日本再生 313号(民主統一改題43号) 2005/5/1発行

グローバル化時代における国家・市場・社会の役割と相互関係を再定義する論戦を
−政権選択の論争軸を提起する−

「歴史問題」の基底にある
東アジアの戦略環境を直視しよう

 今年に入って急速に高まってきた韓国、中国の反日姿勢は改めて、戦後六十年の年に「歴史」とどう向き合うかという課題を、日本および日本人に突きつけている。
 もちろん個別の事象について言えば、「竹島」問題についてはこれまで問題を放置してきた日本外交の怠慢であり、さまざまな戦後処理問題については、日韓・日中間の合意を踏まえて対処すべきである。また外国公館や現地企業に対する違法な破壊活動は、いかなる理由であれ正当化されるものではないし、それを阻止することは当該政府の国際条約上の義務である。
 こうした問題については政府はもとより、国民のレベルにおいても冷静かつ国際条理にもとづいて対応すべきであるのは当然である。感情的な反発や「報復」的行動は、国際社会におけるわが国の立場を損なうという一点で、国益を害するものであることを国民的な常識にしなければならない。
 この点で、今回の「反日」運動と一九一〇〜二〇年代のナショナリズムとは、それをとりまく歴史的環境に大きな変化があることを見逃すべきではない。一言で言えばそれは、グローバル化され相互依存が深まった国際社会、である。暴徒化した反日デモを当局が「容認」している(少なくとも積極的に制止しようとしていない)とみなされた時に、国際社会から中国に向けられた目は「これでオリンピックが開催できるのか?」であった。現にサッカーの国際試合で、自国に不利な判定に対して観客が暴徒化した(「愛国ゆえの行動」とみなされる)北朝鮮
  に対しては、「中立国での無観客試合」というペナルティーが科されている。
 「愛国無罪」は元々、一九三〇年代の抗日運動のスローガンであり、一九八九年の「天安門事件」の時にも学生が掲げていたものであるが、今回はグローバル社会が見えない「愛国」は亡国に道を開くことを、中国のみならずわが国においても、国民的常識にすべきことが明らかとなったのではないか。
 第二に、韓国との間では九八年、金大中大統領来日時の「日韓共同宣言」(二十一世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ)という外交資産があり、中国にはここ数年「対日外交の新思考」という好機があったにも関わらず、これらを生かすことが出来ずに「無為の日々」を重ねてきたという、わが国外交の失政を問わねばならないだろう。この問題は、日米同盟の再設計―グローバル化と表裏一体でもある。日米がグローバル同盟たらんとするなら、わが国が東アジアやEUとの戦略的外交を進めるのは当然である。それが欠落すれば、ワシントンのポチと揶揄されるようなものにしかならない。
 言い換えればこうである。今回の反日デモの破壊活動について、仮に最初から中国政府が謝罪と補償を明らかにしていたら、果たしてわが国になすすべはあっただろうか。中国政府の対応がそうではなかったために、国際的な批判ももっぱらそちらに向けられ、わが国も「言うべきこと」があったわけだが、最初から謝罪と補償が明らかにされていた場合に、日本外交が発信すべき「何か」がどれだけ準備されていただろうか。東アジア戦略について語るべき中身も、それを実現するための試行錯誤の教訓ももたないままでは、国連常任理事国に手を挙げたとたん、(事情はどうあれ)近隣諸国から嫌われていること

だけがクローズアップされる結果となったのではないか。
 中国政府はとりあえず、事態を沈静化することができるという統治能力は示した。そのうえ日中首脳会談で「台湾問題の適切な処理」を持ち出して、台湾問題で日本を牽制するメッセージも送っている。おりしも、台湾の第一野党国民党の連戦主席と胡錦濤主席との歴史的な「国共トップ会談」が北京で開催された。
 「歴史」問題は過去の問題ではない。ポケモンをはじめとする日本のアニメやゲームに夢中になって育ち、「豊かさの象徴」である日本製品に囲まれた生活を当然のものとして享受している中関村のヤンエグたちが、なぜ「反日」を叫ぶのか。(中関村:「中国のシリコンバレー」と呼ばれる北京郊外のハイテク集積地。)
 「グローバル化のなかでは国境を閉じることはできませんが、逆に人々はアイデンティティを求めるわけです。グローバル化とアイデンティティー・ポリティクスというのは同時進行になります。それは避けられない状況で、必要でもあります。ただアジアで厄介なのは、過ぎ去った近現代史を再解釈することで自らのアイデンティティーを探そうとすると、日本、中国、韓国の間がゼロサム・ゲームになってしまうのです。〜これは日本だけの課題ではなく、北東アジアの課題です。グローバル化のなかで新たなナショナル・アイデンティティーは必要ですが、中国においても韓国においても日本においても、これをいかにプラス・サム的なものに作っていけるのか」(李鍾元・立教大学教授/04年第56回定例講演会)
 「この(東アジアの歴史的)変化の基底には、グローバリゼーションの浸透と大多数のアジア諸国の経済発展に伴い、あるレ
  ベルでは自信に裏打ちされた新しいナショナリズムの傾向が見えるし、また別のレベルでは社会的、経済的、文化的変化が各国内の政治的負荷を増大させる傾向も見える。いずれにせよ、社会的、経済的、文化的相互依存の深化が国際協調を強めるという議論は、そのままの形では受け取られなくなっているのである。
 特に東アジアではこの傾向が顕著であり、〜中略〜歴史問題が繰り返し日本と中韓の論争の種となっているのも、交流の不足、相互の無知無理解の故というよりは、通信手段の発達によって各国内で行われている議論が海外に伝わり、それが世論の怒りを引き起こすという傾向が強まっていることの表れである。
 しかも冷戦期には各国の政治にある種の構造的枠組みが存在しており、世論の怒りを吸収・昇華することが比較的容易だったが、現在では各国の政治は流動性を強めており、一度火がついた世論を抑えて政府間の外交的な『政治決着』に至ることはかつてよりはるかに困難になってしまった」(中西寛・京都大学教授/フォーサイト4月号)
 わが国が持つべき「東アジア戦略」の歴史的なステージとは、かようなものにほかならない。戦後六十年の節目に、国民国家の枠内で「普通の国」を目指すことは自己矛盾以外のなにものでもない。ここを卒業した新たな地平で国家像、わが国のありようを問うことができるか。問われているのは、国民国家を相対化した新たな統治のありかたであり、そこから国民国家をリフォームすること―必然的に市場・資本と国家・政府および社会・共同体との関係ならびに役割を再設計すること―である。これを政権選択の骨太の論争軸として政党が提起でき

るか。そして有権者のなかに、国民国家の枠内での「普通の国」の再構築ではない、二十一世紀の国家像を論じる政治文化がどこまで熟していくか。これが、戦後六十年の節目のわが国に問われる課題ではないか。

21世紀の国家像と国民主権のありかた
−憲法論議によせて

 四月十五日、衆議院憲法調査会は五年間の議論をまとめた最終報告を提出した。五年間の議論の成果について、民主党憲法調査会会長である枝野幸男衆院議員は、次のように述べている。
 「五年間で三つのトラウマからほぼ脱却できた。一番目は押しつけ憲法論。米国からの押しつけかどうかとの後ろ向きな議論をしなくてよくなった。二つ目は護憲か改憲かという二元論。どう変えるかで賛否が分かれるのだから二元論はありえない。三つ目は九条。九条は問題の一つに過ぎないと整理された」(4/16読売)
 憲法調査会最終報告の意義はなによりも、戦後政治を分断してきた「憲法問題」をイデオロギーの拘束から解き放ち、五十五年体制を清算した土俵のうえで現実的に議論することを可能にした点にある。まさにここからが本格的な憲法論議のスタートとなる。現実的には、憲法改正の手続き―国民投票法案を引き続き議論しつつ、共通合意できる部分(三分の二の賛成が得られる部分)から部分改正を積み重ねていくというプロセスがノーマルであろう。同時に「二十一世紀の憲法のありようとは」という大上段からの議論を喚起することは、前述した東
  アジアおよびわが国の歴史的な環境に向き合ううえからも、きわめて重要となる。
 しかも今回の憲法論議は、事実上はじめて、憲法のあり方を国民自らが決める機会となる。明治憲法は欧米の外圧の下で急速な近代化を迫られるなか、少数の関係者によって制定されたものであり、その過程はきわめて閉鎖的なものであった。現憲法は手続き上はわが国議会の審議を経て制定されたが、敗戦後の占領下という制約が強く働いたもので、その過程は国民に開放されたものではなかった。今回ははじめて国民自らが憲法のあり方を決定し、そのことを通じて「世界と問題意識を共有する」(中西寛・京都大学教授)歴史的にも大切な機会になる。国民国家の時代の枠組みで「国のありかた、世界との関わり方」を論じることを卒業し、グローバル化時代の国の役割、社会の役割を問い直す好機とすべきであるし、それが「二十一世紀の東アジアに生きる顔」を持つことにつながる。
 冷戦の終焉によって人類史上はじめて、単一のグローバル市場が出現した。それは「資本が国家という枠組みから解放された『資本の時代』」(佐々木毅・東大学長3/17日経新聞「やさしい経済学」)であり、国境を超えたグローバル競争の時代である。同時に先進国間での戦争が起きる可能性は去ったが、「周辺」部分の紛争や価値観の衝突が秩序を不安定化する時代となった。これにどう対応するか。国家の役割、ありかたは国民国家の時代から大きく変容が迫られている。ここで、二十一世紀の憲法のありかたを論じることが求められている。「日本としても新たな国際秩序の構築に参加し、グローバル化時代の問題を世界と共有することしかありえない」(中西寛・京都大学教授 4/27日経「経済教室」)のである。

 超国家的な国際機関(WTOや国連、あるいはEUなど)の役割とそこへの主権の一部委譲が比重を増す一方で、より「下位」の社会や地域、共同体の自主運営・自主決定の比重も大きくなる(分権化)。他方で、「解放された資本」は福祉国家を侵食していく。国民国家の帰結は大衆の政治参加と福祉国家(国民を大きな国家目標=戦争に動員する体制のためには、決定への参加とそれに応じた保障が重要となる)であったが、いまや国家の役割は、解放された資本を適正に統治する(公正な競争ルールや秩序の担保)ことに移りつつある。
 年金をはじめとする社会保障制度の改革も、根元は国民の福祉に国家がどこまで、どのように関わるのかということであり、その前提として「どのような社会を念頭に、どのような社会を目標とするか」というグローバル化時代における政府の役割、公的部門の役割の再定義と、それに関する国民合意が問われる問題である。
 もちろん「よい市場に必要なよい統治」の機能は、国家だけが担うのではない。地球環境問題などに端的なように、超国家的な規制が必要であると同時に、他方では社会の監督(市場を通じたものもあれば、非市場的アプローチもある)が重要となる。市場をより社会的なものへと導いていく「よい統治」とは、市場に対する否定やアンチではありえないのは当然であろう。このことは有権者市場、政策市場といった問題設定が実感的なものとなる社会層がどこまで形成されているか、ということにもつながる。小選挙区の導入からマニフェスト選挙を経て、こうした政治文化の基盤整備の一歩は踏み出されたといえるだろう。これをさらに前に進めることと、憲法論議の深化とを両輪として進めるような骨太の論争提起が望まれる。
  分権という問題に関しても、中央集権の破綻から分権の必要を説くという枠組みの論議はすでに過去のものである。国から地方へというのも、分権の本質ではない。分権とは国、地方、住民(国民)の相互関係を「選択―責任―連帯」の運営原理に変えることである。解放された資本、グローバル化の諸結果をより社会的なものへと統治しうる社会とは、伝統的な共同体回帰では不可能である。そもそも共同体は、ア・プリオリに存在するものではない。共同体は方向性や指向性から作られたものであったし、作るものである。

政権選択の論争軸としての
「グローバル化時代の国家像」

 憲法論議について長谷部恭男・東大教授は、次のような問題提起をしている(4/26日経「経済教室」)。バビット教授(テキサス大学)によれば、国民国家の国家目標は、大衆の政治参加と福祉国家に帰結し、近代以降はいかなる体制がこうした国家目標を実効的に達成しうるかをめぐって、リベラルな議会制民主主義、ファシズム、共産主義が争った歴史であり、それは冷戦終焉まで続いた。カール・シュミットは「民族」を基準に国内を同質化するファシズムと、「階級」を基準に国内を同質化する共産主義の優位を説いたが、第二次大戦の結果は、議会制民主主義と共産主義の勝利に終わり、その後冷戦を通じて、立憲主義に基づく議会制民主主義が優位に立った。それが十九世紀後半から続いた「長期戦争」(バビット)の終結によって到達した世界である。
 そこからこのような問いが続く。「日本が位置する東アジアで

は体制の正統性をめぐる対立は続いている。中国は米国を超える経済大国となることさえ予想されているが、リベラルな議会制民主主義国家ではない。他方、米国は体制の異なる国に力づくで憲法の変更を要求することを躊躇しない国家である。そうした状況で、日本はどのような国家たろうとするのだろうか。
 第二次大戦以降、立憲主義に基づく議会制民主主義国家だった日本は、今後もそうあり続けるのか。それとも、伝統的に民族の同質性にこだわりを持ってきた日本は、その伝統に回帰し、強化しようとするのだろうか」と。
 前者であり続けるためには、国の役割、社会のありようをどのように再定義しなければならないのか。前述したように、東アジア共同体の構築をめぐる問題設定は、グローバル化とアイデンティティー・ポリティクスの同時進行から派生している諸問題を、いかにして(同質性と類似性ではなく)「関係性の深化」へと連続的に結び付けていくかというところにある。求められているのは、歴史的な転換に対する理念的なアプローチと、それに裏打ちされた実践的な諸教訓(試行錯誤の蓄積)である。言い換えれば、東アジア共同体の推進一般ではなく、これを「いかにして」推進するのかというところでの、骨太の問題設定であり、論争軸である。
   年金問題についても「孫の代まで考えて」という目先の損得ではない判断基準、「公正な制度なのか」という問題設定が有権者の中に確実に生まれてくる前とは、明らかに論戦の土俵、風景は変わっている。ここに見合う論争軸をいかに提示するか。制度設計の基礎にあるのはやはり、グローバル化時代における国の役割とは何かであり、同時に、社会の役割や共同体の再構築とはなにかという問題である。それを突き詰めていけば、二十一世紀における東アジアにおける課題先進国(高齢化、都市化、環境など)としての発信がどこまでできるか、ということになる。不安定化する地域秩序形成に、この面からも発信するものを持っている場合と軍事的安全保障面が突出する場合とでは、日本および日米同盟に対する評価も変わってくるであろう。
 政策に大きな違いがなくても、金魚鉢の水は時々入れ替えないと腐ってしまうのと同様に政権交代は必要であるが、そのためにはやはり、それなりのエネルギーが必要である。戦後六十年の節目に、そして二十一世紀最初の五年間となった小泉政権を総括するに際して、こうした政権選択のエネルギーの起点となりうる骨太の問題設定、論争軸が求められるのではないか。