日本再生 309号(民主統一改題39号) 2005/1/1発行

あろうべき二大政党にむけてマニフェスト政党創成の「次の一歩」を戦いとる年」
「標準モデル」の惰性の継続か。「選択と集中」への切り換えか
―政権選択の争点を鮮明に

二、三年が、二〇五〇年の日本の姿を決める
〇五年、何をすべきか

 〇四年を表す文字は「災」であった。少子高齢・人口減少社会の到来、天文学的な財政赤字、中国の台頭という大きな時代の津波は、すでに水平線からその姿を大きく現し、迫ってきている。「先送り」を繰り返した揚げ句、なす術もなくこの津波に呑み込まれていくのか、それとも「回天」の最後のチャンスをつかむのか。〇五年はその方向を決定付ける重要な年となる。
 早ければ来年(〇六年)から、わが国の人口は減少し始める。大きく言えば、終戦時七千万人の人口が一億三千万のピークを打ち、二〇五〇年には八千五百万になるというサイクルの、ピークから下り坂への転換を迎えるのだ。それは毎年人口が六十万人減っていくという、かつて経験したことのない時代である。六十万人というのは、相模原市や浜松市の人口に匹敵する。
 出生率が一・三を切る時代とはイメージ的には、みんなが一世帯一軒の家を持とうとして住宅が増えていった時代から、(そうしてできた住宅の)二軒に一軒は廃屋になっていく時代である。二〇一〇年ころからは高度成長時代の巨大インフラが更新期を迎えるが、この時はすでに高齢社会・人口減少時代に突入しており、当然、「すべて」を更新することはできない。バブル期の建造物は(当然、現在の都心再開発も)、その多くがこのままなら使い手もなく、更新もできずに廃墟になるしかないだろう。
   年金一元化の論戦は、こうした時代の転換が視野に入っているのか、いないのかという問題(民主党案と自公案のスタンスの違い)でもあったが、年金に限らず社会保障、税、国土計画、都市政策など社会政策のパラダイムチェンジは、この二、三年が最後のチャンスである。
 例えば「年金一元化」一般は、与野党ともに言うが、〇九年から一元化した新制度への移行を始めるという民主党案に対して、自公はタイムテーブルを示していない。「時間をかけて抜本的改革を」と言って、高齢社会真っ只中に突入したころになって「一元化」するということで、はたしてもつのか? つまりマニフェストの「争点」は政策一般(一元化に賛成かどうか)ではなく、いつまでに、どのようにという点なのだ。
 〇七年からは大量の団塊の世代が退職期に入る。彼らが社会保障費の払い手から受け手に変わる前に、大筋の方向を決める(国民合意)ことができなければどうなるか――ここから考えれば、〇五年に何をどう決断しなければならないか、その大きな意味は明らかだ。団塊世代の大量の退職に対して、退職金を積み立てている自治体はきわめて少ない。塩漬けになっているバブル期の土地購入(土地公社問題)などとならんで、団塊世代の大量の退職は自治体財政の危機を、隠しようもなくさらけ出すことになる。三位一体改革ですでに実質的に赤字予算を組まざるをえない自治体は、今の数字のつじつま合わせさえ、できなくなるということだ。
 二年後に直面するこの問題に目をつぶって、自治体首長、議員の選挙はありえるか? 今年は平成の大合併で誕生した新市の選挙が各地で行われるが、マニフェストでしっかりとこの

問題をとりあげ、住民自身に選択を問うことなしに、この先の自治体運営はありえるのか? 〇五年、マニフェストの政治文化をローカルマニフェストとしてさらに定着させるべきである。それがこの二、三年の舵取りの成否を決することになる。
 中央政府は赤字を地方に押し付けることができるが、基礎自治体はもはやそれを「誰か」に転嫁することはできない。逃げようのないところから、事実と向き合い、「政治家は政策をつくれず・官僚は先送り・有権者は白紙委任」という無責任連鎖の三位一体を断ち切ること。有権者自身の責任の回復をよりシビアに問い、マニフェスト(政権公約)を深化せよと政党に要求するまでの、マニフェスト政党創成の基盤として打ち固めること。これが「バッジをつけた主権者」と「バッジをつけない主権者」の協働の課題である。
 〇五年末には国と地方の債務残高七七四兆円、GDPの一・五倍となると見込まれている。これは先進各国のなかでも、べらぼうな数字である(G7は多くてGDPの7割どまり)。ヨーロッパ各国は統一通貨ユーロによって、財政規律が保たれている。米国は、ドルの基軸通貨としての信用が維持できる範囲にコントロールが効く(今のところ)。日本だけが財政の暴走を続けてきた。いつからか? 九八年自公政権からである。この間の「景気対策」で大量発行した国債が〇八年から償還期を迎える。俗に言う「〇八年問題」とは、国債償還のために国債を発行しなければならないという「アリ地獄」が本格的に始まるということだ。
 今年度予算案に、その危機感はあるか? 整備新幹線、関空二期工事、補助金、特別会計。どれをとっても無責任構造の「タレ流し」である。。十五年後、二〇二〇年の七十歳以上の人口は、二〇〇〇年に比べて一・八倍になっている。整備
  新幹線や関空二期工事は、十五年後のこういう社会のニーズに答えるものなのか?
 ついでに言えば、九八年からの「景気対策」では地方に補助金で大量の公共事業をばらまいた(公共事業という名の福祉政策)。この補助金で要りもしないものを(くれるというのだからもらわなきゃソンだ、という発想)つくった地方自治体は、大きな債務を抱えることになった。反対に「いらない」といった自治体は比較的健全な財政状況で、〇七年からの大量退職を迎えることになっている。そうした自治体の首長がマニフェスト感覚で自治体を運営しているのは当然だ。
 またこの間、行政改革に取り組んできた首長は、多少でてきた「余裕」を次の時代の社会ニーズに見合った施策に振り向けられるようになっている。こうした首長が、マニフェストで自治体を運営していることは言うまでもない。
 この十年、国政レベルでは小選挙区制の導入に始まり、マニフェストと二大政党の定着の糸口が生まれてきたが、自治体レベルでもこのような蓄積が確実に存在している。だからこそ、補助金改革を丸投げされた地方六団体が、身を削っても自立の道をという方向をまとめることができた。それゆえに、小泉内閣の「三位一体」がどの方向を向いた一歩なのか(地方分権を進めるのか、それとも赤字を地方に押し付けるためか)が、あぶりだされた。
 この二、三年、このまま高度成長期の惰性―「国土の均衡ある発展」「標準モデル」という発想―を続けるのか、それとも新たな社会ニーズを見据えて「選択と集中」に切り替えるのか。選択すべき政治的争点は、ここに絞られる。この切り換えこそが、政権交代の本質でありすべてである。それをより明確にするように、マニフェストは深化されなければならない。

 「この馬鹿な予算でこのまま行けば、来年の都議選挙は政権交代の予備選挙になってしまう。自民党はきっと第一会派の座を明け渡すことになるだろう。それでよいのか?その方が馬鹿どもの退場が早まるから良いという気もするし」(河野太郎議員のメルマガ)。与党の側からも、ここに焦点を合わせられるところから次の可能性が生まれてくる。
 〇五年、きたるべき政権選択の争点をより鮮明にし、組織的に絞り込んでいくこと。マニフェスト(政権公約)とローカルマニフェストをここからリンケージし、ネットワーク化していくこと。そしてここからこの二、三年(この間に必ず総選挙が行われる)の政治決戦を準備し、政治日程を組み上げ、人事を決していくという政権奪取のマネジメントを鍛え上げる重要な一年である。

政権交代への突破力は、
マニフェスト政党創成の「次のステージ」を見据えた戦略からこそ

 マニフェストは、野党にとってはこれで政権を取るという権力闘争の武器である。与党にとっては、これで政権を維持するという権力闘争の武器でなければならない。自公のマニフェストはそうなっていない。だからこそ政権延命のマネジメントは、より無責任連鎖を増殖させるという以外になくなることになる。
 こうした政権延命のマネジメントを封じるところまで、民主党は政権奪取のマネジメント能力を鍛え、磨きあげていかなければならない。無責任連鎖での延命策を断つのは、有権者の基
  盤からの責任の回復―主権者としての底上げにほかならない。
 選挙で政権を決するというのが民主制度における最高の権力闘争である。主権在民とは、権力の所在は国民にあるということだ。主権者にふさわしい責任ある参加なのか、それとも無責任な無党派参加なのか。これが権力闘争を決する。だからこそマニフェスト政治文化の定着は、非マニフェスト政党を政党の態すらなさない「終わりの終わり」へと追いやり、その立脚基盤である無党派主義(無責任連鎖)を包囲する―基盤からの責任の回復が当面の政権奪取に向けた組織戦の要となる。
 マニフェスト政治文化のさらなる定着と基盤からの責任の回復、これをマニフェスト政党創成の「次の一歩」の側から促進していくこと。政策をめぐる争点設定はもとより、政局のハンドリングにせよ、党内運営にせよ、政権奪取のマネジメントはここから鍛えられる。
 いいかえれば、政権交代は「ゴール」ではなく「新たな始まり」であり、二〇五〇年の社会を見据えてマニフェストを競い合う、本来の(あろうべき)二大政党をつくり上げていく「正規の」ステージがここから始まるということである。「馬鹿どもの退場」の後に現れるべき二大政党へと脱皮する新たな戦いが、自民、民主ともにここから始まる。この「次のステージ」から現在の事態を引っ張っていく戦略性こそが、政権交代への突破力の源泉であり、その権力闘争における主導性、能動性にほかならない。
 深化したマニフェストから政権交代にむけた政治日程を主導

的にハンドリングし、その政治闘争の武器としてさらに鋭く鍛え上げていくこと、政策論争のマネジメントとはこのことである。この組織戦にふさわしい人材を育成し、「使いものになる」ような組織へと改革していくこと、これが党改革のマネジメントである。そして政局においては、無責任連鎖の道を二方面から断つ―基盤からの責任の回復と、マニフェスト政党創成の「次のステージ」を見据えるところから断つ―ことで、いわゆる「解散に追い込む」主導性をにぎること。
 これは「五十五年体制」の野党発想―政権弱体化のために何でもアリ―とは次元が違うし、その裏返しとしての「何でも反対ではダメ」→「正論で勝負」という次元の話でもない。マニフェストは権力闘争の武器である。「どちらがいいことを言っているか」と正論を競っているのではない。(これでは、数の力で無責任を押し切る与党の前に無力感になるか、「だから多数を取らなければ」と自己撞着になるか、「何でもアリ」になるかしかない。いずれにしろここからは、有権者に政権奪取のロードマップへの参加を訴えるエネルギーは生まれない。国会での攻防が有権者に働きかける活動のエネルギーに転じなければ、「永田町のなかでの話」に収まってしまう。)
 マニフェストは、政権をとってこれを実行しますということである以上、マニフェストの価値観で権力闘争(決着は総選挙)をやるということである。だからこそ「王道を行く」(マニフェストで説明できる
権力闘争)“ライオンの強さ”と
同時に“キツネのずる賢さ”を兼ね備えることが必要だという話になる。
   例えば「集団的自衛権」について、内閣法制局の憲法解釈(権利はあるが行使できない)は法論理からみてもおかしいし、その解釈に妥当性があった歴史的背景の変化からみても変更すべきである、というのは与野党を問わずほぼ正論となっているだろう。同時に、自衛権を行使するにしてもフルではなく、一定の制約原則(専守防衛など)を法的にも明示すべし、ということも合意できるだろう。ならば政権奪取をねらう野党第一党は「憲法改正をせずに、ズルズルと解釈で何でもアリはおかしい」と批判するよりも、「これまでの解釈は妥当性を失っており、変えるべきを変えなかった自民党政権の誤りである。われわれは政権をとればこう変える」と言うほうが、政権戦略からも得策であるばかりか、国民への説明からも「分かりやすい」のではないか、という話になる。ここへ党内論議を集約していくマネジメントが期待されるし、それを後押ししていけるまでの「バッジをつけない主権者」が大量に必要だということになる。
 政権交代への突破力、そして政権奪取のロードマップから政局、党改革、政策論戦などをマネージしていく力をつくりだす―バッジをつけた主権者とバッジをつけない主権者の協働を、この地平へと深化・飛躍させなければならない。

二〇五〇年の東アジアに、わが国が存在感をもってあり続けるために

 この二、三年を「さらに失う」のか、ここで転換できるかは、二〇五〇年の東アジアにおけるわが国の位置・あり方にとっても決定的である。

 拉致問題をめぐって北朝鮮に対する制裁論が高まっているが、ここには外交の姿がまったく見えない。政府間の正式な外交交渉の場で平然とウソをつき、ニセの「証拠」を出してくる北朝鮮の対応は断じて許されるものではないが、制裁というのはシビアな外交カードである。それを切る以上は少なくとも、アメリカならびに中国との間ですりあわせを行い、北朝鮮包囲網を形成する(六者協議を人質にとってゴネる、あるいは軍事的な挑発に走るということをさせない)というのが、本来の外交の姿であろう。
 アメリカとの間では当然、安全保障上のすりあわせが必要である。イラクで手一杯のアメリカは、アジアであえて事を起こしたくはない。それを説得し、協力をとりつけるだけの同盟外交ができているのか。「北朝鮮問題があるからイラクではアメリカに協力せざるをえない」ということでは、米軍再編への対応はおろか、この程度の目先の交渉さえできない。
 中国からは最低、(制裁発動に対する)暗黙の了解をとりつけ、中国が北朝鮮のさらなる挑発を牽制する姿勢であることが、北朝鮮にも分かるようにすることが外交の基本であろう。靖国問題にこだわって、中国とのまともな対話ができない総理に、そういう外交が期待できるか? 対北・対中強硬派を演出するために訪中日程をキャンセルする「ポスト小泉最有力候補」に、これに代わる新たな戦略外交を期待できるのか?
 東アジアでは当面の問題は北朝鮮であり、中期的には中台、長期的には中国が焦点であろう。イラク戦争で手一杯のアメリカは当面、北朝鮮問題については中国の協力でマネージしたい(六者協議の仕切り役)。中国は対テロ戦争での米中協力に加えて、六者協議でアメリカに協力することで、台湾問題でアメリカの協力を得たい(独立傾向にブレーキをかける)。
  こうした米中の思惑のなかで北朝鮮問題は動いている。ここで外交を展開できなければ「出番」はない。当然、米軍再編に対してもまともな対応は(受け身の範疇でも)できないし、日米間の戦略対話などできるわけがない。
 この間中国は経済発展を優先し、そのためには国際環境の安定が第一であるという、経済中心主義戦略とでもいうべき戦略をとってきた。対テロでのアメリカとの協調も、対日新思考も、東南アジアとのFTAも、その一環である。この機会をとらえて米中間でマネージされる東アジアの国際関係のなかに独自の地歩を築く外交的チャンスを、わが国は逸してきた。その端的な現れが、「政冷」といわれる日中関係である。
 機会を失った原因は、はっきりしている。外交を政局の道具に使ったからである。小泉総理の靖国参拝は、信念でも何でもない。総裁選で遺族会の票をもらうために、靖国参拝を「公約」したのだ。二度の北朝鮮訪問の動機もしかりである。
 本来の外交からすれば、六者協議と日朝交渉のダブルトラックはわが国にとって、アメリカとは別の視点から(地域安保の視点から)の外交ゲームを行う機会であり、同時にそれは経済中心主義戦略をとる中国に、「地域責任大国」の役割を振付けて新たな関係を築くチャンスでもあった。そのことは台湾に対する中国の武力行使オプションを限りなくゼロに近づけ、今後の中国の台頭をより「予測可能な」範囲のものにする道を拡大することにもつながったはずだ。
 中国がどんなに嫌いだろうと、否応なく付き合わなければならない巨大な隣国である。しかもその台頭は大きな影を伴っており、将来に大きな不安定要因をはらんでいる。それは軍事的な側面よりもむしろ、経済社会的な混乱・不安定性であり、世界を引きずりこむ規模になりかねない(中国が外貨準備の

シフトを今以上に大きくユーロに切り替えれば、ドルは不安定になり円は大変なことになるという関係からも明らか)。この不安定性を可能な限り「制御可能な」範囲にコントロールする―グローバル化の影を再統治するための新たな重層的枠組みをこの地域につくりだすこと。それはわが国の国益上からも死活的な問題である。そのための機会と時間をこれ以上失えば、二〇五〇年の東アジアにおけるわが国の存在感は大きく後退せざるをえない。(人口減少社会は低成長社会であり、カネの力で存在感を獲得できたこれまでとは違う世界になっている)
 領土問題や潜水艦など、言うべきことは言ったうえで東アジアの安定(経済、安全保障ほか)のために協議すべきことは協議するという成熟した関係が築けなければ、さらに機会を失うことになる。これをあと三年続ければわが国は、東アジアの問題でもアメリカ経由でしか中国と交渉できない国になりかねない。
   〇五年、抗日戦争勝利六十周年を迎える中国との関係をマネージするのは、これまで以上に難しくなるだろう。しかし沿岸部を中心に、中国のナショナリズムも多元化しつつある。全力で走りつづけなければ倒れてしまう―高成長の維持は中国の抱える不安定要因の深刻さの表れでもある。
 こうした多様な角度から事実をとらえる忍耐力を失えば、外交を政局の道具に使う無責任連鎖に煽られ、国策を誤ることになる。ここでも有権者が賢明な主権者へと成長・脱皮することが求められている。その力で、残された東アジア戦略の機会を活かすための政権交代への確実な地歩を築いていこう。