日本再生 356号 2009/1/1発行

激動の情勢をパラダイム転換のチャンスとして受けてたつ「チェンジ!」のフォロワーシップ(社会的連帯のうねり)で、政権交代の波を起こそう。


激動にチェンジで対応する
政治の意思―それを迫り出す
民意の底力が試されている

 〇八年は、激動の年として幕を閉じた。この激動は、「国際秩序の大規模な変革過程として世界大戦の代替物の役割を担っている」(中西寛「中央公論」12月号)というべき性格のものである。〇九年は、この激動に対応するための「チェンジ」の年である。目の前の危機に対応するとともに、新しい価値観、哲学から新しい国際秩序をつくるための行動にどう踏み出していくか。アメリカでは、これまでとは大きく異なる資質、バックグラウンドを持つ新しい大統領が「チェンジ」を掲げて就任する(10―13面参照)。日本では総理がどんなに逃げまくっても、秋までには総選挙を行わなければならない。「チェンジ」の民意・輿論による政権交代、これこそが争点だ。
 短期的にみれば現在の混乱は、アメリカ主導のグローバリゼーション(基軸通貨ドル、ハイテクによる軍事力の優位性)を軸とする「ポスト冷戦」構造の限界といえる。こうしたグローバル化は、先進国のみならず新興諸国にも及ぶかつてないほどの経済成長をもたらした反面、テロや核拡散などの非対称的脅威の増大やマネーゲームの野放図な拡大と表裏一体の、きわめて危ういものであったことが明らかになった。
 同時にこの金融危機への対処が「第二のブレトンウッズ体
  制」への一歩ともいわれるように、冷戦後も手直しされて続いてきた第二次大戦後の世界秩序そのものの、構造的な再編に着手せざるをえない、そういった性質の国際秩序の変革過程でもある。さらにいえば政治の意思さえあれば、この危機への対応が低炭素社会への転換を後押しするように、産業革命以来の経済・産業・エネルギーの大転換をも意味するような変革期である。
 これにどのように「チェンジ」で対応するのか。戦争や革命に匹敵するような大きな変革期において、ある人は次の時代、新しい価値観に向けて啓発されるが、ある人は愚鈍に打ちひしがれる。「次」を準備してきたもの(ごく少数)にとっては、理念を行動に転ずるチャンスであるが、既存の方程式でしか頭をつくっていないものは立ち往生するしかない。「これ以上先送りできない」「このままでは破綻しかない」というところで、ある人には生き残るための知恵がでてくるが、ある人は自暴自棄になる。
 このような時代に、オバマという若い、これまでにない指導者を選んだアメリカ国民、アメリカ社会には、やはり「生きる力」「民意の底力」があるといえるだろう。「この選挙は民主か、共和かという選挙ではない、アメリカのため、私たちのための選挙だ。イラク戦争にしろ、税制にしろ、希望を失った若者や忘れられたお年よりたちもが参加して、アメリカの未来を自分たちで決めるための選挙だ」という社会的連帯のうねりが、オバマを大統領に迫り出した、といってもいいだろう。

 日本はどうか。チェンジの民意、そのエネルギーは、立ち往生や逃げまくりに対する鬱憤、閉塞感からは生まれてこない。生きるための小さな知恵は孤立したところからは生まれない。チェンジの民意は、小さな社会的連帯の輪からこそ生まれてくる。激動に「チェンジ」で対応する政治の意思、それを迫り出すことのできる民意の底力こそが試される。それが政権交代の課題にほかならない。

パラダイム転換に対応する
内政と外交のチェンジの接点 
〜政権交代の課題

 オバマ次期政権のみならず先進国、新興諸国を含めた各国政府が直面している課題は、なによりも当面の経済危機の克服である。市場の信用機能そのものが中枢から毀損するというかつてない事態には、あらゆる政策手段が動員されることになるのも当然であるが、しかしそのなかにも旧来の構造から転換するための中長期的なビジョンが求められている。
 オバマ次期政権は、地球温暖化防止に向けてアメリカの産業構造を変えることで二百五十万人の雇用を創出するとしている。いわゆるグリーン・ニューディールである。ビッグスリー
  の苦境は二十世紀型産業モデルの終焉を象徴するともいえるが、政権交代はこの危機を、低炭素経済へ転換するためのチャンスに変えることができる。
 すでにEUは排出権取引市場の形成や自然エネルギー普及のための価格形成メカニズムなど、低炭素経済にむけた市場経済システム構築の試行錯誤の経験を蓄積している。政権が変わり、政府の政策が鮮明に変わることによって、この領域でのアメリカとEUの国際競争は一気に加速するだろう。
 中国の経済対策も内陸部へのインフラ整備などで沿海部との所得格差を縮めるとともに、旧来のエネルギー浪費型の経済構造から省エネ、低炭素経済へ転換する外圧としてこの危機をテコにしようとの政治意思が働き始めている。それは同時に、「途上国」として先進国の責任を問うというところから、プレイヤーとしての責任を引き受けるという国際社会におけるスタンスの変化にもなっていく。
 日本はどうか。国際秩序の大変革期に「チェンジ」で対応する政治の意思は? それを迫り出していく民意の底力は? 迷走、逃げまくりの政治が続けば、何でもかんでも経済危機のせいにして(増税派とばらまき派が一体となって、旧来の構造が生き延びて)景気は回復せず、財政再建は遠のき、増税だけが残るということになる。

 財政出動はどの国の政府も避けられない。問題は「どこに」投資するのか。将来必要な財政出動を前倒しで行うことが基本であり、アメリカ、EUはその「目玉」を明確に低炭素経済への先行投資、そこでの国際競争力への投資に絞ってきた。中国は内陸部の開発(国内格差の是正、内需喚起)と同時に、二十世紀型経済の後追いではない発展モデルへの先行投資を視野に入れ始めたということだ。
 問題なのは政府の無策だけではない。人件費カットと円安(輸出依存)で成り立っていた日本の「ものづくり」とは何だったのか。自動車の売れ行きが伸び悩んでいるのは、昨日今日のことではない(金融危機だけが原因ではない)。人口減少社会に突入して、国内消費の構造が大きく変わっているにもかかわらず、それに対応することなく今日に至った姿ではないのか。
 さらにいえば、アメリカの大企業はすでに〇七年にブッシュ政権に対して、二酸化炭素排出枠(キャップ)の設定や全米規模の排出権取引市場の導入を求めている。経団連はどうか。いまだに「キャップ・アンド・トレード」に反対している。これでは「チェンジ」の民意は迫り出せない。一周遅れのトップランナーどころか、三周遅れのトップランナーとして、この先の十年をさらに失うことになりかねない。これを止める、チェンジの民意が問われている。
 この金融危機を、輸出で儲けたカネを政治家と官僚が地方
  に配分するという旧来の政治経済モデルから脱却する「追い風」に変える「チェンジ」。医療や教育、農業を内需の源泉として捉える「チェンジ」。あるいは、金融資産を有効に活用するための資本・資産市場の改革や、円建て取引の拡充を図るといった「チェンジ」へのチャンスとする。これが政権交代の課題にほかならない。
 国際政治を動かす主要なテーマにおいてゲームのルールが様変わりしていることが、普通の人にも否応なく見えてきたからこそ、内政と外交の「チェンジ」の接点が生活実感からも見えるようになっている。オバマ政権の登場とアメリカの政策転換は、そのことをさらに分かりやすくするだろう。
 だからこそ例えば、二兆円を「定額給付金」として配るのがいいか、医療の建て直しに使うのがいいか、小学校の耐震化工事につかうのがいいかという話が、自治体レベルで身近にできるようになっている。これだけ評判の悪い「給付金」を二次補正から切り離すべきだという意見書を地方議会から挙げていくことも、民意の重要な反映ではないか。その民意を前にしてなお、衆議院で三分の二の再議決を強行するのか?
 道路財源の一般財源化なら、一兆円を総務省と国土交通省が分捕りあって、なおかつ使途を限定して地方に配るのと、暫定税率を廃止するのと、どちらが(経済財政構造の転換にとって)「スジのいいバラマキか」という議論ができる。(地方が自らの判断で使える)一般財源化の完全実施を求める(小

泉・安倍・福田内閣の約束を守れ!)という決議を、地方議会が当事者としてあげていくことも必要ではないか。その民意を前にしてなお、衆議院で三分の二の再議決を強行するのか?
 オバマ政権の今ひとつの「チェンジ」は、「テロとの戦争」と「核管理」だろう。テロに関してはブッシュ政権のような「価値観」と軍事力を前面に押し出したものから、当該地域を安定させる、そのために必要な力の行使ということになるだろう。その意味でもアフガンは重要な試金石になる。
 もうひとつは「核管理」。冷戦時代の抑止・均衡(相互確証破壊)による核管理から、ポスト冷戦時代には新興核保有国の核管理(北朝鮮、インド、パキスタン、イランなど)が大きな課題となるなか、ブッシュ政権下ではアメリカ自身がNPT体制を空洞化させた。(NPTに入っていないインドの核は容認する一方、NPTに加盟しているイランの核は認めない)。
 この失敗の経験から、オバマ政権は「核廃絶」という観点から核管理・軍縮にアプローチすると見られている(NPTの強化、核保有国の核自体を削減)。〇七年ウォールストリート・ジャーナル紙で、キッシンジャー元国務長官(ニクソン政権)、シュルツ元国務長官(レーガン政権)、ペリー元国防長官(クリントン政権)、サム・ナン元上院軍事委員会委員長(民主党)の四人が、「核のない世界」実現を呼びかけたのも、そこにつ
  ながる動きの一貫と見られている。核廃絶を国是としてきた日本には、この転換を日本外交の「チャンス」に変える政治意思はあるか? 
 これには米ロの協調が不可欠となる。米ロが協調して核の削減に取り組むことで、新興核保有国に核放棄を迫る正統性は、大いに増すことになる。同時にこれがかつてのような先進国の一方的優位や共同支配のような構造とはなりえないことは、この金融危機がG8ではなくG20を必要とした現実からも明らかだ。だからこそオバマ政権の国際社会へのアプローチは、ブッシュの単独主義から多国間協調へと大きく転換する。オバマの個人史(ハワイ生まれ、インドネシア育ち、イスラム社会も知っている)は、この転換をもっともよく体現するものとして受け入れられたというべきだろう。この転換のなかで、伝統的な同盟についても、多国間協力の枠組みのなかに「植え込む」というアプローチに変化していくだろう。
 「日米基軸」に安住した思考停止では、いよいよこの変化に対応できない。伝統的な意味での「大国」ではないが、国際的に不可欠な「中軸国家」「ミドルパワー」という自画像を準備してきた側にとっては、これは日本外交のチャンスである。オバマ政権に象徴される国際的な政策転換、これにチェンジで応えることこそが政権交代にほかならない。それにふさわしいマニフェストの提示(内政・外交のチェンジの接点)と、国民的

な合意形成を!

フォロワーシップの転換―参加が
チェンジのリーダーシップを
迫り出す

 民主政における政権交代の最大の効用は、リーダーとフォロワーの関係を変えることであり、とりわけ転換期においては、フォロワーシップの転換のなかから政策の転換、リーダーシップの転換を迫り出していくことができることである。トップダウン型の転換は、短期的には効果があるように見えても、構造が変わらなければ、リーダーが変われば元の木阿弥になる。いいかえれば、〇九年の日本に必要な政権交代とはそういう政権交代である。つまり政権交代のプロセスを通じて(交代後ももちろん)、前記のような「チェンジ」の民意を常に調達し、その合意形成をはかっていくことが求められる。
 「政権交代の必要性は分かる。チェンジの方向や課題もそのとおりだと思う。でもそれを実行するリーダーはいるのか、それにふさわしい人材は見当たらないではないか」。ここで多数のフォロワーは立ち止る。しかしオバマは、最初からオバマだったのではない。「私は大統領の最有力候補であったことがなかった。十分な資金や多くの推薦と共に始めたわけでは
  ない。最初は資金も支持者も少なかった。我々の選挙戦はワシントンの大会場ではなく、デモインの裏庭やコンコードの居間、チャールストンの玄関先で始まった。少ない貯金の中から5ドル、10ドル、20ドルを出してくれた、働く人々のおかげだ」(オバマ勝利演説)。まさにフォロワーシップが新しいリーダーシップを迫り出していくのである。「ふさわしいリーダーがいるか、いないか」ではなく、あなたがフォロワーシップをどう転換するのか、それが問われているのですよ、ということだ。
 「日本の民主主義のためには政権交代が必要だ」が七割、同時に「次の総理には麻生も、小沢もふさわしくない」が六割というフォロワーにとどまっていては、新しいリーダーシップを迫り出すことはできない。フォロワーシップの転換とは詰まるところ、参加すること、協議を通じて合意を形成するということ、そのための小さな知恵の連鎖にほかならない。(「傑出した」だれかにお任せ、白紙委任ということなら、「善政」であったとしても民主主義とはいえない。)その格好の実践の場こそ、地方自治の現場であり、議会である(3―8面パネルディスカッション参照)
 ジョセフ・ナイは著書『リーダー・パワー』でこう指摘する。「リーダーシップは学習可能である。〜中略〜ほとんどの人は、リーダーであると同時にフォロワーでもある。彼らは『中間層からリード』する」「リーダーはフォロワーに依存すると同時に部

分的にはフォロワーによって形成される。〜中略〜『カリスマ』はフォロワーから与えられることが多い」「時間の観点からすると、協議的なスタイルはコストがかかるが、より多くの情報を提供し、協力を取り付け、フォロワーに権限を委譲することになる」「情報革命と民主化が、ポストモダン的組織という状況における長期的な大変化を引き起こす――命令型から勧誘型のスタイルへの継続的変化にそって起きつつある転換。ネットワーク組織には協議的なスタイルが一層必要になる。〜中略〜権限を委譲されたフォロワーたちはリーダーに力を与える」(強調は著者)
 きたるべき総選挙は、この先の十年を再び失うことのないように、世界的な激動・変革期にチェンジで対応するための国民の政治意思を明確にする場にしなければならない。このステージでの政権交代を準備するためには、年初からの予算審議(補正予算、〇九年予算)が剣が峰となる。「給付金」「道路財源」さらには「埋蔵金」―財源論争(財政構造を抜本的に変えるのか、構造を温存して「へそくり」として使い込むのか/三五五号・福山参院議員講演を参照)などについて、国会の場で論点を明らかにしていくと同時に、地方議会からも民意を反映させて参加していくべきだ。(フォロワーの参加がリーダーを迫り出す。)
 暫定税率の時は、分権を言いながら国に依存するというみ
  っともない格好になったが、こんなカネの使い方をしていて本当にやっていけるのか、どうせなら一万二千円×人口分を一般財源として、地方が自らの判断で使えるようにしたほうが、よほどマトモな使い道がある、というくらいは生活実感でも分かるようになっている。政府の迷走が地方に丸投げされる前に、「求む、まともな政府!」という声を地方議会から挙げようではないか。
 この民意を前に、それでも三分の二で再議決するのかと、与党衆議院議員に問いかけよう。国民の審判を逃げまくっていていいのですか、と。正々堂々と国民の審判を受ける、国民が民主党政権を選ぶなら潔く下野して出直す、と言える「よき敗者」になることが、将来への道となる、と。
 アメリカ大統領選で敗れたマケイン氏は、見事に「よき敗者」として振舞った。そのことが、アメリカ民主主義への信頼感にとってどれほどプラスになったか。そしてそのマケイン氏をオバマ氏が愛国者として最大限に称え、同時に「私を支持してくれなかった人たち、あなたたちの票は得られなかったが、あなたたちの声は聞こえている。あなた方の助けが必要だ。私はあなたたちの大統領にもなるのだ」と「よき勝者」として振舞う。こういうところに、われわれの民主主義も一歩近づこうではないか。そのための政権交代を!