日本再生 340号 2007/9/1発行

逆転参院の国会論戦を政策選択選挙へと絞り込む、
そのためにはパブリックの輿論を鮮明にし、
既存政党をそこに迫り出していく主権者運動が問われている。

既存政党は、参院選での民意をどこまで受け止めているのか
 自民党の歴史的大敗となった参院選を受けて、各政党にとって八月は「総括―転換」の時期となった。参院での与野党逆転―疑似政権交代や姑息な政党間談合などによって、選挙で示された民意をチャラにする余地を与えないまでの逆転―という議席配分を与えた主権者の意思は、「パブリックの輿論と乖離しきった永田町の構図に、国民主権の側から緊張感を走らせよう」(「日本再生」三三八号 7/1)というものである。
 自民党にとっては歴史的大敗という結果である以上、民意との構造的なズレは明らかである。問題はこのズレをどのようにとらえるのか、それによって修正の方向性もまったく違うものになってくる。一方民主党にとっては、「安倍自民の自滅であって、民主党が支持されたわけではない」という以上、ここのズレをどのように修正していくかが問われる。
 自民党参院選総括委員会の報告書は、「敗因の分析」として「逆風三点セット」「改革後退イメージ」とともに、「政策優先順位が民意とズレていた」ことを挙げ、「今後の課題」を「国民の目線に沿った政権運営」と「内閣の危機管理能力強化」としている。
   また改造人事では、参院選の争点でもあった年金や子育てに関わる厚生労働大臣に舛添要一・参院議員を、また地方再生に関わる総務大臣に増田寛也・前岩手県知事をあてることで、「生活が第一」を政策論戦として展開するシフトを敷いたといえる。また十一月に期限の切れるテロ特措法を担当する防衛大臣に法相、外相を歴任した高村氏をあてたことも、野党との論戦および国民への説明を意識した布陣といえるだろう。
 少なくとも形のうえでは、「民意とのズレを修正する」ための一歩を踏み出したと言ってよい。問題は修正の方向性である。内閣の顔ぶれからは、政権全体としての政策の方向性は見えてこない。
 これに比べると、民主党には「安倍自民の自滅であって、民主党が支持されたわけではない」という認識はあっても、このズレを修正する行動は見えてきていない。政権準備への「お試し期間」という認識があるなら、与党の出方を待つまでもなく、政局より政策を優先する(政策論戦で政局をつくる)スタンスを明確にし、それにふさわしい布陣をとるべきだろう。黙っていても改造人事は話題になる。民主党も参院の動向を決する存在になった以上、それにふさわしいメッセージを発するべきではないか。

 民意とのズレを修正するためには、第二に自民、民主とも次期総選挙にむけたマニフェストづくりに取り組まなければならない。参院選では「ノー」は鮮明になったが「イエス」はひとつもない。つまり自民、民主どちらのマニフェストも「書き直せ」というのが民意だ。
 次期総選挙がまともな政権選択選挙たりうるためには、政策選択の構図が見えなければならない。そのためには政党がきちんとしたマニフェストを提示し、政策論争を通じて選択肢を示す(国民に信を問うべき争点を明確に絞り込む)ことが不可欠だ。マニフェストは選挙の直前になって作るものではない。今秋以降の国会論戦のなかで積み重ねられたものが整理されて、マニフェストにならなければならない。そのプロセスをしかと見させてもらおう、そのための逆転参院だ―これが民意だろう。
 付言すれば、経済財政諮問会議の丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長は、基礎年金の全額国庫負担について諮問会議で検討する考えを明らかにしており(当然、財源も検討)、舛添厚労相も与野党の年金制度協議に前向きな姿勢を示している。〇四年参院選では、民主党がマニフェストに「年金一元化・財源として消費税3%アップ」を掲げて自民党を上回った。これ以降止まってしまった時計の針を、ようやく前に進める条件ができつつある。これをどう活かすかは民主党にかかっており、その責任は重い。
  民意は「改革の修正」を求めているのか
 参院選の民意は「三つのノー」と「二つの自覚」に集約される。
「三つのノー」 
@安倍自民的マネジメントにノー(説明責任・対話能力の欠如)。しかし、小沢さんのマネジメントにイエスではない/逆転参院を見させてもらおう。
A安倍さんのアジェンダ設定にノー(例:憲法改正はいいが、安倍さんにやってほしくない)。しかし、小沢さんの問題設定にイエスではない(例:財源はどうなっているのか)。
B一人区からのノー(一人区=「ないものねだりからあるもの探しへ」の先進地域であり、人口減時代の課題先進地域。ここからの「ノー」をバラマキへの回帰と読み間違えるな)。
 例えば今回総務相となった増田寛也氏は、こう述べている。
 「…地方の衰退、過疎の問題にどう取り組むのかについて、選挙民が自民党に対して明らかにノーと言った結果でしょうけれども、では、それが民主党に対してイエスか、積極的に民主党を推したものなのかどうか、ここはまだわからない」「今回の選挙では、両政党は、少なくとも公約では答えを出さなかったのではないかと見ていますが、答えを出してくれない不満は、どうしても現政権に厳しく向かうことになる。…今回の選挙結果は選挙民がアメを期待しているようなもので、

どっちかというとちょっと昔に戻った回帰的な感じ。だからそれをそのまま民意だと受け取ることが非常に怖い。多分、改革のビジョンを示しても、非常にみんなの抵抗感が多いし、きついと思うけれども、ただ、それでも国民全体の共感というか理解はぐっと深まると思う」「政治のリーダーシップが本当に必要なところにピンポイントで発揮されるということを多分地域の人たちは待っているんじゃないでしょうか。別の余計なところで何かしてくれるということじゃなくて。…少しでも実態経済を強くするとなると、私は1次産業がとても重要じゃないかと思う。とはいえ、民主党が言っている通り所得保障を1兆円近く農家にやっていくということに自民党もかじを切って、それで民主党と一緒にやって日本の農業がよくなるかというと、それは今の農業の現状を前提に、その構造をただ単に支え続けるということにすぎないのではないかと思います」「…ある種ばらまきに近いような形で支えてきた結果が今のこの農業の状況になっているわけだから、それを現状のまま支えても、多分将来はもっと悪くなると、みんなわかっているんじゃないかと思う。だから今回の投票結果で民意の総体というのは出たわけですけれども、じゃ、それを受けてどうするかは、まだどこの政党も答えを出していないのではないか」(言論NPOホームページ http://
www.genron-npo.net/manifesto/national_abe_interview/
002769.html)
  「二つの自覚」
@国会を言論の府とするためのバランス感覚と戦略的投票行動(三三八号で提起している「参院選で与野党逆転が必要なわけ」)。参院自民の存在感を無くすことで五十五年体制を封じ(一人区の攻防)、複数区で民主に二議席を与える戦略的投票。「民主優勢」と分かっていたうえで、より鮮明に疑似政権交代や政党間の談合を許さないまでの議席配分(40議席割れ)を与えようという民意。
(総会での同人の報告:自民・民主で分け合う二人区でも「今回は民主が勝つんだから」という声に「国会に政策論議をめぐる緊張感をとりもどすために与野党逆転が必要」「逆転すれば、いいかげんな法案は通せなくなる」と訴えると、反応が大きく返ってきた。)
A統治システムの違いにどう関わるか、というフォロワーの自覚(議院内閣制を機能させる、二元代表制を機能させる、それぞれにフォロワーとしてどう関わるのか。政策選択選挙の構造を国政、地方それぞれにおいて作り出すためにどう関わるのかetc)。国会が機能していない→政策論議ができる議員がいない、という「ないものねだり」ではなく、「議論せざるをえない」状況、場をフォロワーとして作り出すことはできるという「あるもの探し」へ。

(総会での同人の報告:参院選中に、「自分としては消費税は上げてもらいたくないが、年金など本当に必要なら仕方ないとも思う」「自衛隊の海外派遣には反対だが、アメリカとの関係はどうするのか、国際社会との関係はどうするのかを考えると、インド洋から直ちに撤退というのもどうかと思う」などの意見。逆転参院で、こうした政策論争がきちんと「見える」かどうか、そこに有権者は注目している。)
 自覚的に投票した有権者は、「安倍自民か、小沢民主か」ということで投票してはいない。「三つのノー」とは、民意の問題設定に既存政党はどう答えるのかということであり、「二つの自覚」とは、政策選択の構図を作り上げるための舞台に既存政党を迫り出していくための、フォロワーとしての役回りを鮮明にするということである。
 もちろん有権者の中には「意識が高い」人もいれば、「遅れている」人もいるだろう。だが、いわゆる経世会的系譜と社会党的系譜(依存と分配政治)が議席を減らし続けていることは、案外一貫している。ここにも民意の流れをみてとれるはずだ。
  市場経済と社会正義は両立する。だからこそ公正なルールが必要なのだ。

―政治の季節の復活
 安倍総理は、「新内閣では改革の影の部分にきちんと光を当てることが必要だ」と述べている。朝日新聞と東大・蒲島、谷口研究室の共同調査では、〇七年参院選当選者の政策位置は、〇五年総選挙に比べて「日本型システム維持」に、よりシフトしているという結果となった(朝日8/26)。ここでいう「日本型システム」とは@終身雇用の堅持A公共事業による雇用確保B景気対策のための財政出動への賛否であるという。「改革の影の部分に光を当てる」とは、こういうことを指すのだろうか。「生活が第一」とは、こういうことを指すのだろうか。
 たしかに日本社会は総中流・護送船団型から、「二つの国民」に分裂しつつある。この分裂をバラマキによって「修復」できるのか。はたまた、「共通の敵」を作り上げることで「克服」できるのか。それとも、社会的公正を競い合うことによる新た

な合意形成は可能なのか。こうして政治の季節が復活している。
 「…今回の参院選の底流にある政治と政策の動向の変化である。民主党の小沢代表は小泉前政権の構造改革・『小さな政府』路線によって見放され、見捨てられたと考えられている地域や部門を政治的に動員することに徹底して注力した。その結果、かつて自民党の金城湯池であった一人区で民主党及びその支持を受けた候補者は圧勝し、この戦略の有効性と妥当性が立証された。…この小沢氏の戦略は日本社会が事実上二つの種類の人々に分裂しつつあること、今や『二つの国民』があるという現実認識に立脚している。すなわち、構造改革とグローバル化における勝者と、それによって見放され、見捨てられつつある人々とに分裂しつつあるという認識である」「言い方を変えれば、小泉前政権は国民の一体感に何より配慮する伝統的自民党政治を否定し、構造改革が今や避けられないことを説きつつ、同時に『二つの国民』モデルが政治的に動員されることを巧妙に防止することによって存続してきたといえよう。この防止のために『共通の敵』が作られ、その破壊に向けて国民のエネルギーを動員する必要があった。…『郵政民営化』の尋常ならざる活用はその最たる例であったとともに、こうした手法の限界を映し出したものともいえよう」「…『二つの国民』論がどっしりと腰を据え始めた以上、もはや小
  泉時代の政策に単純に戻ることは出来ない。したがって、『二つの国民』の間の新たな妥協を可能にするような政策の開発競争に本格的に邁進する以外に、グローバル化と民主政治を両立させる道は開けてこない。民主党もこの難題に早晩直面することは明白である」(佐々木毅・前東大総長 読売8/12)
 「二つの国民」への分裂をバラマキによって「修復」しようとする立場も、「共通の敵」を作り上げることで「克服」しようとする立場も、「反経済的発想」という点では一致する。ここにとどまる限り、政治は合理的合意形成の技ではなく、闘争の技術(生産に寄与する技術ではなく他者から奪い取る技術)に終始することになる。(「闘争の技術」については、小林慶一郎「けいざいノート」朝日8/18を参照。)
 「経済的発想とは、例えば次のようにまとめられる。経済は自立的に動く、誰もが得する取引はある(「売り手よし、買い手よし、世間よし」)、他者との優劣より損得の絶対水準のほうが大切、の三点。他方、反経済的発想とは、経済は操作可能(バラマキで景気はよくなる)、得する者の裏に必ず損する者あり(やったもん勝ち)、損得の絶対水準より他者との優劣のほうが大切、の三点。反経済的発想の端的な例を求めれば、戦争に際しての軍人の発想となろう」(加藤陽子 毎日6/28「雑誌を読む」( )内は引用者)

 市場主義とナショナリズムを組み合わせた「権威主義的市場主義」も、市場主義を否定して国民を守れという格差反対論も、「反経済的発想」という点では一致する。一方経済的発想からすれば、闘争の技術によって政府の再分配政策を有利に変化させて利益を得るよりも、公正な再分配政策によってステークホルダーの参加を促したほうが、社会的コストは(将来的に見ても)はるかに安上がりだということになる。
 「二つの国民」への分裂を前提にすれば(旧き良き「総中流」の時代にもどることは不可能だとすれば)、社会政策、制度設計も平準化された国民を前提にすべきではない、ということになる。グローバル経済を前提にした市場での主体的プレイヤーとなりうる部分と圧倒的多数の普通の人に、同じ枠組みで人生設計をしろというほうが無理だということだ。前者はより自由と自立を求めるだろうし、後者にとっては何よりも安心が第一ということになる。この両者の間で合意しうる(妥協しうる)社会的公正とは何か。ここに経済的発想に基づく政治の技が必要なのだ。そこから社会的連帯も可能になる。国民年金を含めた年金一元化は財源問題も含めて、その制度設計へのチャレンジにほかならないだろう。
   リスクをとってチャレンジする者の足を引っ張る「平等主義」も、「自己責任」を振りかざす「やったもん勝ち」発想の市場原理主義も、反経済的発想という点では同じだ。その政策発想には総中流・護送船団および五十五体制の既得権とその習性がへばりついている。これを乗り越えることへの抵抗は決して小さいものではないが、それなくして政治は闘争の技術にしかならない。自民、民主どちらが、合意形成の技としての政治を磨き上げるのか。

政策論争から政局を組み立てる智恵を
 参院での与野党逆転によって、両院の協議なしにはいかなる法案も成立しないという状況が生まれた。国会運営はこれまでとは全く変わることになる。衆参の意思が異なる結果、何も決めることができないという混乱を招くのか、自民党とともに民主党にも大きな責任が問われることになった。政策論争の中身を抜きに「政局中心」では、国民に見放されることになる。
 両院の協議なしにはいかなる法案も成立しないという状況は、政治主導の政策決定過程を作り出すチャンスである。小

泉政権は、政策決定過程を官僚主導から「官邸主導」に変化させた。これは小選挙区制の導入や橋本行革という下準備の成果でもあった。しかし官邸主導は国会で与党が多数を占めることが前提であり、衆参逆転という状況では与野党の政治家同士の協議で詰める以外になくなる。つまり官邸主導における「政対官」(時には官邸対与党)から「政対政」へと、政策論争の舞台が変わることになる。ここでの「影の主役」は主権者であり、パブリックの輿論をどう作り出せるかが決定的になる。
 「政府・与党も自分たちが一方的に物事を進められなくなる。…議会政治はどちらが国民を納得させるかの競争だ。テロ対策特別措置法はなぜ必要か、どう運用されているかは現時点では説明不足だ。これまでは問答無用で通すことができたが、今度はそうはいかない。国民にわかりやすい、より丁寧な説明が求められる。それはプラスの効果になるだろう」(成田憲彦・駿河台大学学長 読売8/21)
民主党には参院における国政調査権を駆使して、国政の現状を点検、情報公開を進めることが求められる。年金保険料にしても、インド洋における給油活動(テロとの戦いの一環として位置づけられてはいる)にしても、現状把握なしに政策論
  争はありえない。これまでは「役所が資料を出さない」ということは与党・霞ヶ関対野党の問題だったが、これからは国会と役所の関係の問題になる。
 「政府・与党は当面、民主党の主張を取り入れないと法律はできないと考えたほうがよい。対立法案でどこまで妥協できるか、仕分けが大切になってくる。その仕分けをするのが国会論戦であり、民主党が積極的に法案を提出する方針を打ち出しているのは歓迎すべきことだ。妥協し合わないと法律はできないので、妥協の文化を日本の政治に根づかせることが必要だ。足して2で割るのが妥協ではない。互いに『自分はこれを優先する。しかし、ここは決定的ではないから取引しよう』といった、もう少し複雑な妥協だ」(飯尾潤・政策研究大学院大学教授 読売8/23)
 こうした妥協の技や対立と妥協の仕分けが、与野党協議をはじめとしてオープンな場で行われることになる。談合や腹芸の調整能力に、もはや出る幕はない。妥協も対立も政策の基準から説明でき、党内合意も政局の駆け引きも政策論争でマネージできる、それに耐えうるだけの政策力があるのかどうか、その実践的智恵をどれだけ身につけることができるかが試されることになる。

 参院選での与野党逆転は過去にも二回あった。一回目は八九年の土井ブーム。参院は土井氏を首班に指名したが、翌年の衆院選での自公民(民社党)路線で野党共闘は崩れた。二度目は九八年、参院で民主党の菅代表が首班指名を受け、臨時国会最大の焦点である金融再生関連法案では民主党案を丸のみさせたり、額賀防衛庁長官の問責決議を可決させたりした。しかし翌年の自民・自由連立に続いて公明も連立に加わり、与党が参院の過半数を確保した。
 衆参のねじれに対して、これまでは連立政権の組み合わせによって対応してきたが、この手法がもはや限界に突き当たったのが今回である。それぞれの院で優位に立つ二大政党の政策競争によって、議会政治を活性化させることができるなら、議院内閣制はさらに一歩機能することになるだろう。それは、次期政権選択選挙をまともな政策選択選挙とする舞台を準備することでもある。反対にいたずらに政局に走ったり、何も決められないという混乱を招くなら、議会政治そのものが大きく後退しかねないし、国益も大きく毀損されることになるだろう。(国際情勢は大きな流動期であり、地域情勢も経済金融情勢も大きく変化する時期に「何も決められない」ことが何を意味するか。)
 例えばテロ対策特別措置法の延長問題である。民主党が国政調査権を使って、インド洋における給油活動の実態を明らかにすることは当然であろう。しかし「ブッシュの戦争に付き
  合う必要はない」というのは、あまりに短絡的な野党発想ではないか。アフガンにおける対テロ活動は9.11テロに対する国連決議に基づくものであり、NATOも韓国も参加しているし、パキスタンもインドも海自の活動を歓迎している。
 インド洋からの撤退で傷つくのはブッシュ・安倍関係だけだと考えるのは間違いだとして、米政府の元高官は連名でこう述べている。「小沢氏がテロ特措法の延長阻止に成功し、民主党が近い将来政権の座についたとして、その首相はカナダや豪州の首相に何と語るのか。テロとの戦いで強く連帯していると言えるだろうか。日本は国際社会でより大きな役割を果たす準備ができていると主張できるのだろうか」(カート・キャンベル、マイケル・グリーン 朝日8/27)
 すでに有権者は、「自衛隊の海外派遣には反対だが、アメリカとの関係はどうするのか、国際社会との関係はどうするのかを考えると、インド洋から直ちに撤退というのもどうかと思う」という政策判断の基準を持ちつつある。衆参逆転という有権者が与えた舞台を政策選択選挙へと絞り込む、そのためにはパブリックの輿論を鮮明にし、既存政党をそこに迫り出していく主権者運動が問われている。

(迫り出す:劇場で俳優や大道具を奈落から舞台へ押し上げて出すこと。)