民主統一 223号 1997/11/1発行

政治を変える、日本が変わる/新時代のわが国のありようを正面から論じる12・7集会へ

新しい革袋を縫い上げる戦いの“始まりの始まり”/新時代の国益をめぐる 合意形成は、それにふさわしい旧来とは異なる新たな方法論によって創りあげられなけれ ばならない

 宮城県知事選挙に象徴される政治・政党と主権者の新たな関係、あるいはタイ・バーツの暴落から最近の世界同時株価乱高下など、旧来の「対処」論では対応できない内外の新たな戦略的事態が始動している。東アジアをめぐっては、日米中そしてロの間で連続的に首脳会談が開かれるなど、これまでにない活発な相互関係が動きはじめている。
 新時代の枠組みは未だ確立されてはいないが、その基本的な様相は次第に明らかになりはじめている。旧来の枠組み・構造の崩壊をどうとらえるのか、それにどう対処するのか、あるいはそれとの距離がどれだけあるのか繙繧アうしたことを行動の準則やエネルギーにしていては、もはや新たな事態には対処できない。
 まさに新しい酒は新しい革袋に盛らなければならない。冷戦崩壊後、そして五十五年体制液状化後のここ数年の諸結果が、新しい酒を旧い革袋に集積することから生じる「閉塞感」、そこからの「遠心力」へと帰結するのか、それとも新しい行動のエネルギーへの「下準備」の集積として、新たな革袋を縫い上げる戦いへと転化するのか。すべての政党、政治主体にとっての総括ー転換の秋(とき)である。

「脱政党」の政治的エネルギーを変革の政治セクターのエネルギーへと転化ー脱皮させる戦いとは何か
 宮城県知事選の結果は、「脱政党」と表現される主権者の政治的エネルギーを、どのようにして新たな政治セクターのエネルギーへと転化ー脱皮するのか、そのための戦いとは何かを示している。
 しかり、「現状変革の政治には興味もあるし、それに期待する以外にはないが、現状の既存の政党には絶望している」(2・6集会基調)という主権者の政治的エネルギーを、変革のための新たな政治セクターへと集積、組織することのできる政党構造とはいかなるものなのかが、次第に明らかになり始めているということである。
 浅野知事の勝因は、なによりも政治決断と行動が一致していたということであろう。既得権構造をはぎとる情報公開を推進しえたのは、既得権構造の支持を失ってもそれに代わる新たな支持基盤との結びつきを確信・決断し、その通りに行動したからである。有権者を巻き込む選挙戦の戦術にも、それが反映された。同じようなことは、やはり「環境自治体の創造」に徹して既存の政党構造の支持に代わる新たな支持基盤を獲得し、「相乗り候補」を破って再選を果たした鎌倉市の竹内市長にも言える。
 既得権益構造に立脚したままでは「火だるまになっても」という行革の決意は、「火消し」に変わってしまう。変革の政治決断は、それにふさわしい方法、立脚基盤によってこそ実行されうる。旧来の「調整」「落としどころ」では、変革の合意形成はできない。そのような新しい政治・政党の行動準則が見えはじめているのである。
 われわれは政党の液状化という「地獄」を通って、ようやく変革の政治決断にふさわしい新たな合意形成のための基礎的条件を手にしようとしている。この時期が「閉塞感」「遠心力」へと帰結してしまうのは、結局のところ、変革の政治決断に照応した新たな合意形成のための条件(支持基盤)を集積できず、既存構造の「調整」「落としどころ」という方法にとどまったからであり、その結果「言っていることとやっていることが違う」ということになってしまったからである。温暖化防止のための京都会議でも、このことが端的に現れている。それにふさわしい合意形成の手法と力を獲得する戦いなしには、「環境」で国際社会に貢献するという宣言は「空文句」と化していく。
 まさにこのような「地獄」と戦ってきた者にとっては、ようやく「脱政党」という主権者のエネルギーを変革のための政治セクターのエネルギーに転化する戦いの実践綱領が見えはじめてきたという情勢なのである。

政治・安全保障の再編と経済・金融の再編が連動し始めた/新たな世界地図を手にするための挑戦の加速化/地域戦略をめぐる新しい事態の進展
 タイ・バーツの危機から始まった世界の金融・経済の激動は、これまでとは大きく異なる世界がわれわれの眼前に展開しはじめていることをまざまざと示している。
 アジアが、貿易のみならず金融でも世界市場に主体的にコミットするための「成長の病」をいかにクリアーするのか。この戦いによって、IMFに代表される先進国クラブ主導の戦後世界経済システムが、大きく転換されようとしている。中国のWTO加盟やアジアの通貨安定システムの確立という課題はこうしたことを意味しており、さらに確実に「ドル支配」を相対化することになる。それは同時に、ある意味では政治・安保関係以上に「西側一員論」の下でがんじからめになっている日本の経済・金融の歪みを、否応なく直視せざるをえないことにもなるだろう。
 アジアの通貨危機から発した最近の世界同時株価乱高下は、アジア・ファクターを組み込むことによって、マネー・ゲームの様相が大きく一変したことを示した。アメリカ経済がもはや抜き差しならないほど、中国を含むアジア経済と相互依存関係にあること。同時にアジア、とくに中国は「ドルの一元支配」の下に組み込まれるという道を通らずに、世界市場・世界経済に参入しようとしていること。一方でヨーロッパの通貨統合は、紆余曲折を経つつも世界市場における新たな主体的一角を形成することを目指している。次の戦略的な発信ができるところ、その可能性のあるところとの関係でカネが動き、集積されようとしており、単一の世界市場の形成と世界経済の多極化とが同時に進行している。
 第二次世界大戦の総括から生み出された戦後世界経済システムを、いかにして歴史的に転換ー脱皮させるのか、そこにむけて現状の国家や経済をどう変えていくのかの戦いの義務を負わずして、新たなマネー・ゲームの主体的なアクターにはなれない。そのことを端的に象徴しているのが、「ドルの一元支配」の下に組み込まれるという道を通らずに、世界市場・世界経済に参入しようとしている中国の存在であり、「持続可能性」という近代にはなかった価値観を組み込んだ発展の道に挑戦する以外にはないアジア経済の将来である(アジア経済が直面している「踊り場」の重要な一要素であり、またWTOがクリアしなければならない課題でもある)。これらをいかに総合し、再編するのか。この戦いをめぐって経済の動きが展開しはじめている。
 政治・安全保障の領域での新たな動きも、これに連動し加速化するだろう。すでに日米中ロの間では、首脳会談をはじめとする旧来になかった活発な相互関係が動きはじめている。問題はわが国にとって、こうした新たな外交分野での展開と、経済・金融や国内改革の展開とが個々バラバラで、総合できていないこと。つまり戦略がないことが、政治はもとより経済の分野でも主体的な発信がないということにますます帰結している。
 政治・安保の領域と経済・金融の動き、そしてそれに照応した国内改革の展開は、今後各国においていっそう連動・加速化していくだろう。冷戦ー国民国家原理万能の時代には政治と経済、国家と社会は相対的に別個のものであり、転換の際にはえてして旧い国家や政治は桎梏に転化した。いま動いているのは政治・経済・社会の相互連鎖的な包括的構造的重層的な再編の組織戦である。ここでは旧来の基準では「理論的には」対立・矛盾するものが同居・併存する。安全保障の領域ではパワーバランスの論理と多国間協調体制が併存・補完関係となり、経済の領域では単一の世界市場の形成と多極化とが同時に進行し、各国社会ではグローバル社会を前提にした市民社会・責任意識と郷土愛とが同居し、国境を越えて共進するというように。
 総合的な国創りの戦略ビジョンは、このような意味において国家と社会の分裂を終わりにし、国家を相対化するー社会化された国家をつくりだすための政治戦略、経済戦略、社会再編戦略の統合体でなければならない。そのことをわれわれは、「地球益・国益・郷土愛を結びつける」と表現しているのである。地球益と国益を結びつける戦略を推進できるのは、開かれた郷土愛であり、グローバルな時代の共同体への責任意識である。新たな国創りビジョンは、かような意味で地球益・国益・郷土愛を結びつける総合性の知であり、それにふさわしい責任と参加のエネルギーである。

新時代のわが国のありようを正面から論じよう

 冷戦崩壊後、そして五十五年体制液状化のここ数年を、新時代にむけた下準備から実践的開花へと集積してきたものにとっては、この秋以降の内外の情勢の展開はまさに、新時代のわが国のありようを正面から論じ、合意形成に入っていくための諸条件の成熟にほかならない。
 新時代の国益は、もはや排他的な一国主義的なものとしては成り立ちえない。ますますグローバル化していく今日の世界では、地球益・地域の共通の利益と結びつけてはじめて、国益は実現される。まさに地球益と国益をむすびつける戦略が要求されるのである。こうした変革の戦略を、それにふさわしい変革のエネルギーを呼び起こし、それと結びついて組織するためには、「閉塞感」「遠心力」へと帰結することになるできあいの方法と、継続して戦うことによってはじめて可能となる。
 2・6「二十一世紀の政治を語る夕べ」、7・13「二十一世紀の東アジアと日本」、9・14−15戦略セミナーという今年一年のわれわれの活動は、「閉塞感」や「遠心力」に帰結するできあいの方法との同居状態の中で、これらと戦いながら、新時代にむけた下準備を実践的に開花させるための一歩一歩の集積であった。
 旧い枠組み、旧い基盤から、新しい枠組み・基盤へと移行ー脱皮するための「過渡期」の戦いは、「純理論的」には矛盾するものの同居状態の中で、できあいの基礎に腰までつかりながら一歩一歩新しいものを集積していく持続的な革命である。旧来の基準から見れば「水と油」の同居を「あってはならないこと」とする「理性」では、現実を変革する力にはなりえない。
 したがってわれわれの言う合意形成とは、「調整」や「落としどころ」とは無縁である。新時代に生きる主体者としての責任性や自覚の共有の上にたって、多様な参加形態をつくりだしていくという方法で、新たな国創りビジョンを策定し、もってこの一年の活動を集大成し、新たな段階へ向かう繙これが12・7シンポジウムの性格である。
 そのためにパート1では、新時代の変革への多様な参加形態をどう創り上げていくのかを「地域」を切り口に論じ、パート2では「北東アジア」に焦点をあてながら、わが国の今後の選択のありようについて論じていく。
 国家戦略までを主体的に考える主権者の競り上がりが、今できあがっているかと言えば、できているとは言えないだろう。しかしそこへ向かうエネルギーは、確実に始まっている。主権者の自覚を根底的に問うまでの力を持った総合戦略が完成しているかと言えば、これも未完である。しかしその歩みを開始する準備は整っている。液状化の中で戦ってきたものにとっては、これこそが現実なのである。だからこそ、国家戦略をめぐる合意形成繙地球益・国益・郷土愛を結びつける総合戦略の知と、時代に生きる主体者としての意欲と責任性を共有する共進性のエネルギーを結びつける試みに、本格的に着手すべき情勢の到来なのである。
 12・7集会はかような意味で、いわゆる「内政」の課題と「外交」の課題とを、新時代のわが国のありようを総合的にとらえる戦略性と、国のありようを主体的に考え、行動する開かれた主権者運動として結びつけるはじめての試みである。ここから生まれる変革のエネルギーの相互連鎖的発展として、フォーラム・地球政治21をつくりあげよう!