上げた津田さんの息子さん。冊子には気難しい海苔漁師の父と、震災を挟んで海苔漁師への道を歩み始めた息子の物語が、先輩漁師・相澤さんとのエピソードも含めて綴られている。

 のり工房矢本では、いろいろなフレーバーの海苔を開発しているが、イチオシの新商品はドレッシング。いわき市で生産者さんといっしょに一次産業を盛り上げている萩シェフがプロデュースしたもの。海苔の香りのクリーミーなドレッシングは、パスタやフライなど、いろいろなものに使えそう。

 移動のバスに合流してくれたのは、星のり店の女将さん。今年の品評会で準優勝し、皇室献上のために各宮家に収めて来たと。震災後、6漁期続けられてきたのはファンドをはじめ、背中を押してくれるみなさんのおかげと。

 海苔づくり20数年の星さん(夫)の海苔作りのこだわりは、半端なものではない。養殖では普通、消毒をするのだが、海に生かされているのだからと、消毒をやめた。そのかわり海苔をブラッシングしたり、EM菌を使ったりと手間はかかる。おみやげに、皇室献上とおなじ海苔をいただいた。

●「残すのは人」という覚悟

 最後の訪問は塩竃市のお茶屋さん、矢部園。ちょうど、陸奥の国一ノ宮である塩竃神社の花祭りの日で、バスは交通規制を迂回しながら進む。

 お話を伺ったのは、塩竃市ゆかりの静物画家・杉村惇美術館。矢部園さんも大きな被害を受け、再建を断念することも考えたが、「北限のお茶」である伊達茶を全国に伝え、生産者を支えたいと再建を決意した。東北でお茶を作るには、先祖がさまざまな苦労を重ねてきた。今はお茶農家は一軒しか残っていないが、伊達茶を次の世代に伝えたいと。

 後でお店に伺った際にいただいた伊達茶には、力強い味わいがあった。また、いくつかのお茶を飲み比べて、こんなにも味わいが違うものかと驚かされた。お茶はペットボトルではなく、急須で入れて飲むもので、そのくらいの余裕がない生活は異常なのだ、と思い知らされる。

 新店舗で営業を再開している矢部園さんだが、大きな課題は駅周辺の再開発。ハモニカ長屋のような、地権者が60人以上というところで4年かけて合意形成を進めてきた。その過程での苦労は、計り知れないものがあるが、自分の生き方、背中を見せていく以外にないと。そのなかでも一番大切にしてきたのは、次の世代に負の遺産を残さない、次の世代が壊しやすいまち(時代のニーズに合わせてまちを作りかえる)、残すのはハードではなく人だ、と。

 再開発後につくるショップ・スペースでも、東京の有名店の支店ではなく、全国クオリティーの地元のものを並べたい。みがけるものは、食と人なのだからと。  再開発地区に立てた看板には「覚悟」の文字。ここに込められた思いを、しっかりと受けとめたい。

「東北紀行 復興はこれから A」

●石巻の宴  夜は津田水産さんの段取りで、「石巻2.0」での懇親会。石巻2.0は、震災前に戻すのではなく、「世界で一番おもしろいまちを作ろう」と、若い商店主をはじめさまざまな人が集まって2011年6月に設立された。そのシェアオフィスなどがあるスペースが、今宵の宴会場。

 津田水産の津田祐樹さんの目利きで仕入れた材料で、朝からお母さんが腕をふるったごちそうが並ぶ。二時間煮て骨までやわらかいさんま、たこのからあげ、いかの煮物、「ほやおやじ」こと三陸オーシャンの木村さん提供のほや、そして鮮度バツグンの刺身などなど。

 漁師にはなくてはならない船大工・佐藤造船さん、雪すべり塗料の自社生産再開をめざすアテインの川又さん、さらにセキュリテの小松社長も加わって、にぎやかな交流となった。

 この場を盛り上げたのは、ファンドの立ち上げにもかかわった仙台のNPO・ファイブブリッジの畠山さん。石巻2.0のような活動を、仙台で10年間続けていて、津田祐樹さんも参加していた。ここでの人と人とのつながりが、震災後1ヶ月あまりでのファンド立ち上げに結びついている。

 「東北食べる通信」3月号は、石巻給分浜の漁師、安藤秀さん。安藤さんを「食べる通信」に引き合わせたのは、渥美さん(2015年9月号)。ホヤ養殖を生業とする渥美さんと、ほやおやじは仲間だ。渥美さんは言う。「震災の後、フィッシャーマンジャパンとも『食べる通信』とも出会わずに本当に俺ひとりだったら、何者にもなれなかった」(東北食べる通信3月号)。

 津田さんはファイブブリッジで活動した後、石巻で実家の家業を継ぎ、震災後は「石巻の魚食文化を支える」と、加工や飲食店展開にも挑戦。漁業を「稼げる」「かっこいい」「革新的」の3K産業にすることを目指して、フィッシャーマンジャパンを立ち上げた。「新しい現実」を創りだしている人と人とのつながりの力に、改めて強く心を揺さぶられる。

「東北紀行 復興はこれから @」

今年も開催されたfor復興ツアー。3.11の被災地支援ファンドを立ち上げた2011年4月25日にちなんで毎年、この時期に行われる出資先を訪ねるツアーだ。 今年は山元町、石巻、東松島、塩釜、南三陸の事業者さんたちを訪ねた。

●山元いちご農園

山元町は宮城県の南端にあり、福島県新地町に接している。3.11では5600戸のうち2200戸が流され、16000人のまちで636人が亡くなるという甚大な被害を受けている。 山元いちご園のあるところも、2メートルくらい浸水、自宅もハウスもすべて失った。前年のチリ地震による津波が「大したことなかった」ために「たかをくくっていた」と、代表の岩佐さん。

岩佐さんは震災前からのいちご農家で、6月には会社を立ち上げた。個人だけではなく地域の復興のために、との思いで耕作放棄地なども借り受けて、毎年いちご栽培を拡大するとともに、6次産業化にも取り組んでいる。農業で食べていけること、雇用を生み出すこと、それによって次世代の地域の担い手を育てることに力を入れている。

当初3人で立ち上がったが、今はパートさんも含めて、18歳から83歳までの53人を雇用。養護学校の生徒さんたちにも、雇用の機会を作っている。 39ある被災地支援ファンドのなかでも、山元いちご農園は「上振れ」の大きさで5本の指に入るとのこと。地域や農業をとりまく環境は厳しいし、課題もいっぱいあるが、こうして力強く進む事業者さんの姿には、こちらが勇気づけられる。

イチオシは、若い醸造家4人を迎え入れて作った、ロゼのような色合いの苺夢(べりーむ)というワイン。

1万平米というドでかい栽培ハウスは、オランダ式の「野菜工場」。「いわきのトマトランドみたい」と言ったら、「そのとおり」と岩佐さん。

観光農園用のハウスには、土曜日とあって、家族連れやカップルが大勢。ツアーもここで「食べ放題」。練乳なしでも十分甘いいちごを堪能。ハウスのなかでは、ハチが働いていた(受粉)。

●南三陸 さんさん商店街

南三陸のさんさん商店街は今年3月、28店舗で本設オープンした。連日にぎわっているとのことで、この日も混雑するランチの時間が終わってから到着、まずは山内鮮魚店さんの「海鮮丼」をいただく。吹きっさらしのイートイン・スペースで、カニ汁があったかい。

その後会議室に移動して、山内さん、伊藤さん、マルセン(三浦)さん、及善(及川)さんのお話を聞く。彼らは、避難所運営でも復興においても地域のリーダー的存在で、震災の年の四月、それまでつながりのあった全国の商店街の応援を受けて開催した「福幸市」(以後毎月開催)から、さんさん商店街が生まれた。 本設の商店街は、かつてのまちの中心地に10メートル近くかさ上げされた高台の造成地にある。なにやらピラミッドのようにも見える高台の造成地があちこちに見えるまちの様子に、違和感も感じるが、商店街が本設になるのと並行して、事業者さんたちも工場や自宅の本設に取り組んでいる。

2年後の復興工事終了が見えてきて、ようやく本格的な復興の一歩についた、ということだろう(「マラソンの折り返し地点」などと、アホなことをぬかした御仁も、同時刻にさんさん商店街に来ていたらしい)。「これからが、復興特需で支えられてきた、地域の本当のスタート」とは、マルセンさんの言葉だ。

遅れて駆けつけてくれた、歌津小太郎の橋本専務からは、新商品をおみやげとしていただいた。

「第6回うまかんべぇ〜祭 過去最高の来場者で大盛況谷」

4月22日(土曜日)・23日(日曜日)に都立東大和南公園にて開催された“うまかんべぇ〜祭”は、62,000人(1日目:25,000人・2日目:37,000人)の来場者があり、大盛況のうちに行われた。

尾崎市長のあいさつの冒頭はこの日に備えて練習した手話で行われた。 まず市長は、市民の手で企画、運営されているお祭りであるとともに、市内各企業・団体の協賛も次第に増えて、多くの参加者で賑わう東大和市最大のイベントになったことに感謝とねぎらいの言葉をかけた。さらにあいさつでは、会場の一角で特別展示している「日立航空機変電所」に触れ、平和を願うすべての人々が関心を寄せることを訴えた。東大和市ではこの戦災遺跡を将来にわたって保存するために「ふるさと納税」(指定寄附)による寄附を呼びかけている。「『平和への熱い想い』が返礼品です。品物ではなく心です。」と謳ったもの。

http://www.city.higashiyamato.lg.jp/index.cfm/34,72386,362,html

今年は、東京都立東大和南公園のグラウンド一帯も「うまかんべぇ〜祭」の会場とされたため、従来以上に親子での参加、芝生にシートを敷いて休日を楽しむ人たちが目立った。「日本一子育てしやすいまちづくり」を謳った尾崎市政二期目の成果の一端が伺われた。

市民団体と市内店舗の出展によるグルメコンテストの会場はグラウンド中央にしつらえられ、第一回目(2012年)からの設定である「東大和発の食のお祭り」によりふさわしいものになった。 提供するメニューには、食材に東大和特産のほうれん草、小松菜、キャベツ、狭山茶、茶うどんのどれか一つを使うことがルール。出展メンバーが従来にも増して工夫を凝らした麺類やスイーツが並んだ。

グルメコンテストの入賞順位は次のとおり。

第1位?肉汁茶々うどん【東京ユニオンガーデン】

第2位 クロワッサンコルネ狭山茶クリーム【ラトリエアンソレイエ】

第3位?しっとりショコラの抹茶ミルキークレープ【4小おやじ本舗】

審査員特別賞 まるごとキャベツのカレー焼き麺【ビッグボックス東大和 和食ななかまど】

グルメコンテストで一位に入賞した東京ユニオンガーデン(駅前マンション)のスタッフたちは、他に先行して自主防災組織(南街・桜が丘地域防災協議会)に参加するなど、さまざまな地域の組織に加わって活動している。今回は昨年のメニューをさらにレベルアップして原価率を上げた自信作だったそうで、大喜びでグランプリを受賞した。

わが南親会は5位に入賞。第1回のうまかんべぇ〜祭でグランプリを獲得し、その後も常連だった南親会だが、去年は子ども食堂を始めたこともあって一年お休みしたものの、今年は子ども食堂をアピールする目的もあって再登場した。100円で買えるささみのフライ「やめられない、小松った菜!ヘルシーチキン」は好評を博し、2日続けて並んだ人も。昨年末から話し合いと試作を繰り返し、付近にポスティングをし、前日と当日はへとへとになりながら翌日の仕込みに労力を注いだことが、目に見えない値打ちを付加したのではないかと自認している。

「なぜ今野党共闘が必要か@越谷」

立憲民主主義で語る政治とくらしパート4 「なぜ今野党共闘が必要か」@越谷

4月1日、越谷市中央市民会館の劇場で、立憲民主主義で語る政治とくらしパート4「なぜ今野党共闘が必要か」をテーマに、講演会とシンポが開催されました。

講師は民進党衆議院議員の小川淳也議員。講演を受けてパネルデスカッションに移り、パネラーに「安保法制に反対するママの会@埼玉」の中野昌子さん、「自由と平和のために行動する議員と市民の会@杉並」の東本久子さんと小川代議士の3人。コーディネイターは、越谷市議会自治みらい代表の白川秀嗣議員が担当しました。 主催は、安保法制廃止オール越谷市民アクション(石河秀夫弁護士)

 小川代議士の講演では、アベノミクスは全く成果を上げていない。また文科省の天下り問題や森友問題など、一強多弱の政権内部の状況や長期政権の腐敗を指摘しました。 しかし、同時に民進党への信頼が一向に回復していないことも、安倍政権の高支持率の一つの要因だとも強調しました。

 講演の最後に、先の民進党全国大会で、来賓としてあいさつにたった慶応大学教授の井出英策先生のスピーチを、動画で会場に放映しました。  井出先生の圧倒的な迫力と覚悟が披歴されましたが、小川代議士が取り組んだ昨年の参議院香川選挙区での全国唯一の共産党の統一候補擁立の覚悟と大義とも、価値観や生き様が共通するものでした。

また、会場の参加者から、野党共闘を精力的に進めるため民進党の役割が大きいことや、現在の小選挙区制から以前の中選挙区に戻すべきはないのか、質問がありました。 これに対し、自民党とは政策の大きな違いはあるが、政権運営の安定感には大いに学ぶことがあるとした上で、みなさんは本当に民進党の政権を任せて大丈夫だと考えておられますか、と市民の本音に迫りました。 また、選挙制度では小選挙区制ではなく、比例代表制が適切と思うが、その場合は候補者や首相を有権者が選ぶことは出来ない。全て政党内部で決定する仕組みとなるので、日常的な政党と市民の緊張関係を作り上げていくことを前提とする、と答えました。

 これを受けてパネルデスカッションに移りました。  白川議員から、トランプ現象やイギリスのEU離脱やヨーロッパでの極右政党の伸長、韓国の大統領罷免、北朝鮮問題まで、世界と時代は今や乱気流の状態にある。この中を旧来のような大型飛行機では対応出来ないし、セスナ機やグライダーでも墜落する。そのため中型飛行機を始め、パイロットを選び飛行することになるが、乗客の中には酔っ払いがいるかもしれず、これを含めてどのようにマネージし、合意形成を図って目的地に行くのか、今日の議論の方向として行きたい、と主旨が説明されました。

まず、小川代議士から香川での野党統一候補の擁立と選挙運動に触れて、民進党や連合や後援会など、最も関係性の深い人たちへの合意形成の苦労が話されました。  合意形成に至るまでは大きく分けて、大義に基づく対話と、個人的な信頼関係に基づく対話があり、どちらも結論が出るまでの丁寧な積み重ねが重要である。議論の途中であっても出来うる限りオープンにして説得をしていった。 基本的な立ち位置を、人々の日常的な暮らしに密着した課題に置き、そこに向けて異なる意見をすり合わせ、妥協点を見つけるための「熟議の作法」づくりが大切と、強調されました。

東本さんは、杉並区での市民と超党派の杉並市議がともに進めてきた、野党統一候補擁立の運動が紹介されました。次期衆院選の予定候補者3名と市民とで円卓会議を何回も開催し、自民党候補に対峙する野党統一公約を作成。 その上で3予定候補者による公約の合意書への署名を実現し、統一候補に誰がなっても応援するという決意表明を、市民全体で披歴した経緯を話されました。

この取組みを通して、野党共闘のけん引力は市民であり、その市民自身が変わらなければ野党共闘は実現せず、共闘の接着剤は市民が担うことが重要であること。 その時には、市民自身が今後どのような社会にしていきたいかを明確にしておくこと。 また市民運動はどうしても少数派で、相手との違いだけを強調してしまう傾向にあるので、自民党を倒すために棚上げできることは潔く棚上げし、共通の目標を達成することに集中すること。

更に現在会員が500人程いるが、仲間の増やし方としてタイムリーな話題と、(先般森友学園問題の講演会を開催した等)多様な切り口、たくさんの入り口を用意すること。 対等、平等である関係が大切であり、主義主張以前の人間関係を大切にして、批判から入らず共感から入る様に心がけること。 相手に恥をかかせず、一人一人の尊厳を大切にするような気配りをして、相手へのリスペクトを忘れないこと。

若い世代から新しい運動の手法を学び、真摯に活動をサポートし裏方に回る。どうしても旧来の活動家は、自分の価値観と手法を若い世代に押し付けようとするが、多少不安定でも任せてみて足らざる所をサポートして行く、その上で多数の意見を聞きながら自身の考えを検証していく、謙虚で柔軟な姿勢をもつことなど、多くの教訓が披歴されました。

中野さんは、民主主義において重要なのは、住民自治と物事を決めるまでのオープンなプロセス・議論であり、それを積み重ねることでしか、蔓延する閉塞感、格差を是正する道は見つからない、と話されました。

最後に白川議員から、今日の論議は相手と意見や立場の違いを認めた上で、どのようにパブリックの合意形成を図り、社会関係資本を身近な自治の現場から作り出して行くのか、共通した認識を持てた。そのためには、普通の市民が凡庸の善を日々積み重ねるしかない。 「公共性とは閉鎖性と同質性を求めない共同性、排除と同化に抗する連帯である」(齋藤純一)ことを確認し、早く行きたければ一人で行け、遠くに行きたければみんなで行け、とのアフリカのことわざで集約発言となりました。

「東京で語り継ぐ3.11」

六年目を迎えた3.11。被災した三陸の水産業者や蔵元さんたちを、飲食業として支えるために東京に2013年9月にオープンした「飛梅」では毎年、「東京で語り継ぐ東日本大震災」を開催してきた。やはり今年は規模を縮小せざるをえなかったが、その分「強い思い」を持つ人々の「濃い」集まりになった。

生産者さんたちは、翌日は現地でそれぞれ集いがあるため、日程をやりくりして一日前に来ていただいたとのこと。「飛梅」がキッチンを建設する予定の名取市からは、前市長が生家の蔵元の生酒とともに。三陸の生産者さんたちの自慢の海の幸と、地酒とともに、これからも「東京で」3.11を語り継ぐことを確認しあった。

「還暦祝い」

2月18日、第172回の「囲む会」は、朱建榮先生をゲストスピーカーに迎えて開催。朱先生のお話は久しぶりになるが、今や80后、90后と言われる文革も知らなければ、市場経済が当たり前の前提になっている世代が人口の多数を占める中国社会の変化が、中国の内政外交にどんな影響を及ぼしつつあるのか、興味深いお話を聞くことが出来た。

その朱建榮先生は、還暦を迎える。日本に来てから30年、すでに人生の半分を日本で過ごしてこられたことになる。昨年、義理の父上が亡くなったが、その忌中のあいさつは、そんじょそこらの日本人も顔負けなくらい、礼儀正しく、かつ心のこもったものだった。

そんな朱先生の還暦をお祝いする、という口実で、「囲む会」の後にささやかな懇親会を。 第一回の日本への国費留学生の一人、張紀潯先生も、久しぶりに元気な姿を見せて下さった。

「憲法を論じる共通の土台をどう作るか」

2月8日、第28回戸田代表を囲む会in京都を開催。50名の参加で、「立憲民主主義をよりよく機能させるために〜憲法を論じる共通の土台をどう作るか」のテーマで、フロアを含め活発な論議をおこなった。

曽我部真裕・京都大学教授の「憲法の議論の仕方を変えていくことが大切」というメッセージは、旧い「護憲VS改憲」論議に慣れてきた(実際には無関心)世代には覚醒を、若い世代には憲法論議への動機を与えてくれた。「(現状の憲法論議を)今後の憲法論議のあり方を考え直すきっかけにすべき」との中長期の視点(憲法制定70年、80年、90年を同じ状況にしない)を共有できるかどうかがカギだ。「憲法改正を自己目的化しない」という場合も、この視点がないと憲法をめぐる当事者としての論議を先送りするものでしかない。

さらに、憲法観の問題として「(憲法を)理想的な価値を定めるもの」とするのか「公権力を生み出すと同時に、実際に縛るもの」とするかの問題提起に、「自分は後者だ」という人でも「理想的な価値から現状を批判する」域をでない場合が多い。例えば、橋下行革を統治機構改革の問題として認識できるか、この間の司法改革をどのように考えるか。公権力の側にいる人々に、「縛られている」と意識させるに足る状況をどのように作るのか。立法行為や政党の政治活動においても、現状では憲法はほとんど意識されていない。

福山哲郎・参議院議員は、憲法論議のあり方を考え直すことに同意した上で、国民の強い要請がある場合に(改憲の)発議をしましょうというのが基本であり、「人権の制限」や「丸ごとの改正」には違和感があると強調。

隠塚功・京都市会議員は、コミュニティでの合意形成や生活者レベルの議論が深まらないと、憲法を自分のものとしていくことはできないと発言。

泉健太・衆議院議員も東京から駆けつけ、最高裁の違憲立法審査権の行使をはじめ、司法は政治に転換を促すくらいのほうがいいと述べた。

戸田代表からは、主権者として憲法を論議する型が見えていないところからおこる「懸念」や「不安」という問題は、憲法三原則を深める言論空間をつくっていくことで打開すべきとの示唆が。

フランスでの2008年の憲法改正プロセスが、90年代からの長年にわたる熟議と憲法学者を中心にした専門委員会による内容の検討、政府による提案と議会での修正を含む、公開された議論の結果の改正であったことも、今後の日本の議論のあり方に大変参考になる。

今回のフロアからの発言もふくめ、曽我部先生の問題提起に基づいた主権者としての論議を日本再生読者会の場をはじめとして深めていきたい。

(杉原卓治)

「リスペクトの政治に向けたシンポジウム」

1月22日、京都大学法経の教室に約150名が参加。主催は関西市民連合。50代60代が中心だが、前の席には20代30代の女性も目立つ。開始時は教室の半分ほどだったが、途中休憩時には8割程度席が埋まる。講演とパネル討議へのフロアーの集中度は、一昨年以来の関西でのSADL関与のイベントのなかで一番であった(手話通訳、託児所、ネットでの同時動画配信もあり)。

司会・主催者挨拶(湊)「野党共闘・市民共闘は一進一退で、市民の間でも様々な違いがある。立憲政治をたてることと個人の尊厳を前面にした、リスペクトの政治が重要だ。女性を中心に、個人が生きづらさを感じている。これは個人のわがままなのか?日常体験にもとづいて、政治に求めるものを明らかにし、市民が主体的に争点を設定していこう」

会場提供者挨拶(西牟田祐二・京大経済学部教授「川上肇会」1956年生れ)「政治を市民に取り戻す、は川上肇のスピリットでもある。自ら会場提供のホスト役を買って出ました」

司会から立憲野党として紹介されたのは、共産党穀田衆議と福山参議。穀田議員は、野党共闘の成果と、若者と女性の政治参加が重要と。福山議員は、自身の子ども期の父親からのDV体験を語ったうえで、世界も日本でもヘイトスピーチなど排他的な社会の動きと、共生社会をつくろうという動きがぶつかり合っていると。いずれも、挨拶のあと退席。

講演は「政治をわたしのものにする」

牟田和恵(大阪大学教授 歴史社会学・ジェンダー論 1956年生れ)

前日の21日、ワシントンはじめ全米でのウィメンズマーチが「反トランプ政権」の大衆運動として盛り上がった様子をとらえ、1960年代の第二波女性解放運動(第一波は女性参政権運動)の命題「THE PERSONAL IS POLITICAL(個人的なことは政治的なこと)」は、今日にも脈々とつながっている。第一波が法的・政治的権利のためであるとすれば、第二波は自分たちの、身近で個人的な課題から大きな社会構造を変えようという、公民権運動やベトナム反戦運動とともに湧き上がってきたものだった。私的なこと、個人的なことを政治化したこと、街頭に出たことがポイントだった。また、「身体性」という個人的なことを「恥ずかしいこと」として女性を無知にして貶めるものと、「OUR BODIES OURSELVES」と覚醒させるものとの戦いでもあった。

昨年の「保育園落ちた、日本死ね」に対するバッシングの根っこには、「個人がやるべきことを政治化することはわがままだ」という発想や思考があるのではないか。私的なことを公的なところに持ち込むなというのは、リベラルと言われる人や女性にもある。フェミニズムは若い女性に嫌われる(笑)。「フェミニズムってわがままだ」「自分の権利ばかりいってレベルが低い」「おバカなのはダメ」等々は、NGO 活動家の中にも色濃い。常識を学び落とす(Unlearn)ことが必要(政治的主体の転換)。

次に、1990年代の「ケア・フェミニズム」について。社会学や経済学が前提にしてきた「自立的存在」は、依存ケア(たとえば「高齢者に対するケア」)を直接担当していないだけです。家庭に隠されているその事実は、離婚によって明らかになります。フェミニズムは「男並みの権利」を求めているものではありません。人間はそもそも依存的存在でありケアが必要であるという原点から、すべての人があたりまえに依存ケアにかかわり、依存ケアにたずさわる人々が尊重される社会を構想しているのが現在のフェミニズムです(穀田さんが言った「子どもや女性の問題にも」というのはちょっとちがうのでは)。私たち市民にとって、政治を私たちのものにするしか希望はない。自分にとって、納得のいく人間や社会のありかたを考えていくことが「政治をわたしのものにする」こと。そうでなければ、政治には意味がない。「個人的なこと」を語るところから始めましょう!

パネルディスカッション

元橋リエ(20代・大阪大大学院生・ジェンダー論)司会

小川イクエ(30代介護士・子育て中・SADL)

中野リカ(40代作業療法士・ママの会大阪・憲法カフェ主宰)

西郷南海子(29・京大教育学部大学院・三児の母・ママの会)

新貝(40代・大阪市大職員・セクシャルマイノリティをカミングアウト)

湊 隆介(一部参加)

元橋「個人的なことが個人に押し込められ、政治が削られている。自分を主語に日常から自分の言葉で語っていきたい」

討議のはじめに、四つの「私のもやもや」として「子どもを育てられる気がしないという世の中はおかしい!」「在宅介護はだれが担うべき?」「私たちの生きづらさの根本には、せい(性)に対する抑圧があるのでは?」「社会的な問題に対して声を上げることのリスクが大きすぎる!」と設定。

「子どもを育てられる気がしないという世の中はおかしい!」

元橋「同世代の友人は、子育てなどで忙しく、成人ついてゆっくり考える暇もない。『馬鹿だからわからない』は違うと思う。政治家に子育てや介護、非正規などの経験がなく、(政治が)生活から遠いものになってしまっている。(政治に)声を反映させ、もっと身近なものにしていきたい」

「在宅介護はだれが担うべき?」

小川「介護の世界はもやもやだらけ。介護報酬が低すぎて子育て世代のなり手がなく、高齢化している」

「私たちの生きづらさの根本には、せい(性)に対する抑圧があるのでは?」 新貝「セクシャルマイノリティは16人に一人はいると言われている。セクシャルマイノリティの問題について関心をもってほしい」

「社会的な問題に対して声を上げることのリスクが大きすぎる!」

中野「友達や身内に対してが、いちばんつらい」

西郷「社会的に公開することのリスクが大きい」「個人的には割り切っているが」

新貝「割り切っている」

小川「3・11がきっかけで、反原発や都構想などで街頭にも出るようになった。いろいろな人がいるので、いろんなスイッチが必要」

湊(自分もセクシャルマイノリティだとカミングアウトして)「仕事場にはいろんな人がいるが、何気ない話から政治ネタにもっていっている。いいことばに触れることも大切」

最後に、元橋さんから「政治を自分たちのものにしていきたいとつよく思います」とメッセージ。

パネルディスカッションは、準備に相当な手間と時間と労力がかけられていて「リスペクトの政治とは」に「誰がどんな状況でも安心して生きられる社会」「分断されない政治」「ひとりひとりが自分らしく生きることを保証する政治」「自分自身を大切にすること」と四人のそれぞれの一言が表示された。

最後に、シールズ関西の塩田潤さん(神戸大大学院)から、「勇気ある発言に共感した。このような取り組みを継続したい」と挨拶があった。

(杉原卓治)

立憲民主主義で語るくらしと政治パート3@越谷

12月13日、越谷市中央市民会館の劇場で、立憲民主主義で語るくらしと政治パート3「貧困の連鎖を断ち切るために」と題して講演とシンポが開催され約170人の市民が参加しました。

野党の政党代表と市民がオープンのトークを通して、21世紀型の社会や地域を担う新たな社会関係資本の主体基盤をつくろう、とシリーズで開催してきたもので、今回が3回目となっています。 主催は戦争法廃止オール越谷市民アクション(代表 石河秀夫弁護士)。

オープニングセレモニーで、地元文教大学の二年の女子学生によるジャグリングや風船を使ったおもちゃの作成等の大道芸が披露された、会場はいきなり爆笑と柔らかな空気に包まれました。

主催者あいさつの佐々木新一弁護士に続き「いま、何故下流老人なのか」をテーマに{下流老人 一億総老後崩壊の衝撃}の著者で越谷市在住の藤田孝典氏が講演。 高齢化率がこれから40%位まで上がって行く状況の中では、消費税を含め税収を上げて社会保障に回してくしか方法がなくなっている。しかし、今は誰もが大切にされている感や受益感がないため、税を高めてみんなを助けるより、同じ立場やより弱い立場の人を攻撃する、排除する方向に進んでいると、強調されました。

また、身近な市議会や県議会や国会で税金の使い方をチェックすること。そしてインターネットを使いこなすことにより輿論を作り、政治を動かそう。 若い世代はもちろん、年配の方々ももっとネットの言論空間でまっとうな意見を発信するようになれば、さらに問題点が可視化されていくので、ネットスキルを上げることを推されました。

これを受けて、藤田氏を含め山川ゆり子埼玉県議(民進党)、平野厚子草加市議(共産党)、松田典子越谷市議(無所属)、尾澤あきつ越谷市民ネット代表によるパネルデスカッションが行われました。コーディネーターは白川秀嗣越谷市議(自治みらい代表)。  議論の柱は、現代の貧困問題は、@貧困自体が見えにくい A自己責任論が横行している B社会保障の財源をどうするのか、となりました。

平野市議や松田市議からは、それぞれの自治体における生活保護世帯や母子家庭等の数字による推移が報告されました。 また尾澤さんからは、子育て中の母親の支援を地域で取り組んでいるが、母親自身が幼い時から均質性を強制されており、他者との違いや弱みを見せることを極端に嫌う傾向がある。そのためまず徹底して普段のくらし向きのことを丁寧に聞くことが大切、と話された。

さらに、社会保障の財源の確保では、平野市議から整備新幹線での税金の支出は、なにひとつ問題にはならず、社会保障の話になった途端に財源を削減する話になってしまう。消費税の増税には反対だ、との発言がありました。

会場の参加者からは、累進課税による税収のアップが今必要ではないか、また子ども食堂を地域で取り組む場合に、何に注力しなければならないか等、質問や意見が出されました。

これに対し、藤田氏から消費税だけを問題にせずに、社会保障全体の制度設計の見直しや、あらゆる立場(自民党や経団連等を含め)の市民がフラットに話し合う機会をどう作るのか、が必要と主張されました。

コーディネーターの白川市議から、新たな格差や貧困の問題は、同時に人間の尊厳や基本的人権の問題と直結しており、その解決には立憲民主主義のツールをどう使いこなすのかが問われていると、集約されました。

 最後に山田智之事務局長から、今後の行動提起がなされ、来年1月14日(土)午後1時から、越谷駅前広場での超党派の市議会議員や様々な市民とともに、アベミクスを考える市民の広場を開催すること等の呼びかけがありました。

この日は藤田氏の新著「続・下流老人」の発売日でもあり、本の紹介とともに販売が行われ用意した40冊は、即日完売するほど関心が高まりました。  集会終了後、藤田氏を含め主催者の市民や市議で、懇親会が開催され20人を超える参加者のため急きょ席を増やすほど、議論が持ち越されました。パフォーマンスをした文教大学生も参加して、一人一人感想を出し合いながら遅くまで交流会が続きました。

日本の政治―これでいいの? @越谷

1月14日(土)の午後、越谷駅前広場では、「日本の政治―これでいいの?アベ政権へオール越谷が新年のごあいさつ」のイベントが開催されました。 主催は戦争法廃止オール越谷市民アクション(代表 石河秀夫弁護士)で、本年最初の取組みとなりました。

この日は、今季一番の大寒波と強風が吹きまくり、時折小雪がちらつく中で開催されました。 準備のために午前中集まったスタッフは、横断幕やのぼりの設置にも苦労しながらも、何とか工夫して作業を進めた結果、開始の午後12時30分前には完了しました。最後まで寒さが緩むことはなく、参加した市民は身を震わせていたものの終始楽しく、連帯感のあふれたイベントになりました。

集会では、まず、沖縄の歌姫こと川口真由美さんが京都から、ボランティアで参加し、ギターの生演奏と歌声で、沖縄の基地反対運動の中で合唱される歌を次々と披露し、参加した市民や通りすがりの市民を魅了しました。

次に衆議院選挙区の埼玉3区の予定候補の民進党の山川百合子埼玉県会議員と共産党の平野厚子草加市議のあいさつの後、民進党と共産党の越谷市選出の県会議員が続きました。

さらに民進党、自治みらい、共産党の越谷市議会議員7名が次々に短いスピーチの中、越谷市議会の昨年12月議会での議場への国旗掲揚を巡る非立憲民主主義の現状が報告されました。 この後、パフォーマンスとして、10数人の女性によるオカリナ演奏、ギターや三線のライブ演奏と歌声、地元文教大学生による大道芸など、途切れることなく発表されました。

また、市民からのスピーチも行われ、安保法制違憲訴訟運動へのお誘い、沖縄のオスプレー配置反対の訴え、高齢者の健康と平和を守ろう等、連続した呼びかけとなりました。

会場の周辺では、アベノミクスの評価や政治社会問題で関心があるテーマに対して、市民からのシール投票も行われました。 このシール投票には、チーム白川から2人が担当し3時間程行動しました。 通行中の市民約100人程がシールを貼り、その理由を会話しました。

 特徴的だったのは 高校生に積極的に声を掛ける中、「ブラックバイト」「奨学金」の欄にシールが集まると想定していたものの、実際は「防災・被災者支援」「原発」「南スーダン」等の社会的出来事への関心が高いものでした。 高齢者の市民は「特養・介護」の自分ごとの不安項目にシールが集中したのとは対照的でした。

集会終了後は、実行委員会を中心に、近くの居酒屋で冷え切った身体に暖を取りながら、歓談が行われました。

次回の企画は、民進党の小川淳也代議士の講演を中心に4月1日(土)午後、越谷市中央市民会館劇場で、立憲民主主義で語るくらしと政治パート4「野党の役割と選挙共闘」(仮題)を開催します。

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