日本再生 352号 2008/9/1発行

誰が官僚内閣制の惰性を断ち切るのか
「失われた二十年」から「失う十年」への”負の連鎖“を断ち切る、そのための主権者運動のアジェンダ設定を

官僚内閣制の惰性を断ち切る政策転換の論戦へ
既存政党を否応なく迫り出せ

 今回の内閣改造は(党人事を含め)、構造改革路線との決別を明確にした。
 「三年でこうも変わるのか。郵政造反・復党組の野田聖子氏が消費者行政担当相に、保利耕輔氏が自民党政調会長になった。六年続いた長期景気が終わり、景気対策に名を借りたバラマキ・コールが高まる」「麻生太郎自民党幹事長は『財政再建より景気対策優先』を公言する。公明党は、所得減税を含む『兆円単位』の景気対策を求める。十年前に小渕恵三政権に商品券(地域振興券)を飲ませたDNAがよみがえった」「(日本は)九〇年代のバブル崩壊後に、公共事業中心の総合経済対策を連発しながら『失われた十年』にもがいた。日本と同じころバブルが壊れた北欧諸国は、銀行の不良債権処理に素早く取り組み、三年ほどで不況を脱している。いまの日本経済の苦境は石油、食糧など一次産品の高騰で、所得が海外に流れ出し、購買力を奪われている点にある。企業も国も悪化した交易条件の回復がカギになる。バラマキに頼り政策の『選択と集中』を怠った九〇年代の轍を踏んではならない」(8月18日日経コラム「改革とバラマキの間で/政党の耐えら
  れない軽さ」土谷英夫)
 二〇〇〇年には世界第三位だった日本のGDPは、〇六年には十八位に後退、〇七年にはシンガポールに抜かれて「アジア首位」の座も失った。すでに人口減少社会に突入するなかで、この先の十年をさらに失うのか! 次期総選挙では「逃げ場のない」選択が問われている。
 各種世論調査では、政党支持率こそ自民、民主に大差はないが「次の総選挙でどちらに勝ってほしいか」という設問では、民主が自民を大きく上回るという状態が続いている。民主党の政権担当能力には疑問もあるが、それでも日本の民主主義のためには政権交代があったほうがいいというところまで、有権者の肚は整理されつつある。「自民か民主か」という既存政党の枠に収まらない判断基準を、有権者が持つようになったということだ。だからこそ主権者運動の側からのアジェンダ設定を準備して、「何を選ぶか」を既存政党に突きつけるところまで、鮮明にしていかなければならない。
 道路特定財源問題でも明らかになったように、「値下げ」一辺倒(バラマキ派)、「一般財源化」をめぐる政策論争(政策転換=改革派)、「財源が欠けたら困る」の大合唱(官僚の振り付けどおりに動く自治体と政治家)という分岐は、与野党の区分や政党の区分を越えて走っている。

 「ねじれ」国会の功は、官僚依存では動かない政治を、政治家主導の国会論戦で動かすことに気づいたことだ。官僚内閣制の惰性からは「何も決まらない国会」に見えるが、改革派からすれば「国民が与えた“ねじれ”という舞台だからこそ、政治は大きく動く」ということだ。この舞台でこそ、右肩上がり―官僚内閣制の惰性を断ち切る政策転換の論戦は可能になる。この舞台をさらに促進し、そこで使いものになるバッジ組を送り出していくこと。それが次期総選挙における、主権在民の観点からの投票基準となる。
 そこからすれば、週一回の党首討論にさえ耐えられないような総理と総理候補では話にならないし、委員会で役所のメモを見ながら「質問」するような国会議員は、お役御免にすべきだということになる。また法案に賛否をしたら後は役所にお任せ・丸投げ、という議員では、与野党ともに使いものにならない。「小骨一本抜かせない」ように、制度設計から運用の細部まで執行過程を検証することができてこそ、政治主導の意味がホンモノになる。
 官僚にはできない切り口から政策を考え、チームで議員立法に仕上げていく。立法府における議員同士の討議で決定していく。委員会で政策目標、優先順位、手法など執行過程の
  妥当性を検証する審議ができる。与野党ともにそういう議員こそ立法府に送り、仕事をさせなければならない。
 誰が官僚内閣制の惰性を断ち切るのか。バラマキvs無駄遣い批判という次元の「論争」では、官僚内閣制の惰性を断ち切ることはできない。どんな政策、事業にも「必要だ」という理屈は、いくらでもひねり出せる。「必要であっても優先順位の低いものはあきらめる」という選択が問われている。それが政治の意思決定であり、それを(お任せ・白紙委任ではなく)選挙で有権者が決めるということだ。こうしたステージへの転換を決定的なものとする―それが次期総選挙に向けた主権者運動の側からの選択基準だ。


増税の前にやるべきことがある

 次期総選挙の合意争点のひとつは間違いなく、「財源(税制)」と官僚機構の監督・チェックだろう。経済状況が急速に厳しくなるなか増税は難しい、という現状認識が「先送り」の正当化になるのか、「増税の前にやるべきことがある」というロードマップとなるのか。税金の無駄遣いチェックについても、

「財源なんか、どうにでもなる」というバラマキの正当化につなげるのか、右肩上がり・中央集権制の惰性を転換する政策転換―「何をあきらめるか」の選択につなげるのか。この分岐もまた与野党や政党の境界を越えたものとなっている。
 「今の時点で増税すべきではないと思っています。二つ理由がありますが、ひとつは(政治が)信頼されていないこと、もうひとつは今は経済がメチャクチャだということです。こういう状態で増税したら、とても耐えられません。中小企業と家計にしわ寄せがいくだけです。
 ただし、少子高齢化が進む状況のなかで現在の財政構造も考えれば、消費税の引き上げは、どこかの時点でやらなければならないと思います。もし次の消費税の引き上げで失敗したら、日本は大変なことになると思います。それをどうやって越えていくか。そのためにはまず信頼回復が不可欠なんです。そして経済が回っていると、みんなが実感できるようなところにもっていかなければならない。そういう危機感からの『無駄遣い撲滅プロジェクト』なのです」(亀井善太郎衆院議員・本号四面)
 「私自身の簡単な話でいうと、政権を取らせてもらったら三年間で税金の無駄遣いを全部明らかにする。今、年間十二兆
  円、千七百団体という特殊法人に金がぶち込まれて、ほぼ随意契約で持っていかれています。これを全部表に出して、どれが必要でどれが必要でないかという仕分けをして、三年間でこれだけ税金の無駄遣いを明らかにして財源を作りました、これを踏まえて消費税を上げさせてください、年金制度を全部変えましょうと。これで選挙をやらせてくださいと言って、二回目の政権で安定政権を作って、分権も含めて根本的にやっていくというのが、私なりのシナリオです」(福山哲郎参院議員・本号十六面)
 「増税の前にやるべきことがある」―どちらの無駄遣い撲滅が、官僚内閣制の惰性を止める政策転換への糸口となるか。これを次期総選挙の合意争点のひとつにすべきだ。


「何をあきらめるのか」の選択を問う

 「何をあきらめるか」の政治決断が伴わなければ「改革」の名の下に、官僚内閣制の政策形成が延命する。官製不況はその実例だ。現場を全く無視して官僚の責任回避のためだけに行われた建築基準法の改正は、GDPを〇・六%低下させ

に行われた建築基準法の改正は、GDPを〇・六%低下させ。金融商品取引法改正による投信販売の不振、外資規制による資本の流出、食品偽装の過度の追及による不安の増幅と監督官庁の焼け太り、さらには医療崩壊、年金崩壊、介護崩壊…。
 官僚内閣制の政策形成は、既得権の自己増殖=無駄遣いというだけにとどまらず、社会の必要や実生活の障害となっている。これは「何をあきらめるか」という政治決断によってしか止められない。それを決めるのが、有権者の一票だ。だからこそ、官僚内閣制の政策形成に替わる政策形成の視点から「何をあきらめるのか」を提起できるかが、主権者運動からの判断基準となる。例えば
●地域主権―住民自治の視点
 暫定税率と道路特定財源が国会で焦点となっていたとき、暫定税率廃止と一般財源化の主張はあったが、地方への税源移譲を前面に出した主張は既存政党からは、ほぼ出なかった。政党にどこまで分権の視点があるか。
 分権の本質は国から地方への権限移譲にあるのではなく、地域のことを住民自身が決めていくことであり、そこから住民が主権者として国と地方に権限を分け、コントロールすることにある。つまり分権は「やったほうがいいかどうか」ということ
  ではなく、主権在民の原則だ。それが政党の運営、規律にどこまで貫かれているか。地方組織が国政の下請け、という位置づけで分権をどれだけ断行できるのか。
●環境経済外交戦略
 環境負荷を組み込んだ市場経済システムを、いかに作り上げていくか(新しい市場経済の創出/本号・福山議員講演参照)。これが現在の国際競争の大きな柱である。経済社会のパラダイムチェンジをめぐるグローバルな競争のなかで、日本の国益をいかに実現していくか、そのための立ち位置をどう定義するか、産業構造転換といかにリンクするか。こうした発想、皮膚感覚、生活実感なくしては、環境イコール規制としか発想できない官僚内閣制に太刀打ちは効かない。
●地産地消の視点―食料、エネルギー、カネ、ヒト、医療・介護etc
 グローバル化と分権、地域主権は両輪だ。グローバル化が一極集中を肥大化させたのは日本だけ。その原因は官僚制・中央集権制にある。ここから「官僚に決定を白紙委任するほうが効率的」という「お任せ民主主義」「無党派主義」もはびこった。
 これに替わる「地産地消」の政策形成の視点があるか。食料自給には、巨大アグリビジネスよりも地産地消の視点が必

要だ。脱炭素のエネルギー転換には、自然エネルギーの地産地消の視点が必要だ。地域経済の活性化には、補助金頼みの“ないものねだり”ではなく “あるもの探し”で稼ぐ、お金の地産地消の視点が必要だ。地元の高校を出た普通の子が就職できる産業の育成は、霞ヶ関にはない知恵―地域の知恵の総力戦だ。医療・介護の崩壊を食い止めるのは厚労省ではなく、地域のネットワークだ。
   こうした地産地消の生きた知恵に立脚して、官僚内閣制を統制・監督できるか。
 「失われた二十年」から「失う十年」への“負の連鎖”を断ち切る、そのための主権者運動のアジェンダ設定を準備しよう。