地球益、国益、郷土愛をむすびつける
新たな国創りにむけた合意形成のために
12・7シンポジウム報告

ホンモノの改革派か「弥縫策」としての改革か/われわれ自身の力が問われている/6時間のシンポジウムに870名が参加

 ホンモノの改革派か「弥縫策」としての改革か、97年の情勢によってこのことが厳しく選別・淘汰された。「時代の主体者としていかに生きるのか」を正面から問うことによってこそ、ホンモノの変革の求心力は生まれる。自分自身のことさえ他人事のようにしか語れない「寂しい」社会を根底的に批判する戦いなくして、連帯もましてや共生も不可能である。
 われわれは、2月6日「21世紀の政治を語る夕べ」、7月13日のシンポジウム「21世紀の東アジアと日本」、9月14、15日「戦略セミナー」などを通じて、「抜本的変革のエネルギーをどこから、どのように創りだすのか」をこのように問い、実践してきた。12月7日はその一段階の集大成として、内政、外交の戦略方向を総合的に論じ、主権者自身が「わが国のありよう」を合意形成してゆくための試みであった。1部、2部での入れ替わりも含め、約870名が6時間に及ぶ討議に参加した。
 討議は、「意見の違いをはっきりさせる」という現状追認のレベルでのパネルディスカッションとして展開されたのではない。このレベルで主体を問えば、意見の違いをはっきりさせることは、分裂の固定化にしかならない。しかし今回のパネルディスカッションは、現状変革をめぐる主体の差異を、どこに向かって統合するのかとして展開された。「賛成か反対か」というレベルの「参加意識」をはるかに超える主体的参加の芽は、「静かなる熱気」として会場の雰囲気を、最後まで真剣な緊張感溢れるものとした。
 パネラーはそれぞれの分野での第1人者であり、歴史的な転換期とも言うべき今日のわが国に問われている課題の提起に対して、「傍観者」「評論・解釈」としてではなく、どれだけ「自分自身の問題」として聞けるのか、いわば「当事者意識」が問われたのである。その意味で、今回は「時代の主体者として」という当事者意識−参加意識が、壇上とフロア双方に構造的に形成されつつ、討議が展開されていったことが大きな特徴である。
 以下に討議の要旨を紹介する。紙副の関係で、ここでは全体の流れを概括するにとどめるが、いずれもそれぞれの専門分野からの問題を、時間的な制約の中でも俗化せずになされた提起なので、ぜひ報告集(1月中旬発刊予定)を精読していただきたい。

パート1/持続可能な社会は国創りの基礎.....いのちと安全、生活をグローカルにとらえるために

 シンポジウム・パート1の問題意識は、次のように整理されている。「本シンポジウムには『いのちと安全、生活をグローカルにとらえるために』の副題が付されているが、これは今日のわが国の閉塞状況を打開するには、国際的な経済規範に対応できる財政、行政改革、経済構造改革のなかで自立した地方経済圏、次世代の人々が健やかに働き、生活できる地方圏を形成することが必須かつ最重要な課題となり、また、その形成には市民の参画が不可欠であるとの認識に基づいている」
 閉塞状況からさらに「破綻」という形で、抜本的改革が問われているが、この国を問いなおす作業にとって決定的なのは、「われわれ国民自身が自らの責任において『わが国のかたち』『われわれの社会のありよう』を具体化することが問われている(基調提起より)ということである。ここでは先述した「当事者としての参加意識」が、リアルに問われることになる。討議を通じて共通していたものは、持続可能性を実現するのは、それぞれの地域の自立とそれを支える住民の自己責任・自己決定であり、そのためには国民・住民自身にどのような「覚悟」が必要なのかということである。
 小林一氏は、「遊びと金貸し(文化と金融)で飯を食うにはどういう覚悟が必要か」として、安易な「成熟社会=サービス産業化」論に対する問題提起をするとともに、「技術・産業のシリコン・シフト」という観点から、今後の再編にとって必要な社会自身の構造改革の方向(政治や行政からの自立など)を、具体的な例をあげて示唆した。
 岩崎義一氏は、モノづくりとしての工業の、社会形成、国創りにとっての重要性を強調しながら、時代に則したモノづくりのための集積因子を地域がどのように創りだしていくのか、そのための計画を地域自身が正面から扱うことによって、これからの厳しい地域間競争の中での自立した地域経営の道があるのではないかと提起した。そしてそのための、知的インフラの形成が重要であると述べた。
 桜井国俊氏は、国際環境協力の豊富な経験から、日本の持続不可能なシステムの延長に海外、とりわけ途上国への環境協力はありえないことを強調し、日本の社会を持続可能なものに変えていくための自己責任と自立に基づく分権型社会の構築が、じつは国際環境協力によって日本が「輝く」ための基本であると述べた。
 竹内謙氏は鎌倉市長として、自らが掲げる「環境自治体の創造」について述べた。環境自治体とは、GNPだけでは計れない生きがいや健康などを含めた豊かさを、政策の反映させようということであり、同時にそれを地域から実現していこうということである。その際のキーワードが「市民参画と率先実行」である。つまり気づいた人がまず、自らの責任において行動するということであり、そこから行動の渦がひろがって変革のうねりになっていくという合意形成の方法である。これは既得権層との妥協、根回しによって「改革」を進めようという「合意形成」方法のいわば対極に位置するものであり、こうした構図が市長選挙の際にも反映されたと言えるだろう。
 錦織淳氏は、「族議員はなぜ存在するのかを真剣に考えるべきだ」という提起から、地方分権や多極分散型国家などがいろいろ言われるが、それを可能にする経済的・産業的基礎は何なのか、それを支える人づくりとは何なのかを、地元島根の実際を含めて問いかけた。族議員や公共事業のムダ遣いを批判するのは簡単だが、そこには生きた現実の生活がある。既得権とはある意味では、地方の「生活権」でもあるのだ。その現実に対して、「そうではない生き方」「そうではない地域のあり方−−輝き方」をどう提示していくのか。これが政治の役割であり、同時に住民自身にも問われていることである。
 地方はある意味で、これまでの延長には生き残れない(主に財政事情から)というところから、それを考えざるをえない状況に追い込まれ始めているが、「市民」という顔をしたものが、どれだけそのことを「自分自身の問題」として考えているのか。
 討議のなかで強調されたもうひとつのことは、政治の総合性、統合性ということである。竹内氏は地方分権に関連して、国・県が縦割りなのに対して基礎自治体(市町村)は、住民の生活をトータルに扱わざるをえず、政策の総合性が求められるので、外交、防衛、金融などの政策以外はすべて財源も含めて地方に任せるべきであるとし、財源も含めた地域の自決・自治が、持続可能性の基礎であると述べた。
 錦織氏は「都市と地方」「農業と工業」「農業と漁業」といった見かけの対立を超えていく統合性を強調し、従来の経済学からのパラダイムシフトがその手掛かりとなるのではないかと提起した。
 多極分散型国家を可能とする自立した地域づくりには、持続可能性という座標軸に立脚した産業振興策が不可欠である。それは狭い意味での経済や産業にとどまらない、総体としての生活であり、社会の「生存行為」(錦織氏)である。これをどのように政策化していくのかについて、定式は確立されてはいない。
 青山俊介氏(コーディネーター)が述べたように、個々のケーススタディが始まったばかりであり、それらの中からある種の「モデル」を模索していく途上である。その意味では今回の試みの中で、新時代の国創りの基礎としての地域政策を論じていく際に必要な観点や問題をとらえる枠組みは、ある程度整理されたと言える。同時に、こうした問題を論じる主体基盤−−こうした問題を「自分自身の問題として」考える主権者自身の自覚や覚悟はどう形成されるのか−−も見えはじめてきた。これが、本シポジウムの到達点である。
 この基礎の上に、今後さらに具体的な実践例も検証しながら、持続可能な自立した地域づくりの政策と、そのための人づくり・組織づくりを継続的に深めていくことが最後に提案された。

パート2/日米中そしてロ.....アジア太平洋の多国間関係と日本の役割

 97年は、内外にわたって冷戦=55年体制の残滓との関係では説明することのできない段階の情勢に入った年だといえる。「改革」をめぐる分岐はもっぱら、ここ数年の総括をめぐるものであり、国際関係においても日米中ロの間で、従来になかった相互関係が動きはじめた。さらに「成長のアジア」が政治・経済・社会の構造的改革の「踊り場」に直面することによって、わが国の改革もまたこのなかに位置づけられるものとなった。
 パート2の目的は、こうした国際関係の中でわが国の位置、役割をどう定めていくのかを論じるとともに、国民にその「当事者意識」がどこまであるのかを問うことであった。
 添谷芳秀氏は、北東アジアの情勢の特異性を「過渡期の二重構造」をキーワードに提起した。冷戦終焉後、次の秩序が三確立であるという現在の過渡期において、うまれつつある潮流をどうとらえるかとして三点が提起された。ひとつは地域システムが相互に独立しているかのような独自の力学を示している傾向である。これこそが過渡期のひとつの特徴であり、やがては大きな潮流に糾合されていくであろうが、その際に東北アジアは中核的な意味をもつのではないかということ。第二には大国間関係と地域システムの展開という二重構造、三点目には勢力均衡と協調的安全保障というふたつの地域秩序形成メカニズムが同時並行的に存在するという二重構造である。これらの中で将来、地域システム|協調的安全保障が、大国間のパワーポリテイックスをどこまでのみこんでいけるのかが大きなテーマであろうと。
 東祥三議員は、冷戦期を通じて国際政治、とりわけ安全保障の問題についてわが国はその舞台から降りており、主体的な判断を一切してこなかった結果、冷戦秩序崩壊後の国際社会にどう係わるのか、とりわけ国際的な安全保障上の役割をどう負うのかについて何の合意形成もできていないという現状を、まずとりあげた。そしてこの原則が決まらないままあれこれの事態を論じても、分析の域をでないことになり、国民も当事者意識を問われることはないとして、憲法の歴史的背景からしても集団的安全保障体制の構築にいかにして役割をはたすのかとして日本のスタンスを決めるべきであり、そこからはじめて、日米中ロの関係やアジアとの関係などを確立していけるし、その際には日米関係がもっとも重要なポイントであるとした。
 天児慧氏は、2020年の北東アジアをどう考えるかと問いかけ、予想されうるシナリオとして、経済力を中心とする日本のプレゼンスの低下と中国の台頭、中台問題および朝鮮半島のなんらかの「決着」を上げ、こうした中で日本がどうするのかを考えると、ある種の危機感を持つべき時にきているのではないかと提起した。そして日本外交の方向として周辺諸国との信頼関係、パワーゲームを抑制するスタンス、相互尊重−−国際関係の調整役として生きる道、地球的な価値の担い手という方向を上げた。
 李鍾元氏は、冷戦後の東アジアのある種の「幸運」(国民国家の枠組みの安定、経済の成長)にふれながら、そのひとつであった経済成長が「踊り場」を迎えた今、一方における強いナショナリズムの存在とともに、アジア太平洋は正念場を迎えているのではないかと述べた。そしてこのような中において朝鮮半島をめぐっては四者協議の正式会談と韓国の経済危機が同時におこるという事態を迎えており、韓国の経済危機が及ぼす影響は、全体の枠組みを揺るがしかねないと指摘、新しい大統領が合理的な判断に基づくリーダーシプを発揮することを期待したいと結んだ。
 サルキソフ氏は、現在が二極世界から多極世界への転換であるとした上で、その中でのロシア外交の新しい要素について、脱イデオロギーの国益に基づくプラグマチックな判断によるものだとした。この中でもNATOの東方拡大が、ロシアの東方外交への大きな転機となったとし、国益上から対中国、対日本の外交政策の新機軸をうちだしたと、一連の首脳会談の背景を説明し、二国間より三国間、さらに四国間の協調関係が重要であると述べた。
 上海国際問題研究所の呉寄南氏は、日米中ロの四カ国関係が対立点を残しながらも新たな協調関係にむかっていることを経済や安保の側面から分析し、今後の安全保障については協調的安全保障が重要であると述べた、そして台湾問題について、海峡両岸関係が好転するとの見通しを述べた。
 「過渡期の二重構造」という現実そのものが、現状をどこにむかって統合していくかというスタンスから以外では、討議はおろか分析すらできないことを示している。当然、個々の不安定性についても、多角的重層的な論議が展開される。ここでは中台問題と朝鮮半島について議論が進められた。
 天児氏は、台湾の民意に注意を喚起しつつ、台湾にも中国にも多様な意見がうまれており、単純に独立か統一かと分類することはできないとし、同時にアメリカの対台湾・中国政策も極めて流動的なものであり、これらを一面的論じることは危険であると指摘した。そして中台問題の何らかの「決着」に向けて今後確実に起こる変化として、世代交代、中国の民主化の進展、国際的な相互依存の強化をあげ、こうした事態の推移のなかで当事者による何らかの選択がなされていくであろうと述べた。
 添谷氏は米中関係にふれて、双方の対立はある意味で根源的であるが(人権、民主化、長期戦略)、だからこそむしろ協調を模索せざるをえないという関係であり、したがって台湾問題についても幅のあるシナリオは可能であると述べた。
 東氏は中国、台湾がともに「ひとつの中国」を掲げている以上、たとえ紛争が起こったとしてもこれはあくまで内政問題であるとした上で、それが日本の安全にとって重大な事態であると日本が判断した場合には、「周辺事態」の中に台湾が入ることになる。問題は日本自身がこうした判断の原則、基準を国内に対しても、国際社会に対しても明確にしていないことに最大の問題があると提起した。  サルキソフ氏は、この問題については現状を維持するなかで一定の時間をかけていく以外にないと指摘した。
 呉氏は、台湾の民意も独立か統一かで争われているわけではないとの見解を示した上で、ある程度長期的な時間の中で解決すべきだとして、以下の理由を述べた。第一は両岸の政治・経済的なギャップを埋めるための時間。第二は両岸の経済的一体化のための時間。第三は世代交代。第四は国際環境の変化、である。
 朝鮮半島の問題について見解を求められた李氏は、台湾問題にも触れながら、一国両制に国民国家原理を相対化する壮大な実験としての期待をよせながら、植民地化と冷戦という外からの力で分断され異質化が進んだ地域を、国民国家・民族国家の枠組みから「原状回復」しようとするところから起こる摩擦を超えて、国際関係の中で一番犠牲を払ってきたものが一番先進的な立場にたつという意味での国際関係の民主化という上でも、台湾問題や朝鮮半島問題に対する発想の転換が必要ではないかと情熱的に述べた。
 そして大国間の協調の意義を認めた上でしかし、それがパワーポリティカルな動きになりかねず、それに対するナショナリスティックな反発が常にありうることに注意を喚起しながらむしろ、大国の役割というものは、ある種の公共財的なものになるべきではないか、朝鮮半島問題に対する日本の関与にはそのような先進性を期待したいと述べた。
 サルキソフ氏は北東アジアの安保対話の枠組みをつくることを提唱しつつ、冷戦下で大きな犠牲を払った韓国・朝鮮人が再び犠牲を払わされることがあってはならず、そのために周辺諸国が協力すべきであると述べた。
 東氏は、北朝鮮情勢については確実な情報がないなかでの「推論」であることに注意すべきであるとした上で、日米韓の協調による即応体制が「暴発」を抑止するメカニズムであることを忘れるべきではないと述べた。
 天児氏はパワーゲームを相対化する可能性として、六者会議を推進すべきであり、日朝関係はこの枠組みで進めるべきだとし、北東アジアの安保対話の枠組みは、台湾問題の解決と不可分であり、その前段階となりうるという意味でも六者会談の意義を述べた。
 七月十三日の基調では、日米機軸論を東アジア戦略への媒介とする、その運用論の転換を提起したが、今回の基調ではそれを一歩進めて、アジア太平洋の「希望のある不確実性」に対する現実的な対処メカニズムとしての日米同盟への信頼性と、同時にそこから次の時代への新潮流を促進していく役割としての「社会的公共財」としての国家形成を提起し、その中に「自主防衛を放棄した」画期的な国家形成の脱皮ー開花の道もありうると提起した。
 討議の中では「不確実性の中の希望」がかなり明確に示された。そして、わが国の位置、役割を論じるための「共通の土俵」としてのわが国のありよう、つまりは国家形成の総括の枠組みが、「過渡期の二重構造」という現実そのものから焦点化されてきていることも示された。

レセプション/「共鳴と交流の夕べ」、350名で/拡がる共感の輪

 シンポジウム終了後、日本海運倶楽部にて「共鳴と交流の夕べ」と銘打ったレセプションが開催され、350人が参加して、にぎやかに共感の輪を繰り広げた。
 この1年、地球益・国益・郷土愛をむすびつけるという表現をキーワードに、時代の主体者として生きる勇気と希望、そしてその指針たるべき地球共生時代のわが国のありようをさまざまな角度から提起し、深めてきた。12月7日のシンポジウムとレセプションはその一段階の集大成でもあり、それにふさわしくレセプションは、「多文化共生社会」「アジア新時代」をさまざまな形で体現し、また参加者自身もその担い手としての自覚を実感するものとなった。
 佐藤泰幹事のあいさつの後、来賓あいさつにたった浜四津敏子・参議院議員は「地球益」の時代への共感を述べた。地元日程の合間を縫ってかけつけた石井紘基・衆院議員は、来年の情勢の重要性と民主統一同盟への期待を述べた。
 共生社会の担い手としての在日の運動を進める民団副団長の金容雨氏には、この間いつも来賓あいさつをいただいてきたが、本レセプションでも温かい励ましの言葉を頂いた。この日のレセプションでは、民団青年会のサークルによる農楽(韓国の伝統芸能のひとつ)も披露され、素朴でリズミカルな打楽器の響きに会場は聞き入った。また先に封切られた映画「在日」の鑑賞券も販売され、地球共生時代にふさわしい多文化共生社会にむけた共鳴・共感の輪を創りだした。
 乾杯のあいさつにたった錦織氏は、時代の大きな転換にあって旧来の政党や政治家がますます解体し、遠心力が働く一方で、この催しが今年一年、求心力を育み続けてきたことを述べた。「これまでの枠ではやっていけない」ことがますます明らかになる中で、この日のシンポジウムには、これからの方向を模索する地方議員もこれまで以上に参加した。その中の何人かが登壇し、変革政治のありかたについて大いに刺激を受けたと感想を述べた。
 10月の日中国交正常化25周年記念講演会に続き、本シンポジウムにもご協力いただき、1月にも新春講演会を共催する日中経済発展センター理事長の張紀潯氏は、アジア新時代における日中の新しい関係構築にむかって今後も協力していこうと呼びかけた。
 張紀潯氏は第一回の国費留学生であるが、現在日本にはこうした中国人研究者が活躍している。また数多くの留学生もいる。シンポジウムで天児氏が述べたように、次世紀の世代交代は、彼らの時代である。新世代の相互理解と共感は、日中の戦略的パートナーシップの重要な基礎にほかならない。またグローバル時代の国家戦略は当然、一国的なものではありえず、周辺諸国を中心とした研究者や活動家との連携は前提である。
 こうした観点からこの間、日本にいる中国人研究者や留学生との協力関係を、さまざまに進めてきたが、この日も中国日本青年懇話会の森大次郎氏が、多数の中国人留学生を紹介し、今後も交流を深めていこうと挨拶した。
 ステージではあいさつの合間に、多彩な音楽、舞踊が披露された。クィンテットでジャズを披露した小杉敏氏は、民主統一同盟のメンバーとして反核ジャズの会を結成、冷戦崩壊の底流を形成した八十年代の反核運動の中で、反核ジャズコンサートなどの活動を展開してきた。その後、環境問題などの地球的課題に取り組むジャズメン・地球会議へと発展。その仲間のオリジナル曲などを演奏し、会場の雰囲気を華やかに盛り上げた。
 7月13日のシンポジウムで沖縄のこれからの展望を語って会場の心を強く打った高山朝光氏からのメッセージ朗読に続いて、県人会有志による沖縄舞踊が披露された。雅びやかな調べと鮮やかな衣装によるゆったりとした踊りに、会場もしばし静まり返って見入っていた。
 最後に民主統一同盟、フォーラム・地球政治21(準)のメンバーと協力者がステージ上で戸田代表より紹介された。この一年の活動を通じて確実に、「主催者として」の参加意識が拡がっているとともに、青年たちがその原動力の一翼を担いはじめている。メンバーを代表して石井教夫氏が、学生グループを代表して城西大学の阿井君と中央大学の青柳君が決意を述べた。
 石津事務局長より、来年はフォーラム・地球政治21の本格的な立ち上げを含めた組織づくりと行動の年としていく抱負と、いっそうの協力が要請され、そこここでの交流の輪を残しながらレセプションは締めくくられた。

 
シンポジウム会場  参加者数 延べ1,000名
 
<パート1>

<パート2>

レセプション会場  参加者数 350名