民主統一 237号 1999/1/1発行

'99がんばろう!日本 !!
日本が日本であり続けるために、抜本的改革の一歩を、今年こそ

「日本は日本でしかない」という独立自尊の覚悟と肚をすえよ

 二十一世紀を目前にしてわれわれは、「日本は日本であり続けることができるのか」という、厳しい問いに直面している。平成日本の挫折は、歴史観や哲学を欠いた改革論の失敗でもあった。「自らの本来のものではないもの」を、歴史的な総括も文明的な見きわめもなしに、性急に無限定に「無邪気に」取り込もうとした結果、自己を見失った戦後日本が新しい世紀に生きてゆくための改革は、「日本が日本であるゆえん」を回復し、新しい世紀に守り抜くためのものでなければならない。だからこそ、この改革は絶対に失敗するわけにはいかないのである。
 日本が日本たるゆえんとはなにか。
 国家や文明は、歴史から学ぶことなくしては、「小話」としても語ることはできない。
 S・ハンチントン教授は『文明の衝突』の中で、日本を他のどの文明圈とも区別された単独の文明として、かつ文明の単位と国の単位が一致する唯一の事例として挙げている。
 日本は古代より中国文明の強い影響を受け、近代においてはアングロサクソン文明を積極的に取り入れながら、なおかつ独自の文明を維持・発展させてきた。社会を引き裂く内乱や革命を経験せずに改革を行ってきたことが、こうした独自の文明の維持を可能にした。それは政治権力とは別個の存在としての「天皇」に象徴されるものである。
 日本が日本であり続けるとは、どういうことなのか。
 「近代化したが西欧にはならなかった」最初にして最も重要な国という、わが国の存在意義を変えるのか、変えないのか。変えないとすれば、非西欧、とりわけアジアが、近代化のさらなる成熟への試練―構造改革―に直面している時に、わが国の存在はいかなるものになりうるのか。
 前近代までの華夷秩序や、近代の西洋中心の秩序の中で、これと覇を争う道をとらなかった―正確に言えば、とろうとして手痛い失敗をした結果(白村江の戦い、秀吉の侵略、第二次大戦)―わが国の生き方を変えるのか、変えないのか。変えないとすれば、そして冷戦時代の終わりが、大きな歴史的流れとしては覇権政治の“終わりの始まり”ともなりうるとすれば、こうしたわが国の生き方は、新しい世紀にいかなる意義を持ち得るのか。
 今こそわれわれは、「日本は日本でしかない」という独立自尊の覚悟と肚をすえようではないか。
 例えばアジア大平洋地域での秩序形成にとっては、米中が軸となることは当面避けられないが、この中で「日本はどちらにつくのか」という類の発想は、まさに自らを見失った結果にほかならない。日本が日本であることを止めないかぎり、どちらにもつけないのだという覚悟を決めるべきなのである。その上で、日本が日本であり続けるために、いかなる選択をするかを考えるべきなのである。
 安易な「嫌米」感情や「アジアの一員」論も、われわれ自身が、日本が日本たるゆえん、日本が日本であり続けるためにどうするかを、自ら放棄するところから生まれるものにほかならない。
 安全保障にしろ、経済改革にしろ、社会改革にしろ、大きな歴史的変革であればあるほど、その国家・民族、共同体の哲学や歴史観を欠けば必ず失敗する。一時的に「成功」したように見えても、その過ちが国家や民族の滅亡につながるというのは、歴史の教訓である。
 日本の日本たるゆえんを回復し、新しい世紀にそれを守り抜く。それを「地球益・国益・郷土愛をむすびつける」「地球共生国家日本」と呼ぼう。

日本の自立と日米同盟を両立させる

 九八年の終盤に展開された日米中ロ韓の首脳外交は、ポスト冷戦期の過渡的な国家間関係を、次の世紀にむけて再定義するという性格のものとなった。
 日米関係は、すでに九六年の日米安保再定義によって、冷戦時代の対ソ同盟から、「共通の価値観に立脚した敵なき同盟」「東アジア安定の公共財」として性格づけられたが、これを「アジアの中の日米同盟」として具体化していくことよりも、逆にさまざまな局面で日米関係の「危うさ」が露呈した。とくに昨年六月のクリントン訪中は、日米関係がもはや日米二国間の枠組みとしてではなく、最低、日米中という枠組みでマネージされなければならないことを示した。
 日中首脳会談も、中国自身も共同宣言を「第三の歴史的文書」と位置付けているように、「言うべきことは言い、協力すべきことは協力する」という新たな関係への一歩となった。「台湾」「歴史」はその中での「宿題」ということであり、ここでも土俵は日中二国間関係ではなく、アジアの平和と発展という共通の目標での協力関係と定められた。
 日韓首脳会談では、こうした歴史的転換をなしとげた金大中大統領の政治的リーダーシップが、日本人にも深い印象を与えた。日ロ間でも、冷戦時代に代わる新しい相互関係の基礎がすえられた。
 ポスト冷戦の“終わりの始まり”に、このようにしぼりこまれてきた地域関係の舞台こそ、日本が日本でありつづけるための条件である。米中がアジアで対立し、覇を争うというシナリオは、われわれにとっても、アジア諸国にとっても最悪のものである。日米中ロという関係のバランスがとれ、なおかつその中で日本が他とは異質な存在―覇を争う道をとらない生き方(とろうとして手痛い失敗をし、そうしようとしてもできるものではないという自己の見極めの上にたった生き方)―であることが、わが国の国益である。そしてそのためにこそ、日米同盟を大切にしなければならないのである。
 ここに、冷戦時代の対ソ脅威論や「ビンのふた」論(日本封じこめ)とは歴史的に異なる、日米同盟の存在意義を明確にしなければならない。決して同一化することのない異なる文明の国同士が、対敵共同を超える同盟関係を維持するということは、他に例がない。当面、この地域でのわが国の国益とアメリカの国益は、その大部分が重なるから、それによって同盟関係を維持することは不可能ではない。しかし両国の国益がズレるのは当たり前のことであり、それを対敵共同で調整せずに、「アジアの安定」という共通の価値によって調整するというのが、日米安保の再定義であり、この原則はこの地域の多国間関係の基本ともなるべきものである。だからこそわれわれは、日本の自立と日米同盟とを両立させるべきなのである。
 逆に言えば、日米同盟はもはや自明の前提ではないということである。アジアの平和と発展という共通の目標から国益をシビアに規定し(一国主義的な、あるいは覇権的な国益とは最も遠いのがわが国である)、その国益に基づく選択的な協調関係を築く知恵と判断力が求められるということなのである。
 例えばドルの一極支配を相対化するような円の国際化(アジア決済通貨化)は、日本が安全保障面でも一定の責任をはたすということなしにはありえないし、その場合に日米の国益を「アジアの安定と発展」からどう調整していくのかということなのである。一方でアジアは、わが国だけが「抜きん出たモデル」であった時代のアジアではなく、近代化の一段階の総括とさらなる成熟のための試練―構造改革―に直面している。このような中でのわが国の国益、存在意義とは何かということであり、そこからの日米同盟の選択なのである。だからこそ、アメリカに対してもこの観点から、言うべきことは言うという関係にならなければならないのである。
 わが国の国益をあいまいにしたまま、アメリカに追従し、中国に言い訳をし、韓国の顔色を伺うという姿勢が、関係国すべてに不信を植え付ける結果となるという構造を、ここから変えていかねばならない。周辺事態法をはじめとするわが国の防衛・安全保障の構造改革は、このような土台の上に据えられるべきである。

日本が日本であり続ける為の不退転の一歩を

 平成日本の経済敗戦を契機に意識され始めた「国家衰亡の危機」という情勢は、戦後日本の習慣にまでなっていた「国家を考えることへの忌避」―「上」は国家の私物化(ばらまき、利権分配)、「下」は「反・半国家」という構造と、それに乗っかった「国家国民のため」の空文句―に、亀裂を入れ始めた。冷戦と高度成長という稀に見るような“幸福な時代”が、再びやってくるようなことはないだろう。好むと好まざるとに係わらず、個人が国家の命運に大きく左右される・国家と運命をともにせざるをえないのだということを思い知らされる事態は、今後ますます増えていくだろう。
 ユーロの登場は、紆余曲折があったとしても、ドルを相対化することになっていくだろう。その時に円だけが沈没するとすれば、短期的な損失はもとより長期的にも、わが国の再生の可能性はほぼ見えなくなる。「経済大国」しか知らない国民は、その時どうするのか。
 アメリカの成長鈍化が見込まれ、アジアの経済回復もまだ見えない中では、わが国は(これまでとは違って)輸出に頼らずに、自力で回復基調に達することができるのかどうか。今年、その道筋が見えなかった場合、国家も個人にもどういう事態が予想されるか。
 北東アジアの均衡は、関係諸国が「何も起こらないのが第一」という点でなんとか一致している上に保たれているが、次第にエスカレートしている北朝鮮の瀬戸際外交がこの均衡を踏み越えた場合にどうなるかというのは、遠い将来の一般的なシナリオでは、もはやない。国としての安全を全く考えていないというのはどういうことなのか、国民自身がリアルに思い知らされることになる。
 このように考えてみれば、「国難」は外的条件から起こるのではなく、国民自身が国家の命運を自ら考え、決することの放棄・欠除から起こることがわかるはずである。多くの人はこのときに、自己利益を超えた何ものか―国家や文明、歴史―を意識する。現実を直視することができさえすれば、日本が日本であり続けるための選択はおのずと明らかになる。問題は、その意思と決断である。
 おそらく今年は、後からふりかえってみた時に、「あれが日本の命運を決めた一連の時代の最後の分岐点だった」と思えるような年になるだろう。他国から尊敬され、自ら誇りとしうる国、地球共生国家日本として、日本の日本たるゆえんを次世紀に守り抜くための、改革への不退転の一歩を!