日本再生 278号(民主統一改題8号) 2002/6/1発行

変えよう! 守るべきものがあるから
創ろう!政権交代のための国民主権の波を

責任と信頼の政権交代へ
主権者の静かなる自覚はさらに深く、
さらに行動的に

 「政権交代は誰かに期待してできるものではなく、われわれ国民自身が主権者として、そのための持ち場についてやるものだ」―― 政権交代について、かつてないほど国民が「自分自身のこと」としてとらえ始めている。
 永田町の既存の政治に口利きをしてもらわなくても(政官業癒着の構造にぶら下がらなくても)、自分のメシくらいは自力で食ってきたという人たちが、依存と分配の関係と戦う側に自分たちの代表をつくる以外にないこと、そのために何をなすべきかとして、政権交代の問題を考え始めている。
 ここにはもはや、「とは言っても受け皿が…」とか「○○の時には自分も期待したが、結局ダメだったじゃないか」といった“他人称”の評論が入る余地はない。細川政権から九年。この間の国民の政治経験は、小泉政権での学習効果を媒介に、主権者の未成熟の“終わりの始まり”へと転じようとしている。
 失政十五年の総括こそ、政権交代。政権交代なくして構造改革なし。いまや政権交代の問題が、現在の政策課題をめぐっても、「失政十五年」の総括をめぐっても、また自分自身の転換(人生の再設計、「戦後の内なる虚ろ」に対する死の宣告、価値観の転換など)をめぐっても、生活のあらゆる窓から顔をのぞかせている。「責任と信頼」をキーワードに。
 したがって今必要なことは、生まれつつある政権交代の主体基盤を確実に成熟させていく一歩一歩として、政局(永田町内での攻防)と国民の主体分解(社会再編)とをリンクさせていくことである。そこから、政策論争の組み方、政局の構え方が大きく変わる。
 例えば経済政策。本号掲載の大塚耕平・参院議員の講演や、福山哲郎・参院議員のインタビュー、あるいは前号掲載の大塚・参院議員のインタビューにも明らかにされているように、今問われているのは経済をよくするのにA案がいいか、B案がいいかという選択ではない。どちらがいいかは、やってみなければわからない。まして今日のわが国のように「前例のない」経済状況にあってはなおさらのこと、「正解」などはない。問題は、与党と野党、どちらが結果責任をとるのか(とりそうなのか)ということなのだ。
 さすれば少なくとも、当事者意識のカケラもない、ましてや国際経済の世界での攻防についてまるで分っていない・実感もないという人たち(与党)よりは、多少なりともその意味が分っている人たちにやらせたほうがよい、ということになる。政策には「根拠」と「決断」が必要だが、根拠なき決断(小泉政権)では責任の取り方もみえてこないのは当然である。
 そして少なくとも政権交代すれば、三年間に百兆円をつぎ込んでもGDPがプラスにならないというカネの流れ=政官業の癒着をいったん断ち切ることはできる。これこそが「失政十五年」の総括であり、この間の経済社会の歪み(バラマキ―モラルハザードに典型)を是正する出発点にほかならない。まずはそこから始めよう、ということである。
 与野党の違い・対立軸も、透明性とアカウンタビリティーをめぐる「体質の違い」ということに焦点化される(されるべき)。野党の戦略も、いかに精緻な対案をつくって与党との違いを出せるか、というよりも、「大きな枠組みでは違いはない。でもわれわれのほうが清廉だ。われわれのほうが責任を明確にする」というものにすべきではないか。
 政局をめぐっては、会期延長が焦点となりだした。「時間がない」のではなく、もっぱら「与党内が一致しない」ための会期延長であり、閉会後の改造人事(「抵抗勢力」の求める「実」)と郵政法案(首相の「名」)をめぐる“落しどころ”の駆け引きになるだろう。そういう「政局」に一喜一憂したい人には、そうさせておけばよい。
 もはや与党には「重要法案」の優先順位づけも、そのための根回しもできなくなっている。政官業癒着の構造を支えていた利権配分という調整機能が崩壊しつつある今、与党には合意形成能力は失われている。あるのは「自分だけは生き残ろう」という私欲と思惑の相互関係だけである。
 したがって政局の判断は、政権交代の主体基盤を確実に成熟させていく側から、廃案にすべきもの(その理由)、継続審議とすべきもの(論議の方向・枠組み)を仕分けし、次の方向を明らかにし、自覚しつつある国民との間での合意形成をはかっていくことが必要になる。それは同時に、次の政権の方向や性格を「われわれの構造改革」の一歩前進とするための、合意形成のことでもある。
 例えば個人情報保護法案は、根本の発想に問題がある。メディア規制につながるという批判に加え、「官が持っている個人情報についてはルール違反をしても罰則規定がない」という根本的な欠陥が、今回防衛庁によって立証された(法案の問題点については、前号掲載の4・11パネルディスカッションでの枝野議員の発言を参照)。これはマイナーチェンジ(修正)ではなく、廃案・仕切りなおし以外ない。
 報道の行き過ぎをお上によって規制するという発想そのものが、市民社会における責任を問う、というものとは正反対の、依存の関係(由らしむべし、知らしむべからず)を助長することにつながる。しかも政府提案の法案を、政府自身が修正しようという無責任きわまりない態度である。
 他の法案についても、依存と分配の関係(政官業癒着の構造)を断ち切る「一里塚」「アリの一穴」となりうるなら、そのような修正を加え、反対に助長するものであるなら廃案・仕切りなおしということであろう。法案の個々の問題点だけではなく、そうした基本的な判断基準を主権者と共有することが、次の政権の性格(政策パッケージの枠組み)を国民に示すことにつながるはずである。
 有事法制をめぐる議論では、「有事の際に自衛隊を動かすための法律が必要(現状では「超法規」で動くか「何もしないか」しかない)」という点では、国民の基本的合意はあるといえるだろう。しかし、法案の論点はまだ十分、国民に伝わっていない。
 しかし少なくとも、「国および国民の安全を守る」という国家の基本にかかわる欠落を一つひとつ埋めていくという作業に対して、真摯に取り組む姿勢がありそうなのは与党なのか、野党なのかについては、今国会の現実から明らかにするべきだろう。「10点程度の法案」と自嘲して、委員会審議にもまじめに出てこない与党。郵政法案との取引をねらってゆさぶりをかける与党。彼らに「国家の欠落を埋める」重要法案だという姿勢が見られるか。
 10点程度の法案を80点にまで持っていくのは、立法府での真摯な論議であり、有事法制のような法案はなるべく与野党が合意して成立することが望ましい。であるからこそまず、与党の責任放棄で野党第一党を「修正」に引きずり込もうという道を、はっきり断ち切らなければならない。
 民主党は九八年の金融国会では与党に「丸呑み」され、テロ特措法ではハシゴを外された。この轍を踏まないためには、政局論のなかに、主権者の成熟―政権交代の主体基盤をどう整備するか、という観点が欠落してはならない。政権交代の当事者意識を持ち始めている主権者に、こういう理由でこういう対応をしたと、政権交代の展望から個々の対応を説明できてこそ、透明性とアカウンタビリティーにおいて、与党との決定的な違いを示すことができるはずだ。
 政権交代のための国民主権の波を、さらに広く、深く!

変えよう! 守るべきものがあるから

 有事法制の論議は、憲法改正とパラレルのものとならざるをえない。戦後日本の「国家としての欠落」をいかに埋めるか、という問題であり、しかもそれを主権者の成熟・せりあがりによって埋めるという戦略的な方法をとるということである。そのためには、過去の遺恨試合としてではなく、未来のために(国民主権の観点から)歴史総括を共有することが必要だ。それ以外の方法をとれば、依存と分配の関係の延命に手を貸す、あるいは生まれつつある主権者の成熟に水を差す、という結果になる。
 変革が歴史的なものであればあるほど、それをなし遂げる手立ては、“変わらざるもの”を残すことにある。
 「戦後」のなかでの、主権者への下準備。それは、「カラスの勝手」の自由や欲望民主主義と表裏一体の「疑似」自由・民主主義にとどまるところからは、生まれてこない。その「疑似」そのものを終わりにする主体転換を戦いとる(「戦後日本の死と再生」のドラマ/9・23第一回全国大会基調)ところからはじめて、「戦後は主権者への下準備であった」と言いうる。
 この転換が国民のなかで始まる前と、始まってからとでは風景は一変する。戦後日本の「疑似」(疑似市民社会、疑似有権者、疑似自由・民主主義など)そのものを終わりにしようとするなら、憲法改正を「次の時代の国のありよう」として正面から論じなければならない。歴史の事実に基づいて“変わらざるもの”を明確にしてこそ、改革の主体的エネルギーは生まれてくる。
 岸内閣は、憲法改正―再軍備―日米安保改定というアジェンダを考えたが、当時の状況では憲法改正も再軍備も不可能であり、一番実現可能性のあった日米安保改定に取り組むのが精一杯であった。一方革新の側も、憲法改正を阻止することが目的で安保反対はその手段という位置付けであったため、憲法改正が見送られたことで、あれだけの国論の分裂にもかかわらず、所得倍増計画で一挙に一致した。
 このことが意味していることは、第一に、国のありよう=憲法をどうするかについては、「将来の」国民の成熟に委ねるという「宿題」となったのであり、それに向き合うべき歴史的な時期に、われわれは今いるということだ。なぜなら当時、圧倒的多数の国民が自らの「戦争体験」をもとに憲法を論じていたのはやむをえないことであるが、今日われわれは、「私的体験」を絶対化して国のありようを論じるという「主権者の未成熟」を終わりにしつつあるからだ。
 責任を問いあうコミュニケーション、パブリックを自ら合意形成していく能力や作法―こうした政権交代の主体基盤としての主権者の成熟こそ、憲法改正を国民主権の発展として正面から論じる基盤にほかならない。
 第二に、「将来の」国民の成熟までの間は、日米同盟を維持することでつなぐ、という選択である。それは日米同盟を通じて自由や民主主義を主体化する道を選んだということであり、従って日米同盟を自由・民主主義の発展として維持・継承することで「つなぐ」ということであった。
 これについては冷戦後、「首の皮一枚」でつないでインド洋への自衛艦派遣になんとか間に合ったとともに、グローバル経済・市場、構造改革についても、ここから主体化してきたことは事実である。しかしこのままでは「疑似」の枠を出ないし、それでは自信喪失をバネにした嫌米論がくりかえし表れることになる。
 自由・民主主義は、いまや東アジアにおいても、うまれつつある「ある種の共同体」「市民社会」にとっての共通の価値観となりつつある。自由・民主主義を主体化するべく日米同盟を継承してきたのなら、東アジアにおいて自由・民主主義を深化するべく、日米同盟を再設計すべきである。それは東アジアの統合・共生ビジョンをもつことであり、とりわけ経済における“共通の利益”の戦略をもつことである。
 経済大国が軍事大国とはならない、単独主義の誤りは二度と繰り返さないという戦後日本の国としてのありようは、米中の単独主義と「上手に」付き合う東アジアの新たな方向が見えてくるなかで、さらに誇りを持てるようになると確信する。
 八〇年代半ば、「強すぎる日本」が問題にされ、プラザ合意によって日本の競争力はそがれた。それは「冷戦後」を見越した欧米の戦略転換に対応できず、ドルに過度に依存し続けたわが国の「失政十五年」の始まりであったが、当時に「自ら競争力をそぐ」という選択は、政治的には二度と単独主義の道は取らないという意味でもあった。
 それは明確な政治決断ではなく、戦後のなかでいわば無意識的に埋め込まれたものといってもよいだろう(「核をもたない」ということが、敗戦国にはめられたギプスであると同時にそれを内在化したと同じように)。そうした国のありよう・われわれの生き様は、東アジアの図抜けたナンバーワンとしてではなく、アマング・イーコールズとなるという歴史段階にこそ、ふさわしいものではないだろうか。
 だからこそ、戦後の宿題に正面から向き合い(次の世代のための憲法改正)、「国家としての欠落」を国民主権の主体基盤の成熟によって一歩一歩、埋めていかなくてはならない。有事法制なき空洞(その基礎には、国家緊急事態の規定なき憲法の空洞がある)は、主権者の成熟によって埋めるべきであり、政官業の癒着構造や無責任連鎖によって「埋める」べきものではない。

 守るべきもの、変わらざるもの。あるがままの歴史の事実と正面から向き合うなら、それは主権者としての下準備であり、自由・民主主義を「疑似」から転換するための下準備である。
 われわれには守るべきものがある、だからこそ変えよう! 

推し進めよう! 
政党政治の基盤整備を

 政官業癒着の構造―依存と分配の関係を断ち切る政権交代のためには、「要するに、政治に個別利益を求めていない人たちが政治参加する以外にない」(4・11パネルディスカッション/枝野議員/二七七号)。つまり「選挙のときによく考えて投票する」だけでは不十分で、政官業癒着―依存と分配の関係と戦う、あるいはそれに与っていないところからカネ、ヒト、情報を投入して、政党政治の基盤整備をしていくことである。
 永田町・政官業癒着に対するアンチや非難、無党派では、それはできない。心情倫理(依存と分配)から発する情報やネットワークでは、それはできない。新たなパブリックの役割を問いあい、責任と信頼でコミュニケーションできる組織文化が、各レベルで必要であり、そのネットワークが必要だ。責任倫理から発した情報やネットワーク・人間関係が、より積極的に日常的に政治参加していくこと。改革保守の国民政党は、このような基盤のうえにこそ可能になる。
 主権者の成熟―責任と信頼で、政党政治の基盤整備を推し進めよう。