民主統一 239号 1999/3/1発行

歴史的変革期を駆けぬける決断と覚醒
その無数の湧水を時代の奔流へ、このうねりの中から新時代の政党政治の幕開けを

歴史的変革−国家的転換をめぐる決断と覚醒の多面的なうねり

 統一地方選の季節を迎え、都知事選挙の混戦ぶりが全国的にも注目を集めている。参院選で表面化した、既存政治の国民的基盤の歴史的崩壊は、さらにいっそう進んでいる。
 一方で、「明らかに時代が動きつつある」「なにかが変わりつつある」「手ごたえを感じる」という“変化の胎動”を確信的に語り、訴える人々が台頭しつつある。
 情勢をどうとらえるのか―ここに明らかに「人間の質」にかかわるような決定的・根本的な違いが生じており、その亀裂がますます顕在化しつつある。このズレ、乖離が「国家的危機」という情勢をめぐって、さらに質的に深化・拡大しつつある―これが昨年の参院選以降の政治の流れであり、都知事選はその典型であると同時に、さらなる拡大でもある。混戦ぶりを「政治の末期症状」「政党政治の弱さ」と言うこともできるが、既存の枠組みの「外側」には、(政党という形には)組織されてはいないが、歴史的変革への決断と覚醒、確信が多面的な形で無数に生まれ、胎動し始めているのである。
 「改革の課題や方向は出揃っている。問題はそれをやる決断、覚悟があるのかどうかだ」、「肚をすえて命がけで走れば、時代の突破口は開ける」、「既存の秩序の枠内の『優等生』は、改革を論じても行動がない」、「論を評する評論家になるのではなく、行動を論じる行論家になれ」、「改革志向者の梁山伯を」、「官僚が政策に強いというのは勘違い。政策能力とは、他人の話をよく聞いて政策に変換する能力で、人の話を聞けない・実学の裏打ちのない者には『政策』の作文や数字の説明はできるかもしれないが、それは政策能力・政治能力とは言わない」、「幕藩体制内にも改革派はいたが、倒幕ー維新なしに改革はできなかった。改革とは権力の所在を変えること」、「国家的危機―国家的転換とはリーダー勝負。国民に求められる最大の能力は『リーダーを選ぶ』能力であり、リーダーに服する能力だ」、「経済的に自立した人々の自己責任意識を、国策の決定に関わるところまで強めるために何をなすべきか」、「経済自立人の活力がさらにのびのびと発揮される社会にする。その政策実現のために権力基盤を移し変えること、また新たな権力基盤をどうつくるかが政党づくりのこと」
 ――国家的危機をめぐって開始された決断、覚悟、覚醒の中に、かような新たな政党―権力論の空間が拡がりつつある。行政依存人主体の社会から経済自立人主体の社会へと、権力の所在を変える改革のための組織論と主体形成が、利権配分―ぶら下がりの政治構造の外側に、「非政党的」な形態で集積されつつある。
 (注 ここでいう「経済自立人」とは、自立・自治・自己責任というようなことが社会生活・生き方の基本になっている人のことであり、「行政依存人」というのは、社会生活・生き方の基本が他律的・依存的である人々のこと)
 一方で、利権配分―ぶら下がりの構造には活力が枯渇しきり、その統治能力は崩壊の一途を辿っている。「史上最大の景気対策」にもかかわらず、その効果が見えないのは、漠然たる生活不安(「国家的危機」は、庶民にはここから反映する)を払拭する生活の活力・覚醒に働きかける政策ではないからである。言い換えれば、ぶら下がりの生活の声は聞こえても、自分の足で立っている生活の声に立脚していないからである。「右肩上がり」の時代にはあったように見えたその統治能力は、危機の時代の国民・有権者の自活・覚醒が生活で始まるや、破綻に陥るというシロモノである。都知事選をめぐる自民党のゴタゴタ(連続三回目!)はその象徴といってよい。
 地ベタの庶民が、国家的危機の情勢の中から生活で覚醒を始めた時―時代の転換が権力基盤の深層部からの地殻変動として始まった時に、上でも下でも「自らを見失う」、(あったと思っていた)存在感が消失することに帰結するという主体形成こそぶら下がりであり、“平成日本の虚ろ”にほかならない。
 国家的転換―改革の問題は、かような意味で、新たな政党の組織論―変革の主体形成・人間形成の問題となっているのであり、だからこそ決断・覚醒・行動の問題だと言うのである。

国家的転換をめぐる政治論争から、開始された有権者の覚醒を再編する組織戦の舞台として、地方選を!

 国家的危機ということがそれぞれのレベルで感知される中から、この危機を脱する国家的転換をいかに図るのかをめぐる決断と行動が、非組織的に開始された。これが参院選からの政治の流れであり、だからこそ「リーダー」や「リーダーシップ」が論じられるようになっているのである。
 飯尾潤・政策研究大学院大学助教授は、リーダーシップを論じる際の「誤解」を二点、指摘している。一つはリーダーシップの目的を問わないもの。国家的転換に求められるリーダーシップと「平時の」リーダーシップとでは当然違うということである。二点目は「リーダーシップは優れた個人によって自動的に発揮される」という誤解。現代社会ではリーダーシップは構造的なシステムによって成り立つものだということである。このように考えれば、国家的転換のリーダーシップは政党政治を通じて発揮されるべきものであり、政党政治のこうした機能が発揮されていないところに、今日の日本の閉塞状況の原因があるということになる。
 国家的転換とは、政治・経済・社会の総体的な変革であると同時に、決定的には、権力の所在を変えることであり、権力基盤を旧来とは別のものに移し換え、再編することにほかならない。政党政治とは、こうした権力の移行を「宮廷革命」や「権力奪取」「クーデター」という形態でではなく、社会総体を巻き込んだ、したがって国民の主体転換をダイナミックに反映する構造的な社会革命として展開するツールであるということ。こうした政党政治の機能を、いかに上手く発揮していくのかということが、冷戦後の時代の構造改革に直面している各国の政治改革に共通する課題なのである。(政治の役割は、そのまま放置しておいては解決できない社会の問題を解決することであるが、それを「政党政治」というシステムで行う意味、しかも階級区分が主な分岐ではなくなった社会における政党政治の機能とは何かということである。)
 「権力の所在を変える改革のための組織論と主体形成が、利権配分―ぶら下がりの政治構造の外側に、『非政党的』な形態で集積されつつある」というのは、できあいの「政党」―行政を介した利権配分に収斂しきった「政治」と、実際の社会とのズレ・乖離との間に無数に生まれつつある改革の主体形成が、権力の所在を変える構造革命の組織論―自らの政党表現を持つところへと、どのように成長・飛躍していくのかということなのである。今回の地方選から総選挙への展開は、その最初の舞台となるだろう。
 既存政治の国民的基盤はますます崩壊している。ということは、既存政治の枠外はもとより既存政治の枠内にも、もはやそれに収斂されない広大な政治再編の市場が開けているということである。権力の所在を変える国家的転換の組織戦は、政治路線・基本政策をめぐって支持基盤までを再編していく組織戦であり、議員の移動というこれまでの政界再編とは決定的に違う戦場である。
 既存政治批判の枠にとどまる政治路線・基本政策では、どんなに精緻で体系的なものであったとしても、支持基盤までの再編―新たな権力基盤形成の組織戦の武器にはならない。政策・理論構築の中に、権力基盤再編の組織論―どういう社会をつくるのか、そのための政策の主要な担い手は誰で、「敵」は誰か、「好意的中立」「消極的支持」をどこに求めるのか等々―がなければならない。社会の実際を知らない・人の話を聞く能力のない「お利口さんおバカさん」の作文が政策だと勘違いしている世界とは、全く別の戦場である。
 政党間・政治グループ間の闘争や連合も、利権やポスト、議席をめぐるかけひきという「分りやすい」世界ではない。既存政党の枠内での「やわらかい」支持層の増大という長年の傾向は、最終的に統治破綻として露呈しつつある。ここまでを再編する組織論―政策体系とは、「違いを鮮明にする」という範疇の、いわば「分離の組織論―理論形成」ではなく、統合の組織論―理論形成から、政党と基盤の歴史的分解をとらえつくすものでなければならない。
 自らの政治主張や理念どおりに支持基盤をつくり、あるいは旧い基盤を再編する戦い、肚を決めて命がけで走れば、応える基盤の動きはあるという確信。こうした「上からの決断」と「下からの覚醒・参加」という組織構造は、連動し始めている。それは既存政治の中での「政治路線の違い」の窓からは見えないうねりである。そしてそうした「政治路線の違い」とやらが、実は全く社会・国民を再編する力を持たない、したがって実際には「へ理屈」でしかないことを、自覚しはじめた有権者は見抜いている。
 だからこそ、地球益・国益・郷土愛をむすびつける―国を思い、地域を思い、国家的転換の一時代を地域から支えていこうとする、ホンモノの政治家を見抜く目を手にしていこう。国家的転換を成し遂げるための権力の移行を、社会基盤の再編としておしすすめることができるのは、ひとえに有権者の自覚・覚醒にかかっているのだということを肝に命じ、ここから政党政治の主体としての主権者を生み出していこう。