日本再生 289号(民主統一改題19号) 2003/5/1発行

統一地方選の総括とイラク戦後
「疑似」主権者から変革の主権者への脱皮
責任の転換のドラマが始まった

国民主権の政治市場のとば口は開いた

 今回の統一地方選は、どういう条件があれば政治文化の入れ替え戦に火がつき、国民主権のうねりが拡がるのかという実践的な組織戦の教訓の場となった。
 全国的には、投票率低下、既存政党の存在感の希薄化に歯止めがかからないものとなったが、そのことは既存の政治市場(五十五年体制の政治文化)がいよいよ縮小・溶解しつつあることを意味している。この既存の政治市場の枠内での「自民党政治・連立与党」対「疑似主権者」という空間にとどまったままでは、政治文化の入れ替え戦は始まらない。疑似主権者からの脱却―主権者としての責任の転換の戦いが見えるところから、政治文化の入れ替え戦は始まる。そのうねりが点から線へと拡がれば、既存の政治市場をも巻き込む再編の組織戦が始まる。このとば口をあける組織戦こそ、今回の統一地方選であった。(図参照)
 例えば前半の知事選は、「無党派」というだけで有権者をひきつけられる時代は終わったことを示している。典型は神奈川県知事選で、「無党派」を全面に掲げテレビでの知名度で優位にたつ田嶋候補に対して、マニフェスト(期限、財源、手法、優先順位などを明記した体系的な政策綱領)を掲げた松沢候補が圧勝したことだ。陣営ではマニフェストを一部百円で街頭販売し、連日、完売したという。
 自分でカネを払って政策を読みこなそうとする有権者がそれだけいるということは、もはや既存政党へのノーでは、新たな政治市場(国民主権の政治市場)のニーズには応えられないということである。この市場には、「疑似」主権者からの脱却を促すような“商品”でなければ、参入できないのだ。
 松沢氏の勝因は、「無党派チャンピオン争い」とは全く別のところに、政治文化を入れ替える主権者の政治市場を開拓したところにある。
 保守王国である大分、福井でも、県知事選挙で、自民党推薦候補が組織を持たない無党派候補に接戦を強いられた。どちらも多選知事が引退し、出身省庁OBへ継承を図るという典型的な構図であったが、接戦の要因はそうした既存政治へのノーだけではないだろう。対立候補はいずれも、地域経営についての自前の政策を掲げて戦ったのであって、「無党派」を売り物にしたわけではない。有権者が中央政府とのパイプの太さではなく、地域経営の政策とセンスを選択しようとしたからこその接戦であろう。
 地方分権、地域主権を掛け声に終わらせず、「疑似」からホンモノへつくりかえようといううねりは、それに相応しい候補者を得れば、一挙に流れを変えられるところまできているということだ。
 政策は単なる「作文」ではない。政策で選ぶということは、その政策に相応しい・それで説明できる「カネの集め方」「選対のつくりかた」「(支持者や議員などとの)人間関係のつくりかた」をしているかどうか、ということである。
 政治文化の入れ替え戦の市場をいかに開拓するか、それに相応しい商品をどう開発するか。このことの、それぞれのレベルでの試みとして統一地方選を総括しなければならない(11―13面「統一地方選特集」参照)。
 投票率の低下についても、単純に「利害関係者のコア」しか行かない選挙とは言えない、微妙な変化が感じられる。例えば、旧来型の地縁血縁・利害・しがらみでの組織戦は、支持基盤の高齢化、休眠化、分配の低下などで、確実に難しくなってきている。川崎市のような都市部はもちろん、小豆島のような地域でも同様である。
 支持基盤の弱体化を公明票によって補完しようという延命策の限界も見えてきた。神奈川県知事選では、松沢氏の「選挙革命」に対して自民党系候補は団体組織選挙に徹したが、はるかに及ばなかった。また衆院東京六区補選でも、小宮山候補は自公候補に圧勝した。
 勝負は、旧来型の組織選挙に替わる新たな有権者の政治市場をどれだけつくれるか、にある。(これがないときに、「利害関係者のコア」しか行かない選挙になるということ。)
 川崎市の場合は、新たな有権者層(端的に言えば、国政選挙では投票するが自治体選挙には行かないという層)を掘り起こす組織戦によって、小豆島の場合には、既存の支持基盤までを巻き込む再編の力によってと、組織戦の様相は若干違うが、いずれもそれに相応しい候補者・政策・選対という「商品」が、市場開拓の必須条件である。
 「投票したい候補がいない」(欲しい商品がない)という言い訳も、そろそろ通用しなくなる。自治体議員の場合には「仲間として」候補者を育てる、という主権者としての政治活動が見えてきた。「いい人がいれば応援する」では、フォロワーとしても脇役でしかない。
 同時にそのことは候補者も、「神輿に乗る」という感覚では話にならない。「国民主権」という神輿をともにかつぐということであり、そのためには「一主権者としての政治活動」を先頭にたって、一人ででも続けるという裏打ちが、候補者や選対スタッフのなかにあることが不可欠である。
 越谷市議に当選した白川・同人は、タクシー乗務が明けた後、三年間にわたって、「がんばろう、日本!」国民協議会の街頭宣伝を一人で行ってきた。それは立候補のための活動ではなく、国民主権を発展させるための一主権者の務めとしてであった。その蓄積を見て、地域のなかから「何とか力を貸そう」という仲間が生まれた。
 一主権者としての政治活動の裏打ちがなければ、税金をもらう政治活動=議員の重み(職責)は分からない。それがなければ、「しがらみ」があろうとなかろうと、税金へのぶら下がりになる。これは主権者としての責任の転換が伴ってはじめて、分かることだ。すなわち、「稼ぎ」の範疇では責任を果たしてきたが「務め」の責任(主権者としての務め)は果たしてこなかったという自覚から、もう一段、飛躍すること―パブリックがなかったことの自覚から、パブリックにかかわる領域で責任を問いあう文化へ―という転換である。
 今回の統一地方選のもうひとつの特徴は、「戦争」である。「戦争反対」を掲げた社民・共産は大きく後退した。一方で、「地方選挙であるにもかかわらず」イラク戦争についての見解を有権者は求めた(地縁血縁・利害関係から「遠い」有権者ほど、戦争に対する見解を尋ねた)。「がんばろう、日本!」国民協議会の主張で演説している候補者のところには、「いろいろな候補が演説しているが、みんな『戦争反対』しか言わない。あんたは違う」とか「自民党をこき下ろすのでもなく、何を考えなければいけないか、あんたの言うとおりだ」という反応が返っている。
 地域経営に対する責任(危機的な財政やコミュニティーの今後など)と国家の命運に関わる責任とはパラレルであり、前者が欠けていれば後者(安全保障など)はきわめて奇形的な空論となり、後者の責任意識がなければ前者(地域経営)は依存と分配にしかならない。このことが、生活感覚で入り始めた。
 「やむをえない戦争」とは、戦争は絶対悪、平和は絶対善という戦後日本からの脱却―責任の転換の開始である。自治体運営に対する責任意識があれば、国の命運にかかわる問題―戦争や安全保障―についても、戦後の平和主義や反米・嫌米(ノーと言えるかどうか)とは違う土俵での問題設定ができる。最低、それと同じ目線でともに考えることができる。これで候補者・選対と有権者との会話が回り始めている。
 これをさらに促進するものとして、政権交代の基軸を創りあげていかなければならない。
 地域主権・住民自治をめぐる各地の試行錯誤や下準備と、改革の支持基盤を独自に準備してきた個々の戦いが、政治文化を入れ替える―国民主権のうねりとして、点から線へと拡がり始めた。これが、統一地方選の光景である。

グローバル化時代の責任ある国家と主権者への脱皮が始まった

 イラク戦争は、「戦後復興」へと舞台を転換した。一方で北朝鮮は、核兵器保有を認めて対米交渉で再び瀬戸際を演出しようとしている。戦争、安全保障、国防、外交といった問題を、ワイドショーや評論ではなく自らの責任を伴って論じ、判断することができるか。主権者としての責任のさらなる転換の舞台が準備されている。
 戦争を正面から扱えるか。
 イラク戦争をめぐっては、イギリスでも中高校生が大勢、デモに参加したという。これに対して教師や親は、デモ参加を禁止したりはしない。反戦デモへの参加はよい。ただし学校をサボってはいけない。交通法規は守らなければならない。その上でならデモに大いに参加しなさい。政治学習の格好の機会だから、先生や親と戦争について議論しなさいと。
 「殺しちゃいけないのは子供でも分かる」というレベルで、大人が戦争を論じたつもりになる空間は、ここにはない。「やむをえない戦争」というのは、子供から大人へ脱皮するための中間駅である。戦争を正面から論じられるまでの責任の転換のためには、わが国の国益と日米同盟の再設計を正面から語りきる主体性(二八八号一面)を獲得しなければならない。
 それはグローバル化の影の諸問題(ならずもの国家やテロ)をいかに再統治するか、という新たな歴史的ステージにおける責任国家としてのありよう―その一員としての主権者の主体性である。(グローバル化の影の諸問題は、ならずもの国家やテロにかぎらず、経済社会問題や環境、SARSのような問題までが含まれるが、ここでは狭義の安全保障問題に限って論をすすめる。)
 「不必要な戦争」「大義なき戦争」というなかには情緒的な反戦論のほかに、グローバル化の影の諸問題(ならずもの国家やテロ)をアメリカの単独行動主義だけで解決できるのか、そのリスクに対する懸念がある。それは正しい指摘であろう。だが戦争を懸念からだけで論じるなら、責任政治とは言えない。例えばアメリカに反対したフランスやドイツに、戦争に替わるいかなる対案があったか。査察継続は一種の「封じ込め」であるが、それで解決されるわけではないことは、この十年余りが立証している。そして「封じ込め」(経済制裁)の下でもイラクの人々には多大な犠牲が出ている。結果論になるが、戦争によってはじめて取り除かれる悪に目を背けることはできないだろう。
 ひるがえって北朝鮮問題では、このことがさらにシビアに問われることになる。第24回東京・戸田代表を囲む会で康仁徳氏(元韓国統一相)は、「平和的解決ということは、繰り返し何回も“瀬戸際”を乗り越えていく忍耐力が問われる」と述べている(六―九面参照)。忍耐力の核心は、アメリカの単独行動主義といかに賢明につき合うかというなかからのみ鍛えられる。
 懸念からでは、その責任意識は鍛えられない。「アメリカ支持以外に選択肢がない」という思考停止では、無責任が増殖するのみである。北朝鮮の場合には「暴発」というリスクをも抱えている。ここでの忍耐心は、日米基軸主義までを言い切る責任性から鍛えられる。
 それは冷戦時代の「対敵共同」とは異なる歴史的ステージ―グローバル化の影の諸問題を解決する上での「価値観同盟」へと、日米同盟を再設計する責任意識への脱皮である。
 時間がかかるだろうが、イラクの再生には、この地域に自由で開かれた経済社会を構築することが不可欠である。市場経済は民主的社会の基礎であり、その道はサダム体制の除去から可能になったと言わざるをえないだろう。北朝鮮問題解決の最善のシナリオもまた、あの国が改革開放の方向に、時間がかかっても進むようにすることである。だが、現体制でそれが可能なのか。イラクよりもさらに困難な、地雷原を行くような道のりが待っている。だからこそここでの忍耐心は、自由、民主主義、市場経済という価値観を共有する同盟として、アメリカの単独行動主義といかに賢明につき合うか、というなかでのみ鍛えられるのだ。
 冷戦時代の残滓を完全に断ち切り、グローバル化時代における責任国家―その主権者の主体性として、日米基軸主義を語りきることが問われている。それは同時に、自国の改革(政権交代可能な民主主義の成熟、官制経済に依存しない開かれた市場経済の発展など)と東アジアの発展(経済統合や安全保障共同体など)に責任を負う立場である。
 中国も当面は「耐えがたきを耐えて」でもアメリカと上手につき合うと、指導部は肚を決めている。北東アジアの日韓中に、アメリカとどう賢明につき合うかという、新たな利害の一致が生まれつつある。北朝鮮問題はその媒介でもある。だからこそ、そのようにつかいこなすためにも、「当面の利害の一致」に止まらない価値観同盟へ、日米同盟を再設計する必要がある。
 さすれば集団的自衛権や日米の役割分担(わが国の防衛)も、新たな歴史的ステージで再定義される。
 集団的自衛権はいまや完全に、地域の安全保障体制構築にわが国はどういう責任主体として関わるのか(関われないのか)という問題である(十面・森本氏インタビュー参照)。日本が集団的自衛権を封じたままで安全保障条約を結べる相手は、アメリカしかない。この「戦後の特別扱い」の空間に安住し続けるなら、東アジアの安全保障共同体構築に関わる責任ある立場はとれない。
 また日米の役割分担(冷戦時代の大規模着上陸侵攻を前提とした「盾=日本と矛=アメリカ」の役割分担)もしかりである(二八八号・前原議員講演参照)。ミサイル防衛や相手のミサイル発射基地を叩く能力(敵地攻撃能力)を、どこまでどのように持つのか。その現実的な議論をできる責任性、主体性が問われている。
 戦争、安全保障、国防、外交といった問題を国内政局にからませて論じるのは、愚かなことである。戦前の「国策の誤り」の本質は、戦争という究極の国家権力の発動にまで責任を問える主権者と政党政治の未成熟である。今回も、新たな歴史環境に対応できない無責任連鎖から、有事法制や北朝鮮問題を政権延命にからませようという愚劣な試みが派生する。それに惑わされないところまで主権者の責任意識が成長すること―政治文化をそこまで入れ替えることが、政権交代の基盤整備である。
 政権交代可能な政党政治の基盤とは、戦争、安全保障、国防、外交といった問題を国内政局にからませず、国の命運に責任をもって議論できる主権者と政党を創ることなのだ。
 一方、民主主義国では国防や外交といった領域も、世論に大きく左右される。だからこそ、戦争を正面から語れる主権者の責任性と、それを政治の力に変えられる政党政治の意識性が問われる。北朝鮮問題での“瀬戸際”を何度も乗り越えていくための忍耐力とは、このことでもある。ここから政権交代の基盤が整備されていく。
 さらば、無責任国家・依存の国民。グローバル化時代の責任ある国家と主権者へと脱皮しよう。