日本再生 360号 2009/5/1発行

漂流する永田町、既存政党のマイナスゲーム
ここに巻き込まれない「独立変数」としての主権者運動の真価が試されている


うまれつつある主権在民の集積と、
衰えつつも未だに力を失っていない
「選挙互助会」的既存政党

 「百年に一度」の危機のなか、永田町が漂流し続けている。危機に対応するためには政治のリーダーシップが不可欠だが、その源泉は選挙で示される国民の意思・選択にほかならない。しかし「降りない太郎」と「辞めない一郎」のマイナスゲームでは、「選挙で国民の意思を問う」という主権在民の基本原則は、「政局ごっこ」にすりかえられている。
 政権交代可能な政党政治の基盤整備を目指してきた十数年来の政治改革、その一里塚としての〇五年総選挙から四年間をどう総括するか。また「百年に一度」のパラダイムチェンジに対応しうる政治の意思を形成しうるのか。次期総選挙は、こうした二重の課題に直面している。
 「降りない太郎」と「辞めない一郎」のマイナスゲームで総選挙になだれ込む。これが最悪のシナリオである。これを見越して、選挙後の大連立やら政界再編などという、選挙での国民
  の選択を意味のないものとするような(中選挙区時代の)「亡霊」が跋扈し始めている。こうした選挙後の政界再編のなかで地位を掠め取ろうという思惑から、麻生・小沢との距離感を図ろうというものも右往左往し始める。これに巻き込まれれば、九○年代からの政治改革―政権交代可能な政党政治の基盤整備(小選挙区、マニフェストなど)は一気に骨抜きにされることになる。
 いろいろ問題はあったが、〇五年総選挙は政権選択選挙への一歩であった。それから四年、この踊り場から「次への一歩」を踏み出すか、それとも「政局ごっこ」「内政ごっこ」に明け暮れて、政治不信と白紙委任へ逆戻りするのか。その分岐点は、「降りない太郎」と「辞めない一郎」の相互関係の枠に収まる「政権交代」論とは何か、ということだ。「主権在民の原則で政党をつくる」ということが外れていれば、「政権交代」を決すべき選挙は結局、永田町の都合ということになる。「降りない太郎」と「辞めない一郎」への態度や距離感で選挙や政権交代を語っていれば、(「百年に一度」のパラダイムチェンジとは無縁な)小さな政局で競い合うことになるのは当然である。
 「百年に一度」の危機を、「百年に一度」のパラダイムチェン

ジへの糸口として受けてたてるかどうかは、主権在民の原則が口先の認識一般ではなく、行動原理としてどれだけ集積できているかに関わっている。主権在民の原則が口先でも分っていなければ、「百年に一度」は単なる枕詞、実際は官僚内閣制の延命のための口実となる。ある意味、これは分りやすい「アホ」である。今問われているのは、そういうレベルのことではない。
 主権在民の行動原則がどのように組織的に(政党的に)集積されているのか、「選挙互助会」では見えなかったものが、どこまで見えてきているのか、ということにほかならない。言い換えれば、既存政党のマイナスゲームの現状を介することなく、主権在民の発展・集積として、政治および経済や社会をめぐるコミュニケーションがどう展開できるか、ということである。
 例えば四月八日の定例講演会。自民党の若手議員による「自民党の党改革」をめぐるディスカッションでは、「麻生政権への態度」「小沢民主党の評価」などをいっさい介在させず、ストレートに「マニフェスト政党に向けた自民党の課題」「政党としての自民党の存在意義」「生きた生活実感に根ざした政策転換」といった議論が展開された(今号六―十二面参照)。
  あるいは四月二十四日の定例講演会では、首都圏民主党の課題について「小沢問題の影響」「小沢代表への態度」などをいっさい介さずに、「分権時代の県連のあり方」や「支部の意思決定システム」、「地方選マニフェストと国政マニフェストの連動・連携」などの報告と議論が展開された(詳細は次号)。
 個々には、主権在民の原則的活動が集積しつつあることは間違いない。しかし既存政党全体としては、主権在民の原則で政党を検証し、また主権在民の方程式で政党を運営していくという持続可能な発展サイクルにははいっておらず、いわば「選挙互助会」との並存状況であり、一歩間違えれば小さな集積が「上から」チャラにされかねない状況だ。このなかでは、主権在民の集積の弱さに応じて、パラダイムチェンジとは無縁な「小さな政局」に巻き込まれることになる。
 うまれつつある主権在民の政党的集積と、衰えつつも未だに力を失っていない「選挙互助会」的既存政党。「降りない太郎」と「辞めない一郎」とは、こうした〇五年総選挙以降の「一歩前進、二歩後退」という現状のことでもある。漂流する永田町、既存政党のマイナスゲーム、ここに巻き込まれない「独立変数」としての主権者運動の真価が試されている。
 「独立変数としての主権者運動」を提起した第四回大会(二

〇〇六年六月)基調は、こう提起する。
 「独立変数としての主権者運動、それは『永田町の既存政党がだらしないから、有権者が主権者としてしっかりしなければ』というだけのものでしょうか? 言い換えれば『あろうべき二大政党』が確立するステージでの、パブリックの主権者運動とはいかなるものなのでしょうか。〜時代観や問題設定を自力で持ち、それを組織論、運動論としてまで展開する主体性を持つこと、そこから政党を検証し、育成するという主体性を持つことでしょう。あろうべきパブリックの主権者運動が見えてはじめて、(選挙互助会とは異なる)あろうべき政党とは何かが見えてくるのであって、逆ではありません。〜政治市場においてメーカーは政党、ユーザーは有権者です。メーカーの従属変数ではないユーザー(有権者)が、自ら新たな製品を提案し、要求する。それが例えばマニフェストの創発であり、またその検証であり、あるいはタウンミーティングの開催や公募などの候補者擁立・育成であり、ということになるでしょう」
 この集積の差が集中的に表れているのが、地方自治の領域にほかならない。いまどき、自治体選挙で「永田町の代理戦争」をやるようなところは千葉県知事選挙くらいだろう。市民、住民が納税者、有権者としてのみならず主権者として参加・行動し始めたところでは、確実に地殻変動が始まっている。ある時は「保守分裂」や「世代交代」、ある時は「市民派」
  や「マニフェスト」などさまざまな形態をとるが、それらの底流に流れているのは、白紙委任・お任せからの脱却である。「百年に一度」の危機は、ここでは「東京一極集中・外需依存」から転換するパラダイムチェンジの糸口となっていく。
 「降りない太郎」と「辞めない一郎」―既存政党のマイナスゲームを介してしか「総選挙」を語れない世界と、小さくても主権在民の確実な集積からパラダイムチェンジの問題設定を自力で持ち、既存政党のマイナスゲームにもかかわらず「民主政のためには政権交代を」という輿論が後退しない世界。この分岐はそれなりに見えてきた。さらに主権在民のうねりで、「政局ごっこ」のマイナスゲームをのみこむ総選挙の設定へ迫り上げていくことが問われている。

独立変数としての主権者運動は、
どのように集積されているのか

 〇五年総選挙は、曲がりなりにも「政権のあり方は選挙で、有権者の一票で決める」ことを実感させるものであった。それが「瞬間芸」だったのか、それとも例え小さくても主権在民の原則で持続的に集積してきたのか。それによってこの四年間の「踊り場」が次へのステップとなるか、政治不信と白紙委任のマイナス連鎖への後退となるかが明らかとなる。それが次

期総選挙にほかならない。
 この四年間の総括のなかに、四年前にはなかった言葉、論理が生まれ始めている。そこに主権在民の集積、独立変数としての主権者運動の集積が見えてくる。
 第一、「官僚内閣制から議院内閣制へ」。旧来の官僚批判の延長では、官僚内閣制という言葉を使って総括を語ることはできない。いいかえれば「議院内閣制とは何か」ということ、すなわち「選挙での有権者の一票が政権のあり方を決める」という権力問題としての主権在民の原則が分らなければ、官僚内閣制という言葉で総括を語ることはできない。これが「教科書」の話ではなく、現実の政治攻防の指針となった。(「官僚内閣制から議院内閣制へ」の問題整理については『日本の統治構造』中公新書・飯尾潤を参照)
 例えば、渡辺喜美議員の自民党離党は単なる「反麻生」の政局の小話ではなく、官僚内閣制にこれ以上譲歩するわけにはいかない、というところからのものである。また馬淵澄夫議員に代表される、事実に基づく委員会質疑(追及)は単なる霞ヶ関叩きではなく、官僚内閣制の下、行政の追認機関と化した立法府を本来のあるべき議会へと改革していく試み(国会改革)と連動している。(「日本再生」三五九号参照)
   あるいは衆参「ねじれ」という状況を、予算案も含む内閣提出法案を与野党の討論を通じて修正するという「当たり前の国会」への糸口とする実践をともなわずして、官僚内閣制と戦うことはできない。そして「政策棚卸し」のように、執行過程に対しても政治の決定から検証していく(本来の委員会審議の役割)ことがともなわなければ、官僚内閣制の枠内でのパフォーマンスに終わる。「官僚内閣制から議院内閣制へ」という言葉を使って総括を語れるか、口先ではなくどれだけ中身があるか、それを検証するモノサシは具体的に揃っている。
 さらに官僚内閣制批判は、決定機関としての議会のあり方を問うものであるから、二元代表制としての地方議会を主権在民の原則で機能させる、という課題とも連動する。ここが実践的にどれだけ見えているか。脱官僚・脱中央集権・脱無党派というのは、マニフェスト運動のスローガンであるが、地方政府・分権の時代における二元代表としての議会という問題設定が見えずして、その主体性なしに官僚内閣制と戦えるか、ということでもある。(地方政府の時代の議会の課題については、ブックレット最新号『地方政府確立の時代の議会の課題』を参照。)
 第二、「政党のマネジメント」。

 〇五年総選挙は、選挙互助会・派閥連合という中選挙区時代の政党から、マニフェスト・小選挙区の時代の政党への転換となった。つまりマニフェストは選挙の時の冊子ではなく、選挙後もそれに基いて政治を回し、政党を規律化する道具であるはずだ、ということになった。だからこそ、それ以降のアレコレを(例えマイナスの事態でも)マニフェストから照らしてマネージすることが問われている。
 マニフェストで規律化されるということは、権限と責任が一致し、その所在が明らかになるということだ(参照/「首相支配」中公新書・竹中治堅)。それがあいまいになれば、マネジメントもあいまいになる。例えば安倍政権の時の「復党問題」は、明らかに小泉マニフェストからの逆行である。マニフェストを変えるなら、その前提は選挙でなければならない。その原則からの逸脱と、「官邸崩壊」といわれたマネジメントの機能不全は連動している。さらに福田総理から麻生総理へと、二代続けて政権を投げ出すに及んでは、酔っ払い会見や耳を疑うような失言など、マネジメント以前の社会常識が疑われる事態になる。
 民主党にはメール事件で「マニフェスト以前問題」が問われた。それに比べれば、小沢問題では政党としてのマネジメント
  が問われる、ところにまで来たとはいえる。しかし権限と責任の一致、政党としての課題と政治家・小沢としての課題の仕分け、などは明らかに出来ているとはいえない。「とりあえず、まとまることが大事だ」では、マネジメントとはいえないだろう。
 西松献金問題では、@政治資金規正法の問題、「政治とカネ」の問題A検察権力の行使の適正性・公正性B選挙に勝てるのかどうか、といったそれぞれ次元の違う問題設定があるだろう。個人の認識の整理ならいざ知らず、激論を通じて党内をまとめきるということなしには、こうした仕分けはできない。その程度の激論をやりきることを恐れて、マニフェストによる規律化、ましてや政権運営は可能なのか。
 「政権党でありつづけること」が自民党の求心力なら、「選挙で政権交代を実現すること(政界再編や大連立ではなく)」が、民主党の唯一の求心力でもよいではないか。そうではなくて、別の計算が働いてはいないか。そういう疑心暗鬼を生まないためにも、激論を通じてそれに本気で賭けている姿を見せられるか。「小沢代表がどうであれ、日本の民主政のためには政権交代が必要だ」というところまでハラを括った有権者は、そこから政党としてのマネジメントを注視している。

 第三に、「歴史の教訓から今を語る」ということである。「百年に一度」ということが延命のための枕詞、思考停止の空文句になっているかどうか、その検証基準が見えつつある。延命のための枕詞になるほうは、「百年に一度」という前に「六十四年前の敗戦」という事実が記憶から飛んでいる。敗戦に至る「国策の誤り」―政党政治の頓挫と軍部(最大の官僚機構)の肥大化の惰性―が何ひとつ教訓化されていないということだ。これではまさに「戦力の逐次投入」ならぬ「補正の悪循環」(竹中平蔵氏 4/22産経)ということになる。
 第四に、西松問題でクローズアップされた「公権力行使の適正性、公正性」の検証、および「世論なのか、輿論なのかを見極める」という視点である。(a)形式犯である政治資金規正法違反(贈収賄ではない)と、(b)検察という公権力が適正・公平に行使されたのかという問題と、どちらが民主政治にとって優先順位の高い問題なのか。戦前の「帝人事件」、戦後の「昭電事件」の例をあげるまでもなく、後に無罪が確定した事件での検察の介入が、政党政治の発展に水を差した歴史もある。(だからこそ、政治家小沢氏vs検察の問題と政権交代とは仕分けすべきなのだ。)
 そして検察からのリークとしか思えない「大本営発表」ばりの連日の「疑惑報道」の垂れ流し、あるいはテポドン報道の
  洪水のただ中での「世論調査」の数字を、はたして「世論」といえるのかという問題提起。さらに、「これは世論なのか、輿論なのか」と見極めるとはどういうことなのかという問題意識。
このような、二項対立的思考から脱却しつつあるパブリックの判断基準から事態を分析するということも、確実に集積されてきた。
 これらは明らかに、四年前の郵政選挙にはなかった言葉、論理、思考である。これらは永田町の圏外に集積されている。それが自治意識と重なっているところでは、確実に地殻変動が始まっている。そのうねりから既存政党のマイナスゲームをのみこみ、まともな選挙へと迫りこんでいこう。

都議選での自公過半数割れを転換点に、
まともな選挙へと迫り出していこう

 自治の領域では、小さくても主権在民の原則を集積していく型はうまれつつある。各地の自治体選挙での地殻変動は、そのことが可視化されつつあることを示している。既存政党のなかでも、主権在民が理屈で分るだけではなく、行動原則として分るものは、この動きと連携することができる。
 自治体選挙は永田町の代理戦争ではない。まともな自治体

選挙であればあるほど、国政に従属せずに、地域の問題設定を自力で行い、選択に責任を持つということになっている。ここに政党が存在感をもてないと、千葉県知事選挙のようなことになる。(タレント選挙になるのは、政党がだらしないからだ。)
 その意味で、七月三日告示、十二日投票の都議選を転換点として位置づけていこう。この都議選は四年前と同じではない。十年目を迎える石原都政の検証という意味でも、またこれから二〇二〇年くらいにかけて急激に進む超高齢社会にどう対応するかという意味でも、かつてないほど争点が明確な選挙となる。(十三―十五面参照)
 これは「麻生か、小沢か」を選ぶ選挙ではない。十年後の東京を都民が選ぶ選挙であり、この十年間の石原都政を都民が総括・検証する選挙である。石原都政十年間の延長に、二〇二〇年の東京を描くのか、それとも「このままでは東京で生き続けることはできない」と、石原都政のチェンジから二〇二〇年の東京を描くのか。それを都民が選択する選挙である。断じて、永田町の代理戦争ではない。この位置づけを鮮明にしよう。
 東京一極集中、外需依存、マネーゲームなどの恩恵に浴してきた裏側で、介護難民、子育て難民、医療難民といった「このままでは東京では生き続けられない」という問題がジワジ
  ワと高まっている。こうした実生活の声に根ざした選挙戦がどこまでできるか。実生活の声に根ざす度合いに応じて、「永田町の代理戦争」的空騒ぎの余地はなくなっていく。
 「麻生か、小沢か」を選ぶ選挙ではない、東京都独自の争点が明確な選挙だ、ということが鮮明になればなるほど、永田町の政局ごっこにうんざりしている有権者は投票行動に出る。「小沢代表がどうであれ、日本の民主政のためには政権交代が必要だ」とハラを括るまでには至らないが、「政権のあり方は選挙で、有権者の一票で決まる」ということは分るという有権者意識や、「税金をもっと賢く使え」という納税者意識の持ち主は、すでに多数派だ。ここが「政権交代は必要」でも「麻生も小沢もダメ」という六割の層に重なる。この人たちが「自分たちが選択する選挙だ」と、投票行動に出る構造をつくれるかが勝負だ。
 投票率が10ポイント上がれば、都議会での自公過半数割れを視野にいれることも可能になる(〇五年都議選の投票率は約44%)。四月二十六日投票の名古屋市長選では、河村氏のキャラクターもあって投票率は前回から23ポイントも跳ね上がった。風頼みのパフォーマンスでは、投票率は上がらない。実生活に根ざした(東京都の)争点を明確にした選挙を組み立ててこそ、投票率を上げることができる。その勢いが見えれば、「降りない太郎」と「辞めない一郎」の閉塞感をぶつけよ

うという層も動く。
 都議会での自公過半数割れは、国会の衆参逆転と同じように、議会の活性化・機能する議会へのチャンスとなる。自公が過半数を占める都議会では、石原都政のチェック機能を果たすことはできなかった。新銀行東京の追加融資でも、築地市場の移転でも、議論の前提となるデータ、資料がまず出てこなかったが、自公過半数割れによって、こうした都議会運営もできなくなる。公聴会や参考人といった、現在の自治法にある制度を活用した都議会への都民参画もできるようになる。
 都議選での自公過半数割れが見えるかどうかは、主権在民の方程式で実生活に根ざした争点を、どこまで組織戦に持っていけるかにかかっている。だからこそ、自公過半数割れが見えれば見えるほど、解散時期は永田町の政局ごっこでは決められなくなる。ここから永田町の都合による政局ではなく、主権在民の側から満期解散に追い込んでいくという流れをつくることだ。
 原則的にいえば、自民党も民主党も夏の間に党首選を前倒
  しして行い、総選挙前にマニフェストと党首をきちんと選び直して国民に示すべきだろう。その結果が「麻生」「小沢」になるなら、それはそれで構わない。
 「ホチキスで止めておけばけんかにならないことも、優先順位やトレードオフということになれば、そこは党内の争いになる。そこをトコトンやった上でないと、新党とか言っても国民はもう理解しないようになってきているんじゃないか。そういう点でいうと、やはりこのまま選挙ではなくて、一度党内で徹底的に議論した上で、新しいマニフェストが出てきてほしいなあと、思っているところです」(4月8日講演会、飯尾氏コメント)
 「降りない太郎」と「辞めない一郎」のマイナスゲームのままなら、都議選の結果、さらに死に体で満期解散ということになるかもしれない。その場合でも少なくとも、自治最後進地域東京でも議会を活性化する足がかりは築いた、といえる都議選にしよう。独立変数としての主権者運動の集積は、永田町の政局ごっこに巻き込まれたり、大連立や政界再編の「亡霊」にかく乱されたりするほどヤワではないことを示そう。