日本再生 287号(民主統一改題17号) 2003/3/1発行

小泉「自滅」政権の“終わりの始まり”を国民主権のうねりで呑みこみ、
救国済民政権へのとば口を開こう

小泉「自滅」政権“終わりの始まり”

  小泉政権の政権基盤がガタガタになってきた。失政十五年の総括から改革―日本再生を語れる「政権交代の核」(民主党の緊張感と国民主権のうねり)が見えてくるにつれ、「小泉改革」対「抵抗勢力」という出来レースの構図は跡形もなくなる。
 菅・岡田新体制の発足と「保新党」の顛末は、小泉「疑似」改革政権が「民主党カード」を使って延命する道を封じることを意味する。世論調査での支持率も、政権発足時からほぼ半減。不支持の理由も「政策面」が増え、代わりに「内閣のよいところ」では「首相の政治姿勢」が政権発足後、最低となっている。
 小泉「自滅」政権の“終わりの始まり”を、生まれつつある国民主権のうねりで呑みこみ、救国済民の政権交代戦略・政権ビジョンへと高め上げていく組織戦こそが問われている。
 野党の国会戦術は、「政府・与党が審議を拒否したくなる位まで野党が論戦を挑み続ける」(野田・民主党国対委員長)というものである。
 論戦の舞台から逃げたがっている、あるいは降りざるを得ない閣僚たちがこれだけ揃うというのも、たいしたものである。
 大島理森農水相
 「政治とカネ」をめぐる疑惑がいくつも浮上しているが、いずれも「秘書」のせいにしている。また疑惑に関する集中審議での答弁メモの作成を衆議院法制局に依頼していたという、とんでもない話までが明らかになった。
 森山眞弓法相
 名古屋刑務所での刑務官の暴行による受刑者の死亡事件が相次いで発覚。刑務官の暴行を訴える受刑者からの「情願」が却下されていたことについて、法相はこの制度自体を知らずに法務省矯正局長まかせであった。また事件の報告についても答弁ミスをするなど、法務官僚の言うがままの姿である。「法の下の平等」「法秩序」に対する責任意識が疑われる。
 川口外務大臣
 イラク、北朝鮮と緊張感が増しつつある国際情勢にもかかわらず、「仮定の質問には答えられない」というふざけた国会答弁を繰り返す一方で、テレビや雑誌では能弁になるのは、大臣として不適格といわざるをえない。また駐米大使や国連大使はアメリカで、米国支持の姿勢を明確に示している。首相や外相が国会ではっきり答弁しないのに、駐米大使や国連大使が日本の命運を左右するような発言をするのは、まるで「関東軍」ではないか。 
 北朝鮮ミサイル発射情報
 北朝鮮のミサイル発射情報が官邸に上がっていなかった。ミサイル自体は短距離のもので、「通常の演習の範囲」と見られるが、北朝鮮をめぐる緊張が高まっている時期に、閣僚が「閣議の後にテレビ報道で知った」というのではあまりにお寒い。しかも、その後の記者会見でも事態がきちんと説明されない。そのことこそが、国民に不安を与えている。
 他にも、閣僚懇談会で「ETF(株価指数型上場投資信託)は絶対もうかるから買いましょう」などと、無責任な発言をする竹中金融担当大臣など。
 まさに、小泉「疑似」改革の“虚ろ”の全面露呈だ。「利権分捕り政治」の苦労さえせずに、他人が作った神輿に乗って絶叫することが「改革」だと浮かれている間に、八割の生活基盤までが破壊された。「20対80の法則」とは国際競争力のある「20」が既得権に依存した「80」を養うという「日本型社会主義」の産業・経済社会構造を表す表現であるが、その「80」さえもが不安にならざるをえないのが、小泉「疑似」改革の結末である。
 小泉「疑似」改革の“虚ろ”を断つのは、救国済民―日本再生のための政権交代である。それは「十年一日」の如き改革の支持基盤を独自に作る活動であり、五十五年体制の政治文化に代わる国民主権の政治文化を育む活動である。この国民主権のうねり(院内外の)を、「失政十五年」の総括から日本再生を語れる救国済民の政権ビジョンへとまとめあげるために、国会論戦、統一自治体選挙などの舞台を使い切っていこう。

「失政十五年」の総括から救国済民の政権ビジョンを語れ

 失政の後始末を「改革」と言うのと、「失政十五年」の総括から改革を語るのとでは、全く意味が違ってくる。失政の後始末なら、つまるところは(歴史的な環境変化に対応できなかった結果としての)破綻をどうするか、という話に収斂する。不良債権処理しかり、財政赤字しかり、年金・医療などの社会保障しかり。教育や治安なども、現状の破局への対処論にしかならないし、安全保障などはどこまでいっても「○○を見て…」という話に終始する。
 「失政十五年」とは端的に、八〇年代半ば以降の世界的な「ポスト冷戦」「グローバル化」、国内的な「ポスト工業化社会」ないしは「成熟社会」「定常型社会(ゼロ成長社会)」への移行をめぐる戦略的な転換における「敗北の教訓」である。この敗北の教訓を語れずして、「グローバル化の“影と光”」をめぐる新たな攻防に、位置を見出せないのは当然である。
 小泉「疑似」改革の“虚ろ”が露呈していく政治攻防とは、「失政十五年」の総括から改革を語り、救国済民の政権ビジョンをまとめ上げていく攻防にほかならない。
 「失政十五年」の総括―敗北の教訓を整理すれば、おおむねこのようになろう。
●経済のグローバル化において、金融主権の確立に失敗、ないしはそれを放棄したこと。
 一九八五年プラザ合意が象徴的。米国の「双子の赤字」を日本の貿易黒字がファイナンスするという「西側一員論」が、九八年の「マネー敗戦」へつながる。
 同時に「円高」の副作用としてのバブルのマネージにも失敗。また円高を契機に東アジアに拡大した投資や生産、あるいは「雁行型発展」を「円の国際化」へのステップにする意思もいっさいなし。
 この時期に、EUは通貨統合にまで進展。東アジアは九七年の通貨危機に見舞われて、「ドル依存」の相対化の必要性に直面するも、ドル円レートが不安定で「円」の役割がいまだ不明確なままである。一方で日本国内ではジャブジャブのマネーが行き場を失っている。
●日米同盟の「奇形性」を問うことなしの、なし崩し的「強化」。
 冷戦後、その存在意義が一時「漂流」した日米同盟は、九六年「東アジア安定の公共財」として再定義された。しかしそれを内実化することがないままに、「周辺事態法」「テロ特措法」など、その場その場で「委託される協力」(渡辺啓貴)を積み重ね、ついには「居住性」(!)という理由でイージス艦をインド洋に派遣するに至った。
 この時期に、NATOは「価値観同盟」「安全保障共同体」として深化、域外派遣や緊急展開などに踏み出した。イラク問題に対する英、仏、独の対応はこの「価値観同盟」「安全保障共同体」の一員(we感覚)ということがあっての対応であり、それが他人事での対応とでは、そもそも世界が違う。
 「委託される協力」ではいかなる主体性もみえないのは当然で、そのなし崩し的拡大過程では、「集団的自衛権」の解釈のこねくり回しだけが肥大化していった(「武力行使との一体化」など)。今日のイラク、北朝鮮危機は、もはやこれでは越えることはできない。
 この時期を「過渡的立法で埋めて」脱皮していく過程とするためには、日米同盟を再設計する主体性(失政十五年の総括)が不可欠である(本号10―16面講演会参照)。
 またKEDOの枠組みなどの日米韓の協調、あるいは九八年の金大中大統領の訪日など新たな糸口もできたが、ここからバーチャル同盟の可能性を一歩一歩確実なものとしていくことはできなかった。むしろ小泉政権は無関心であったと言うべきで、東アジアの現実・変化が視野に入っていない「日米強化」の奇形性は、わが国の国益を著しく損なうものとなろう。
●政党政治と議院内閣制の機能を確立することなき「政界再編」(政治改革の混乱)
 構造改革は総選挙による政権交代なしに実現しない。
 小泉「疑似」改革との攻防は、「政界再編十年の混乱」の決着をかけたものである。選挙を経ずに「自民党をぶっ潰す」と言って総理総裁になったら改革ができるのか(「自民党をぶっ潰す」のなら、まず「野党になる」のが政党政治の常識ではないのか)。
 小泉「改革」対「抵抗勢力」という図式は、政府・与党という二重構造の矛盾を端的に明らかにしたが、それに対して「改革派総理にエールを送る」という野党になるのか、「政権交代なくして改革なし」「政権交代のための政党の核をつくる」と構えたのか。昨年秋からの民主党のアレコレは、この決着戦でもあった。(付随的ではあるが、石原新党の芽がなくなったのもこの結果である。)
 政党政治と議院内閣制の機能を形式的にもぶっ潰した小泉政権は、「この程度の約束を守れなかったのは大したことではない」と言い放つ。「何でもアリ」の合従連衡で、既存政党はもはや政党の態をなさず、有権者は既存政党に対する「不信」を超えて「無視」となった(昨年十月の統一補選において千葉県では四人に一人しか投票に行かなかった)ことの結末である。
 一方でこの統一地方選では、改革派の知事などから「政党の推薦を受けない」ことと「マニフェスト」(公約集・政策綱領)による「有権者との契約」という動きが始まっている。公約による「政党の紀律化」と「有権者の紀律化」という政治文化の入れ替え戦である。またこの「政治改革の混乱」のなかで、改革の支持基盤を独自につくってきた部分は、国政における「政権交代のための政党の核」として成長しつつある。
 自治体における住民主権の深化と国政における国民主権の深化を連動させ、さらに相乗的なダイナミズムへと発展させる糸口を開くこと。これが今統一自治体選挙のカギである。
●「次の社会ビジョン」が欠落したまま制度の手直しを重ねた結果、制度崩壊へ(社会保障、税制など)。
 「少子高齢化」「ポスト工業化社会」「環境」などという、二十世紀型発展からの転換のキーワードは、遅くとも九〇年代に入ってからはモノを考える世界では常識になっていた。しかし次の経済社会ビジョンをどうするのか、という観点からではなく、個別課題対処と制度の手直しという以上の対応はなかった。
 この間、例えば社会保障では「抜本改革」が叫ばれながら、結局「財政的破綻」への対処論として「給付引き下げ」と「負担増」とを組み合わせた数字のつじつま合わせに終始。その結果、制度そのものへの信頼が崩壊するという結末になっている(二八六号掲載の古川議員、中塚議員の講演参照)。「次の社会ビジョン」からの制度論議が提起されないまま、確実に近づく財政的破綻だけから制度危機が喧伝されれば、国民の不安はさらに煽られる。
 このままでは戦後、曲がりなりにも保障されてきた「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法第二十五条)という国民主権の経済的基礎さえ破壊される。かような意味でも、小泉「疑似」改革の罪は深い。
 ポスト工業化への産業構造転換も、「租税特別措置」とやらで衰退産業の延命には手厚く、新規起業への規制は厳しくということを続けた結果の破綻に直面して、ここから「改革」を言うということだから、産業再生機構(政府が企業の「目利き」をする?)という類に終始することになる。
 同時にアジアにおける産業構造転換、端的には「世界の工場化」する中国への対応も、ネギやシイタケでセーフガードを発動しても、知的所有権など肝心な問題での通商交渉は、何一つできていない(個別企業の自己責任に委ねられる)。
 かつての米国との貿易摩擦から何一つ経験を蓄積していないし、米国が日本の台頭に対して「ヤングレポート」などによって産業構造の高度化を図ったことも、何一つ記帳されていない。
 環境もまた、これからの経済社会のキーワードであり、産業高度化のポイントでもあるが、国家ビジョンどころか「生活改善運動」の範疇でしか取り組まれてこなかった。せいぜい、ISOシリーズなど欧米が主導する新たなデファクト・スタンダードにどう対応するかという対処論であり、これすらも個別企業の自己責任に委ねられた。
 あるいは「環境先進国」というポテンシャルを生かしたアジアにおけるリーダーシップも可能であったが、環境ODAのバラマキにとって代わられた。「利権外交」が大手を振るうようになったのも、この時期からである。
 ポスト二十世紀型の経済社会への転換をめぐる試行錯誤は、欧米においては「サッチャー型」改革と「第三の道」型改革という、二度の転換を経て今日に至っている。同時にそれは、当たり前であるが政権交代を伴う転換である。
 「失政十五年」の教訓とは、新しい時代の社会的ウォンツ・次の社会ビジョンを語り、その多数派形成の組織戦のなかから政権交代をやりきる、ということにほかならない。小泉「疑似」改革が、国民主権の基盤の破壊にまで及びつつある今日(八割が不安になる・将来設計が立たない)においては、そのビジョンとは救国済民―日本再生の政権ビジョンという性格になる。
●東アジアの環境変化に対して、わが国の「適正な位置」を戦いとることのないまま自らを見失う。
 すでに九七年には、東アジアにおけるわが国の位置は今後、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ではなく、「アマング・イーコールズ」となることは明らかであった。したがって「ナンバー・ワンよ再び」という意味で改革を語るのか、それとも「アマング・イーコールズ」となる時代を「東アジアがともに幸せになる」時代(一人勝ちをしないバランスのとれた発展)とするための改革なのかでは、意味が全く違ってくる。
 「ナンバーワンよ再び」ということなら所詮、アメリカの後追いで、実際上「五十一番目の州」ということになる。例えば橋本改革の時の「金融ビッグバン」は、アメリカの金融市場にとって使い勝手のよいような改革に終始した。結果として「やりやすいところから」となり、公的金融の改革など肝心な問題は先送りされた。アジアに開かれた金融市場システムを目指すなら、「円の国際化」(東アジアで円の使い勝手をよくする)など優先順位は大きく変わってくる。
 アメリカ、中国は、良くも悪くも戦略的大国である。グローバルな秩序形成を左右するだけのパワーを持つ。わが国は、そのようなパワーをもつことはできない。「持てる」「持とう」という時は、戦前の軍部のように国際社会が見えていない時であり、必ず国策を誤り国を滅ぼす結果となる。
 わが国は、地域戦略をもたねばならない。それが国益のカギを握る。ここが分からずに「日米強化」では話にならない。東アジア戦略を持ってこそ、日米同盟を価値観同盟として、公共財として再設計・強化しうる。アジアに「適正な役割」を持つことができない日本は、アメリカにとっても有効な同盟国ではありえない。
 失政の後始末を「改革」と言いくるめる“虚ろ”を断ち、「失政十五年」の総括から、救国済民の政権ビジョンを語り、国民主権のうねりを政権交代へ結びつけよう。

わが国の「適正な位置」を戦いとらずして、イラク、北朝鮮危機に対処できるか

 イラク問題への対応はわが国にはじめて、国連決議と日米同盟との関連をどうするのかという課題を突きつけている。価値観同盟、安全保障共同体へと深化してきたNATOの一員である英、仏、独とアメリカとの関係とは違い、わが国は日米同盟の強化を「委託された協力」としてしか行ってこなかった。
 それゆえ、「北朝鮮危機でアメリカに守ってもらう以上、イラク問題でのアメリカ支持は当然だ」という論理が、あたかも「現実的」で「責任ある」ものであるかのように聞える。しかし本当にそうか? それなら「北朝鮮危機」がある限り、日本は米国の軍事行動をどこまでも支持し支援しなければならないのか? あるいは「北朝鮮危機」への対処は、とにかく米国頼みでいくのか?(それなら昨年の北朝鮮訪問は、どれだけ米国とすり合わせてやったのか。「核開発」というアメリカにとっての最大の関心についての無頓着ぶりは「信義にもとる」のではないか?)
 論理的に考えれば、これは「米国依存」の思考停止状態である。この手の「日米基軸」論の“虚ろ”こそ、じつは「北朝鮮に対抗して日本が核武装する日」という「日本像」の背景にほかならない。
 添谷・慶応大学教授は、第四十六回定例講演会(「わが国をとりまく外交環境」で、以下のような趣旨を述べている。アメリカの議会やマスコミで「日本核武装論」が出てくる背景は、日本が国際社会における適正な位置付けを獲得していないという現実の表れである。何を考え、どういう対外政策をやろうとしているのかの確定ができないから、潜在的な不信感がある。したがって日本については「無視」するか、「危険な存在」として取り上げるか、どちらかになってしまう、と。
 これでは、価値観同盟の一員としてアメリカに異議を唱えるフランスは信頼できても、「アメリカ支持」と(国内ではあいまいにしたまま)言って回っている日本のほうが、じつは信頼できないということになるのは、当然である。
 「北朝鮮危機でアメリカに守ってもらう以上、イラク問題でのアメリカ支持は当然だ」とは、こうした現実にいっさい向き合っていない、当事者意識が欠落したもの以外のなにものでもない。
 北朝鮮危機があるからこそ、日本は東アジア戦略を明確に持って、日米同盟を使いこなさなければならないのである。民主帝国アメリカは、単独でも武力行使はできる。価値観同盟ならそれに対して、自由、民主主義、市場経済に基づく国際秩序という「共通の価値」を実現するための「異なる」アプローチやフォロー、場合によっては異論を唱えることができる。
 ここでの「適正な位置」―東アジアに自由、民主主義、市場経済に基づく地域秩序や共通の利益を創る上でのわが国の「適正な位置」、役割を戦いとることなしにイラク、北朝鮮危機に対処することはできない。「委託された協力」の延長では、「個別的自衛権」行使の問題(北朝鮮は直接の脅威)ですら日本は後方支援に終始するのではないかという笑えない話になりかねない。
 政権がムチャクチャになっているからこそ、国民は主権者として、この問いに向き合おう。「失政十五年」の敗北の教訓を自らのものとしてしかと受け止め、救国済民の政権ビジョンをつくりあげよう。小泉「自滅」政権の“終わりの始まり”を国民主権のうねりで呑みこみ、総選挙―政権交代へとせり上げていこう。
(第四十六回定例講演会の詳細は、次号にて)