日本再生 295号(民主統一改題25号) 2003/11/1発行

日本再生をかける、政権選択の一票を
主権者のうねりで、マニフェスト選挙の扉を開け

政権選択選挙、それは主権者がつくるドラマ

  いよいよ総選挙が始まった。小泉総理自らが「政権交代がかかった選挙」というように、日本再生をかけた政権の選択を有権者自身が行う選挙である。
 投票日の十一月九日は、奇しくもベルリンの壁が崩壊した日である。冷戦体制を象徴する壁を壊したのは、無数の「名もなき」市民であった。しかり。歴史を大きく動かすドラマは、主権者が参加してはじめて動き出す。政権選択選挙、それは主権者がつくるドラマなのだ。二大政党、マニフェストと、不十分なところは多々あれど、「政治改革十年」の曲折を経て政権選択の舞台は整いつつある。この舞台に有権者自身が登場してはじめて、政権選択選挙のドラマは動き出す。
 総選挙の前哨戦といわれた参議院埼玉補選は、27・5パーセントという超低投票率となった。これではとても、政権選択選挙とはいえない。総選挙への関心の高さ、マニフェストに対する関心の高さは相当なものがある。普段はビラなど受け取らない若い女性や茶髪の若者、ベビーカーを押した若い夫婦なども、マニフェストを取りに来る。バスを待っている間に、熟読しているサラリーマンもいる。
 しかし、そうした有権者の関心を実際の投票行動に結びつけることが出来ていない。そのための活動と活動家(人)が圧倒的に準備されていない。その結果が、27・5パーセントなのである。ここに、政権選択選挙にふさわしい主権者(「バッジをつけようとする」主権者と「バッジ」をつけずに活動する主権者)の任務がある。
 小泉「改革」なら、「自民党はキライだけど、小泉さん・安倍さんは好き!」という有権者を、絶叫パフォーマンスで動員すればよい。安倍幹事長を「選挙の顔」として抜擢したのも、小泉総理の遊説日程もすべてその組織目的・だれを(どの層を)ターゲットにするかから、決定されたものだ。
 だがこのような組織方法=有権者の参加方法で、政権選択選挙の扉を開けることはできるか? 否である。第一にこれでは結局、「小泉改革」を支持したのか、「抵抗勢力」を支持したのか、有権者の選択は混乱したままである。第二に、政府と自民党が反対のことを言うという、「二重構造」は残ったままになる。要するに、政党にも有権者にも責任が問われない。これではマニフェスト=有権者との契約にはならない。
 では、政権選択選挙にふさわしい有権者の参加方法・その組織方法とはなにか。それはマニフェストの意味は分かる、主体的な関心はあるという有権者が、「主権者として」他者に働きかける責務を負っていく、その連鎖的波及構造をつくることである。
 マニフェストも小選挙区制の導入も、既存の政党や有権者に主体的な準備があったうえでのものではない。旧来のやり方ではどうしようもなくなって、その「起死回生策」として考えられたものであり、むしろそのなかで足腰をどうつくってきたのかとして、政党も有権者も問われていく。
 小選挙区を戦うなかで曲がりなりにも足腰を鍛えてきたのは民主党であり、骨粗鬆症のごとく組織が萎えてきたのが自民党である。マニフェストで問われる足腰は、有権者の参加方法である。政策で選挙を戦うということが、有権者の参加方法にまで貫徹できる、その糸口をつかむまでの、腰の据わった組織戦をやりぬくことである。
 マニフェストに対する関心は、確実に高い。問題はそれを投票行動に結びつけられるか、である。組織戦の実際が伴わないフワッとした関心のままなら、上滑りする。政策に対する関心が、人気・嬌声にかき消されないところまで、鍛え上げられなければならない。総選挙はここの勝負である。
 この組織戦は、候補者だけのものではない。バッジをつけずに政治に主体的にかかわろうとする主権者こそが、この戦線を先頭に立って切り拓くべきなのだ。その役割・仕事を、「自分は分かっている」という有権者にどのように組織できるか、これが政権選択選挙のカギである。
 今度の選挙はおもしろい、マニフェストには関心がある、という人は「自分は分かっている」に止まってはならない。他者にそれを伝える役割を、積極的に担おう。家庭で家族と、仕事の帰りに同僚と、あるいはご近所づきあいのなかで「マニフェストを読んだ?」「自民党と民主党と比べてどう?」という話題を提供し、会話を盛り上げよう。
 マニフェストに関心があるという人には、マニフェストの比較検討をぜひ、家族や同僚、友人などとの会話でやってみるように働きかけよう。「マニフェスト? 聞いたことはあるけれど…」という人には、ぜひ自民党と民主党のマニフェストを候補者から取り寄せてみるようにすすめよう。そして、後述する「判断基準」を説明し、できればいっしょに読み解いてみよう。
 そして「政策なんか難しい、やっぱり人よ!」と一蹴する声の前に、ひるんではならない。「ではあなたの選挙区の候補者の主張・言動は、所属政党のマニフェストに反していないか」と、畳みかけるくらいのことはしよう。公認候補者が所属政党のマニフェストに従うのは、政権選択選挙のイロハなのだから。
 自分が一票を投じるだけでは、政権選択選挙の扉は開かない。政権選択選挙のカギは投票率である。あなたの一票が政権選択の意味を持ちうるためにも、投票率を65%に引き上げる組織戦を展開しよう。政権選択選挙、それは主権者がつくるドラマだ。

政権選択選挙の扉を開ける組織戦に全力を

  マニフェストを使いこなそう
 マニフェストがこれまでの「公約」と違うのは、「政権をとったら、これこれをいつまでにやります」という政策目標が、期限や財源とともに明示されている、という点である。言い換えれば、「いいっぱなし政治」と「白紙委任」の無責任構造を断ち切る道具である。
 問題はこれをどう使いこなすのか、である。
 21世紀臨調は、有権者は各党のマニフェストをこう生かそうと、以下のように提起している。
 まず有権者は、候補者よりも政党に注目すべきである。そして政党本部や候補者の選挙事務所から政権公約集を取り寄せてみようと。
そのうえで、公約を読み解く判断材料としては、
 aAim(目標)
 sCost(実現のための費用、財源)
 dTime(達成期限や工程表)
 fSystem(実行体制)
の頭文字をとった“ACTS”が明確に示されているかを挙げている。さらに、各候補の主張が所属政党の公約と矛盾していないか、言動のチェックもすべきである、と。
 「自分は分かっている」という有権者は、これを他人に伝え「政策評価」の会話をできるところまでに使いこなそう。
 政策評価とは、「好き、嫌い」ではもちろんないし、単純に「どっちの政策のほうがトクか」という話でもない。道路公団のゴタゴタでも郵政民営化のアレコレでも、多くの有権者が求めているのは「どちらが国民のためになるのか」ということである。そこまでは、有権者もレベルアップしている。
 問題は、「どちらが国民のためになるのか」を決めるのは有権者自身であって、ナントカ審議会とやらで専門家が「これがよい」と決めるものではないし、政府と与党が密室でゴチャゴチャと決めるものでもない、ということである。「どちらが国民のためになるのか」は、選挙のときにみんなで議論して、有権者として選択しよう―これがマニフェストの意味であり、使い方なのである。
 ここまで使いこなすために、「年金」「景気・経済」「地方分権」「構造改革」など、それぞれの関心のある分野で、“ACTS”が明確に示されているかどうか、まずは比較検討してみよう。この比較検討を他者との共同作業として行うこと―これが「一有権者」を超えて、主権者としてマニフェストを使いこなす一歩である。

与党は業績評価、野党は期待値
 政権選択選挙が意味するところは、旧来のような「反自民」やら「お灸をすえる」やら、あるいは「よりましに〜」というような、情緒的な自己満足の投票行動の余地がなくなることを意味する。当然、無党派の「アンチ」が何かしらの政治的なポジションでありうるかのような空間も消える。
 小泉「改革」の継続か、それとも民主党政権か―与党は業績評価を問われ、野党は政権担当の期待値が試される。この政策競争のなかで、政党と有権者それぞれに責任が問われる。政党には「言いっぱなし」を許さない、有権者には「白紙委任」を許さない。その手段がマニフェストである。
 「年金」「景気・経済」「地方分権」「構造改革」など、課題は山積している。政権を担当してきた与党が、「これから検討します」「〜〜にむけて結論を出します」というのでは、業績評価に値しない。
 「二〇〇万人の雇用を実現」と言うが、日本全体の雇用はこの二年間で三十万人減っている。しかも「増えた」雇用の多くは、非正規雇用である。これで「五年間で五三〇人の雇用を創出する」という政権公約は、実現可能なのか。
 民主党に対しては「執刀経験がない」と批判されるが、野党なのだから執刀経験がないのは当たり前である。問題は、どこまで責任を明示して取り組んでいるか、である。
 「日本総合研究所」は十月二十四日、衆院選に向けた自民、民主両党のマニフェスト(政権公約)を比較、評価したレポートを発表した。その結果、公約の具体性、期限明示などの点で、民主党に対する評価が自民党を上回った。評価できる公約数は、自民党が八十一、民主党が百四十四であったという。(毎日新聞10/24)
 与党に対しては業績評価を、野党に対しては期待値―期待に応えうる信頼性を、厳しく検証することが、政権選択選挙である。

マニフェストを深化させよう
 マニフェストを旧来のような「こんないいことが書いてあります」と伝えるのは、愚の骨頂である。マニフェストは選挙を通じて有権者とともに深化させるものであり、選挙後には与党はその進捗状況をチェックするために、野党は「よりよい」政策を練り上げるために、それぞれ深化させるものである。
 民主党はマニフェストの第一次集約を発表した後も、重点項目の絞込みを検討して、国民の関心の高い「年金」について一項目を設けたり、公示後も、年金給付のモデルや、国から地方への補助金をカットした場合の一括交付金の配分など、具体性をめぐる追加版を発表したりしている。これは有識者の意見や与党の批判に答えるもので、政策論争をより活性化させるためだという。
 自民党は「高速道路無料化は絵に描いたモチ」など、ネガティブ・キャンペーンに力を入れている。
 「ここをもっとはっきりしてほしい」という声に応えるような、マニフェストの深化プロセスをもっているかどうか。これも重要なポイントになる。シンクタンクや専門家などの「政策評価」や対立政党の批判に対して、政党がどう答えているか。あるいは地方分権については、知事会などが積極的に逆提案をしているが、そうしたことにどう答えているか、ここにも注目したい。
 マニフェストは絶叫ではない。一方的な「こうします、お任せください」ではなく、有権者や対立政党との討議を通じて、深化させていくものでなければならない。
 とくに年金、景気は、有権者の関心がもっとも高いテーマである。民主党は年金問題については、当初よりさらに踏み込んで、給付モデルを提示、基礎年金に税金を充てること、将来は消費税をそれに充てることを提案している。
 自民党は「年内にまとめる」としているが(これでは「白紙委任」を求めるもの)、基本的には、現行制度を手直しして維持するという範疇である。つまりはこの間繰り返してきたように、給付削減(年金支給年齢の引き上げ)と負担増の組み合わせで凌ぐ、ということである。これでは将来世代に痛みを先送りし、年金不信を解消することにはならない。
 民主党が「提言」としているのは、年金制度のような国民の人生設計にかかわる問題は、一政権によって決めるのではなく超党派で合意し、政権が変わっても制度の枠組みは変わらないという信頼性の基礎が必要だからである。
 そうした問題も含めて、選挙戦をつうじて、有権者とともに深化させていけるかどうか、そのなかで期待値―信頼性を高めていけるか。それは、「自分は分かっている」という有権者が、「なんとなく不安」という有権者に、「ともに深化していこう」ということで伝えられるか、である。
 「なんとなく不安」なのは、財源問題ばかりが伝えられるからである。だから、「自分だけはなんとか」という防衛策に走ることになる。そういう人でも、「自分さえ食い逃げられればいい」と思っているわけではない(そう思っている人には、しかと説教すべし!)。「安心できる制度にします」と言われるだけでは、かえって不安になるのは、「子どもや孫の世代は大丈夫なのか」「このままで持つわけがない」ということを知っているからだ。
 だからこそ、どういう制度設計が将来にわたって公正さを担保できるのかという議論をしなければならない。その土俵を提示するための、マニフェストである。「こっちのほうがいい制度だ」ではなく、ともに深化させていく土俵として提示するところから、期待値を信頼に転化させることである。
 景気対策もしかり。
 だれがやっても特効薬がないことは、みんなうすうす気づいている。だからこそ「自分のところだけは何とか」と「政治の力」に頼るのが、既得権―政官業の癒着構造である。ここを断ち切って、予算の使い方―カネの流れを大胆に変えるのかどうか。ここでも「官から民へ」を掲げる小泉政権の下で、予算配分がどれだけ変わったのか、業績評価が必要である。財政の問題は「積極財政か緊縮財政か」ということではなく(つまり規模の問題ではなく)、中身の問題、すなわち配分構造を変えるのか、変えないのかということである。
 道路公団の問題も、民営化か、高速無料化かということの本質は、道路予算十一兆円(権益)を残すのか、メスを入れるのかであって、これが残されるような民営化の道を探るというのが政官業の癒着である。道路公団廃止とはこの構造を断つ(特殊法人と特別会計という硬直化した利権の温床にメスを入れる)突破口である、ということだ。
 予算の使い方―カネの流れを大胆に変える、その仕組みをつくるのか、現行の枠のなかでの手直しか。右肩上がりの惰性では、新しい時代の変化に対応できないばかりか、そこには構造となった利権が付きまとう。これを断ち切ることなしに、改革はできるのか、ここを正面から問うことである。

政権選択選挙の扉を開けよう
 はじめての政権選択・マニフェスト選挙である。有権者の八割近くが「マニフェスト」という言葉は認知しており、約半数の人が「政策を参考に投票する」と言っている一方で、「所属政党の公約と違うことを候補者が主張する」ことに対して「理解を示す」有権者が六割程度いる、という世論調査結果もある。
 この総選挙でまず、政権公約・マニフェストで選ぶ、政権選択の一票を投じる選挙とは何か、そのための組織戦はどういうもので、それを担うことができる主権者(バッジをつけた・つけようとする主権者、バッジをつけずに務めを果たす主権者)とは何かということを、実践的に手にしよう。その実践と日々の蓄積こそが、投票率を65%に近づけていく最大の力である。
 政権選択選挙の扉を一歩あけるなら、次にはより深化した、さらに本格的なマニフェストを掲げての政権交代可能な政治のステージが開けてくる。国民主権の力で政権交代を! その歴史的なステージを拓くべく、政権選択選挙の扉を大きく開けよう!
 
《編集部から》
 総選挙の結果については、十一月半ばころをめどに「号外」として発行する予定です。