民主統一 256号 2000/8/1発行


衰亡する欲望民主主義と生まれつつある“新たなる公”
国民主権再確立への変化の兆し

「おねだり民主主義」から、自己決定・協同責任の民主主義へ

 今回の総選挙で見られた有権者の“変化の兆し”は、きわめて重要である。それをとらえる感性のないものは、時代の変化と対話するすべを全く持てない。(自民党の現状は、その端的な表れである。「完敗」「国民に拒否された」との感性が働く者からしか脱皮はありえないが、それに賭けるだけの生命力がこの党に残っているか?)
 「このままでは日本はだめになる。なんとか変えなければならないが、変えるだけのパワーをもった政党はない」というところまでは、国民の基本勢力の前提認識になりつつある。そこから「どこにも期待できない」となるか、「期待できない現状そのものを変える」ために、「この選択で本当にいいのか」と悩み、熟考しながら(仲間と討議しながら)一票を投じたのか。
 気に入ったメニューがないから、という「おねだり民主主義」・利権分配への参入権としての「国民主権」にとどまって「改革」を論じるのか、改革の協同作業者として国民主権(選択―責任―連帯)に踏み込むのか。国民主権の再確立をめぐって、有権者・国民のなかに“変化の兆し”が生まれている。後者の有権者と対話し、支持基盤とする型をもちつつある議員と、前者を囲い込むことでしか議席を維持できない議員との、政策スタンス、活動スタイルの違いは明確になった(本号「講演」ならびに各議員インタビューを参照)。
 選挙後の「そごう」問題の顛末も示唆的である。法的処理や瑕疵担保条項の是非以前に、いったん結んだ契約を「カメの一言」(国会対策上の「政治」判断)でひっくり返すような政府に、はたして市場秩序を維持できるのか?  「経済敗戦の焼け野原」から、多額の公的資金を注ぎ込んで市場秩序を維持してきたはずの、九八年からは一体何だったのか(平均株価は、九八年秋のところに一気に戻ってしまった)。
 市場原理が生活で分る国民が言う「そごう」問題と、「オレのサラ金にも徳政令を」というレベルの言う「そごう」問題はまったく違う。どちらの国民の声を聞いているのか。臨時国会での論戦には、そのことが表れるだろう。
 国民主権や市場原理―近代の普遍的価値である自由や民主主義に係わる主体的な亀裂が、深く静かに、国民内部に走り初めている。それは、自由・民主主義を主体化する、(近代を総総括する)新たなステージである。このステージは同時に、自由・民主主義をめぐる東アジアの新たな歴史的ステージとリンクしている(させなければならない)。それは、欲望民主主義(へと帰結した戦後日本の民主主義)を超えて、「新たなる公」を実現していくステージでもある。韓国、台湾は、国民主権の発展として、そこへの移行の動きを開始した。われわれもまた、生まれはじめた“変化の兆し”を確実な変化の行動へと発展させようではないか。
 がんばろう、日本!

「自由・民主」アジアの公共財として骨太の日米同盟再設計を
沖縄サミットが示した課題

 「新世紀の世界秩序に道筋をつける」ものとして位置づけられた沖縄サミットは、こうしたステージの展望を示しえたか。「大過なく行なえたことが成果」と一安心する人々の実感には、「接待サミット」という言葉がぴったりであり、こうした問いは絶対に出てこない。
 サミット首脳宣言は、ITやグローバル化、バイオなど二十一世紀的問題群について「明」のみならず「暗」の面にも注意を喚起し、文化の多様性にも言及した。だが、「考えうる全ての問題を詰め込んだ」ものではあっても、ここから新世紀の世界秩序の大潮流・方向性にかかわるメッセージは伝わってこない。宣言には「繁栄と安定」は謳われても、「自由」や「民主主義」の発展という太い流れは見いだせない。
 二つの欠落がある。ひとつは日米同盟という軸であり、ひとつはアジア―中国を抜きには語れない―という軸である。八年に一度、アジアで開催されるサミットにも係わらず、中国に対する極度の配慮から、アジアについて語られない(朝鮮半島に関する特別声明のみ)サミットとなった。日米関係についても、(NTT接続料金など)二国間の些細な案件のみに止まった。沖縄からは、米軍基地の存在を地域安保上からとらえ直すという「沖縄イニシアティブ」が発信されていたにもかかわらず、それへの反応はなかった。
 ITやグローバル化、人口と環境などの二十一世紀的問題群および、それらと自由・民主主義の発展との関係(社会革命)がもっともダイナミックに展開されている地域こそ、九七年の金融危機以降のアジアである。インドネシア、台湾、韓国の民主化の発展や「ナショナリズムの転形」(李鍾元)は、アメリカ一極化と必ずしもイコールではない、グローバルな民主主義の潮流を形成しつつある。中国の存在(と改革の行方)および米中関係の行方は、この文脈のなかからこそ、重視されなければならない。朝鮮半島で開始されたアジアにおける「冷戦の超克」(李鍾元)プロセスも、この文脈との関連においてとらえられなければならないだろう。
 九六年日米共同宣言は、日米同盟を東アジア安定の公共財と位置づけた。その中には(沖縄サミットでとりあげたような)「地球的問題群」に対する日米の共同も謳われていたはずであったが…。抑止機能としても、周辺事態法以降は一歩も進んでいない。そのうえに、次のようなことを問うところまで、事態は進展しているのだ。
 「(日本が米国のよき同盟国であるためには)米国が先導する民主主義グローバリズムの普遍的価値を、他の先進民主主義諸国とともに共有していることを基本姿勢としつつ、自前の思想として民主主義グローバリズムを唱えることが重要となろう」(添谷芳秀・日経「経済教室」7/5)
 日米同盟をアジアの公共財とすることは、わが国の基軸にほかならない。それが、自由・民主主義の各国における発展とリンクするための現実の舞台が、準備されつつあるのである。「日本の対中政策を含めた外交は、民主主義を思想的基盤として再構築される必要があるだろう」(添谷・前出)
 沖縄サミットと総選挙(変化の兆し)は、わが国の改革―戦後の清算と構造改革―に、ひとつの焦点を結びつつある。
 だからこそ、骨太の日米同盟を再設計するとは、日本を根底的に変えるという課題なのである。「沖縄サミットは、冷戦後の日本外交の再点検がこれ以上遅延できないところまで来ていることを見せたのではないか」(岡本行夫・読売7/26) 
 サミット後、アジアを舞台に数々の外交交渉が展開される。北朝鮮も、この舞台のアクターとして登場しつつある。わが国には、中、ロとの首脳外交も含め、このことがきわめて実践的に問われる。

打ち立てよう! 有権者再編を促進する政権交代構想を
創ろう!「自由・民主の東アジア」構想を

 今回の総選挙は、有権者再編と結びつかない政界再編を終わりにした。「先送り・バラマキ」政治ブロックと「構造改革」政治ブロックの形成は、「行政依存人」と「経済自立人」という有権者再編(本号「飯尾氏講演」参照)をおし進める政治闘争からのみ可能となる。改革の側は、ここではっきり腰をすえ、参議院選挙(および都議選)を媒介にした、構造改革のための本格的な政治決戦を設定していかなければならない。政権交代をやるなら選挙で―有権者再編の力勝負で、ということである。
 来年一月実施の省庁再編は、「行政依存人」の組織原理(さらなるパイの奪い合い)をさらに鮮明にさせるだろう。その予兆は、自民党の「公共事業見直し」チームの顛末や財政首脳会議の設置などに見えかくれしている。省庁再編に対応する新内閣の組閣が、行政依存人の組織原理から脱却する見通しは、今のところほとんどない。したがって参議院選挙を媒介とした次期総選挙への戦略は、「行政依存人」に対する「経済自立人」の政治組織表現をいかにおしすすめるかということに絞られる。
 金融再生委員長のクビのすげ替えにも見られるように、総選挙同様、与党との論戦を通じて政策争点を形成するという方法は、ほぼとれないだろう。改革の側はもっぱら、経済自立人の意識を持ちつつある有権者との対話の中から、自ら政策争点を設定し、経済自立人の新たな組織形態を創ることだけが問われる。それはまた、「変化の兆し」が、政治家を育てようという自覚と責任をもった主権者へと成長する過程であり、国民主権の成熟の一歩一歩である。
 だからこそ、細々とした制度いじりではなく、民主主義や自由、市場原理(秩序)、公正や公共、自己決定と協同責任などの普遍的価値の発展を、制度や政策にどう貫くのかという骨太の論議が必要なのである。利益分配(目配り、気配り、○○配り)とパイの争奪戦という方法では、二十一世紀の社会保障も教育改革も、安全保障も外交政策も一歩も、前には進まない。
 「接待サミット」の緊張感、「政権延命」の切迫感で政府を運営されたのでは日本が危ないという実感が、国民―メシを食うくらいは自分でできる国民―のなかにはますます拡がっていくだろう。
 こうした国民意識に、前記したような普遍的価値から答えることのできる綱領―組織―戦術の一体性を確立することこそ、改革の側が本格的な政治決戦―有権者再編を攻勢的に構えていくための必要条件である。
 朝鮮半島で開始された「脱冷戦」プロセスは、この地域の国際関係の枠組みにも大きな変化をもたらすかもしれない。今年後半にはアメリカの新政権が決まる。日米韓の協調が、北朝鮮を脅威と位置づけるだけではなく、「共存」をマネージするためのものへ変容しうるか(日韓のさらに高い次元での協調が必要)、それとも中ロの地政学的対応との相互関係にとどまるか。日本の意思も問われる。それがあいまいなまま、政局の判断だけで扱えば、領土問題も拉致問題もあいまいなまま、ズルズルと追随することになろう。
 有権者再編を促進する政権交代構想を打ち立てることと、「自由・民主の東アジア」構想を創ることとを、一体のものとしておしすすめるために、がんばろう、日本!