日本再生 342号 2007/11/1発行

構造改革の継続と国民本位の政治の安定を実現する。
そのためには、機能停止しつつある官僚内閣制に替わって
議院内閣制を作動させること―政権選択の課題

政権選択へと絞り込むために、
逆転国会をこう使いこなせ

 逆転国会の論戦がようやく本格化してきた。両院の「ねじれ」関係と政党政治をどう運営していくのか、これはまったくの「未体験ゾーン」であるが、ひとつだけはっきりしていることがある。それは、霞ヶ関が根回しし尽くした法案を与党審査という閉ざされた空間の議論で承認さえすれば、その後の閣議も国会もスルーする―閣議は「お習字教室」に、国会は「朗読」と数の確認の儀式の場と化す、という官僚内閣制の運営が、いよいよ立ち往生しつつあるということだ。
 議院内閣制と官僚内閣制は何が決定的に違うのか。(議院内閣制では)「(政治権力が作用する)矢印が有権者からスタートして、国会議員→総理大臣→大臣→役人というふうに一直線につながっている。だから民主主義なのです。ところが官僚内閣制で何が問題かというと、大臣たちが何々省の代表だといって、官僚の振り付け通りにすると、そこで矢印が逆転してしまう。総理大臣まではずっと有権者から来ているのに、大臣が役人の代表だというと、そこで役人からの矢印が出てしまう。そこでぶつかり合うわけです」(飯尾潤・政策研究大学院大学教授 4―9面参照)
 官僚支配から脱した立法府の姿―議員同士の論戦の緊張感をどこまで示すことができるか。自民党は衆議院の段階から、参議院での審議を意識しなければならないから、民主党相手に議論する。民主党も参議院で通した法案が衆議院で
  揉まれることを想定して、衆議院でも論戦をするので、自民党に対する攻め方も変わってくる。
 与野党が政策論戦でガチンコ勝負をすることで、はじめてその先に「妥協の知恵」も見えてくるし、政党政治のルールの糸口も見えてくる。両院の議決が異なる場合(与野党対立の場合)に再可決してでも通すべき課題は何か、両院協議会で妥協できる課題は何か、そして解散・総選挙で国民に信を問うべき課題は何か。こうした仕分けは、ガチンコ勝負をしてこそ「その先」に見えてくるのであって、逆ではない。
 数合わせの大連立や事前協議でガチンコを回避しようという浅知恵は、政党政治の自殺行為にほかならない。両院の議決が異なるところで、どういう協議をするのか。そこで政党政治の知恵、立法府の知恵を見せてみろ、そうして国民に信を問うべき課題を絞り込んで見せろ、というのが有権者の要求だ。
 例えばテロ特措新法。「給油活動が中断すれば国際貢献ができなくなる」と与党は言うが、それほど重大な国益に関わる問題であるなら、参院選後早々に、再可決までを読み込んだ日程で国会を召集することはできた。それをせずにズルズルと期限切れを迎えるに至ったのは与党の責任であって、「民主党のせいで国際貢献ができなくなった」という泥試合に持ち込むべきではない。
 本来であれば民主党にとってもこれは政権選択を問うべき課題ではないはずだから、参院で否決・衆院で再可決という形で、「与野党対立ではあるが政権選択を問う課題ではな

い」という妥協が可能であったはずだ。ところが「国会承認(事前も事後も)なしの自衛隊海外派遣」ということになると、民主党も「再可決を前提にすみやかに参院で否決する」というわけにはいかなくなる。シビリアンコントロールにかかわる悪しき前例を残すという点からも、大いに問題になるのは当然だ。
 「与野党対立ではあるが政権選択を問う課題ではない」という妥協が可能になるためには、ここまでならぎりぎりの対決ができる、というところを見極めなければならない。それによって、「これなら国民の納得を得られる」というところが見え、その結果衆院での再可決に持ち込める、ということだ。再可決に持ち込むまでの覚悟があるか。「国会承認なし」はおそらく、両院のねじれを回避するための浅知恵だろう。これでは議院内閣制の政党政治のルール作りの足を引っ張るだけだ。
 加えて、給油量の誤りを四年間隠蔽し続けてきたという、シビリアンコントロールの根幹に関わる問題が浮上した。これは与野党対立の問題ではなく、議院内閣制の議会権能をまともに機能させるという問題であり、例えば国政調査権を発動して、与野党が院として官僚機構を厳密にチェックすべき問題だろう。給油活動が当面、日本の国際貢献として価値のあるものであったしても、シビリアンコントロールがまるで機能していないことを脇に置いて、とはいかない。これも、官僚内閣制のままの政権運営や議会運営が破綻しているということだ。それに替わる政党政治の知恵がどこまで絞れるか。
   あるいは政治資金規正法や薬害肝炎の救済など、与野党合意によってすすめるべき課題で、どのように妥協の知恵を絞れるか。とくに薬害肝炎患者のデータを隠匿し続けていた問題は、薬害エイズとまったく同じことが繰り返され続けてきたという点からも、単なる官僚の不祥事といった話ではなく、官僚内閣制にケジメをつけることができるかが鍵になるだろう。
 参議院では、民主党提案の年金保険料流用禁止法案が審議される。社保庁はシステム経費などとして保険料から〇七年度には約二千億円を転用、〇八年度も約二千百億円を予定している。与党には当初、民主党案丸呑みという手もあったが、「賛成しても敵を利するだけ。民主党案実現には別途、二千億円の税財源を確保しなければならない。それだけの財源があるなら肝炎対策など、与党の得点になるものに使うべきだ」と、反対の声が主流になっているという。
 財源論争になれば当然、民主党は特別会計とその無駄遣いや天下りの構造を質すだろう。「事務費以外には使わない」と言っても、年金システムの随意契約がはたして適正な価格なのかなど、チェックすべきところはいくつもあるはずだ。自民党も、いつまでも役所の振り付けを前提に財源を論じるわけにもいかなくなる。民主党も、個々の追及から政策論争、制度設計論争に持ち込み、財源については「官僚機構をもっていないから細かいツジツマ合わせはできないが、大きな方向

性はこうだ。政権をとればこうできる」と議論すればよい。財源論争が、財務省の手のひらの上での数字合わせから政治家同士の政策論争へ踏み出すことは、政策選択選挙にむけた準備運動、練習問題になるだろう。
 またこの論争を徹底的にやれば、安倍内閣で強行採決された「年金機構」(社会保険庁を非公務員の公法人とする)や「百年安心」といったこの間の年金改革―官僚内閣制の枠内の「改革」―についても、これでいいのかという議論になるはずだ。年金制度改革は、官僚内閣制の枠内での議論から、政治家同士の議論にしなければならない課題だ。つまり、政党の民意集約機能が試されるという、政権選択選挙の本題にはいっていくことになる。
 経済財政諮問会議の民間議員は、公的年金改革について、「保険料方式を維持」する場合、「全額税方式に移行」する場合それぞれでどのような改革が必要か、財源として消費税に換算して何パーセントが必要かを示し、民主党案(全額税方式・消費税は上げず行革で財源を捻出)との比較ができるようにした(10/24日経)。政府の一部が複数の選択肢を提示して国民の関心および与野党間の政策論争を喚起する、というのも逆転国会のひとつの成果といえるだろう。だからこそ今国会を、官僚内閣制の枠内から脱した政治家同士の政策論争への糸口として、与野党ともに使いこなすべきだ。
  機能停止しつつある官僚内閣制に替わって議院内閣制を作動させ、政治の安定と改革の継続を

 政府は〇九年から、基礎年金の国庫負担率を現在の三分の一から二分の一へ引き上げる。その財源をどうするのか。小泉、安倍政権で先送りされてきた課題に、いよいよ直面することになる。この財源論争は、財政再建と構造改革をめぐる政策論争に直結する。これを本格的な政治家・政党同士の政策論争として展開できるか。その糸口をつかむことが、小泉改革でやり残された課題に取り組むことにもなる。
 小泉改革の意義のひとつは、自民党内抵抗勢力との攻防という疑似的な形ではあったが、財政経済政策を政治闘争の課題にしたことだ。右肩上がり・護送船団の時代には、「あれか、これか」の政治判断は必要なかった。与党議員は箇所付けや税制優遇措置で「あれも、これも」と言い、細かい調整は官僚に任せ、責任は政府が取ればいい、いざとなったら要望をいれなかった政府を批判して当選してくればいい―これが官僚内閣制のもとでの政府・与党二元体制であった。こうして積みあがった財政赤字から、もはや逃げることができなくなり、またグローバル化に対応せざるを得なくなるというなかで、ようやく財政再建と構造改革が政治闘争の課題―政権選択のカナメとなってきた。

 小泉政権では官僚内閣制の土台の上で疑似的に行われてきたこの論戦を、政党間・政治家同士の論戦に、議院内閣制を作動させるための論戦へ転換する、その糸口とできるか、というのが主権者運動の問題設定だ。民主党は、福田総理が呼びかけた消費税を含む税制改正の与野党協議に応じず、十二月に独自の税制大綱をまとめる方針だ。つまり、与野党の税制大綱が国民の前に示され、それをめぐる論戦が交わされることになる。
 財政再建をめぐる自民党内の論争は、歳出削減と増税、どちらに比重を置くかという点にある。歳出削減7、増税3なのか、それとも5:5なのか。前者は成長重視・構造改革推進、それに比べて後者には財政出動傾向が見られる、というのがきわめて大ざっぱな整理だろう。背景には、参院選の敗因である「一人区での惨敗」を「構造改革が地方の疲弊を招いた」と見るのかどうか、ということもある。しかし「改革の影に対する手当」といっても、「増税なしの財政出動はバラマキだ」と民主党を批判する以上、自民党も財政規律を無視した旧いバラマキに戻ることはできない。
 自民党の財源論批判に対して、民主党は「税金の無駄使いを一掃する」ことを、より鮮明にすべきだろう。つまり官僚内閣制の構造的解体にまで踏み込んで、歳出削減・行政改革を行うということだ。「増税せずにここまでやる」ということを、数字のつじつま合わせとしてではなく、官僚内閣制の構造をここまで解体する、そのための政権だという覚悟を示すものとして
  提示できるかだ。
 日本の役所の特色のひとつは、省庁の裾野が公益法人や各種団体および地方自治体を通じて社会に広がり、縦割りで社会集団の利害を代表している側面がある(あった)という点だ。飯尾氏はこれを「省庁代表制」と名づけている(「日本の統治構造)。ところがいったんできた権益は、社会が変化してもそのまま存続し続ける。結果、社会が変わりすでに代表すべき利害が存在しないのに、役所の権限や権益だけが自己増殖しているという事態になる。これが「税金の無駄遣い」の構造だ。ここを断ち切ることが、構造改革の本丸であったはずである。
 この官僚内閣制の構造にケジメをつけずに、市場主義改革は可能なのか。ここから小泉改革の総括を問うべきだろう。歳出削減を進めること、地方分権を進めること、グローバル化への対応を強化することで、経済成長と財政再建を両立できる可能性は高い、という共通認識の前提には、官僚内閣制にケジメをつけることが不可欠だ。
 省庁代表制に対比されるのは、国民代表制である。議員が国民を代表して決定に携わるためには、政党には民意集約機能が求められる。民意はひとつではない、多様であり、バラバラでもある。官僚内閣制では細かい調整はできても、多様な民意を集約して大きく方向づけることはできない。政党に求められるのはその機能であり、それによってこそ改革の継続と政治の安定が実現する。

 官僚内閣制にけじめをつけ、議院内閣制をより的確に作動させる一歩を踏み出すこと、それをできるのはどちらの政権なのか―これが次期総選挙での政権選択である。ここから「次のステージ」にむけて、将来の社会投資をめぐる選択と集中のあり方(いわゆる「成長重視」か「分配重視」か)、あるいは過去の不良債権の処理(地方の三セクなど、官僚内閣制のツケ)をめぐる破綻と再生の仕組み(例えば公正さの基準)など、財政再建と構造改革についてのより踏み込んだ論議が展開されることが期待される。「地方政府確立の時代」(地方分権改革推進委員会「基本的な考え方」07年5月)を迎える地方にとっての喫緊の課題は、ここにある。
   官僚内閣制の枠にとどまったままでは、「地方の反乱」にこめられた民意を集約することはできない。機能停止しつつある官僚内閣制に替わって議院内閣制を的確に作動させること、これによって改革の継続と国民本位の政治の安定を実現する―これが次期総選挙の課題だ。