日本再生 339号 2007/8/1発行

民意は、自民党には「抜本的出直し」を、
民主党には「政権準備政党の責任と覚悟」を要求した。

両院のねじれは、骨太の政策論争で国会論戦を再生させるチャンス!

 「政治は生活や仕事と切り離せない」という民意が、永田町に緊張感を走らせた
 第21回参議院選挙は、自民党の歴史的大敗となった。事前の世論調査は一貫して「与党過半数割れ」を予測しており、「どこまで負けるのか」が焦点となっていたが、結果は比例・選挙区をあわせて37議席という自民党の「底割れ」となった。安倍政権に明確な「ノー」が突きつけられたわけだが、これは単に「与党にお灸をすえる」というレベルではなく、有権者は「政権交代があってもいい」と考えているということだ。(「政権交代があったほうがいい」は57パーセント、自民党支持層でも42パーセント、「そうは思わない」が47パーセントと拮抗。5/28日経)
もちろんこれは、今回の民主党マニフェストに託す、ということではない。マニフェストに関して言えば、今回は自民、民主とも「書き直せ」ということだ。参院選の民意は、自民党には「抜本的出直し」を、民主党には「政権準備政党の責任と覚悟」を要求した。40議席台なら「一本釣り」や「禁じ手」など、自民党内から姑息な延命策が出てくる余地が残る。それでは選挙で示された民意はチャラにされてしまう。30議席台ならその余地は基本的になく、抜本的出直し以外に道はなくなる。安倍辞任―自民内政権たらい回し、という延命策も民意をチャラにするものだ。
 安倍政権に対しては、国民への説明責任、政策内容(理念先行型)、人事・マネジメントの三点で政権運営能力が否定さ
  れたわけだが、この民意を正面から受け止めた再チャレンジ―抜本的出直しが求められる。また参院第一党になった民主党にも、本格的に「政権準備政党」への脱皮が問われることになる。これで次の本格的な政権選択選挙を準備せよ、ということだ。
 有権者の政治、政党に対する視線は明らかに変わった。「変える〜」や「ぶっ壊す〜」のスローガンや絶叫という劇場型・ワイドショー型ではなく、「政治は生活や仕事と切り離せない」というところからそれぞれの基準を持って既存政党を評価する、という構図が明確になってきた。個々の「意識の高い」有権者はこれまでもいたが、「政治は生活や仕事と切り離せない(ドラマじゃない!)」「だからこそ、政党には果たすべき役割がある(政党不信じゃない!)」という政治意識が構造的に見えるようになってきた点が、これまでとは大きく違う。
「年金問題への対応やサラリーマンに負担増を強いる税制改正など一連の与党の政策を見ていて将来への不安を感じ、初めて投票した。何かを変えなくてはいけないと思い、政府への批判票として民主党に投じた」東京都・会社員男性(24) 前回・棄権→今回・民民
「三歳の息子がいるので子どもの将来が一番心配。小沢代表が教育に力を入れると話し、予算額を具体的に提示したのに感心し、民主党を選んだ。自民党は年金問題などで信頼できなくなった」千葉県・会社員女性(33) 前回・自自→今回・民民

「大企業ばかり優遇され中小企業や自営業者は苦しんでいる。少数意見に耳を傾けてほしい。参議院で与党が少数になれば審議も慎重にならざるを得ないはずだ。自民党に刺激を与える意味で、あえて野党に投じた」奈良県・自営業男性(67)前回・自自→今回・民民
「大規模農家を優遇する与党の政策のあおりで、田畑を手放す零細農家は増える一方。農相の相次ぐ不祥事を見ても、農家の実情は頭の片隅にもなさそうだ。農家の将来を守ってもらいたい一心で初めて民主党に一票を投じた」香川県・農業男性(69)前回・自自→今回・民民(いずれも日経7/30。投票先は選挙区、比例区の順)
 今回の参院選一人区で、自民党は6勝23敗という大敗を喫した。一人区とは高齢社会の先進地域である。公共事業も交付金も減るなか、「ないものねだり」ではなく「あるもの探し」をせざるをえない地域である。都市部の根無し草の「自分探し」ではなく、「自分を活かす」生涯現役の智恵者がいる地域だ。バブルや最大限利潤の追求(儲けたモン勝ち)の空間とは無縁な、生活密着経済の地域だ。国から地方への税源委譲によって、自治体の質(議会の質、首長の質)が生活の質に直結することを、これまで以上に痛感せざるをえない地域だ。そして「マニフェストで選ぶ」という有権者は、あらゆる調査で都
  市部より郡部のほうが数ポイント上回っている。ここで安倍自民と小沢民主が明暗を分けた。
 「政治は生活や仕事と切り離せない」という問題設定にアプローチしようとしたのは、小沢民主党であった。「年金」「子育て」「農業」という三本柱は、05年マニフェスト(岡田代表)の組織集約の糸口が見えてきたといえるだろう。
 問題はここからだ。民主党は財源の裏づけが不明など、05年マニフェストからの「後退」は明らかで、これがバラマキに転じる余地を残している。次のマニフェストでは、ここをあいまいにすることは許されない。一方安倍自民党は「戦後レジーム」の転換を掲げるのなら、政策形成から完全に政官業の癒着を断ち切るべきである。松岡農相の問題は、事務所費によりも緑資源機構問題(官製談合)にポイントがあったことは明らかだ。民主党の農家に対する所得補償策を「バラマキ」と批判するのは簡単だが、かつてのWTO加盟時のコメ輸入にともなう農業振興予算(六兆円)が、「そぐわねえ農道や公民館ができただけ。建設業者たちに政治家がいい顔するため農家がダシに使われた」と、農業者はしっかり総括している。バラマキ、癒着に対して、すでにフォロワーのほうが「ノー」と言っているわけだ。これに応えられるのはどちらなのか。次期政権選択選挙のマニフェストは、こういう問題設定になっている。

両院のねじれは、有権者再編をともなった骨太の政策論戦を展開するチャンス
 今回の参院選の投票率は58・64パーセント(選挙区)で、統一地方選と重なる「亥年」の選挙としては、前回の九五年を14ポイント上回った。亥年現象が起きなかったのは、やはり年金問題への関心の高さだろう。
 国政マニフェストが登場した〇三年総選挙の投票率は59・86、〇四年参院選は56・57、〇五年総選挙は67・51であった。こうしてみると、マニフェスト選挙はまだ六割の有権者のなかでの勝負にとどまっていることが分かる。もっとはっきり言えば、時代の変化に対応した人生設計や生活設計の実感がある四から六割の層のなかでの選択という枠では、マニフェストは定着しつつあるといえる。今回争点となった年金は、〇四年参院選でも争点となり、民主党は〇四年参院選、〇五年総選挙でも「国民年金を含めた一元化」をマニフェストに掲げた。〇五年総選挙では、これとは別の層が、小泉総理の「命をかける」に反応して参入してきたが、今回の参院選ではそこは動いていないことになる。
   「国民年金を含めた一元化」を実現しようとすれば、郵政民営化以上に国民の支持が不可欠である。そのためには、七割以上の参加によるマニフェスト選挙での選択が必要だろう。そうでなければ、破綻を先延ばししつつ現行制度をいじる(保険料値上げと給付切り下げを繰り返す)彌縫策しかない。あるいは消費税についても、税率アップをするなら七割以上が参加する選挙で明確な民意を問う必要がある。
 小泉政権の功績のひとつは、郵政民営化という大きな政策転換(政官業癒着、税金の無駄遣い、天下りなどの「原資」を断つ入り口との位置づけ)を、与党内の談合や駆け引きではなく、民意に問い、その支持を取り付けて実行したところにある。年金一元化にしろ消費税にしろ、生活に直結する大きな政策転換は、国民の支持=マニフェストで選択された=なしに実現できるものではない。
 時代の変化に対応した人生設計や生活設計の実感がある層のなかでは、何を基準に選ぶのかは明確になりつつある。ここに明確な選択肢を示すことができるか。次期政権選択選挙では、政党にこのことが問われる。

 自民党の政権公約2005では、消費税を含む税体系の抜本的改革を07年度をめどに実現するとなっているにもかかわらず、安倍総理は、具体的議論は秋以降に先送りとした。民主党も05年マニフェストでは年金一元化・消費税を3パーセント上げて基礎年金の財源に充てるとしたが、今回は財源部分は「増税なし」とした。世論調査では72パーセントの人が、今回の参院選で税制改革を争点にしてほしい、としている(朝日7/10)にもかかわらず、既存政党はそれに答えていない。
 参院選の結果、衆議院では自公が三分の二、参議院では野党が過半数を握り、民主党が議長、委員長ポストを取るまでの議席配分となった。こうした両院のねじれは、おそらく議会史上はじめてのことだろう。これによって、政府案と野党案が国会論戦でガチンコ勝負をできることになる。論戦の場としての国会が機能するチャンスである。自民党にも民主党にも本格的な政策立案能力が問われるし、オープンな論戦を通じて対立軸が明確になったり、あるいは政策が修正されることを通じて、有権者の「政策を選ぶ目」もさらに成熟していくはずだ。
 さらに、マニフェストだけでは決められないという四割の中での有権者再編が決定的となる。郵政選挙ではこのなかの一部が動いたことで、枠が変わった。大きな政策転換のためには、ここまでが動かなければならない。「政治は生活や仕事と切り離せない」「だからこそ政党には果たすべき役割がある」という政治意識の基礎には、仕事・働くことを通じて社会意識・社会観をつくっていくという社会的人間形成があり、しかもそれは重層化している。その一方では「下流」と言われる
  主体的生活実感が薄い層が、とりわけ都市部には形成されている。『下流志向』(内田樹/講談社)の表現を借りれば「自分探し」の果ての「学びからの逃走」「労働からの逃走」であり、すべてを消費の対象とする(政治も「おもしろいもの」として消費の対象とする)という人間形成の層である。
 有権者再編のラインをここまで伸ばしていく―七割が参加する政権選択選挙のための組織戦は、これまでのマニフェスト選挙の組織戦(生活実感がある層の中での組織戦)の延長にはない。この点でも、政府案と野党案が国会でガチンコ勝負をするという両院のねじれを、有権者再編をともなった骨太の政策論戦を展開するチャンスとして、次期政権選択選挙の土俵を準備すべきである。
 
次期政権選択選挙に向けて、
マニフェストを準備せよ

 マニフェストについては有権者の側から、次期政権選択選挙にむけて「こう書き直せ」と要求し続けなければならない。
 年金問題は、やはり制度をどうするかという問題である。制度が信頼されていないなかで「年金記録」の問題が明るみにでてしまったから、国民の不信感が高まった。それと、社会保険庁がどうしようもないという問題とは別の次元の問題だ。世論調査でも、年金制度改革について、「基礎年金部分を税金でまかなう民主案」が53パーセントに対して「現行の保険料方式を維持する与党案」は33パーセントにとどまっている(毎日7/27)。
 この問題は右肩上がりの時代と、社会政策のシステム設計

をどう変えるのか、税による再配分のポイントをどう変えるのか、という大きな枠組みを動かす糸口にもつながる。だからこそ、民主党は税制・財政の全体像を(細かい数字の辻褄合わせではなく)示す必要があるし、与党は民主党案の財源の細かい不備(消費税率のアップが足りないなど)を突くのではなく、現行制度の維持でやれるというきちんとした根拠を示して、数々の不安や問題点に答えるべきだろう。(年金記録の問題でも、野党の追及にきちんと耳を傾けて対応していれば―それ自体は社会保険庁のサボリなのだから―これほどの不信を増幅することはなかっただろう。)前出の世論調査のように、年金制度に関する論点はほぼ整理されつつあるのだから、税方式にした場合の消費税率の細かな数字や「いくらもらえる、もらえない」という話に拡散させる道を断って、選択肢を鮮明に整理する論戦を有権者から要求していかなければならない。
 これと関連するのが税制、財政である。天文学的な財政赤字は解消されていない一方で、官僚社会主義的な歳出構造をそのままにして、消費税アップという話にはならない。同時に右肩上がりの時代と税の取り方を変える、税による再配分のポイントを変えるという点からも消費税の議論は不可欠である。年金制度も含めた財政の歳入・歳出一体改革について、細かい数字合わせではなく骨太の方向を政党がしっかり出して、それを有権者が判断する。そういう選挙にしなければならない。
   税源委譲によって、勤労世帯にとっては国より自治体に納める税金のほうが多くなった。何のために税を納めるのか、納めた税がどう使われているのか、自治体の質(議会の質、首長の質)が生活の質に直結することが実感できるようになってきた。税の議論は本来、どういう社会にするかという議論であるが、そういう議論ができるフォロワーの生活空間が生まれてきている。
 三点目にマニフェストに書き込むべきは、国益のリアルかつシビアな定義である。対テロ戦争を掲げた「〇一年体制」から「脱〇一年体制」への動きは、すでに昨年の米中間選挙から顕在化している。来年はいよいよそのブッシュ政権も交代し、ロシア、韓国、台湾でも新しい指導者が登場する。遅々として動き始めた六カ国協議は、地域機構への下準備という性格も内包しつつ、「次」の北東アジアでの各国の立ち位置をめぐる戦略的駆け引きの場となりつつある。また来年の洞爺湖サミットの重要テーマは「環境」(温暖化対策)であるが、これも欧米を軸に各国の国益がシビアにしのぎを削る舞台である。ここにわが国の国益をどのようにリアルに定義するのか。「主張する外交」でも「主体的な外交」でもいいが、スローガンではなく、地域戦略、環境戦略からのリアルでシビアな国益の定義を提示すべきである。
 憲法は改正手続法が三年後に執行となる。国民の意思で憲法を変えられる、というのは国民主権が機能するための基本的条件だろう。この参院選は改正の発議を行いうる初の議

員を選ぶ選挙でもあった。
 安倍自民は当初、憲法を争点として掲げたが、これは二つの点で失敗であったと言わざるをえない。ひとつは、国民が求める課題と総理がやりたい課題との不一致である。イデオロギー勝負は空転した。その結果、清算すべき五十五年体制を蘇らせる形での論戦にならざるをえなくなった。憲法は自民、公明、民主の支持層のなかでは優先順位の低い課題であるが、社民、共産では最優先重要課題である。
 国民の基本的多数は「憲法改正はいいが、安倍さんの下ではやって欲しくない」ということだろう。では憲法改正のテーマとすべきことは何か。これを政党はきちんと示すべきであろう。
 憲法を変えるというのは、国家の統治システムに関わること、あるいは市場経済のルールの根本に関わることであろう。二院制の性格・役割をどう規定するのか、それにふさわしいシ
  ステム(選挙など)にどう変えるのか。あるいは地方自治、分権をどう規定するのか。あるいは環境負荷を組み込んだ市場のルールをどう規定するのか(国家・政府と市場、社会との関係を、環境という観点から再定義する)。こういう性質で、憲法改正を論じなければならないだろう。
 参院選の結果で両院がねじれ、政府案と野党案が国会でガチンコの論戦を展開できる舞台が生まれた。自民、民主がここで緊張感に満ちた骨太の論戦を行い、対立軸、争点を鮮明に浮き彫りに出来たときこそ、国民に信を問う、政権選択選挙の時である。
 「政治は生活や仕事と切り離せない」というパブリックのフォロワーは確実に、構造的に成熟している。この基礎のうえに立脚できるところで、パブリックの政党A、Bが政策軸で再編されるという次の本格的なステージへ、螺旋的に上っていくための重要な一歩がここから始まる。