日本再生 344号 2008/1/1発行

内外政治の激動的動きが始まる2008年
これに対応できなければ、健全な政権選択選挙の実施は困難となる――情勢
健全な政権選択選挙を準備するための障害物をいかに取り除いていくか――行動指針

内外政治の激動的動きが始まる2008年

 後から振り返ったときに、二〇〇七年は世界経済の大きな転換点であった、といわれるのではないか。それぞれの事情から続けられてきた日米中の異常ともいえる超金融緩和政策の弊害が、〇七年には米国のサブプライム問題と原油価格高騰という形で顕在化した。冷戦体制終焉後、未曾有の拡大基調を続けてきた世界経済は本格的な調整過程に直面する。これをいかにマネージしていくか。もとより一九二〇年代末の世界恐慌の教訓では対応できないし、アジア通貨危機までのような先進国の政策協調の延長で対応できるものでもない。危機に直面した欧米の金融機関に“救いの手”を差し伸べたのが中東や中国、シンガポールの政府系ファンドであったことに見られるように、グローバル金融の世界におけるプレイヤーの構図は、かつてとは大きく様変わりしている。その背景にあるのはドルの信認低下であり、世界経済の構造的な変化である。
 「アメリカの通貨当局が信用不安のたびに金融を緩和し、マネーを増大させてきたにもかかわらず、インフレにならなかったのは、旧社会主義国や中国、インドなどの途上国がグローバルな市場経済へと統合され、その安価な製品が価格低下圧力
  をかけていたからに他ならない。過去二〇年間の世界経済の繁栄は、豊富なドル供給に支えられたアメリカの購買力が、これらの新興経済国からの輸入を吸収することでもたらされた。
 しかしこの構図が脆弱になってきている兆候がある。サブプライム・ローンの破綻の世界的な金融不安への拡大が意味するのは、アメリカを中心に進められてきた世界的な金融市場の統合と金融工学に基づくリスク分散テクノロジーの普及に内在する脆弱性の顕在化である。同時に、景気後退に伴うアメリカの購買力の縮小と、イラク戦争以降のアメリカの対外政策の混乱が、かつてない形でドルに対する信認を低下させている。
 他方、新興経済国も資源や環境というボトルネックを意識せざるを得なくなっている。その経済成長による実需拡大が、エネルギー、鉱物、農産品などの価格高騰の要因となっていることは否定できない。また、地球温暖化問題や製品安全問題への関心の高まりは、新興経済国に対する規制を求める声を強めている。こうして一方では金融面でのデフレと実需面でのインフレ傾向が共存し、また他方ではグローバリゼーションに対する規制が強化されつつある」(中西寛「中央

公論」1月号)
 冷戦体制の終焉は、人類史上初めて「単一の世界市場」が登場したことを意味した。グローバル市場、グローバル経済の時代の幕開けである。産業資本主義からポスト産業資本主義の時代への変換、あるいは情報通信革命の時代ともいわれるこのステージは、十六世紀から二十世紀までの資本主義の急速な変化でもあった。
 この資本主義の時代が二度の世界大戦へと帰結したことの総括から構築された第二次大戦後の世界経済の枠組み、システムも当然、グローバル経済というステージからの挑戦を受けてきた。この構造的変化に対して、新たなシステムへの試行錯誤として対応してきたのか、それとも旧来のシステムの延命・先送りとして対応してきたのか。その帰結が否応なく明らかになってくるのが、〇八年の情勢である。
 新興国の政府系ファンドが相次いで欧米金融機関への資金の出し手となった事態に「日本の金融当局の高官は、今もキツネにつままれたような表情をしている」(日経12/22)。わずか二ヶ月前のG7の声明では、新興国の政府系ファンドの台頭に警戒感が表明されたにもかかわらず、一転して「救世主扱い」となるという事態の展開に、「アメリカがくしゃみをすれば○○が風邪をひく」式の認識では完全についていけなくなった。
   翻って一九三九年、独ソ不可侵条約の調印に対して平沼内閣は、「欧州情勢は不可解なり」と総辞職した。戦争回避の最後の可能性を秘めた日米交渉の正念場の時期である。翌年には「基本国策要綱」とともに「武力行使を含む南進政策」が決定、実行に移され、年末には大政翼賛会が発足する。世界経済の構造変化の潮流が視野に入っていない、あるいはそれに延命としてしか対応できていなければ、どういうところに帰結するのか。歴史の教訓を今にどのように生かせるかが問われる。
 「経済の金融化」とともに、グローバル経済の運営に大きく問われているのは「環境」であり「持続可能性」である。環境問題はヨーロッパにおける東西冷戦終焉のひとつのファクターでもあった。そして「環境」はEU統合の軸のひとつともなってきた。〇七年EU首脳会議は、「二〇二〇年までに温室効果ガスをEU単独の場合は20%、ほかの国が参加した場合は30%削減する」ことをはじめとする目標と、これを実現するための気候・エネルギー政策に関する一括的な提案を合意した。これらの目標は法的拘束力を持つものであり、それが「一括」で合意されたことはきわめて大きな意味を持つ。
 この合意について、クリスチャン・エーゲンホッファ欧州政策研究所上席研究員は、「欧州産業の競争力に配慮しつつ妥

当な価格のエネルギーを確保し、持続可能な環境への配慮を高めつつ気候変動と闘う」という目標であり、言いかえれば「エネルギー供給の確保」「産業の競争力」「持続可能性」という一石三鳥をめざす「低炭素経済」へ移行するための目標であるとしている。
http://premium.nikkeibp.co.jp/em/report/36/index.shtml
 つまり温暖化対策は技術的対応のレベルではなく、市場経済システムそのものの変換=低炭素経済への移行およびそのための世界経済のルールの組み換え、というレベルの問題になっているということだ。ポスト京都議定書をめぐる国際政治の駆け引きも、このレベルで展開される。この国際的枠組みが成功すればブレトンウッズ体制に匹敵する、と言われる所以である。そこが見えずに「削減数値を盛り込まずに、国民運動でツジツマあわせをする」ということでは、京都議定書のクリアすらおぼつかないということになる。(「京都議定書目標達成計画」見直し最終報告ではトータルの削減量を明示しないまま、国民運動で削減目標は達成可能としている。)
 EUは気候変動防止戦略の大きな柱として、域内の排出権取引(キャップ&トレード)制度を〇五年よりスタートさせており、〇七年までの第一取引期間の総括を踏まえて〇八年から第二取引期間をスタートさせる。低炭素経済への移行の手段として、市場経済に環境負荷を組み込む、端的に言えば
  「炭素に価格をつける」ということだ。短期的にはこれはコスト増として跳ね返ってくる。しかしEUはあえて厳しい状況を自らに課すことで、「来るべき、温暖化が進み化石燃料が高騰する時代に備えて、省エネ・技術開発をより一層推進し、環境問題と経済問題を同時に解決できるような社会経済システムへの改革を戦略的に進めている」(一方井誠治「世界」9月号)のである。
 気候変動対策は現時点ではある程度費用がかかったとしても、将来的には環境面のみならず経済戦略面での優位性にもつながる、というEUの経済合理的な見通しに米国企業や州政府、議会も敏感に反応し始めている。
 温暖化防止バリ会議では、京都議定書を離脱した米国や、削減義務のない中国などの途上国も参加する新たな枠組みづくりが最大の課題であった。これはすべての国が参加して今後二年間の交渉で具体化するという「バリ・ロードマップ」として合意された。さらに「今後十〜十五年以内に全世界の温室効果ガス排出量を増加から減少に転じさせ、50年に00年比半減以下にする。そのため、先進国は20年に90年比25〜40%減に抑える」との数値目標はロードマップでは削除されたものの、会議参加国の共通認識となり、京都議定書の作業部会では、(第一約束期間後の)13年以降の先進国の削減を考える目安として明記された。

 ハイリゲンダム・サミットで「二〇五〇年に半減」を提唱しながら、バリでは数値目標盛り込みをブロックした日本は、このままでは温暖化対策と経済対策の融合(市場経済の新たなルール化)という潮流に大きく取り残されるばかりか、京都議定書の目標をクリアするために、高騰した排出権を政府が購入せざるをえなくなる。世界経済の構造変化に、延命・先送りとしてしか対応してこなかったことのツケは、より大きなものとなってかえってくる。
 冷戦後の構造的変化に試行錯誤として対応してきた側は、その総括から激動的に変化する情勢に対応し、新たな枠組みへの糸口を実体化していく。延命・先送りとしてしか対処してこなかった側は、これ以上の先延ばしは不可能というところから、この激動に準備なく対応せざるをえない。

内政ごっこに明け暮れているひまはない

 内外情勢の激動的変化に対応する準備は、どこまであるか。〇八年度予算案は「改革の後退」を大きく印象づけるものとなった。〇九年には基礎年金の国庫負担割合を三分の一から二分の一に引き上げることがすでに決まっている。必要な財源は二兆三千億円。これをどうするのか、税制改革をこれ以上先送りすることはできないはずにもかかわらず(「骨太の方針2007」では「07年中に税制の抜本改革を実現」としていた)、結論は先送りされた。のみならず解散・総選挙を意識した歳出圧力が強まった結果、五年ぶりにプライマリーバランス(基礎的財政収
  支)は悪化、一一年度を一里塚とする財政健全化の工程表(小泉改革の遺産)は早くも暗礁に乗り上げている。
 グローバル化と人口減少社会の到来にいかに対応するのか、という課題はすでに十分見えているにもかかわらず、橋本改革は小渕政権の空前のバラマキにとって変わり、小泉改革は安倍政権の「自爆」によって頓挫しようとしている。この間、ヨーロッパ諸国では新自由主義的改革と「第三の道」(新社会民主主義的改革)の政権交代を伴って、グローバル経済下における新たな社会政策を試行錯誤しつつ構築してきた(税と社会保障の一体化など)。市場経済に「環境」を組み込む(炭素に価格をつける)という新たな経済戦略も、その一環といえよう。中国も指導部の交代を伴いつつ、開発優先型の経済戦略から「公平」「持続可能性」を重視する経済戦略への転換をはかっている。
 改革の課題は見えている、にもかかわらず、国内事情によってそれが先送りされ続ける。これこそが「内政ごっこ」たる所以である。
 「最近の経済政策に関する政策論争を見ていると、10年たってまた同じところに戻ってきた、という印象を強くする。道路財源の論議にみられるように、地方への財政支出を増やすべきだとする積極財政派と、財政健全化のために歳出削減や増税を図るべきだとする財政再建派の論争は10年前にもあった。それだけではない。論争の枠外に、誰も触れようとしない重要な問題が存在しているように思われる。核心から目をそらしている、という点で論争の『精神構造』が10年前と類

似しているのだ」(小林慶一郎・朝日12/22)
 「〜有効なテーマが、なぜ政策論争の主要論点にならないのか。答えは10年前に不良債権問題がテーマとして取り上げられなかった事情と同じだ。つまり多くの既得権者が存在し、彼らに具体的な『痛み』を与える改革だからだ。〜むしろ、不良債権の処理を先送りし、公共事業などで時間を稼ぐのが最良と思われた。そうすれば、最終的には、財政負担が国民全体に行き渡るが、倒産などの痛みを感じる人は少なくてすむ、と考えられたわけだ」(同前)。
 どこかで聞いた話ではないか? 航空機で戦艦を沈めた真珠湾攻撃は、十六世紀以来続いてきた大艦巨砲主義時代の終わりを告げるものであった。にもかかわらず日本軍はその後も大艦巨砲主義の路線を続け、逆にアメリカは空母を主体とする機動部隊へと海軍の編成を転換した。なぜ日本軍は転換できなかったのか。これについて元航空参謀で戦後は参議院議員となった源田実氏は、「長年苦労させてきた水兵たちに対して『もう君らの時代は終わった、これからは飛行機乗りの時代だ』とは言えなかった」と述べている。つまりは水兵の失業問題である。(齊藤健「転落の歴史に何を見るか」より)
 転換の方向はわかっている、課題も見えている、しかし「今日明日をどうするのか」というところで先送りが繰り返され、改革は迷走する。ここでこそ政党政治の知恵が試される。
  「戦争やジェノサイドは社会システムの不調であり、多様なファクターの累積効果として発生する。『だれか』が意図的に開始できるようなものではない」(内田樹「ためらいの倫理学」)とするなら、歴史的な激動期の転換・移行期を、社会システムの不調をきたさずにマネージできるかというところにこそ、政党政治の知恵―政権交代システムの知恵が求められよう。ここで戦前の教訓をどのように今に生かすことができるか。次期政権選択選挙を健全なものとできるかは、ここで試されることになる。

パブリックの輿論の力で、健全な政権選択選挙へと迫り出そう

 「景気回復六年目」という政府発表は、明らかに国民の生活実感と乖離している。原油をはじめとする資源価格の高騰による値上げがジワジワと続いている。「物価が上がる」というのはほぼ十年ぶりの事態だが、かつてのように物価が上がれば賃金も上がるという世界では、もはやない。まして非正規雇用者が三分の一を占めるという雇用構造では、右肩上がりの時代には「ないこと」にされてきた貧困問題に、いよいよ直面せざるをえなくなる。
 一九三六年の二・二六事件の背景には、不況にあえぐ農

村の苦境があったといわれる。一方でその六日前に行われた第19回総選挙で国民は、民政党に第一党を、政友会に第二党を与えている。男子普通選挙制から八年目、四回目の総選挙であり、翌年の第20回総選挙を含めて二大政党制は定着しつつあった。翌年七月盧溝橋事件が起こる。この時期には斉藤隆夫が「粛軍演説」を行うことができた帝国議会は、三年後の一九四〇年には「反軍演説」を理由に斉藤隆夫を除名し、やがて政党は自ら解体して大政翼賛会に合流していくことになる。
 この過程は「軍部による弾圧」によって進められたものではなかった。新体制を求めたのは労働者であり、農民であった。彼らは「総力戦」の下に最低賃金制度を要求し、軍需産業に対する特別課税や失業者の雇用を要求し、あるいは貧農の負担軽減や自作農の奨励、国民健康保険法の制定などを求めた。平時では困難な政策を、彼らは政党を通じて実現しようとした。「大政翼賛会は、戦前日本のデモクラシーを否定したうえで成立したのではない。時下、紆余曲折を経たデモクラシーの発展の結果が大政翼賛会だった」(井上寿一「日中戦争下の日本」)
 歴史的な激動期、民主主義は相反するような形態を伴って発展する。だからこそ多様な民意をまとめあげることのできるパブリックの輿論(世論ではなく)形成が重要なカギとなる。小選挙区、マニフェストといった政権選択選挙のツールは外形上
  は整った。問題はこれらをより健全に使いこなす輿論の主体形成であり、それを育成しうるのは討議―熟議を通じる以外にない。
 討議とは、「賛成」「反対」の言い合いではない。例えば「道路特定財源の暫定税率廃止」をめぐって、「それでは地方の道路整備ができない」という反対論がある。そのときに、それ自身の利害得失を論じていれば「地方との格差」や「選挙に有利かどうか」というレベルに終わる。しかし「暫定税率廃止」は税体系全体に関わる問題設定であり、「地方をどうするか」という問題設定ではない。一方で、「財源死守」という地方の声によく耳を傾ければ、そこには「自主財源」の要求、地方自立の要求が内包されている。税体系の再設計と地方政府の推進という問題設定から「今日明日をどうするか」の対策を協議するのと、「今日明日をどうするのか」それ自身に終始する協議とでは、「討議」の質がまったく違ってくる。
 「ねじれ」国会で、こうした討議への糸口を実践的にどれだけつかめるか。そして二元代表制の地方議会で、より身近な利害をめぐってこうした討議がどれだけ実践的に行われるか。そういう「討議の場」「合意形成の場」としての議会を、どれだけ有権者に見せることができるか。それが見えれば、「議会の活性化」を検証し、また要求するという有権者のアプローチも見えてくる。議会を監視の対象とする議会改革と、議会を検証する議会改革の違いに気づく。

 問題設定、方向性が大筋共有されるなら、後はそのための障害をどのように取り除いていくか、ということだ。「今日明日をどうするか」はここでの論点であって、問題設定そのものを否定する論点ではないはずだ。障害を取り除いていくプロセスを共有するところから、討議、協議の場が生まれてくる。政治とは本来、その積み重ねであるはずだ。そうであるなら、政権交代もまた「政治を変える一発勝負」ということではなくなるはずだし、選挙も平常心での選択となるはずである。そういう健全な政権選択選挙を準備しようではないか。
 地方政府の時代という方向性は、いやおうなく進む。自治体が単なる執行機関(中央政府の決定を執行する下請け機関)であるなら、そこに政治は必要ない。しかし執行機関ではなく地方政府であるなら、政治的対立や政策選択が必然的に伴う。そのためには、執行部提案に賛否を表明するだけではない、討議の場としての議会が不可欠となる。身近な利害、よ
  り生活に密着した利害を、討議を通じて調整し合意形成していく。あるいはその政策選択を選挙を通じて決する。そういうことの道具として、政党を使いこなす。あるいは、使い勝手のよいように変えていく。そういう政党との付き合い方ができる主権者になろう。
 バッジをつけない主権者として政治家や政党を育成する、ということは、選んだほう(バッジをつけない主権者)もマニフェストに責任を負うからこそ、選ばれた側にその履行を要求し、それを検証するということにほかならない。「監視」なら、フォロワーの義務や責任は問われない。検証とは、政権選択選挙という問題設定、議会の活性化という問題設定の障害をひとつずつ取り除いていくプロセスを共有することにほかならない。バッジをつけない主権者の役割を深め、広めていこう!