「戸田代表を囲む会 in 京都 を開催」
 4月26日京都で戸田代表を囲む会inKYOTO を65名の参加で開催。
ゲストスピーカーに、福山哲郎参議院議員、古賀たかあき参院選比例区公認候補(民 主党)を招き、7月の参議院選挙に向けた「マニフェストの検証と深化」を議論し た。

福山参議院議員は、「名目GDP」「完全失業者数」「生活保護数」「自己破産件 数」「凶悪犯認知件数」など、最近の日本の社会状況を事実の数字を列挙しながら分 析し、「こういう社会状況を放置して来た政治の責任を問い、この流れを断ち切らな ければと本気で考える」「やるべきことは明らかであり、実現させる舞台に上げても らいたい」と政権交代に向けた熱い訴えを行い、満場の共感を得た。

政権マニフェストの検証は事実が何よりも証明する。この検証が弱い度合いに応じて 「とは言っても野党がしっかりしていないから」となる。戸田代表は「小泉棄民政権 とは7割の国民が政治の恩恵を受けていない事。小泉失政を問い、事実を訴え続け責 任を問い続ける、この政治活動のスタイルしかない」とコメントした。

古賀たかあき候補は「7割の人々の気持ちを集約していく戦いが参院選挙」と決意を のべた。
次の衆議院選挙の民主党公認となった京都4区の北神圭朗候補、大阪14区の長尾敬 候補からも報告があった。
京都4区は野中政治の「本丸」であるが、その中枢にいて叛旗を翻し昨年統一地方選 挙で園部町長選挙に惜敗した佐々谷元秀さんから「北神応援団として口丹波に組織を 立ち上げる」と力強い表明があった。
他にも京都4区の地元から、天方晶英京都市議会議員、山下まさし亀岡市議会議員が 参加。

最後に戸田代表から「マニフェストの検証- 深化の活動スタイルを持たない議員や候 補を入れ替えて行くまでの、政党組織が必要であり、政党ー政策本位でオープンに予 備選挙をせないかん」とまとめがあった。
「全国政令都市に戸田代表を囲む会を」という国民協議会の組織方針をさらに実現す べく、がんばろう! 
        文責/杉原卓治

「一期生議員を囲んで〜見えてきた『胸つき八丁』のハードル」
 4月22日開催の第37回 東京・戸田代表を囲む会は、昨年初当選した議員をゲストスピーカーにお迎えして行われた。
 馬淵澄夫議員と笠浩史議員、それに先輩議員として手塚仁雄議員にコメントをお願いした。じつは三名の議員は国対副委員長として会期中は四六時中、いっしょに動いている仲。そのこともあって、忌憚のない率直なお話を伺うことができた。

 立候補の決意を固めるまでの「リスク計算」、知名度ではるかに勝る現職に対する、マーケティングを取り入れた戦略などのほか、活動量の豊富さには参加者も感嘆。
 馬淵議員はニュースを毎週発行、ボランティアによるポスティングを行う。今では投稿もあるほど。またホームページには毎日「今日の一言」を掲載するほか、メルマガを多い日には一日二、三通発行するという。また月回のシビックミーティングは、参加者一人という時もあったが、最近では百名以上が参加。ほかに小学校区ごとに座談会を開催しているという。
 驚いたのは、国会開会中で議員が東京にいるときも、事務所スタッフが朝立ちを行っているとのこと。
 笠議員は民放の政治記者時代に縁のあった松沢成文・現神奈川県知事の後を受けて立候補した。松沢氏は県議時代からずっと、朝立ちを続けていたので、選挙区の有権者には「やるのが当たり前」になっている。が、とにかく雨の日も風の日も一日も欠かさずに平日は駅頭、休日はショッピングセンターなどでの演説を続けた。当選翌日からも駅に立った。
 またとにかく若い人に参加してもらいたい、ということで、飲み屋なとでもきさくに話し掛け、議論の輪をつくる。旧来型の後援会組織ではどうしても、彼らに対して壁をつくることになるので、どういう形の組織づくりをするのか、ネットワーク型の行動的なものにするために模索中とのこと。

 手塚議員からは、三百小選挙区のうち約半分で、比例区当選議員と小選挙区当選議員が二人いるという、実質的な二人区となっており、じはこれは現職が落選しにくい、ということになっている。こうしたなかでは候補者選定の透明性や、「定年制」など、マニフェスト政治文化にふさわしい党改革をすすめる必要があり、その役割を担いたいとの提起があった。
 政権交代のためには「数」が必要だが、「質」を落とすわけにはいかない。活動スタイル・量はもちろんだが、情と理が分るという意味でも、馬淵、笠議員は今後の候補者擁立にむけたひとつの基準になるだろう。

 囲む会の詳細は三〇二号(6/1発行)にて。

写真 左から 馬淵澄夫議員(http://www.mabuti.net/) 笠浩史議員(http://www.ryu-h.net/)
手塚仁雄議員(http://www.t440.com/

「蓮舫、母として起つ」
七月の参院選、東京選挙区からニュースキャスターの蓮舫(れんほう)さんが、民主党公認候補として立候補する。4月10日、手塚衆院議員とともに市ヶ谷事務所に見えた。この日のインタビューは、5月1日発行の「日本再生」に掲載。

蓮舫さんは台湾人の父と日本人の母の間に生まれたが、95年に北京大学に留学するまでは、中国語はいっさい知らなかった。父上の教育方針は、完璧な日本語で育てるというもので、家庭での会話も台湾の知人とのやりとりもすべて日本語という生活。しかし自らのアイデンティティーとも関連して、父の母語はきちんと知っておきたかったし、中国語圏へ留学を決意。しかし台湾では、日本語で助けてくれる人が大勢いるので、誰も知らないところで日本語が通じないところに、という父上の「助言」で北京へ。

思ったよりも小柄で華奢な方だが、現実の問題に対するアンテナの高さと感度は、短い時間のやりとりのなかでも十分感じられた。また家庭の教員方針もあって、「女性だから・・・」ということで社会や政治に向き合うというこだわりがないのも、好感できる。
政治家やリーダーを「女性だから」と選ぶのは、「男性だから」と選ぶのと同様におかしなこと、そうではなく、「国民を代表する者としてどうなのか」で選んでいただきたい、そしてうまくいかなかったら変えられる、ということを信じていただきたいというメッセージは、自立した有権者と同じ目線のものである。

東京選挙区は定数4。中村敦夫氏が比例区に転出したため、自、公、共に民主が二人の候補を立てるという激戦になる。民主党にとっては、ここで二議席をとれるかどうかが、政権交代への「胸つき八丁」に向かえるかどうかの分かれ目である。
蓮舫さんには、現職では掘り起こせない層からの支持で二議席目を確保し、政権交代への起爆力となることが期待される。

ホームページはhttp://www.renho.jp/
本名は 村田蓮舫だが、投票用紙の記入は「蓮舫」でOK。

4月19日の定例講演会には、ごあいさつに見える予定。

「第8回関西政経セミナーに70名(3・28)」
3月28日(日)都ホテル大阪において、70名の参加で第八回「関西政経セミナー」を開催。
参議院選挙に向けた「政権交代の胸突き八丁」を、バッチをつけた主権者とバッチをつけない主権者との協働でいかにたたかうか、率直かつ能動的な議論が行われた。
セミナー第一部では、村山裕三・大阪外大教授が「日本のかたち」をつくっていく方向として、通商海洋国家の要素としての「安全・安心技術の標準化」という興味深い提起がされた。東アジアでの日本の存在感は、経済力・技術力・通商ルールを国内の構造改革とリンクさせてうちたてていく以外ない。
第二部は「マニフェストのフォローアップと深化」のテーマで、山本孝史参議、吉田治衆議、市村浩一郎衆議、戸田政康「がんばろう、日本!」国民協議会代表によるパネルディスカッションが行われ、フロアからも、吉本誠・兵庫県議、佐野英史・三郷町議、越田謙治郎・川西市議が、政権交代の基盤作りは地域での毎日の組織戦にあると報告がされた。
「政権交代の胸突き八丁」は、有権者の70%をいかに政権の基盤に組織するか、そのための人材と組織作りという性格のたたかいである。年金問題も、「新たな社会的公正」の基準をうちたてていく(したがって、グローバル化の中での敗者にも政治の光をあてていく)組織戦の絶好の糸口としていかにとらえるか。統一補選から参議院選挙に向けての政局は、今週(3月29日)から本格的にそのような性格に転換する。
関西では、4月26日(月)夕刻より京都駅前「パルルプラザ」にて『戸田代表を囲む会in京都』を開催し、「がんばろう、日本!」国民協議会第3回大会(3月23日東京)を「全国化」の中で迎えるよう準備を進めたい。
(大阪事務所・杉原)

「第2回埼玉・戸田代表を囲む会」
3月25日、第2回埼玉・戸田代表を囲む会が、越谷市中央市民会館で開催されました。
埼玉県内の地方議員、秘書11名と一般有権者15名が参加し、ゲストスピーカーとして長島昭久民主党衆議院議員を迎え、55年体制から新たな段階に入った国会論戦、年金問題などマニフュエストの深化、発展にむけどのような取り組みをしているのか、国会論戦と地方議会とはどのように関連付けられていくのか、参議院選挙、地方自治再生にむけた主権者の役割などについて話していただきました。
また、3月16日、24日の両日県内3市の駅頭で囲む会参加の呼びかけとチラシ配布を本部街宣隊と同人によって、街頭宣伝に取り組みました。
囲む会で長島氏は「政権交代にむけ自民党に対して旧来の国会論戦にありがちな敵失をあげつらうのではなく、堂々と寄りきりで勝てるように取り組んでいくことが重要」と指摘されました。代表からは「おおきな時代の転換期では、神でないかぎり失敗は避けられない。問題は失敗から何を学ぶかであり、成功の母は失敗である」と強調されました。
今回参加者の質問、討議を通して、代表、国会議員、地方議員、国民というバッチをつけた主権者とバッチをつけない主権者の協働作業への陣形が明確に意識されました。
さらに対処療法ではない新たな公益の観点から法案や予算の使い方まで議論をする段階に入ったことや、政権交代や首長選挙など権力構造の流れを変える戦いに主権者として参加することで、その実感をもつことが重要であることを確認しました。
次回は5月17日、武正公一衆議院議員をゲストスピーカーに招き、事前に県内街宣活動も計画しています。

「参議院選挙に必勝を期す〜古賀敬章氏」
3月10日、旧知の古賀敬章氏が来所。
古賀氏は七月の参院選に民主党比例区公認候補として出馬の予定。
今回、民主党は労組など大きな支持母体を持たない候補者を比例区で押しあげるために、ブロックごとに重点候補を決めている。
古賀氏は九州ブロックに軸足を置いて戦うことになる。

古賀氏はサラリーマン時代、大学の友人であった中川昭一氏(現経済産業大臣)の選挙を手伝った縁で、政治の世界に入った。この時の選挙は、鈴木宗男氏との「骨肉の争い」といわれたもの。
その後、ふるさとである山口県で県会議員を二期務め、九三年、新生党公認で衆院当選。しかし小選挙区では安倍晋三氏に敗れる。その後、小沢一郎氏と行動をともにし、〇一年には自由党参院比例区で戦う。

北九州での学習会には、当初から参加。その縁もあって、加藤・同人が中心になって支援している。
また佐賀選出の原口議員とは、自民党県議時代からの付き合いもある。
「今回の参院選で私に課せられた使命は、いわゆる保守層のなかに民主党の根をしっかりとはり、当選すること」と古賀氏は述べる。

比例区の政党議席数は「政党名」「候補者名」の総数によって振り分けられるが、政党ごとの当選順位は「候補者名」の数によって決まる。「古賀敬章」との投票は、全国どこからでも可能。

4月1日発行の「日本再生」にインタビューを掲載するので、人柄、政策などについてはこちらを参照されたい。そのうえで、一人でも多くの人に支持拡大を!

「WTO・FTAを生き抜く農業戦略」
2月9日の東京・囲む会は、経済産業研究所上席研究員、山下一仁氏をゲストスピーカーにお迎えして開催。
FTAは東アジアで日本が「食っていく」ために死活的に重要だが、つねに「農業」がネックになる。
農業を衰退産業=保護ととらえるのではなく、FTA=農業鎖国打破と農業再生を結びつける戦略とは何か。これが山下氏をお招きした主旨である。

山下氏はまず、日本の農業がなぜこうなったのか、という「前置き」として、戦前からの農政の歴史的な流れを述べた。すなわち、小作の解放・自立した自営農の育成という戦前の農政の理想が、戦後、農地解放と農業基本法として結実したということである。当然それが可能になったのは、敗戦を契機に政治権力構造が変わったからである。

ところが戦後農政は、こうした方向とは逆に進んだ。すなわち、農工間の所得格差是正のための米価支持という、当初は必要だった政策が、護送船団・横並びのなかで固定化されたことである。
これによって、高い米を買うより自分でつくるほうが安いという零細農家が固定化される一方、耕作放棄―農地の縮小が進み、食糧自給率は40パーセント(カロリーベース)にまで落ち込んでいる。また米に特化した保護政策は、関税率490パーセントという、異常に高い消費者負担をもたらしている。
戦後農政は、兼業農家(農業で自立して食っていこうという層ではなく、10万円に満たない農業収入を、土日の労働で得ている層・「一人一票」の農協組織の圧倒的多数派)と農業土木は保護したが、農業は衰退したということだ。

どうすればよいか。
山下氏の提案は鮮明である。米の関税率490パーセントという、異常に高い消費者負担を止め、国際価格に引き下げること。それでもやっていける農業にするためには、一定以上の営農家(自立して経営できる規模)に対して「直接支払い」という形で、地代を補助し、それによって農地の集約化を図ること。放っておけば、耕作放棄が進むだけ。規模のメリットによって、コストダウンが見込まれる。
ポイントは、誤解を恐れずに言えば「農家の選別」である。
現状から国際価格に全て一気に引き下げ、その分を全額、財政で補填するとなれば、膨大な予算が必要になる。しかし対象をしぼって、かつ、その結果うまれるコストダウン効果も含めて、国債価格並みにもっていくということなら、現状の農業予算の範囲内に収まると考えられる。
(当然、既存の予算配分を大胆に転換することは前提)

だれが反対するか?
当然、既得権構造、農協であり、農林族―ベトコン派(米価一本槍)よりむしろ「総合農政派」である。
ここの人間模様―地方の農村部の人間模様、カネの流れの実際、生活感覚―が分かって、それをとらえつくしてこそ、こうした政策提言を本当に生きたものとすることができる。

農地解放が目指したのは、保護に頼りきった弱い農業、補助金にたかる農業できなかったはずである。
その先達の理想と苦闘にも思いを馳せながら、「強い自立した農業」を目指すことは、農村のみならず、都市部の有権者にとっても重要な課題であることを、肝に銘じよう。

(内容の詳細は「日本再生」299号に掲載)

「第17回 千葉・戸田代表を囲む会」
12月13日船橋市内のホテルにて、第17回の千葉・戸田代表を囲む会を開催。
千葉の囲む会では、前回より開催場所を船橋に移し、バッジをつけた主権者とバッジをつけない主権者の陣形が見えつつある。
今回は選挙の直後ということもあって、五名の国会議員(千葉選出民主党衆院議員は12名)、七名の自治体議員の「バッジをつけた主権者」と、二十数名の「バッジをつけない主権者」および「バッジをつけようとする主権者」数名という参加者で開催された。(ほかに「がんばろう、日本!」国民協議会からの「見学組」)

第一部は野田佳彦・民主党国対委員長の基調スピーチと、国会議員からの発言。
野田国対委員長は、今総選挙を第一次予選突破とし、来年七月の参院選を「第二次予選」、次の総選挙をファイナル(決勝戦)と位置付けて、一月からの通常国会では自公政権を追い詰め、二次予選突破につながる国会運営をしていくと力強く述べた。
また今回の新人58人を加えて、三回生以下がじつに衆院議員の三分の二になることを強調し、民主党の政権政党への脱皮はここが地に足をつけた活動をし、チームとなって本気で戦うことにかかっていると述べた。
政局報道では、とかくキーパーソンの動きに目がいきがちであるが、フォロワーの側からもこうした「地力」をつけるための活動をサポートし、また周りにもそれを伝えていく必要があるだろう。

ほかに、今回千葉1区で自民党のベテラン議員を破った田嶋要・衆院議員、二期めの当選を果たし、野田委員長の下で国対・Gメン担当としての活躍が期待される永田寿康・衆院議員、苦節七年を経て比例での再選を果たした須藤浩・衆院議員、「三度目の正直」で当選を果たした若井康彦・衆院議員から、それぞれ選挙の総括と今後の抱負が述べられた。

第二部は、参加者の自己紹介。十五人の国会議員(衆参)に比べて、県会議員は八人、各自治体議員の活動もまだまだという「いびつな」構造を変えていかなければならず、そのためにも地域の実情をふまえた活動が必要だとの発言が、地方議員からはあった。また選挙に参加したフォロワー(バッジをつけない主権者)からの発言には、民主党の政権政党への脱皮にフォロワーとしてどうかかわるかという方向で応えるべき性格のものが多くあった。

戸田代表からのコメントの要点は、以下のようなものであった。
1.今回の選挙で政権交代をめざして「八合目」までは来た。ここから先が胸突き八丁の力勝負。ここを登りきるチームの力として、民主党の政権政党への脱皮が問われている。ここをフォロワーと共有すること。
同時に二大政党になることで、五合目まではバスに乗ってきたような候補者や議員もいる。四期生、三期生の多くは自力でふもとから一歩一歩のぼってきたし、その中で「型」をつくっている。例えば野田議員は17年間、駅頭を続けてきてそのなかで支持者をつくってきたし、枝野議員はたった三人から毎月、オープンミーティングで政策を訴えて支持者をつくってきた。こうしたスタイルを、しかと新人や候補者に教育すべき。(フォロワーの側からも)2.有権者の主体が変わりつつある。潮目が変わりつつある。
「損得でなく」選挙にかかわるという有権者が選対に出入りし始めた。この有権者の変化の深まりと恐ろしさをしかと知るべし。
損得でかかわるフォロワーなら、多少のことには目をつぶる。しかし損得抜きでかかわるフォロワーは、国民主権の論理、普通の人の責任感覚で説明できないこと、それに反することがあれば容認しないし、その意味が通じなければとたんに係わらなくなる。
同時にそうしたフォロワーは、候補者や選対に欠点や問題点があったときにも、その候補者の苦労や労働(野田さんなら17年間欠かさず駅頭をやってつくってきたこと)をしかと理解し、とらえたうえで、言うべきことは言い、批判すべきことは批判するということを心がけること。世直しの同志としてのリーダーとフォロワーの関係は、こうしてつくられる。

「03年度望年会 総選挙の総括と参院選に向けて」
12月9日、恒例の望年会が開催された。
今年は11月に総選挙があったこともあり、総選挙の総括と04年参院選にむけた課題を交歓するべく開催。
「民主党の政権政党への脱皮に賭ける」とは、集中的に組織問題を扱うことである。
マニフェストに相応しい候補者、選対、そしてそれを創りあげていくためには圧倒的に「バッジをつけない主権者」の政党活動への主体的参加の波が不可欠である。

今回の総選挙は、「衰亡しつつある個人本位選挙」と「生まれつつある政党本位・政策本位選挙」との同居・混在状態であった。これを「政党本位・政策本位」へと決着づける組織戦の力勝負が問われている。
そのためには徹底して、「政策本位・政党本位」のドブ板活動を行い、それを党の「確立された型・スタイル」にまですることである。
原口議員は今回、自費でマニフェストを四万部増刷した(カネの使い方が違う!)。
手塚議員は今回、狭い選挙区で連呼をして回る時代ではないと、宣伝カーを返上。ハンドマイクでの辻立ち一本で選挙を戦った。
ドブ板といえば、冠婚葬祭、祭りへの顔出し、後援会の旅行・・・としか考えられないのでは話にならない。政策で人の縁をつくる、地縁、血縁、浮世の縁、あらゆる人間関係を政策で統合する―政治縁で統合することが、政策本位・政党本位のドブ板活動である。これを「型」にまで徹底すること。
野田議員は17年間、朝の駅頭を欠かさず続けて、ボランティア選挙でダブルスコアに近い差をつけ、枝野議員は10年間毎月のオープンミーティングで政策を訴え、やはりボランティア選挙で圧勝している。こうしたすでに確立された活動スタイルを党の型としていくことを、フォロワーの側からもサポートしていくことである。そのフォロワーシップが求められる。

同時に、「不信」からのフォロワーシップを終わりにするべきときである。「政治家がダメだから育成しなければならない」というフォロワーシップでは、政党活動に参加するまでの型はつくれない。不信や危惧から政治家を評価(じつは評論)して分かったつもりになる空間は終わった。脱無党派とはこのことである。

筋金入りの現場労働者(元)の丸さんは、こう言った。「選対は何の体制もできていない。秘書に聞いてもヌカにクギ状態だ。そこで考えた。要するに、これはオレが自分で責任を持ってやる以外にないんだな、と。そこでポスター貼りを一手に引き受けて、選挙後の剥がしまでやりきった。この間、雨の中をいとわず、体を動かしてくれた人たちを、ホンモノのコアの支持者にしていかなければならない」と。

一人の主権者として、自らの主体性において活動せよ、ということである。そこに踏み込まない「言い訳」として「政治家の現状」「秘書がどうこう」とあれこれあげつらう時代は終わった―これがマニフェスト選挙の舞台である。

●望年会にはお忙しいなか、国会議員のみなさんにもお出でいただいた。
@原口一博・衆院議員 佐賀1区で三選を果たす。佐賀全県の自公陣営を相手に勝利。
A手塚仁雄・衆院議員 東京5区で再選を果たす。小杉隆氏に連勝。
B中塚一宏・衆院議員 神奈川12区で再選。前回の近畿比例から小選挙区で初勝利。
C宇佐美登・衆院議員 東京4区で、苦節七年の後の再選を果たす。翌日は日・アセアン議員交流のためにジャカルタへ
D若井康彦・衆院議員 千葉13区で「三度目の正直」で初当選。
EI枝野幸男・衆院議員 埼玉5区で四選。政調会長としての激務の合間をぬって参加いただいた。選挙の総括、民主党の課題、今後の政策論戦などについてお話いただいた。(枝野1、枝野2)

●ほかに代理出席
  武政公一・衆院議員(埼玉1区)、笠浩史・衆院議員(神奈川19区)、岡島一正・衆院議員(千葉3区)、城井崇・衆院議員(九州比例)、長島昭久・衆院議員(東京21区)

●これからの活躍に期待します
F古賀敬章さん 参議院比例区に出馬予定(北九州の加藤同人が後援会長になりました)
G小川淳也さん 衆院香川1区で次も挑戦
H大森興治さん 候補者調整の結果、「政権交代」の大義のために、今回は出馬を見送り。今後の活躍を期待したい。

「第7回関西政経セミナーの報告」
12月3日大阪市内で、「第7回関西政経セミナー」を開催。
54名が参加した。

第一部は、季衛東・神戸大学大学院教授の講演。
「中国社会の構造的変化」を、経済と政治の連続性から政治改革がすすめられている現状として分析され、政治改革の機運の高まりが、さらに政権の基盤(経済社会)を連続的に改革するダイナミズムとして報告された。
総選挙での民主党マニフェストについても、「安全保障や外交で興味深い発想もあるが、(東アジアの)経済的依存の将来を考える上では、もっと検討すべき課題がある」とコメントされた。

第二部は、「総選挙総括」のパネルディスカッション。
市村浩一郎・衆議(兵庫6区)「マニフェストの実現可能性を引き続き深めるべき」。
中村哲治・衆議(奈良2区)「マニフェスト選挙は、有権者の潜在的ニーズを浮き彫りにした」と夫々報告がされ、戸田代表より「生まれつつある政策本位選挙と、衰亡しつつある個人本位選挙の同居した過渡期故に、政策本位と政党本位を結びつける深化が止まれば、個人本位ー政官業の癒着が力を得る。選挙で政府を有権者がつくる、主権者としての自覚の促進が問われる。
第二に、政権の形態の仕組みが、政権選択選挙のトバ口が開く前と後では変った。
第三に、有権者の主体の自立性が変りつつある」と提起された。
中村議員から、有権者の構造的変化の中身とそのニーズに応じた運動論と組織づくりが提案され、戸田代表から「組織観が、自立した有権者によって変る。また、改革の原則は守るべきものと破壊するものを峻別すること」とコメントがあった。

つづいて、次期総選挙に捲土重来を期す候補者(北神圭朗・長尾敬・岩波薫・畠中光成各氏)より報告と決意表明がされ、議員から実践的なアドバイスもされた。

半分開かれた、マニフェスト選挙の扉を開く組織選の実践教訓が語られた今回のセミナーの討議を更に深めるため、「第二回関西戸田代表を囲む会」を1月25日(日)午前11から午後4時まで、大阪梅田阪急ターミナルビル17階で開催します。

「2003年秋の陣、かく戦えり」

埼玉1区で再選を果たした武正公一さん。今回は選挙区の区割変更があったが、117,587票を獲得して当選。党運営でもますます重責を担うことになるはずだ。白川同人(越谷市議)、三輪同人が支援活動を行った。

 

 

東京5区で再選を果たした手塚仁雄さん。前回に引き続き、自民党の大物・小杉隆氏を破っての当選。日頃から毎日、駅頭での演説を欠かさず続けてきた手塚さんは、今回は宣伝カーをいっさい使わず、ハンドマイクでの辻説法一本で、マニフェストを訴えての当選。小杉氏との票差を前回以上につけた。
岡村同人をはじめ、牽牛倶楽部メンバーが電話かけなどで活動した。

 

 

 

九州比例ブロックで初当選をはたした城井崇(きい たかし)さん(左)と、北九州での「日本再生」学習会を主宰する加藤同人。城井さんは前原議員の元秘書で、北九州での学習会にも参加している。

 

 

 

福岡2区でアノ山拓・自民党副総裁を撃破して初当選をはたした古賀潤一郎さん(中)と、曽根崎同人(右)をはじめとする福岡・学習会のメンバー(古賀さんも 参加)。連日、マニフェストの配布などに参加して活動した。

 
 
神奈川18区で再選を果たした樋高剛さん。神奈川18区は区割り変更でできた新設選挙 区であると同時に、樋高さんは民由合併によって選挙直前で「お国替え」して戦ったが、見事当選。松沢県知事、中田横浜市長の議員時代の地盤ということもあり、松沢・中田両氏の応援も効を奏した。
今年春の統一地方選で当選した掘添・川崎市議(同人)をはじめ、川崎地域を軸に活動している同人会員が支援活動を行った。

 

 

 

 

 

千葉13区から立候補、南関東ブロック比例で初当選した若井康彦さん。千葉13区は新設の選挙区で、これまでつながりのない市町村の「寄せ集め」状態であったが、「千葉・戸田代表を囲む会」での蓄積を基盤に、自治体議員の支援体制などを整えて臨んだ。


東京4区で再選を果たした宇佐美登さん。93年の初当選以来、96年、2000年といずれもタレント候補を相手に涙をのんだ宇佐美さんだが、今回は比例で当選を果たした。この間の地を這うような活動が実を結んだ。石井同人がサポートに入り役割を果たした。


神奈川12区で再選をはたした中塚一宏さん。前回は近畿比例での当選であったが、小選挙区での当選を目指して神奈川12区で活動してきた。終盤には、菅・小沢両氏が揃って応援に入り、藤沢駅前のデッキは人で埋まった。選挙期間中には旧知の田中康夫・長野県知事も数回応援にかけつけた。いっしょに並んでいるのは、田中知事のヤッシーの着ぐるみで、中に入っているのは、飯田同人。中塚さんの演説に合わせ て、汗だくになりながら(筋肉痛にもなりながら)パフォーマンスを行い、好評だった。


東京21区で初当選をきめた長島昭久さん。三年前の補選での雪辱を果たした。
選挙戦最終日、菅代表の最後の演説は、立川での長島さんの応援演説であった。三年間の「とことんこつこつ」の活動が実を結んだ。外交・安全保障のエキスパートとして国政での活躍を期待したい。
ポスター貼りの達人「丸さん」が今年初めから活動してきたが、選挙期間中は東大和本部のメンバーが応援にはいった。

野中広務氏に挑むべく、京都4区から立候補した北神けいろうさんは、残念ながら、野中さんが全力で支援した田中氏(元亀岡市長)に及ばなかった。北神さんは捲土重来を期して、翌朝からさっそく駅頭に立った。

「岩槻で武正さんをお招きする」
10月23日、岩槻市において、武正公一前議員をお招きして会合を開催。
隣の越谷市では今年、白川同人が市議に当選。そこでできたご縁などを基礎に、岩槻市において戸田代表と武正さんの話を聞く場を設けた。選挙区の区割が変わったため、武正さんにとっても岩槻での選挙ははじめてである。少しでも多くの人に直接、お話を聞く機会をもってもらおうと、市議などにもよびかけて三十名が集まった。

前半は戸田代表より、今回のマニフェスト選挙・政権選択選挙の意義、これまでの選挙と何がどう根本的に違うのか、政治文化はどこまで成熟してきたのかなどについて提起。続いて武正さんより、民主党マニフェストの説明や自由党との合併の意義、県 知事選・参院補選と続いている埼玉での、政治を変えようといううねりなどについてお話があった。
武正さんは、党内では前原さんとともに道路公団・高速道路問題を担当していたこともあって、民主党の公約である「高速道路無料化」について、議論の経緯を含めて説明。370兆にも及ぶ特別会計の構造にメスを入れるための突破口としての意味を強調した。ほかにも郵政民営化問題や、自由貿易と農業など多岐にわたる問題について、質疑を交えて縦横無尽に語った。

武正さんには、県会議員時代から培った地元の問題を見る目線と、ご自身の政治の原点ともいうべき「三権分立―政治の役割と行政の役割」というところから、国民主権の権力システムのありかたを追求していく(行政改革の本質はこれ)たしかな姿勢がある。これからの日本のためにも、またチーム民主党の一員としても、これからさらに活躍していただきたいお一人である。

埼玉1区(さいたま市浦和区、見沼区、岩槻市)お知りあいのある方は、ぜひ武正さんのことを紹介してください。

「神奈川県第18区予定候補 樋高剛さん」
10月23日、神奈川県第18区(川崎市高津、宮前区)からの立候補を予定している樋高剛さんが、大森こうじさんとともに来訪。
じつは当初、18区からの立候補を予定していたのは、大森さんだった。しかし民主・自由の合併にともなう選挙区調整の結果、それまで7区で活動してきた樋高さんが18区へ「お国替え」となり、大森さんは断腸の思いではあったが今回は、立候補を見送ったという経緯がある。

18区では「がんばろう、日本!」国民協議会の会員も活動。統一地方選後からは、大森さんも参加して「日本再生」の学習会を行ってきた。大森さんと樋高さんとは、大学の先輩・後輩ということもあって、以前よりの旧知の仲。今回の件ではお互いにつらいものがあったと思うが、大森さんがぜひに、ということで樋高さんとともに市ヶ谷事務所にお出でになった。

樋高さんは応援団(早稲田)の副団長を務めていただけあって、明るく親しみやすいお人柄。マニフェスト選挙ということについても、代表の話からすぐに、演説のスタイルをこう変える、と反射神経のよさを感じさせた。

18区は以前は松沢議員(現神奈川県知事)の選挙区である。連敗を続けてきた自民党は今回、公募で若い獣医を立てる。ほかにも無所属を含めて計6人が立候補を予定。
しかし18区は松沢氏が勝ってきたように、旧来型の選挙は通用しない。大幅に出遅れたとはいえ、マニフェストへの有権者の関心は予想以上に高いことは、各地でも実感されている。混戦、接戦を制して、マニフェスト選挙として戦い抜き、樋高さんを小選挙区から送り出そう。

神奈川18区(川崎市高津、宮前区)に知り合いのある方は、ぜひ樋高さんを紹介されたし!

「今度こそ、小選挙区で勝ち抜く!」
10月22日、東京都内で原口一博さんの資金パーティーが開催された。
すでに総選挙にむけて、どの議員も地元選挙区に張り付いている時期であるが、台所事情もあって急遽、東京で開催することになったもの。そんなこともあって、「がんばろう、日本!」国民協議会の会員各位にも、いろいろ協力を呼びかけることとなった。

平日の昼間ということもあって、集まり自体は小規模のものとなったが、原口さんの人柄を反映した、心のこもったものとなった。
選挙に向けて忙しい時期にもかかわらず、司会を松井孝治・参院議員が務め、乾杯の挨拶は河村たかし氏が行った。上田清司埼玉県知事は急遽、県議会との関係で来られなくなったが、原口、河村、上田と並べれば、民主党では右に出るもののいない、追及の旗手、である。具体的な事実をあげながら不正や不条理を追及し、糾していく姿勢は、政治家の必要条件のひとつであろう。

戸田代表はあいさつで、マニフェスト・政権選択選挙の意義を強調した。
原口さんは、持ち前の情熱のこもったあいさつで、改めて政治にかける思いを語り、会場にも「今度こそ小選挙区で必勝を」という思いが高まった。
また、原口さんとは旧知の仲である古賀敬章さんも、わざわざ山口から応援にかけつけた。古賀さんは、来年の参院選での出馬(比例区)を準備中。北九州、福岡での「日本再生」学習会の仲間でもある。

国会質問やテレビタックルなどで、原口さんは全国区では有名人であるが、地元で得票しなければ小選挙区では勝てない。
佐賀市、鳥栖市などに知り合いのある人は、今からでも十分間に合うので、ぜひ原口さんのことを紹介してください。

「脱官僚宣言! be ambitious!」
10月19日、東京・日野市内において「長島昭久タウントーク」が開催された。
この時期、実質的な決起集会である。会場は後ろのほうに立ち見もでる盛況ぶり。
会場には TOKIOのAMBITIOUS JAPANが流れる。

オープニングは、前回2000年の補選から今日までの長島さんの歩みを紹介するビデオ。
「日本を建て直すためにワシントンから帰ってきました」という、今から振り返ればかなりズレた(本人の弁)キャッチコピーで、見事に落選したところから、ビデオは始まる。落選翌日から開始した朝の駅頭をはじめ、この三年間で三万人を超える市民と直接対話し、こつこつと歩きつづけて見えてきたものは限りなく大きい。改めてこの三年で、長島さんが格段にたくましくなったことが分かる。
事務所で忙しく活動するボランティアも多数登場。なかでも、ポスター貼りをはじめ、今では長島事務所になくてはならない存在になった「丸さん」の活躍ぶりも、ビデオでは紹介されている。

旧来型の決起集会とは大きく趣きを変えて、森本敏氏と櫻井よしこ氏が講演を行う。
それぞれ、専門家としての識見を交えながら、ときに会場をわかせながら、「脱官僚」として政治の本来の役割を果たせるだけの力量をもった人物を国政に送り出す、長島はそれに相応しい人材であること、そのために有権者の自覚と奮起を呼びかけた。参加者にとっても中身の濃い内容講演であるとともに、長島さんとの信頼関係の深さをうかがわせる、とおり一遍の「応援弁士」とはケタちがいの集中と一体感を生み出すものであった。

ボランティア応援団とともに満を持して登壇した長島さんは、専門の外交・安保から小児医療・子育ての問題まで生活の実感を交えて語り、細川政権の総括から「政権交代とは首相の顔が変わるだけではない、脱官僚であり、これは一人の政治家だけでは なくチームとしてはじめてできること。全国の仲間とともに戦い抜く」と力強く決意を述べた。

BE AMBITIOUS!

「秋季特別シンポジウム」
10月13日、秋季特別シンポジウムが開催された。企画時に、選挙の時期と重なることが予想されたが、そのとおりになり、国会議員を抜きにした専門家のみの議論として開催した。
今回の総選挙ははじめて、二大政党によるマニフェストをめぐる政権選択選挙となりつつある。少なくとも政党の側の形式は整いつつある。自由党と合併した民主党は二百数十選挙区で候補者を擁立して過半数獲得を目指す、という意味で「政権交代をねらう野党第一党」の実を作り、二大政党の形がつくられた。さらに自民、民主とも政権公約/マニフェストを提示する。
ボールは有権者の側に返された。マニフェスト選挙・政権選択選挙がその一歩を踏み出した、といえる選挙となるかどうかは、有権者の投票行動にかかっている。

二大政党による政権交代が定着するには、外交・安保政策の領域において、55年体制のような空中戦ではなく、地に足のついた新たな政策競争の軸が形成されなければならない。いいかえれば、内政(社会保障や経済)をめぐる政策領域では徹底して与野党が政権をめぐって競争するが、外交・安保では与野党が基本的な枠組みを共有したうえで、政策競争を展開すべきである、ということになる。
今回、与野党はマニフェスト/政権公約を提示したが、残念ながらまだそこまでは踏み込まれていない。
たしかに「イラク戦争」や「憲法」をめぐって、国民の意識は55年体制からは大きく脱却しているが、それに照応した新しい論争軸が形成されるにはいたっていない。それは政党の役割に大きく負うものではあるが、それをせり上げていく責務は主権者の側にもある。
選挙前の時期に、あえて本シンポジウムを開催したのは、マニフェストのさらなる深化にむけたそのような主権者のはたすべき役割を明らかにするためでもある。

シンポジウムでは「イラク戦争とわが国の外交戦略」「東アジアにおけるわが国の外交戦略(日米同盟と日中関係の再設計)」「国際平和協力法(仮称)」について、中西寛(京都大学教授)、森本敏(拓殖大学教授)、村田晃嗣(同志社大学助教授)、添谷芳秀(慶応大学教授)、西元徹也(元統幕議長)の各氏が、中身の濃い論議を展開した。
また、北朝鮮問題については、康仁徳・韓国元統一相にコメントをいただいた。
(シンポジウムの詳細は、近日中にブックレットとして刊行)

シンポジウムの冒頭、東京5区(目黒区、世田谷区の一部)から立候補を予定している手塚仁雄前議員が、二大政党制による政権交代が可能な政治の確立をめざして戦うと、あいさつを行った。

「京都4区を道場に、試練をうけてたつ!」
10月7日「北神けいろうさんを励ます会」に55名

全国注視の選挙区「京都4区」の民主党予定候補者、北神けいろうさんを励ます会を、10月7日地元西院の「リノホテル」で開催。準備わずか2週間で、口コミを中心に予定の30名をはるかに上回る55名が参集し、財務省を脱藩して「野中さんの地盤を道場として、試練をうけてたつ」若武者「北神けいろう」を激励した。

本会の発起人でもある「がんばろう、日本!」国民協議会の戸田政康代表は、「日本の政党史上はじめて、民主党はマニフェストに全候補者がサインして選挙に臨む。政権公約選挙とは政党が有権者と約束をすること。自民党は民主党のマニフェストへのケチつけしかできないが、政策論戦を見極める力を有権者自身が持つことが決定的。北神君が予定候補者の中でオンリーワンといえるのは、民主党の3期生がここまでつくりあげた陣形を骨太で力強く押し上げられる力。嵐のときのリーダーには、天下国家のために身を挺する決断と実行力が求められる。目先の利害を超えて人生の選択をしたという裏打ちのないものに、国家の流れを変える決断力は生まれない」と激励した。

「18年アメリカで過ごしたあと日本に帰り、『勤勉で高い道徳心があり、誇り高い日本人』と現実のギャップにショックをうけた。国民国家全体の利益のための政治をやるには、既得権益層を説得し血を血で争うような覚悟をしなければならない。野中さんの地盤を道場として、ひとつひとつ皆さんの信頼を獲得をして、試練をうけてたちたい。日本人は明治維新も戦後改革も、現状が行き詰まったとき潔く旧きを捨て、新らしきを選んできた」と、北神けいろうさんより日本人の「改革のDNA」に力づよく訴える志が述べられた。

参加者からは、「今日の訴えに共感した。ぜひ応援したい」という声が多く寄せられている。今後の選挙戦で核になって動いていただく体制を早急に構築したい。北神氏は見てのとおり頼もしい体格である。「改革のゴジラ」にふさわしく国政の場での活躍を期待したい。(「ゴジラ」は大学時代についたあだ名)
(写真は向って左・戸田代表 同右・北神けいろう氏)

「政権交代へ! 長島昭久・市民大集会」
いよいよ解散総選挙へのカウントダウンが始まった。10月3日18時30分から、立川駅北口のデッキで「政権交代実現しよう」と、長島昭久氏が市民大集会を行った。
長島氏は東京21区の民主党予定候補。この日は、鳩山前代表、鈴木寛・参院議員(東京選出)、上田・埼玉県知事が応援に駆けつけた(菅代表は急遽、取材が入ったために来られず)。司会は地元選出の酒井都議。
北口デッキは、駅からのモノレールへ買い物客や通勤客が通る絶好の場所で、多くの人が足を止めて話しを聞き、常時大きな人だかりができていた。
長島氏は三年前の補選に惜敗してから、こつこつと駅頭で訴え続け、地域を回ってきたことがこの大集会に結びついたこと。アメリカにいたころは外から日本の危機ら感じていたが、実は危機は内から進行していると訴えた。上田埼玉県知事は、安全保障政策のエキスパートとして活躍している長島さんが、今日は子育てや小児医療のことまで話をしている。いよいよ地に足がついてきたと、激励した。

21区は無党派を売り物にする現職の川田氏、自民党公認の橋本氏との戦いとなると予想される。
「日本再生」293号でも紹介しているとおり、長島昭久氏は安全保障政策のエキスパートとしてぜひ、国政で活躍してもらいたいスペシャリストであると同時に、社会観においてもしっかりしたものをもっている逸材である。必勝を!

10日(金)には19時より、新しい事務所の事務所開きが行われ、決戦への体制が整うことになる。
新事務所は 立川市柴崎町2-1-10 高橋ビル1階(立川駅南口すぐ)

「目からウロコ、の新中国論へのアプローチ」
第32回 東京・戸田代表を囲む会は、経済産業研究所上席研究員の津上俊哉氏をゲス トスピーカーにお迎えした。
31回は「韓国」(9月26日)、土日をはさんで32回は「中国」(9月29日)というあわただしい開催日程となったのは、解散総選挙をにらんでのもの(10―11月は選挙戦に全力投入となるため)。

津上氏は通産省時代はもっぱら国内を担当していたが、突然WTO担当を命じられ、おりから中台同時加盟が焦点となっていたWTOで、ジュネーブを舞台に中国の政策担当者と英語で議論した、というのが中国との出会い。その後北京に赴任して、ここで「中国にはまって」しまい、いわば中国研究をライフワークとするような形で、経済産業研究所への出向がかなった、という経歴の持ち主である。

とはいえ、旧来の「中国通」とは一味も二味も違う。冒頭から、日本における中国論は現実逃避心理の宝庫であり、自国の改革を先送りしながら「他人のせい」にするたぐいであるというところからも、みてとれる。
WTO加盟に象徴されるような中国の改革は、ポストケ小平ともいうべきもので、「社会主義市場経済」という折衷論理さえもはや必要としない、市場経済そのものの改革である。
当然、日中間の経済問題も、市場ルールにのっとったものであるかどうか、さらには東アジアに市場経済を発展させ、安定させるために(日中の経済問題を)どう解決するか、という話になる。
ここで「中国の台頭」をみているのと、これがみえなくて「中国の台頭」を、「脅威だ」「矛盾だらけだ、崩壊する」と言っているのとでは、見える風景からしてまったく違ってくる。

津上氏のお話が「目からウロコ」なのはまさに、東アジアにおける市場経済のあるがままの発展を前提に、「等身大」で中国経済の今をとらえている点であり、同時に「日中FTAを視野にいれるべき」との意見にあるように、東アジアの市場統合や通貨安定システムにむかって、現在の諸問題をとらえている点にある。

98年通貨危機以降、東アジアの市場経済の風景は大きく変わった。それが見えていなければ相変わらず「元切り上げ」でデフレが止まるという類の「他人のせい」にする論議にあけくれ、実際には、再選のためには何でもアリのブッシュ政権の金利政策でドル安・円高に振り回される、ということになる(なっている)。
元切り上げについて、中国はすでに「プラザ合意」における日本の失敗を、他山の石として学びつつある。それが見えて、通貨・通商問題を協議するのと、「なんとかしてくれ」の類でしか協議できないのか。

総選挙における政権公約(マニフェスト)には、本来なら与野党ともに、東アジアにどう生きるかということが外交の共通の枠組みになっての政策選択となるべきところである。今回はそのためにも、政権交代が必要である。少なくとも、FTA交渉が国内の縦割り利害調整のために進まない、農業問題が最大のネック(これでは農業の健全な発展さえ阻害される)、なとどいう政権構造を変えなければ、次の一歩には進めないのであるから。

「第31回 戸田代表を囲む会・盧武鉉政権と韓国社会の変化」
第31回 東京・戸田代表を囲む会は、李鍾ガク氏をゲストスピーカーにお迎えして、「盧武鉉政権と韓国社会の変化」というテーマで開催された。(李鍾ガク:ガクは「王」ヘンに「玉」)
李鍾ガク氏は50歳。韓国の三大紙のひとつ、東亜日報の政治部次長、企画部長などを務めた後、現在は東大大学院で韓国歴史社会を研究中。朝日新聞の電子版 のアジアネットワークのコラムニストのお一人でもある。
http://www.asahi.com/international/aan/index.html

李氏のお話はジャーナリストらしく、韓国社会の変化を事実に即して生き生きと伝えるものであった。
盧武鉉政権誕生の背景には、87年民主化以降の韓国社会の急速な変化がある。とくにIMF危機とその後のV字回復、あるいは金大中政権の推進した「太陽政策」などがもたらした変化は、想像する以上に大きなものである。世代間のギャップも、日本の比ではない。しかも、日本の場合にはそうした激動やそこから生じるギャップが「ついていけない」「不適応」として露呈するのに比べて、韓国はもっと「外向き」「エネルギッシュ」にそれが現れている。
これまでの韓国社会からすれば、いろいろな意味での「非主流」である盧武鉉政権誕生の背景には、そうしたすさまじいまでの社会自体の変化があることを、改めて実感させるお話であった。(金大中政権も、「反軍事政権」「革新」という意味では、それまでの政治権力からは「反主流」ではあるが、伝統的な政治エリートという意味では主流の一角を占めていた)

こうした社会の変化を踏まえて、日韓の経済的な協力や対北朝鮮政策協調を言う場合と、この社会的変化が視野に入らなくてそれを言う場合とでは、実際の展開は大きく違ってくるのは言うまでもない。

李氏は最後に、現在の政権および韓国社会にはさまざまな問題があるのは事実であるが、長い目でみれば、戦後ずっと北朝鮮との対峙状況もあって「保守」であった韓国政治が、徐々に「革新」「左」によっているのは、避けられないこと。政権の批判が許されなかった時代からすれば、今は自由に誰でも発言できる。韓国の民主主義・市民社会がさらに成熟していく過程での諸問題であると述べたことが、大いに共感できる。

(お話の詳細は「日本再生」295号に掲載予定)

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