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「がんばろう、日本!」国民協議会
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▼Index 
□「パワーシフト」と「パラダイムシフト」が同時進行する国際政治の大変動
「変化に対応するための“新たな担い手”」を

● 「変化に対応するための“担い手の変更”」の可能性を見出だす年に
〜さらば、ゆでガエル

●変化に対応し、生き続けるための分岐点、その指標

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「パワーシフト」と「パラダイムシフト」が同時進行する国際政治の大変動
「変化に対応するための“新たな担い手”」を
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● 「変化に対応するための“担い手の変更”」の可能性を見出だす年に
〜さらば、ゆでガエル

  二〇一一年の干支は「辛卯」(かのと・う)。「辛」は草木が枯れて新たな世代が生まれようとする状態を、「卯」は草木が地面をおおう状態を表しているという。「世界第二の経済大国」幻想の最後の一片が吹き飛んだ後に、「日本が本当はどうなっており、どうなりうるのか」を直視するなかから、「変化に対応するための“担い手の変更”」の可能性を見出だす―そういう年にしたいものだ。
ただし「卯」には、「紛糾し」「動きがとれなくなる」という意味もあるとのこと。船底に穴が開いて船が沈みつつあるときに、永田町では相変わらず甲板の上で椅子とりゲームに明け暮れる(問責決議や国会招致)ようでは、二〇一二年を展望することさえ難しくなる。
「変化に対応し、生き続けよう」とする多様な社会的主体性は、永田町の現状にお構いなく、“新たな担い手”を生み出しつつある。独立変数としての主権者運動は、この基盤の上で既存政党を賢明に批判し、民主的に統制・再編していくすべを深化させよう。

一年後、二〇一二年は間違いなく東アジアにとって、大きな節目の年となる。アメリカ、ロシア、韓国では大統領選が、台湾では総統選が行われ、中国では胡錦濤体制に替わって習近平体制の誕生が予定されている。東アジアの国際関係に関わる国々の、いわば「リーダー総入れ替え」ともいうべき年となろう。
東アジアは、「パワーシフト」と「パラダイムシフト」が同時進行する国際政治の大変動の焦点である。各国におけるリーダー選抜の行方は、この地域における新たな多極的秩序形成を大きく左右するとともに、G20時代における各国の位置取りをかけたものとなる。こうした変化が、わが国の今後の命運を大きく左右することは言うまでもない。(本号・村田晃嗣教授「講演」 李鍾元教授「インタビュー」/三七八号・中西寛教授「インタビュー」 同・大野元裕参院議員「講演」などを参照)

例えていえば、G7時代の国際関係は着席形式であるのに比して、G20時代のそれは立食形式である。着席なら案内された席につき、決められた順番で発言していればいいが、立食では全体の諸関係を見ながら立ち位置を決め、自力でポジション取りをしなければ「壁の花」(あるいは「忘れられた存在」)に終わる。「パワーシフト」と「パラダイムシフト」が同時進行する東アジアでは、各国が次々とダンスの相手を替えながら、なおかつバイのみならず、さまざまなマルチの組み合わせでもダンスを踊る、そういう新しいゲームが始まっている。

二〇一二年の節目にむけたわが国の課題は、これらの国々とは様相が異なる。象徴的な例をあげよう。二〇一二年、団塊世代の第一陣が六十五歳となる。その意味するところは何か。彼らが生産年齢人口(15−64歳)から老年人口へ、社会保障の負担世代から給付世代へと、大量に移行することを意味する。これを「少子高齢化」と言っていたら、事態は見えない。「生産年齢人口の急激な減少」こそ、本質である。

九〇年代後半から始まった生産年齢人口の減少は、これから急速に右肩下がりを描いて進む。生産年齢人口の減少―納税義務者の減少と社会保障給付の増大がセットで、加速度的に進むことになる。(地方財政においても同じ構造。とくに首都圏で急速に進む。)
国民年金の国庫負担二分の一の恒久財源が決まらないまま、「埋蔵金頼み」で手当て。毎年一兆円の社会保障費自然増を、他の費目でやりくりして埋め合わせ。ここ数年の(政権交代前から続いてきた)こうした財政構造がいよいよ持続不可能であることを、国民自身が直視せざるをえない。あるいは団塊世代の受け取る年金が、その子世代の収入よりはるかに多い、という矛盾に当事者が生活の中で直面することになる。

まさに「失われた二十年」の間、ずっと先送りしてきた構造問題を、「十年後」の課題としてではなく、「今日明日をどうするか」として考えざるをえない局面だ。このなかで「子や孫に移転・再配分されるなら、負担増(増税や給付切り下げ)も受け入れる」という輿論を作れるか。先送りの根っこには「ゆでガエル」がどっしりと座り込んできたが、そのゆでガエルのなかにも(親―子―孫)三世代のなかでの再分配を社会的にルール化せざるをえない、という機運が生まれてくるか。そしてその機運で、永田町を追い込むことができるか。

あわせてこの問題は、持続可能な国債管理体制とも連動することになる。何一つ決定にも恩恵にも与っていない赤ん坊が、生まれた瞬間、七百万円の借金を背負わされる。こんな社会が「公平」であるはずはないし、持続可能であるはずもない。それを続けてきたのは、「構造的課題を先送りしても、明日はまだ大丈夫」というゆでガエル、食い逃げ世代である。社会自身のこうしたパラダイムチェンジをクリアすることを伴わずして、「政治」に何かを期待するのは、それこそ無責任な「お任せ」民主主義にほかならない。政権交代の最大の功績は、それを明らかにしたことだろう。

民主党政権のドタバタぶりは、確かに目を覆うばかりである。しかしそれでは、自民党政権ならうまく行ったのか。そうではない。
「世界第二の経済大国」幻想がいよいよ持たなくなり、粉飾決算がどうにも行き詰ったからこその政権交代だ。「こんなはずではなかった」「何かの間違いだ」「○○が悪い、××のせいだ」というのは、まさにゆでガエル根性にほかならない。ドタバタそのものがオープンになることによって、「日本が本当はどうなっており、どうなりうるのか」という学習効果が生まれている。それを集積した有権者とバッジ組(地方・国政)との、新たな会話を創り出すことこそ、急務である。

●変化に対応し、生き続けるための分岐点、その指標

政権交代によって、民主党政権に期待されたのは、右肩上がりの時代の分配政治を終わりにし、「コンクリートから人へ」に象徴されるような新たな資源配分へと転換することであった。(「コンクリートから人へ」は、バラマキ先の変更というレベルではなく、分配政策のイノベーションをも含意していたはず/本号ならびに三七一号・諸富教授「講演」参照。)
民主党政権がその期待に十分応えているとは言いがたいし、「コンクリートから人へ」に含まれていたはずの政策思想の軸は、バラマキ先の変更(「よいバラマキ」「悪いバラマキ」)というレベルでも、雲散霧消してしまったかに見える。

しかし個別具体的なところでは、「変化に対応し、生き続ける」ための転換は確実に始まっている。これを後戻りさせず、着実に前へ進めていくことを抜きにして、大きな変化が見られないと批判するのは、まさにゆでガエルの大言壮語にほかならない。賢明な主権者は、以下のような変化を見逃さず、それを着実に前に進めていくことに尽力すべきだろう。

@ 官僚・族議員複合体の解体は、間違いなく進んでいる。政治主導がかならずしもうまく行っているわけではないが、それでもドタバタも含めてオープンにされることによって、利益誘導的な動きは即座に「族議員化」といわれるくらい、官僚・族議員複合体の解体は進んでいる。あと一、二回、民主党政権の下でのこうした予算編成が行われれば、次に自民党政権になっても、官僚・族議員の複合体は復活しないだろう。問題は、それに替わる政治主導のシステムの確立と運営である。

A「コンクリートから人へ」に象徴される資源配分の構造的転換は、徐々にではあるが始まっている。二年連続して公共事業費は削減され、23年度予算案においてははじめて、文教費が公共事業費を上回った。○○番目のダム、○○番目の地方空港、○○番目の高速道路…といったものが新たに造られない、という変化を後戻りさせてはならない。問題は「よいバラマキ」か「悪いバラマキ」か、というレベルから、分配政策のイノベーション(本号・諸富徹教授「講演」参照)へといかに進むか、である。

B自治分権は、ようやく一歩を踏みだそうとしている。23年度予算案では、当初二八億円しか出てこなかった一括交付金を、五千億円余りにまで増やした。あわせて、自民党政権では手がつけられなかった国の出先機関の廃止―地方への移譲について、アクションプランがまとめられ、橋下大阪府知事は「革命的」と評価している。この変化を後戻りさせることなく、着実に自治分権の深化へと結び付けていくことが、統一地方選の課題でもある。

C「変化に対応する」ための税制改革への一歩は始まった。23年度税制大綱では、金額は不十分でも変化に対応するための芽は生まれている。
グローバル化が進むなかでは、「累進所得税のフラット化というのは、世界的な流れです。ただし累進税率をフラット化するだけでは、所得再分配機能が失われる。同時に財源調達機能が失われます。
それをどうするかというと、ひとつは課税ベースを拡大するということです。これまでさまざまな控除という形で課税ベースが縮小していた。こうした控除を廃止することで、課税ベースを広げて、より多くの方にきちんと負担していただく。
そして(再配分機能については)控除から手当てへと。控除というのは、税金を払っている人だけに恩恵がありますし、往々にして高所得者ほど得になる仕組みでもあった。ですから控除の廃止というのは、財源を手当することと、フラット化された下で再び税の再分配機能を強化するという、二重の意味につながるわけです」(諸富教授)という流れは世界的なものだ。税制大綱は、自民党政権下ではできなかった、こうした転換へと舵を切ったものである。その意味するところを共有するためには、「政策思想の軸」が必要なだけである。

さらに市民公益税制の促進や、環境税の導入そして納税者権利章典など、時代の変化に対応するために必要とされながら、これまで手がつけられなかった課題に一歩踏み込んでいる。(量的には不十分だとしても)こうした変化を後戻りさせてはならない。

 ほかにも「変化」はあるだろう。それらに「政策思想の軸」から光をあて、方向性を共有し、さらに深化させていく。そのための多様なコミュニケーションを創造していくことが、主権者運動の役割だろう。そして「変化に対応し、生き続ける」ための社会的主体性を、いたるところに育んでいこう。その力で統一地方選を盛り上げ、問責やら喚問やらに明け暮れる永田町を包囲しよう。(自分の政治資金について、ちゃんと説明しない政治家を淘汰するかどうかを判断するのは国民だ。国会がやるべきことは、他にあるはずだ。)

税法をはじめとする予算関連法案は、野党の賛成がなければ成立しない。それを放り出して政争に明け暮れていたら、まさに政治は機能停止―崩壊する。〇七年からの「ねじれ」国会では、野党・民主党は「暫定税率」に絞って、しかも論点を国会であぶりだして廃止に追い込んだ(衆院の三分の二で再議決するまでの間)。通常国会では、政権運営の経験ある野党・自民党は、それ以上の知恵で対応すべきである。与党・民主党も衆院の三分の二がない以上(数合わせでも無理!)、政策思想の軸から国民、野党に粘り強く説明し、討議を通じて同意を得、修正にも応じるという対応をすべきである。

「変化に対応し、生き続ける」ために残された時間は、もはや多くはない。くだらない政争で、われわれの未来を失うわけにはいかない。「変化に対応するための“新たな担い手”」を!

(「日本再生」380号 2011/1/1より)

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石津美知子
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