民主統一 224号 1997/12/1発行

新たな国創りにむけた合意形成をおしすすめる抜本的改革のための政治潮流を!/12・7シンポジウムへ

迷走する改革論議と、第二幕にむけた総括ー転換の秋(とき)/橋本行革をめぐって開始される、抜本的改革への選別・淘汰と再編

 立て続けに起こる金融機関の経営破綻は、「改革」の迷走と無為無策に対する市場の側からの厳しい選別と淘汰である。今や政治・経済・社会の構造的な改革は、「成長のアジア」に共通する性質のものとなっており、改革に立ち遅れたり、改革を先延ばしにしたり骨抜きにしたりするところは、市場の容赦ない淘汰にさらされるという改革競争の時代にはいった。
 橋本政権は、構造的な改革への糸口をつけることを自らの歴史的な使命として登場し、その一歩として行政改革ー省庁再編に取り組んできた。その評価をめぐって今、抜本的な改革、ホンモノの改革にむけた選別・淘汰と再編の第二幕が開こうとしている。単なる延命策としての「改革」ゆえの中途半端さなのか、抜本的な改革のための組織をつくろうとしたがゆえの混迷なのか。すべての政治主体にとっての総括ー転換の秋(とき)である。さまざまな政界再編の思惑とうごめきも、その一現象にほかならない。
 橋本政権がかかげる六大改革は、改革の抜本的方向繙国家の性格をどう変えるのか、社会の性格をどう変えるのか繙が示されないまま結局、実践段階では既得権層との妥協ー利害調整という従来通りの方法によって、中途半端で表面的な制度いじりに終わろうとしている。こうした改革の迷走に、市場が決断を下した。
 ここから、抜本的な改革にむけた総括論議が開始される。抜本的改革を実行するためのエネルギーをうみだし、そのための合意形成をおしすすめることのできる政治構造とはどういうものなのか、そのための権力構造(政権構想)はどういうものなのか。改革の迷走を解く鍵は、ここにある。
 抜本的改革のための組織はできあいの権力構造内部での利害調整や、既得権層との妥協によっては絶対につくれない。それは改革の骨抜きであり、「言っていることとやっていることが違う」という不信に行き着く。現状の「迷走」の中には、改革のための新たな組織をつくることができないという意味での混迷と、できあいの権力構造ー既得権層との妥協や利害調整という「改革」派(延命策や補完策という範疇での「改革」)の「現状維持」の組織力とが混在している。これが、抜本的改革のための組織ー新たな政治潮流を創りだすことに本格的に着手する以外には、いかなる求心力も生まれないという「閉塞」状況の意味である。
 ホンモノの改革派をどう創りだしていくのか。その戦いに参与できるのはどういう主体か。それに協力できる主体と協力できない主体をどう見分けるのか。その阻害要因となるのはどういう能力なのか。延命策や補完策という範疇の「改革」派との境界をあいまいにするための「自由」「民主主義」観と、その画分を明確にするための「自由」「民主主義」観はどう違うのか。
 既存の権力組織の枠内での能力と、抜本的改革の組織をつくるまでの力がないゆえの混迷とを、どのように峻別するのか。既得権層の一部を敵に回すような改革のビジョンはつくれても、改革のための支持基盤ー合意形成をはかれない弱さはどこから生まれるのか。それを突破する決断と、そのための行動綱領はどう準備されているのか。その弱さを既存の組織の力を借りて補完しようとすればどうなるのか、等々。
 ここ数年の改革をめぐる論議と政治再編の総括のなかから、こうした抜本的改革の組織づくりー新たな国創りに向けた合意形成を本格的におしすすめることのできる政治潮流をうみだすための実践綱領を導き出していくこと。そのためにこそ、現在の情勢繙市場の力によってできあいの政治能力が淘汰される情勢、「政治に関心はあるが現状の政党には絶望している」という「脱政党」のエネルギーによってできあいの政治能力が選別される情勢を最大限に使うことなのである。

踊り場から改革大競争へ/アジアの新時代に役割をはたすために

 日本の改革の遅れが、アジア太平洋地域の安定にとって一級の課題になっていることが、APECでも明らかにされた。ロシアの加盟によって、APECはアジア太平洋の大国(日米中ロ)が定期的に顔を会わせる場となり、経済の自然成長にみあったゆるやかな統合体から、政治・安全保障領域での協議と、目的意識的な改革の協調へとその性質を変化させようとしている。こうした改革大競争の時代に対応できる国内改革なしには、アジア太平洋に展開されつつある新たな多国間関係の中に占める日本の位置も役割も、見いだすことはできない。
 なぜなら「西側一員論」というのは、単に政治・安全保障に限定されたことではなく、経済戦略、金融戦略、エネルギー戦略、食料戦略をはじめとする戦後のわが国経済社会の全側面を規定してきた基本構造であり、こうした構造そのものの改革に手をつけることなしには、新しい多国間関係のゲームには参加できないからである。より鮮明に言えば、こうした新しい多国間関係の成熟とリンクした改革ができなければ、台頭しつつあるアジア太平洋の多国間関係はパワーゲームの様相を強め、その中でわが国は米中の大国間ゲームの「カード」になるだけである。この秋、旧来にない活発な動きを展開しはじめた日米中ロの関係は、ここの駆け引きでもある。
 わが国の改革は、戦後世界システムそのものの歴史的な再編と完全にリンクせざるを得ない。なぜならわが国のシステムは、わが国一国の事情からつくられたものではなく、戦後世界体制の形成ー発展と密接に関連したものだからである(1940年代のシテスムを引きずったにしろ、その選択そのものが戦後の国際関係に規定されたものだったという意味でも)。その上日本はこのシステムの「最大の受益者」として、敗戦国からナンバー2にまで登りつめた、いわば核心的部分なのである。したがってわが国は、改革大競争時代にあっては、これに抵抗する冷戦構造の最大の既得権層を抱え込んだ“弱い環”であると同時に、戦後体制の歴史的再編ー価値観の転換をはかる上での“決定的環”となりうる位置にある。
 アジアの通貨危機ひとつをとっても、ドルの一元支配下での「先進国クラブ」としての戦後国際通貨・金融システムそのものが、歴史的な意味で相対化されようとしていることの始まりであり、同時に(アメリカの管理を相対化した)アジア独自の通貨基金構想が、アジアの構造改革の推進とリンクせずにそれを先延ばしにする契機となれば、アジアの成長は一転して破綻連鎖になりかねない、そういう局面である。こういう文脈のなかで、わが国の改革を位置づける戦略を描けなければ、アジア通貨基金の提唱も、足元の金融不安・市場からの不信によって崩れていくことになる。
 APECでは日本に対して、アジアの安定的成長のための“防波堤”の役割を果たせるのかどうかが厳しく問われたのである。クリントン大統領は首脳会談で橋本総理に対して「アジア市場の混乱が鎮静化せず、日本が内需の拡大に失敗するようだと、米国は90年代初めと似た局面になる恐れがある」と警告した。日本やアジアの景気停滞がアメリカの成長を阻み、対米貿易赤字を拡大して貿易摩擦が激化するということだ。その米国は、韓国支援にも直接資金を投入する意思はなく、口先介入でアジア経済の防波堤役としての日本の経済改革を求め、一方では対ロ政策の一環であるロシアのAPEC参加を実現し、いわば一銭も払わずに外交成果をあげたことになる。日本が負わされたのは、アジア経済の下支え役と国内構造改革の実行という役目である。
 はっきりしていることは、これを果たしきるところからしか、今後のわが国のこの地域における役割、位置は獲得できないということである。そしてこの中からこそ、新しいアジア太平洋の多国間関係を、政治、経済、社会の構造的重層的関係として、どうつくっていけるのかという挑戦が可能になる。これはまた、グローバル化に対応できる多極分散型の国家への本格的な踏み込みへの好機でもある。日米機軸という基本戦略を維持しながら、その運用をアジア新時代にむけて変えていくための実践的な舞台は、ここにも準備されようとしている。

新たな国創りにむけた合意形成をおしすすめる政治潮流を準備するために

 改革とは権力構造の再編である。既得権構造のどこを切り、何を獲得するために(国家ー社会の性格をどこからどこへ変えるのか)、新たにどういう基盤に立脚するのかということを提示することによって、改革をめぐる国民的論議ー参加の回路がうみだされてゆく。ヨーロッパでの政権交代を伴う国民的論議は、このことにほかならない。それが提起されないままでは、改革論議への国民の参加回路は、リスクを負わずに現状の枠内での地位獲得をめざす、というだけのものになり、そこからは何の変革のエネルギーも生まれないことになる。
 まさに改革の目的、性質、対象の違いに照応して、その組織方法も主体的基盤も異なってくる。 この一年、われわれはフォーラム・地球政治21をどのように準備してきたのか。
 2月6日「21世紀の政治を語る夕べ」では、「変革政治のエネルギーをどのように創りだすのか」として、政治家に天下・国家・時代を語ることを要求し、そういう政治家を育てることのできる主権者運動を提唱した。変革すべき対象と癒着したり、それとの妥協や調整で地位をつくるという方法では、あったはずの変革のエネルギーも消えてなくなる繙これが政界再編第一幕=液状化の総括にほかならない。改革を語るものはその目的どおりの方法で、つまり「言うこととやることを一致させる」ということでしか、組織をつくることはできないということであり、それが冷戦時代から今日までを準備しえた戸田代表の戦略的活動の意味である。その意味は今日、改革のための組織はどうつくるのかという一点から、第二幕への総括論議を切っておとすことにつながっている。
 そして7月13日「21世紀の東アジアと日本」では、人類史的な意味での世界再編とその中におけるアジアの飛躍、そこから問われるわが国のこれからのありよう=国益の新たな定義を論じて、日米機軸という基本戦略を東アジアの多国間関係を創ることとリンクさせるという「運用論」の転換を提起した。この秋の日米中ロの多国間関係の展開の中で、この方向は急速に深められていると言えるだろう。あるいはアジアの通貨危機によって、政治・安保領域のみならず経済・社会領域でまで、この具体化が求められるような展開に入っている。
 さらに9月14−15日の「戦略セミナー」では、内政・外交の課題を新たな国益とその合意形成をはかるという観点から戦略的に扱うことを試みた。その中ではっきりしてきたことは、歴史的な地球的な抜本的改革だからこそ、足元の社会そのものを根底的に問わねばならないということであり、地球益と国益をむすびつけることのできる主体は、同時に郷土愛ー地域社会に対する責任性を外してはないということである。同時に、戦略的活動や変革のエネルギーは時代に生きる主体者としての「共鳴」「共進」によってこそ伝播することも確かめられた。新たな合意形成のための組織は、ここから始まるのである。
 12月7日のシンポジウムはこれらの集大成として、新たな国創りにむけた合意形成のための本格的な政治組織結集にむけた一歩を踏み出すものである。抜本的な改革のための組織づくりに入れるのかどうか、第二幕はその勝負である。主権者自身の主体的な力ー主権在民の「底上げ」と、社会そのものの責任と自覚の高まりによって、これに挑戦しよう!
12・7シンポジウムへ!