日本再生 308号(民主統一改題38号) 2004/12/1発行

政権奪取にむけたマネジメントか、政権維持・延命のためのマネジメントか
マニフェスト・二大政党の定着を打ち固め、マニフェスト政党創成の「次の一歩」を戦いとろう

地方分権を実現するための権力闘争の幕開け
マニフェスト(政権公約)と
ローカルマニフェストの連携を平成の薩長同盟へ

 政府・与党が、国と地方の税財源を見直す「三位一体の改革」の全体像を決めたことについて、秋田県の寺田知事は「先送り、不透明で具体的なものが出ていない。(点数は)五十点もいっていない」と述べ、地方への税源移譲が進まない現状について、「主権は国民でなく、官僚と族議員にある」と怒りをあらわにした。「ギリギリ六十点」とした梶原知事会会長(岐阜県知事)も、「改革の精神が感じられない」と批判した。
 三位一体改革とは、@国庫補助金A地方交付税B地方税を「一体で」見直そうというものであり、〇三年の小泉マニフェストでは「〇六年までに補助金を四兆円削減、交付税を見直して地方への税源移譲をすすめる」とされていた。
 三位一体改革の本旨は、地方財政自立改革とでもいうべきものであり、そのために国と地方の関係を見直すこと自体は、郵政民営化などをはるかにしのぐ「改革の本丸」である。補助金削減案の作成を小泉総理から「丸投げ」された全国知事会・市長会など地方六団体は、「地方分権推進」のためにこれに取り組んだ。しかし与党・官僚・政府は、これを相変わらずの「財布の分捕り合い」として扱った。結果、全体像では分権とは裏腹に、「赤字の押し付けあい」という方向性だけが、より鮮明に浮かび上がることになった。
 いまだに小泉「改革」に対して、「これまではできなかったことが、とにもかくにも改革にむけて踏み出した」と言う人は、その
  一歩がどの方向を向いた一歩であるのか、それが「見えない」のではなく「見ようとしていない」「見たくない」というべきだろう。
 マニフェストの検証という側面からみれば、さらに明らかだ。小泉マニフェストの実行第一弾となった〇四年度予算では、補助金の削減は約一兆円、地方に税源移譲されたのは約六五〇〇億円、交付税の実質的削減は約三兆円となった。これによって沖縄県平良市のように、「赤字予算」を組まざるをえないような自治体が続出。自治体の財源不足は全国で二兆六千億円を超えた。
 来年度予算で「補助金三兆円削減」というのは、「〇六年までに四兆円削減」ということの「数字あわせ」に過ぎない。数字あわせの与党案には、地方の裁量拡大にはつながらない「生活保護費の国庫負担率削減」(国の補助率を削減して税源を移譲されても、その分は地方が補填せざるをえないので、地方の裁量は拡大しないばかりか負担増になる)などが盛り込まれていた。分権推進のために案をまとめた知事会は、最終調整の過程では「スジの通らないことをしてまで三兆円削減にはこだわらない」(削減額が三兆を下回っても、分権のスジが通る内容を)とまで述べていた。
全体像では生活保護費の地方負担増は見送られたが(来年都議選を控えた公明党が強固に反対した)、地方が想定していなかった国民健康保険の国庫負担削減が盛り込まれた。国民健康保険の国庫負担率を削減して地方に肩代わりさせるというのは、厚生労働省のかねてからの「改革案」であり、同省にとっては「渡りに船」ということか。

「主権は国民でなく、官僚と族議員にある」と秋田県知事は述べているが、まさに地方分権をすすめるかどうかは、旧い権力構造を守るのか倒すのか、をめぐる権力闘争そのものであることがはっきりした。官僚と族議員に代表される旧い権力が、自らそれを手放すはずはない。小選挙区・二大政党というタガが効くようになるなかでは、自民党内「抵抗勢力」がどれほど騒ごうと、「倒閣」には絶対につながらない(小泉さんには反対でも「民主党と同じようなことを言うわけにはいかない」となる)。旧い権力を維持・延命するために「改革」(のお題目)を扱うという構図は、道路公団改革以上に分かりやすくなった。
地方分権は、この旧い権力構造から権力を奪う(選挙で政権交代する)以外に本質的な部分では進まない。三位一体改革をめぐる攻防は、それを明らかにした。それを成し遂げるのがマニフェストによる政権選択選挙であり、ローカルマニフェストとの連携である。三位一体改革を分権推進のための媒介とし、法定受託事務返上までを構えて政府・与党との攻防に臨んだのは、ローカルマニフェストを推進してきた主体であることは、そのことをよく表している。
 したがって民主党がこの問題で、「相手の土俵に乗る必要はない」という一部の見解を退けて地方案を支持する立場をとったことは、政権交代にむけたマネジメントとして正しい判断であったといえる。民主党マニフェストでは分権を推進するために、「補助金十八兆円を地方に一括交付」としていたが、分権を推進する現実の攻防は「地方案」をめぐるところから始まった。そうである以上、この攻防をマニフェストに基づいて政権交代にむけてマネージできるかによって、政権担当能力は問われる。同時にこの過程こそが、分権に関するマニフェストの深化となる。この圏外でマニフェストを「正しく」深化する道はありえない。
   マニフェストの定着と、小選挙区・二大政党というタガが効き始めたことによって、自民、民主とも(政策や利害、人間関係などで)「党が割れる」可能性はきわめて低くなった。選挙で政権交代という「次の決戦」にむけて、自民党は政権維持・延命のために、民主党は政権交代にむけて、政策課題をめぐる攻防や党内政局などをマネージするという攻防が、通常国会から本格的に開始されることになる。

政権維持・延命で安全保障を扱う総無責任・無統治 これを終わりにする政権担当能力が問われる

 自衛隊のイラク派遣は十二月十四日に期限を迎える。政府は臨時国会での審議をしないまま、閉会後に派遣期間の延長を決定することになるだろう。一月に予定されている総選挙の行方も分からないまま(米軍による武装勢力「掃討戦」は逆に全土でイラク国民の反米感情を激化させ、イラク暫定政府への反発とともに総選挙への信頼性を損ねている)、三月にはサマワの治安維持にあたるオランダ軍の撤退が決まっている。
 「出口」が見えないまま、政府与党は自衛隊派遣の「一年延長」を決めると見られている。「半年」という案も一部にはあったようだが、都議選の時期に自衛隊派遣問題で攻められたくない、という公明党の強い意向と、延期の度ごとに説明しなければならないとの理由で(!)一年間の延長となるようだ。
 まさに、政権延命・維持のために問題を扱うという無統治状態がここに極まっている。政権奪取をねらう野党は、その無統治ぶりを追及することに留まってはならない。野党に問われるのは、「矜持ある撤退」かそれとも「矜持ある駐留延期」か―問題をこのように設定して、与党以上の政権担当能力を示すことであろう。

 サマワがいますぐにファルージャのような状況になることは想定しにくいが、すでに数回の砲撃はある。万一自衛隊に犠牲が出た場合、小泉総理の責任は避けて通れないが、その時に事態をどうマネージするのか。派遣期間延長をめぐる論議は、このことをめぐってシビアに行われるべきものであるが、政府与党はそれを避けつづけた。
「矜持ある撤退」とは、「非戦闘地域か否か」「危険かどうか」という国内でのみ「通用」する屁理屈をいっさい言わず、国際社会で通用する論理、すなわちイラク復興のために必要な国際的枠組みをアメリカに要求する、それが容れられないなら、「義理は果たしたから撤退する」ということである。これが堂々と言えるか。それを言っても、日米同盟はおかしくならないというだけの、安全保障・国防政策および外交戦略への踏み込みがセットで準備できるか、ということである。
 「矜持ある駐留延期」とは、イラク特別措置法という「虚構」(憲法解釈を逃げ続けるために重ねてきた屁理屈が、つじつまさえ合わなくなった)を飛ばして、最低マイナー自衛権は行使できるという法律に改めて、駐留を延期するということだ。その場合でも、オランダ軍が撤退する三月、国連決議でイラク多国籍軍の権限を見直すとしている六月を節目として、延長を検討・検証するのは当然である。さらに、イラクに民主的政府を樹立する期限としている十二月を最終期限とすべきだろう。
 
<マイナー自衛権:国家の自衛権とは区別される、任務遂行上、部隊が行使する自衛権。現在の憲法解釈では「マイナー自衛権の行使」は位置付けられていない。部隊の「防護」についても「(個人の)正当防衛の範囲」「武器、装備などの防護」に限られている>
   何かあったときに、「事ここに至っては致し方ない」とズルズルと事態を追認していく。安全保障や国防の問題ではこれが最悪の亡国の道であることは、大東亜戦争の教訓からも明らかである。武装勢力に攻撃されたとき、マイナー自衛権の範囲で対応することは常識であろうが、今はその行為についてもその結果についても、法的には何も担保されていないのだ。
こういう状態で自衛隊(軍隊)を海外に送っている以上、政治の責任の所在は明確でなければならない。「事ここに至っては致し方ない」では済まされない。このように政権担当能力が問われている。政権維持・延命のためにすべてを扱う自民党は、ここで無統治状態が全面露呈しているが、民主党に問われる政権奪取へのマネジメントは、ここを先送りせずシビアに論議していくこと、それを可能なかぎりオープンにしていくことではないか。
 小選挙区・二大政党が定着するなかでは、「党を割る」という力学はきわめて働きにくい。自民党はそれが、延命のためには何でもアリ―どんなに小泉さんに反対でも、最後は政権維持のためにまとまる―ということになっており、公明党もほとんど運命共同体のような状態になっている。民主党は「割れるかもしれない」という世評に惑わされさえしなければ、大いに議論できるし、まとめることもできるはずだ。その姿を見せることが、なによりも政権担当能力を示すことになるのではないか。
 湾岸戦争は、わが国の安全保障政策体系を大きく変える(変えざるをえない)転機であり、従来の憲法九条の解釈では収まらない領域に入らざるをえなくなった。これまでの憲法解釈が一定の妥当性をもった歴史的な背景・枠組みが変わったにもかかわらず、その改変を正面から議論することを先送りし続

け、小手先の対症療法に終始してきたことは、政治の怠慢以外のなにものでもない。そのツケが、これまでの政府見解(多国籍軍への参加は憲法上できない)の変更もなしに、イラク多国籍軍に参加する(指揮下には入らない?!)という、法治国家にあるまじきとてつもない事態を招いた。これをまっとうな論理でマネージできるかが、政権担当能力にほかならない。 
 イラク全土に非常事態が宣言され特措法の前提は崩れた、自衛隊はいったん引き上げて、きちんとした法律をつくってから出すべきだ―というアイデア自体は、自民党のなかからも出ている。しかし、それを実現する党内マネジメントができるのは、どちらなのか。それを有権者からも問うべきステージが始まっている。小選挙区・二大政党というタガがはまったなかで、自民党と民主党の違いを政権担当能力として見せていくステージである。

政権奪取のマネジメントから「依存と分配」の権力構造を切り崩す/日常活動と「処世の術」

 通常国会の最大の焦点とされるのは郵政民営化であるが、これも道路公団、三位一体と同様に、政官業癒着の構造の基本は温存する形で与党内の決着が図られるだろう。自民党内では「基本は民営化、形は別の話」と、政府の基本方針である四分社化(郵便、貯金、保険、窓口ネットワーク)ではなく、三分社化(郵便と窓口を一本化)や公社を丸ごと民営化、分割はその後の経営状況を見てという案まで出ている。
 「何のための民営化か」という目的は形式的にもどこかへ飛
  んで、形だけ「民間」の看板に変わればいい、という政権維持・延命のための落しどころはミエミエだ。ここでも「これまではできなかったことが、とにもかくにも改革にむけて踏み出した」と言う人は、その一歩がどの方向を向いた一歩であるのか、それを意図的に「見ない」「見せたくない」というべきだろう。
「郵政改革だって同じです。本当に郵政改革をやるなら、特殊法人のところを変えるのが当たり前ではないでしょうか。ところが特殊法人のところはまったく手付かず。それどころか、先ほど国債の話をしましたが、(特殊法人の資金である)財投債はまた国が買っているんです。ちょうどタコが自分の足を自分で食べているようなことをずっと続けている。それは(小泉さんの「郵政民営化」では)止まらないんですよ」(関西政経セミナーでの原口一博議員の講演。六―九面に掲載)
 国民のコントロールが及ばない「私物化された官」(特殊法人・特別会計)から、文字通り「公的規制なき民」へ看板が変わる―郵政民営化とはこのことにほかならない。抵抗勢力とどんなにもめようが、政権維持・延命の側ではこの本質は変わらない。
 政権奪取にむけたマネジメントとは、官を私物化し公を歪めている者から権力を奪うために、どのように同志間の信頼関係を構築し、どのように味方内部の矛盾を解決し、いかにして幅広い人々を友として協力関係を結び、相手陣営内部にまで「寝返り」の工作を仕掛けるのかという戦略戦術を深めることにほかならない。そのためには、「自立と創造」の主体勢力(本隊)を力強くつくりだすとともに、「依存と分配」の基礎からの分解を組織することが不可欠である。

 ここはこれまで補助金にぶら下がり、利権政治の内側で生きてきたからこそ、本当にもう「配るカネがない」ことが分かり、生存のためには「二股をかけるほかない」という形で二大政党のリアリティーが実感できる部分である。護送船団のなかでのサラリーマン社長より、仕事をもらうために自民党の選挙をやってきた中小企業の社長のほうが、よほど世間を知っている。ここでは(「敵の敵は味方」式の)「対敵共同」から入るのは下の下の策であって、「生存のためには政権交代しかない」ということに生活ではウソがない、という部分との信頼関係をつくることが先行しなければならない。(それなしに「抵抗勢力」と「対敵共同」を組もうとすれば、「自民党とどこが違うのか」ということになる)
 当然その信頼関係のつくり方は、「自立と創造」の本隊―主権者の本隊との信頼関係のつくり方と同じではない。権力闘争をマニフェストでマネージできる世界では、理の力が全てであるが、生活で権力闘争の意味が分かる部分(「生存のためには政権交代しかない」ということにウソがない部分)は、情における信頼があってこその理、ということである。
 護送船団のサラリーマンや小市民のなかでも「脱無党派」(マニフェストの意義)の意味が分かっていない部分は、権力闘争といえば「利権の分捕り合い」として距離を置く。生き死にや生活に関わる実感がないから、理は屁理屈、情は主観心情としかならない。マニフェストに関わる「責任」も「信頼」も分からずに、「政策がいいか悪いか」というこの世界が、「政策は支持しないが小泉は支持する」「政策は民主党だが、政党としての支持は留保する」「自民党も民主党も同じでしょ」という無党派の最後の基礎ということになっていく。ここに立脚して権力闘争を戦うことはできない。
   小泉自民党総裁、岡田民主党代表、それぞれの任期中の攻防は、政権維持・延命のために全てをマネージする与党と、政権奪取のためにすべてをマネージする野党という構図になる。政策の争点設定も、ここに焦点が合わされる。別の言い方をすれば、政権奪取の側からは、そのための組織陣形・人間関係をどうつくるのかということが、すべての問題設定になる。
 総選挙にむけて、三百小選挙区にいかに「よい候補者」を立てていくか。公募なら延命のために自民党も行っている。現職との差し替えも辞さず、というくらいまで、候補者の選抜・育成に踏み込むには、同時に差し替えを可能にするまでの「日常活動」、党員・サポーターが不可欠となる。
 また、政権交代のために最後はまとまる、という「処世の術」も身につけなければならない。政権維持・延命のためには「何でもアリ」でまとまるというのが自民党の「処世の術」なら、政権奪取のためにまとまるからこそ、先送りせず徹底的に議論するという「処世の術」を、政権担当能力として国民に見せていくことであろう。
 来年はこのような意味で、マニフェスト政党創成の基礎をしっかり固め、拡大する年であり、四月の福岡二区補選と夏の都議選はその大きな節目となる。
 自民・公明の与党は、憲法改正手続法について合意し、〇五年の通常国会に提出することとした。政党政治がしっかりしていれば、憲法改正は国会の三分の二が必要であるから、過半数を争うテーマ(政権交代の争点)にはなりえないという仕分けができるし、そうであるなら選挙前に与野党が「憲法を総選挙の争点から棚上げする」という合意が可能になる。しかし政権維持・延命のためには、場合によっては「憲法」を争点に

することで、政権交代を焦点ボケさせることもありうる。これを封じる意味も含め、民主党は政権奪取のためにまとまるからこそ、先送りせず徹底的に議論するという姿をしっかり見せる必要があるし、そのことで国民世論を喚起し、論戦の主導権を握る工夫が必要になる。
 国会の憲法調査会の最終報告は五月に予定されている。これをもって「改正論議が加速する」というような浮ついた論調では、政党政治や政権交代と憲法の仕分けすらできていないということだ。ようやく普通に議論する環境ができ、論点がピックアップされる。ここから国民的にいかに論点を熟成させていくか。これは数年かけてきちんと議論すべきである。少なくとも、自民党の改正大綱のように全文を書き換えて、「これで賛否を問う国民投票を」というようなシロモノではないことは確かだ。こうした政治文化の成熟と「政権交代可能な二大政党」への脱皮とはリンクする。政権奪取にむけたマネジメントは、このことも視野に入れる必要がある。(憲法問題については、三〇七号掲載の枝野幸男議員のインタビューならびに三〇九号(新年号)掲載予定のシンポジウムの内容を参照されたい。)
   政権維持・延命のために事態をマネジメントしようという側(与党)からの「ポスト小泉」の名分は「政権延命のために時間を使うことそのものが、国家国民のためにならない」という「江戸城明け渡し」の決断だろう。それを後押しするのは、「依存と分配」の基礎にいた部分からの、「生存のためには政権交代しかない」という生活の声にほかならない。「世のため人のため、国民政党として出直す」という決断ができるサムライは、自民党にもまだいるだろう(?)。そこからこそ、自民党が二大政党の一翼たりうる国民政党へと脱皮する道(険しい道ではあるが)が始まるのではないか。
 今年は〇三年総選挙と参院選のセットで、マニフェスト・二大政党が後戻りできないところまで定着し、マニフェスト政党創成期の幕が開いた年である。〇七年には統一地方選と参院選があり、それまでに必ず総選挙が行われるというここ二、三年は、選挙による政権交代にむけた正念場となる。それは同時に、国民主権による憲法改正を可能にするために不可欠なステージでもある。〇五年、そのための着実な一歩一歩を踏み固めていこう。