「『陳情』から政策形成プロセスへの参加へ〜社会企業フォーラム・第一回懇談会」

12月19日京都市内で、「戸田代表を囲む、社会企業フォーラム」第一回懇談会を開催。ゲストスピーカーに前田武志参議院議員を、コメンテーターに諸富徹京都大学准教授をお迎えし、10社4団体などから企業経営者、専門家二十数名が参加、活発な議論をおこなった。

今回の試みは、従来の「業者・業界団体から政府・政権党への陳情」の関係が政権交代によって制度的には「一元化されたルートでの透明な要望」に変わったものの、政策決定プロセスそのものへの参加はスタートラインについたばかりであり、参加の内実をこれから創造していく段階で、どのような議論と組織関係づくりが可能なのか、当フォーラムを通じて模索していこうというものである。

ご自身の自民党建設部会副部会長時代の経験も引いて、前田参議は今回の政権マニフェストの策定プロセスとの違いをわかり易く比較。「鳩山マニフェスト」は、「コンクリートから人へ」という政策理念のもとで、民主党の幅広い議員が様々な思いを持ちより、専門家も招いて策定していったが、旧政権では、陳情をうけた議員の意向を、官僚がお膳立てして政策に盛り込み、自民党の部会で合意形成する(国会審議はセレモニー、国民への説明責任の無い党部会で事実上の決定)。政権交代でこの仕組みが変わった。「自公政権のブレーキははずれた。だが、政策は官僚にお任せでは元の木阿弥になる。関係者が政策の形成過程にまで積極的に参加することが問われる」(戸田代表)

前田参議は野党時代、もっぱら予算委員会で住宅政策の質疑をおこなってこられたという。
建築は国交省、衛生環境は厚労省、省エネは環境省というタテ割りからは、社会資本としての住宅のありよう、人間関係の基盤としての住環境という発想は生まれない。日本は高度成長期から「家を買う」がステータスになった。社会的資産として「家をつくる、家を育てる」ことを基盤にした統合政策を、主権者の知恵を結集して創造していくのが「住宅リフォーム大作戦」(民主党マニフェスト)の本質であろう。

討議では、「創業以来、耐震改修工事の履歴をすべて残し、付加価値の見える化を行ってきた」「住宅政策にエコポイントは要らない。住宅ストックはすでに十分ある。住宅の資産価値を高めることが正当に評価される仕組みづくりが政治の課題だ」など、有意な意見が出た。諸富先生からも「森林環境税という政策手段よりも、木材住宅市場を活性化させ、ストックとしての森林の付加価値を高めていくことが本来の姿である」旨の示唆に富んだコメントがあった。

社会的市場形成をすすめる知恵を「社会企業フォーラム」に結集していこう。
 

杉原 記


「凌ぎの時代に求められる政治と主権者運動の賢明さを」

今年を「忘」れず、教訓として、新しい年を展「望」する、恒例の望年会を12月12日、市ヶ谷事務所にて開催。1月の第六回大会に向けて、政権交代後の主権者運動の新たなステージについて教訓を語り合った。

戸田代表からは、以下のような開会の辞。(超要約)

鳩山政権の現状は、「一歩前進したがゆえの、新たな迷走。後退ではない」。政権交代によって、わが国の政党政治は、いわば強制的にイノベーションの舞台に迫り出された。民主党政権は、明治以来の官僚統治に代わる「革命的」ともいえる統治システムの転換に、矢継ぎ早に取り組んでいる。しかし何の準備もない(その意味は後述)まま新たなステージに突入したがゆえに、足元は混乱、迷走といわれてもしかたない状況(予算・税制、普天間など)。これを、(政権交代さえできない)閉塞による混迷と同一視してはならない。あくまでも、「一歩前進した」がゆえの迷走であり、これを政党政治のイノベーションへと引き上げていく主権者運動こそが試されている。

「準備がない」のは政党だけではない。投票と陳情以外の政治参加を知らない有権者、自分の思いや要求をぶつけることが「参加」だと信じて疑っていない市民や国民として、「お任せ」政治の基盤そのものこそ、「準備がない」ことの本質である。有権者を主権者へ、納税者を主権者へ、市民を自治の主体へという活動の実感、実践がともなわずして「一歩前進、それゆえの迷走」に向き合う胆力は準備されない。

政権交代で、参加の風景は大きく変わりつつある。既存の団体や利害関係を介した参加では、陳情と投票以外の参加形態はなかった。一方でマニフェストを媒介に、既存の組織関係を介さずに参加しようという層が、社会のいたるところに生まれている。事業仕分けに対して「政治の『見える化』だ」と反応しているのは、そういう人々である。こうした人々とともに、投票と陳情以外の、社会をともに担うための幅広い参加をいかに創造していくのか。それが問われている。

同時に21世紀のわが国は、間違いなく「凌ぎ(しのぎ)」の時代である。人口減・少子高齢社会を迎え、単純な高度成長は望めない一方で、財政赤字の規模は敗戦時に匹敵する。これ以上の「粉飾決算」はもはや不可能、という時期に及んでの政権交代である。よって、最善のシナリオでも「胴体着陸」は避けて通れない。これがわれわれの現状だ。
これに対する責任意識が、20代、30代、40代のなかから生まれている。「30年後もまだ、われわれは現役世代としてこの社会を支えなければならないんですから」と。これはかつてのような(55年体制的旧世代に対抗する)世代交代論とはまったく違う。彼らの決定・指揮の下に陣形を組むべき時が来ている。

「凌ぎの時代」には、普通の人は足元を見たら耐えられない。前を向いて、目指すべき方向をしかと見据えて、重心を低くする。確かに目の前は「迷走」だが、これもわれわれが「閉塞」に決別することを選択した結果の、「一歩前進」したがゆえの迷走である。鳩山政権は、なんとかマニフェストを実現しようと踏ん張っている。政治家に「選挙での約束を守れ」と要求する以上、有権者にも自らの選択の結果に向き合う責任が求められる。マニフェストは四年間の約束だから、本来なら四年間は腰をすえて付き合うことが必要だが、せめて来年の参院選までは、「一歩前進」をなかったことにするようなことはしない、ということが最低限の約束だ。ここが主権者の踏ん張りどころ。(以上 超要約)

ある経営者は「民主党にパイプがないため困っている」と言いながら、「政権が交代したことは良かったと思っている」という。国民は、一歩前進したがゆえの混迷に耐えて、もう少し時間を与えようとしている。だからこそ鳩山政権は、政権維持(連立維持の足し算)に右顧左眄することなく、愚直に国民との約束にこだわり、めざす方向(マニフェストに込められた政策思想の軸)をこそ、国民に訴え続けるべきである。

乾杯の音頭では、前田武志参院議員から革命に匹敵する統治システムの転換が語られた。また蓮舫参院議員からは、事業仕分けの報告。「たった一時間というけれど、これまでの自民党政権では無駄削減について、1分だって議論されたことはない」との“蓮舫節”に、拍手喝采。郵政選挙の苦杯から復活を果たした五十嵐議員、手塚議員、また初当選を果たした木村議員、初鹿議員、柿沢議員からは、それぞれ政権交代後のステージが述べられた。(代理出席/中山総理補佐官、笠議員)

地方議会の会員からは、「政権が代わって、自民系からの意見書が増え、その扱いをめぐって議論になっている」「陳情を地方組織で受け付けることになり、マニフェストの基準から精査する議論がさらにすすんでいる」「都議会でも第一党となり、議会運営が変わった」「個々の議員が自分の関心のある事項を取り上げるだけではなく、予算全体について議論できる土壌づくりがここまで進んだ」など、この一年間の活動が報告された。
また「バッジ」組と「非バッジ」組がチームとして活動してきた越谷、川崎、千葉、世田谷からも、主権者運動の新たなステージにむけた教訓が語られた。


「望年会in京都『政党政治のイノベーションを新たなステージへ』」

 12月7日コープイン京都で、恒例の「がんばろう、日本!」国民協議会「望年会in京都」を開催。ゲストには、門川大作京都市長、小原舞衆議院議員、村田晃嗣同志社大学教授、諸富徹京都大学准教授(前田武志参議院議員は常任幹事会開催のため欠席。福山哲郎外務副大臣は代理出席)。

 隠塚功京都市会議員(同人)の主催者挨拶に続いて、戸田代表より「政権交代によって政党政治のイノベーションが始まった。胴体着陸しかない『重い現実』を直視し、主催者の知恵と責任で、新たなステージを準備しよう」と六回大会への構え方が示された。

 小原舞議員からは、新人議員としても待ったなしで国政の意志決定のあり方を変える仕事に日々向き合っていると報告。京都府環境整備事業協同組合の大西明理事長の、「お任せから参加へ、政治文化を変えよう」と乾杯の発声があったあと、駆けつけた門川市長が挨拶。村田、諸富両先生からは、現政権のマニフェストを実行していく歴史的段階が根本的に転換しており、産業エネルギー革命に相応しい政策のイノベーションが必要と強調された。

 機械部品製造のオンリーワン企業として世界的に知られる寺内製作所山本社長から、「景気の二番底がいわれるなか、社会的企業への挑戦を続ける」と挨拶。滋賀県議会の今江政彦、中沢啓子両議員からも発言をうけた。

 最後に京都青年学生読者会、大阪読者会のメンバー一人ひとりから、六回大会と2月21日に大阪で開催する第18回関西政経セミナーに臨む意志が表明された。
(司会:田中健志京都府議会議員)


「政治過程の『見える化』→参加の質が変わる! 深まる!」

12月8日、政権交代後発となる東京での「囲む会」を開催。

ゲストスピーカーはマニフェスト型の組織づくりによって見事、国政復帰を果たした中塚一宏衆院議員。現在は党の組織委員長代理として、地域主権型組織づくりに取り組んでいる。

今回は、政府与党一体という座標軸から、政権与党として何に取り組み、どういう方向を目指そうとしているかが提起された。とくに「分権型要望システム」といわれる新たな陳情の方式は、単に「癒着が生じやすいから政官接触を禁止する」というレベルの話ではなく、地域組織が真にマニフェスト型の問題発見−政策立案能力をもつための一歩といえる。
(「陳情という言葉は上下関係のように聞こえる」ということで、「要望」とするとのこと。)

すべての陳情を党本部に集約する効果としては、以下のようなことが考えられる。
(1)政官癒着の排除と利益誘導型政治からの脱却。
(2)分権型陳情で霞が関詣でを一掃。
(3)国の行政刷新と地方行革に寄与。
(4)透明性・公平性を確保する陳情処理。

 さらに、これらによって政治的に得られる効用としては、以下のようなことが考えられる。
(1)県連組織の政策活動強化と組織の強化。
(2)議員の政策活動の強化と現場主義による草の根活動の活発化。
(3)省政務三役の負担軽減。
(4)地方自治体の財政節約。

11月中旬、全国幹事長会議の席上、小沢幹事長は地方の党代表に向かって、新しい陳情方式を次のように説明した。
「陳情のやり方でみなさんも混乱しているところもあると思うが、大前提として、地方のことは、財源も権限も、最終的に身の回りのことはすべて地方に任せよう、本当の地方分権社会を作ろうということです。
 言葉を換えれば、明治以来の中央集権の国家統治の形をまったく変えようという、いわば革命的な陳情の改革になります。
 一つの手法として、いわゆる霞が関のひも付きの補助金、補助金は全て一括して自主財源として交付しようと思っている。それに伴う権限ももちろん与えようというのが、我々の究極の目標です。各中央官庁で陳情することが弊害を生むし、また最終的な目標から離れることにもなります。
 そういう意味で、党として、県連が主体となって各地域の陳情や要望を聞いて頂いて、それから党本部において、政務三役の大臣、副大臣、政務官などに党として要望を出す形に、本当の最終の地方分権社会に至るまでのプロセスとして、党が主役となって地方も本部もやっていこうというのが、みんなで考えた新しい陳情の仕組みなわけです。
 どうか最終目標がそこにあるんだということを前提にして、このプロセスについても理解頂いて、地元でも努力を賜りたいと思っております」

この新しいシステムについて、マスコミは「小沢氏の意図は、参院選に向けて自民党を地方組織まで焼き尽くすことだ」「これでますます小沢独裁だ」と、はやし立てる。彼らの視野には、「国民主権の政府をつくる」というだけが入っていない。
「国民主権の政府をつくる」その試行錯誤であるという意味は、実際にそこに参加しなければ分らない。選挙活動に、あるいは日常の主権者活動のなかで、「有権者から主権者へ」という気づきをつかみ、それを伝え、という「参加」がなければ、シラけた評論になる。
事業仕分けについても同様。予算編成過程の「見える化」に反応して、「もっと参加を」と気づいた民意は、これを単なる政治ショーに終わらせることは許さないだろう。こうした新たな参加の気運、うねりがどこまで見えているか。
分権型要望システムの試みについても、「地方組織の現状は、とてもそんなシロモノではない」と不平不満を漏らすだけに終わるのか、「ならば、分権型要望のモデルを自分たちがつくろう」と、小さき試行錯誤を仲間と始めるのか。
予算編成は、時間的にも例年よりタイト、さらに税収の落ち込みは予想以上というなかで四苦八苦が続く。その一方で、国民主権の政府をつくるという方針からは、新たな試みが怒涛のように開始されている。ますます進む政治過程の「見える」化に反応し、参加の質を変える! 深める!という連続的な展開ができるか。それとも現状の不備や不足を嘆いて不満タラタラに終わり、政権交代すら「政治ショー」として消費してしまうのか。

主権者運動の新たなステージでの成熟度、賢明さといったものをつくりだそう!

第六回大会へ!


「事業仕分け 始まる」

行政刷新会議による事業仕分けが始まった。
これまで、自治体での実施が先行し、行政の無駄の削減に効果をあげてきた。
「民主党政権がダメだ」と言いたい人たちが、「効果は疑問」とか言いふらしているが、税金がどのように使われているのか、その実際を国民の前にオープンにすることは、最大の情報公開であり、それによって参加の質は大きく深まる。

「国有河川の管理」が必要なことは、だれもが認めるだろう。しかし、その実際はどうなのか。
天下り法人が請け負って、実際の業務は外注、というのでは税金の「中ヌキ」ではないのか。
一者しか応札のない入札とは、どういうシロモノなのか?

「耕作放棄地の再生」は誰も反対しないが、そのための方策が、特別な基金に金を積んで、「貸し手」に補助金を配るというのでは「?」がつく。
担い手不足で、土地は出てくる。それが意欲のある担い手に渡らずに落ちてしまう(耕作放棄地)ことを食い止めるには、担い手のいない土地を貸す側ではなく、土地を借りたい側への支援が必要なのではないか。

こうしたことが、仕分け人と霞ヶ関とのやり取りのなかで、見えてくる。

傍聴は出入りも含めて自由。一見の価値あり。
なによりも、霞ヶ関をはじめとする雑音を抑え込み、民主党にマニフェストの実行を迫るには、国民の目がこれだけある、ということが不可欠です。インターネットでの中継もありますが、時間の都合のつく人は、一度現場に足をお運びあれ。


「ローカルマニフェスト大賞」

第四回目となるローカルマニフェスト大賞の授賞式が、11月6日開催された。
回を重ねるごとに、マニフェスト型政治文化が着実に定着、深化しつつあることが感じられる。
とりわけ、「議会」部門にそれが伺われるが、今年は、最優秀成果賞・議会部門にノミネートされていた「民主党京都府議会議員団」が、「大賞」に選ばれた。写真は受賞のもよう。右側から中小路同人、上村同人。

同部門の受賞は会津若松市議会。同部門にノミネートされていた京都府議団と、北海道栗山町議会が「大賞」。いずれも常連であり、今回は「大賞」がふさわしいと判断した、とは北川正恭審査委員長の弁。毎回受賞する栗山町議会に対しては、「そろそろ卒業も・・・?」とも言われたが、栗山町議会からは「議会改革は深化し続けます、これでいいということはありません」とキッパリ。

京都府議会議員団の活動は、はじめての議会主導の事業仕分け。
以下は北川委員長の講評。

民主党京都府議会議員団の活動は、選挙時に掲げた「民主党京都マニフェスト 京都スタイル」をベースとしている。このマニフェストは、地方議会版マニフェストの可能性を示した内容となっているが、その特色は政策の実行段階にある。これまでの地方議会の活動といえば、個別的要望を中心とする「おねだり型」であったが、それを前年度の成果を組み入れたマニフェスト型に変え、マニフェスト型予算要望モデルの確立に取り組んでいる。また2009年2月には全国初となる会派主催の事業仕分けを行っており(10月には二回目を実施)、国政に先駆けた活動として注目すべきであろう。こうしたすべての活動がマニフェストに基づいている点は、府民に対する説明責任を果たすという点で、高く評価してよいだろう。


「第17回 関西政経セミナーを開催」

国民主権の政府をつくる、新しい政治文化の集積へ
〜マニフェストは社会的責任深化のコミュニケーションツールに〜

11月1日、京都市内で「第17回関西政経セミナー」を開催。
国民主権の政府をつくるための課題、新たな政権政党のありよう、政権政党の地方組織の課題などについて議論を深めた。

とくに「お願いから、約束へ」と政治文化を変えるツールになってきたマニフェストが、「実行するのがあたりまえ」となった次のステージで、マニフェストの中身をつくるプロセスそのものに国民主権の原則でどうかかわっていくか、まさに「マニフェストはお互いの社会的責任を深化するコミュニケーションツール」へと転換しつつあることがパネルディスカッションを通じて鮮明に示された(任せる政治から参加する政治へ)。

今回は、鳩山政権で外務副大臣の激務を担う福山哲郎参議院議員、内閣府政務官として8つもの所掌を担当する泉健太衆議院議員(公務で欠席・メッセージ)、さらには政権政党の意思決定の中枢・常任幹事会議長である前田武志参議院議員が、新政権発足から40日間の前人未到の領域の経験と教訓を述べられ、初当選の(野党議員を経験したことのない!だが地方議会でマニフェスト政治の経験ある)森山浩行衆議院議員、民主党京都マニフェスト=「京都スタイル」の作成運用の核を担ってきた、おんづか功京都市会議員、中小路健吾京都府議会議員、上村崇京都府議会議員が加わり、きわめて立体的・構造的に、国民主権の政府をつくる課題について「自治体議会のマネジメントのありよう」「政権政党の地方組織のありよう」「統合政策としてのマニフェストの深化」など、様々な角度から議論された。

後半、戸田政康代表からは外交、社会保障などの政策課題を、右肩上がりの経済社会を前提にしたところから、定常型社会の社会政策へとどのように政策思想の軸を転換し、ガバナンスするべきか示唆がなされた。

今回の参加者(120名)には、20歳前後の学生や、30代40代の中小企業家の参加も多く、3時間にわたるパネルディスカッションを終始熱心に聴き入る姿が印象的であった。

(杉原記)

*09望年会in京都は、12月7日(月)19:00〜21:00コープイン京都で開催。会費3500円。


「政権交代をなしとげた歴史的な総選挙。
『任せる政治』から『参加する政治へ』、ここからがスタートだ。 VoL.2」

8月22日 午後2時
京都5区小原舞候補
京丹後市マイン前で1084回目の街頭宣伝

 

8月29日 午後7時
三条河原町で

 

8月30日 午後8時
森山浩行「皆さんの熱意が堺から政権交代につながった」

(順不同・敬称略)


「政権交代をなしとげた歴史的な総選挙。
『任せる政治』から『参加する政治へ』、ここからがスタートだ。」

古賀たかあき
福岡4区
(8/30)
 
五十嵐文彦
埼玉9区
(8/29打上げ)
 
初鹿明博
東京16区
(8/30)
 
中山義活
東京2区
(9/1祝勝会)

(順不同・敬称略)


「将来世代の責任ある選択」

衆議院解散の前日、京都青年学生読者会で大阪16区から民主党公認で立候補予定の森山浩行同人(元大阪府議・堺市議)を招き、懇談会「歴史的な総選挙に青年学生はいかに臨むか」をもった。

人口減少社会に入った日本で、将来世代がどのような責任ある選択をするか、とくに投票日までの四十日を選択の中身(マニフェストの内容)まで責任をもつ政策形成過程への参加として示せるか、そのためには「バッジをつけようとする」主権者と「バッジをつけない」主権者のコミュニケーションのありようをどこからどのように変えていくか、議論した。

「二十代で職業経験なく人生を過ごすことを、個人の責任に帰してはいけない」(森山)に対して、読者会メンバーからは、「『もらってあたりまえ』とならないか?」との質問や、「自分のことしか考えられないが学生が多い。当事者意識をどのようにつくっていくか」「地方にはまだコミュニティがある。バラバラの状況をどのようにネットワークしていけばよいか」など活発な意見交換が行われた。

また家庭の経済状態の急変から大学を中退せざるをえなかった自身の経験から「選抜された学生の学費を全額国費でまかなう制度」の提案などもあり、それぞれの判断で選挙ボランティアに参加しているメンバーの活動指針ともなった。

(杉原)


「都議選はじまる 『決着の夏』へ」

東京都議会議員選挙が始まった。

「自公過半数割れ」で都政を変える・都議会を変える、そして、国政を変える=政権交代へと政治を大きく変える「決着の夏」の幕開けだ。

自公の一角を崩して、8議席を奪うためには、少なくない選挙区で、民主党が複数議席を獲得しなければならない。
限られた層を奪い合うのではなく、投票率をあげるために競い合う選挙戦を!

10時 北区・王子駅にて、原田大候補が出陣式。

12時 文京区・春日町交差点にて、増子ひろき・候補が出陣式。掲示板のポスターも「マニフェスト仕様」。

 

14時 江戸川区・小岩駅にて、鳩山代表が笹本ひさし・候補の応援に。連れ立って駅前商店街を歩く。

16時 世田谷区・三軒茶屋にて、花輪ともふみ・候補が出陣式。

 

18時 江戸川区・船堀にて、田の上いくこ・候補が駅頭集会。


「民主党の事業仕分け」

民主党政務調査会による「国の事業仕分け」。

この間行われてきた作業の一環として、構想日本の「仕分け人」も加わったオープンな場での「事業仕分け」が、6月23日行われた。

今回は国土建設省の二事業と、農水省の二事業。自民党の河野チームが手がけてきたのは文部科学省や環境省、内閣府など「その他」。国土交通や厚生労働、農水といった予算規模の大きな省庁には、なかなか手をだせなかった。

この日の仕分け対象のひとつは、国土交通省所管の「道路保全技術センター」。空洞調査のいいかげんさが、河野議員、前原議員などから指摘され、「アエラ」などマスコミでも取り上げられてきた。ほかにも、同センターが開発したという道路情報管理のソフトの著作権として、年間11億も払っているという実態に、自治体関係者からは「自治体の契約では考えられない!」との指摘も。

当然、同センターへの委託事業は不要、空洞調査は技術力のある(これまで同センターが下請けとして丸投げしていたような)民間企業に任せる、との結論に。

空洞調査にからんだ第三者委員会について、国交省側から「いい訳」が並べられると、傍聴していた河野議員(当日の調査をセットした)から「それは違う」との声が飛んだ。

以下は河野議員のブログ「ごまめのはぎしり」より。

民主党の事業仕分けで、道路保全技術センター、特に空洞調査を取り上げてくれたので、日本財団の会議室に傍聴に行く。

前原、細野、大串、三日月、福山、長妻、馬淵等々のオールスターメンバーでやっている。河野チームが一期生主体なのとずいぶん違う。

もともと技術がないところが、随意契約で仕事をもらって、三割ピンハネして丸投げしていた事業だ。

企画競争入札にせざるを得なくなったので、国土交通省の官僚に採点させてやっぱりセンターに落ちるようになっている。

まさか採点しているのは国土交通省の役人ではないですよねという質問に対し、国土交通省の役人三人で採点していますと堂々と答える常識のなさ。

うちの大臣、副大臣が動かないならば、民主党と連携して、空洞の見逃しとねつ造の調査を始めるか。(以上)


「都議選へ」

6月3日。野上ゆきえ(練馬区)決起集会。
都議選は、来るべき総選挙の前哨戦と位置づけられる。

だからこそ、「永田町の代理戦争」にすることなく、都政独自の争点を設定し、投票率を10ポイント上げられるかが決定的だ。

6月6日。花輪ともふみ(世田谷区)事務所開き。
投票率のアップなしに、都議会での「自民過半数割れ」=東京から政権交代は、実現できない。

さいたま市長選、名古屋市長選をはじめ、旧来の構造を変える地方選での決定的なポイントは、投票率の上昇だ。永田町の代理戦争を煽っただけでは、投票率は上がらない。国政に従属しない、都政独自の争点を明確にして、「これは『自民か、民主か』という永田町の選択ではない。10年後の東京をどうするかを決める、『私たちの選挙』だ」という都民の民意が動いてこそ、投票率はアップする。

6月17日。笹本ひさし(江戸川区)決起集会。
いいかえれば、国政の代理戦争ではなく、「自治」の観点からの問題設定で選挙を戦うことができるか、ということだ。「やはり政権交代が必要だ」という世論を、政治不信や「風任せ」の無党派主義に流してしまうのか、自治という根っこを持つ輿論(空気より意見、セロンよりヨロン)へと成熟させていけるのか、ということでもある。

首都決戦にむけ、各予定候補の事務所開き、決起集会が各地で開催されている。

6月20日。原田大(北区)演説会。オープニングはアフリカンドラムによる「がんばれ、ハラダ」のパフォーマンス。


「総選挙、われら自民党かく戦う」

4月8日、第90回定例講演会は、自民党の若手改革派5人によるパネルディスカッション。

パネラーとしてご参加いただいたのは、水野賢一、山内康一、亀井善太郎、上野賢一郎、柴山昌彦の各衆院議員。

「総選挙、われら自民党かく戦う」とのタイトルに、のっけから「どこから見ても、俺たちが自民党を代表している、とはとてもいえないよね」というジョークが飛び出すような、和気藹々とした雰囲気のなかで進行。

05年総選挙・小泉マニフェストの総括、次の総選挙を含めて問われる党改革(意思決定システム、候補者選考、マニフェストなど)という、大きくわけて二点について、それぞれから時にユーモアを交えて提起。改革派としていっしょに行動することが多い皆さんなので、大枠でのベクトルを共有したうえでの個々の持ち味の違い、といったものも伺えた。

コメントをお願いした飯尾先生(政策研究大学院大学)のご尽力も加わって、「政党政治」「政党」というところに焦点を絞る流れになった。


「馬渕'S ブート・キャンプ?」

3月6日の「囲む会」は、馬渕澄夫議員をゲストスピーカーにお迎えして開催。
この予算委員会の総括をお話しいただいた。

馬渕議員いわく「政権の自滅」。民主党が追及するまでもなく、総理が自分から倒れる(失言の数々など)。普通ならスリップダウンのところ、エイトカウントくらいまで取られてしまう。相手が勝手に倒れるから、逆に民主党の追及も、パンチが大振りになる。 もはや政策論争で戦う雰囲気ではなくなり、かえって論戦は低調になったといわざるをえない、と。

そんななかでも、「道路」「天下り」について、いくつかの成果を挙げた。いずれも官僚内閣制の惰性を断ち切る一手となるもの。詳細は「日本再生」359号にて紹介。

特筆すべきは、こうした戦果を挙げていくための、事務所(インターン含め)一丸となった「戦う体制づくり」と、そのマネジメント。 正月明け早々からの予算委員会が明らかになった12月半ばから、馬渕議員の日常は大きく変わる。

「一滴も酒は飲みません。夜の会合もゼロです。私の生活も変わります。朝五時起きで、五時半にジムに行ってトレーニングをして、七時に終えて、家に戻ってシャワーを浴びて、八時の予算委員の打ち合わせに出て、九時の予算委員会に出る。お昼は事務所あるいは私の宿舎で鍋をします。外食は一切しません。とにかく徹底した体調管理をやる。

われわれはプロなんですよ。日本シリーズあるいはWBCに出る直前まで、飲んだくれている選手なんていますか。本当に心身ともに徹底的に研ぎ澄まされた状態を作って臨むんです。今回は長かった。十二月の半ばからですからね。しかし予算シリーズに入ったら、うちの事務所スタッフも休みなしで戦い抜く」とのこと。

年末年始も会館の事務所に全員が詰め、昼、夜手作りの鍋をいっしょに食べ、文字通り同じ釜のメシを食いながら、資料を徹底的に洗っていく。壁の大きなスクリーンには全員のPCの画面が映し出され、全体の進捗がひと目で分る。それに応じて臨機応変に人を動かすのも、マネージャー(議員)の役割だ。

まさに「馬渕'S ブート・キャンプ」の様相。

「一つのテーマを定めて、徹底的に調べて、そして類推でもない、予見でもない、事実factをもって語らしめると。これが予算委員会の本来の姿で、判断するのは国民の皆さんです。どっちの言っていることが正しいと思うかと。そういう形で、自分のスタイルを作ってきたつもりです」という「馬渕流」の一端を披瀝していただいた。


社会的市場形成のための論戦を〜第16回関西政経セミナー〜

3月1日京都市内において、第16回関西政経セミナーを83名で開催。持続可能な経済・社会はどのようにして可能か、その障害を取り除いていくためにどうするかを議論した。

諸冨徹・京都大学大学院准教授の講演は、1960年代以降資本概念が歴史発展(資本の蓄積過程)の中でどのように拡張してきたか、その中で政府の役割が質的に変容(市場のルール設定や市民社会の公共活動を促す役割)し、とくに知識資本を増やすこと(社会関係資本の厚み)が地域の強みにつながっている実例も含め、歴史発展と論理発展の一致がストレートに生きいきと描き出され、わかりやすかった。CO2排出量取引がなぜ不可避な政策かについても、経済メカニズムに環境規制を組み込み、市場の性格を社会的市場に変えていく目的から説得的に提起された(低炭素社会への転換は新たな産業革命)。

パネルディスカション(パネラーは諸富先生、福山哲郎参議、隠塚功京都市議、上村崇京都府議、中小路健吾京都府議)でも、知的刺激溢れる議論が展開された。電力エネルギーの構造変化〜再生可能エネルギーの地産・地消によって新たな雇用と投資が生まれ、社会的市場が形成されることが、自治分権社会への転換の分水嶺になる可能性(補助金依存を地域自らが断ち、新たな産業へのファイナンスを含めた経済自立を図る)。一方、自治体の森林環境税の議論で、現状でも数百億円の国費が毎年「森林保全」に投じられている費用対効果について、議会や行政の説明責任がなければ「次の社会のための投資」の国民的合意はできないことなど、持続可能な発展への障害を取り除いていく論戦の基準も示された。

戸田代表のまとめで強調されたように、タテ割り行政のカネの使い方が社会関係資本(地域社会の信頼関係と共同体や人的資源)を棄損してきた事実を直視し、これに代わる人とカネの流れを各地固有の資源を活用し、地方政府としてガバナンスしていくことが、自治分権社会の課題である。この気づきと覚悟を、議会と議員の役割と責任、バッチをつけない主権者の役割と責任として共有することができた。

セミナー終了後の懇親会には62名が参加。就任2年目になる門川大作京都市長も加わり、参加者同士の意見交換が積極的に行われた。

 

杉原記


「老朋友」

左から中塚氏、戸田代表、唐亮氏、季衛東氏
2月20日、20数年に及ぶ日本での学者生活を終え、四月から上海交通大学法科大学院長として帰国する「老朋友」季衛東氏と会食。 季衛東氏は、文化大革命で十三年間中断されていた大学入試が再開されたとき、抜群の成績で北京大学に入学、卒業後は、中国の改革開放にともなう国費留学生の第一期生として京都大学に留学。その後、神戸大学で教鞭をとるかたわら、社会法学を中心に日中の架け橋ともいうべき活躍をされてきた。

上海交通大学は江沢民の出身校として知られ、また二十世紀初頭には「東洋のMIT」ともいわれた名門校。民主化は、市場経済にともなって不可避であるが、その重要な基礎インフラである「法治」「法制」とその担い手を育てるという大きな仕事に就かれることになる。

北京大学の同期で、同じく「老朋友」の唐亮氏もごいっしょに。十三年分の秀才が殺到した入試で、北京大学への現役合格を果たした唐亮氏には、戸田代表から「次の研究テーマ」を提起。

2004年に行ったパネルディスカッション「東アジアの経済統合と新たな日中関係」で、季衛東氏とともにパネラーとして参加していただいた中塚一宏・前衆院議員も、ともに旧交を温め、政権交代後の日中関係など、大いに語り合った。


「12年ぶりのソウル」
韓国・外交安保院教授、尹徳敏さん(右側)と。※1
2月8日から11日、三泊四日で12年ぶりにソウルに行く。おりからの円高・ウォン安で、ソウルー成田間の飛行機は、行きも帰りも「お買い物ツアー」の日本人が大勢。円安の時には逆に、韓国からの観光客でにぎわっていたのだろう。

アメリカではオバマ政権に替わり、日本でも今年は政権が替わる可能性が高まっている。韓国も一足先に政権が変わった。北朝鮮問題や経済連携など、今後の課題を考えるに際して、とりあえず韓国社会の雰囲気を直接感じてくる、というのが今回の目的。

康仁徳・前統一院長官(左端)、韓日親善協会中央会会長で前国会議長の金守漢先生(左から二人目)と歓談。※2
政治関係の方へのインタビューのかたわら、在日本大使館に勤務していた当時からお付き合いのある韓国外務省の方と、そのお仲間(アジアの民間交流をめざすNPO)と、夜遅くまでカラオケに興じたり、日本語教師の方に街を案内していただいたりと、「政治業界」以外のみなさんとも交流する機会を得ることができた。

かつては高速道路の下で暗渠となっていた清渓川。※3
12年ぶりのソウルの街は、高層ビル、マンションが林立。ソウルへの人口集中はいまだに止まってないようだ。空がどんよりしているのは黄砂の影響か。ソウル中心部と、新しく開発された江南区とのインフラ整備の落差もかなり大きい。夜には移動する車のなかから「ろうそくデモ」をかいま見た。

※1  韓国・外交安保院教授、尹徳敏氏にインタビュー。北朝鮮の核開発をめぐる日韓の連携の必要性とともに、「この二、三年のマネージ」という時間軸の一致の必要性を強調された。(インタビューは「日本再生」358号 4/1に掲載予定)
※2  ちょうど日本から帰国されたばかりの康仁徳・前統一院長官、韓日親善協会中央会会長で前国会議長の金守漢先生と、夕食をとりながら歓談。金先生とは12年前にお目にかかって以来。「日本再生」は毎号目をとおしていただいており、今年の年賀状でも激励していただいた。お二方ともそれぞれ、北朝鮮問題はここ二、三年がポイントであり、ここで日韓が時間軸を一致させて協調することの重要性を説かれた。
※3  李明博大統領がソウル市長の時に、高速道路を撤去、暗渠だった川を親水公園として蘇らせた。あいにく小雨模様のため、ジョギンクする人がたまにいる程度だったが、夏には夕涼みする市民でにぎわうという。
そのほかにも、総督府跡地の再開発や、焼失した南大門の復興工事、ソウル市庁舎の建て替え(旧庁舎の一部を保存して行うらしい)など、あちこちで大規模な工事が行われていた。

オバマ政権発足と世界秩序の変化
2月7日、第88回定例講演会を開催。中西寛・京都大学教授と李鐘元・立教大学教授の対談による「オバマ政権発足と世界秩序の変化」。ピンでの講演でも十分「聞きごたえ」のあるお二人だが、「対談」ということで、さらに多角的な視点からのお話が次々と展開され、三時間があっという間に過ぎた。

ちょうど入試シーズン真っ只中で、大学は一番忙しい時期だが、その合間をぬって時間をつくっていただいた両先生には、改めて厚く御礼申し上げたい。

中西先生の言葉を借りれば、現在の国際情勢は、世界大戦の代替物ともいうべき国際秩序の再編期である。人類は(二度の世界大戦と冷戦の経験を経て)「戦争を媒介として世界秩序を再編する」ほど愚かではなくなったが、さりとて激動や大きな混乱をともなわずに新しい国際秩序を安定させるほどには賢くなっていない、ということだ。この歴史的な激動のなかで、次の方向を目指す―これがオバマ政権をめぐる情勢である。


オバマ政権は「方向性は明確」だが、目の前にある現実は厳しく、それへの対応はきわめて現実的、ある意味では「どこまで融通無碍になれるか」ということだろう。ブッシュ政権は「テロとの戦い」「一極主義」に傾注し、中東に比べてアジアは「二の次、三の次」という状況だった。その間に、東アジアにおけるアメリカの存在感は大きく低下した。これを挽回する、アジアはアメリカにとって不可欠、というオバマ政権のメッセージは、人事にも明確に現れている。これを東アジア各国、とりわけ日本は、どのようにチャンスに転じるか。そのためにも「新しい、国民の信任を得た」政権が望まれる。

(講演内容は「日本再生」358号 3/1発行予定に掲載)

「百年に一度の危機」に日本はどう対応すべきか
 今年最初の定例講演会は、大塚耕平参院議員を講師にお招きして、「百年に一度の危機に日本はどう対応すべきか」と題して開催。日銀出身で、昨年のリーマンショック以来、政府に先駆けて民主党の対応策を提言してきた。
干支の話題から歴史的スパンを説き、ハドソン川への旅客機不時着で、機長の手腕が賞賛されていることを話題に、国民経済の運営を飛行機のふたつのエンジン(財政と金融)に例えて、経済学の基礎知識も織り交ぜながら、分りやすく話された。曰く「経済というと、難しいと思われるかもしれませんが、今日の話をかまんして聞いてもらえれば、少なくとも麻生さん(経済通を自認)より、まともな議論ができるようになります」。 講演後には、「あんなに分りやすい話ははじめて」「よくわかった」と、参加者も実感。

なお、当日会場でも販売したが、大塚さんの著書『ジャパン・ミッシング』がお奨め。
2006年から「夕刊フジ」で連載しているコラムを、テーマごとにまとめたもので、改めてこの間(97-8年の「経済敗戦」あるいは85年の「プラザ合意」以降の)失われた10年、20年とは何だったのか、何が構造問題なのかが、時々のトピックに関連して分りやすく整理されている。
「ジャパン・ミッシング」 大塚耕平・著 オープンナレッジ・刊 1600円+税

第70回 東京・戸田代表を囲む会
 09年最初の「囲む会」は、蓮舫・参院議員をゲストスピーカーにお迎えして開催。

04年、岡田マニフェストで民主党が議席・得票とも自民党を上回った参院選で初当選、しかし05年の「郵政選挙」では、自民党が三百議席という圧勝、その後の国会では強行採決の連続、そして07年小沢代表の下での「逆転の夏」で、過半数を得た参議院で政権運営にむけた訓練を集積。

こうした04年以来の動きのなかで、どのように議員としての仕事を深めてきたかを、生き生きと語っていただいた。

当初は「子育て」政策を実現するために議員になったこと、年金問題では04年以来の時間を大きく失ったこと、本来の立法機関としての国会になっていないなか、税金の無駄遣いを明らかにするというスタンスで仕事をするなかから、特別会計も含めた総予算の組み換えという「政権運営能力」を確実に集積してきたことなど。

「議員としての仕事」を語れるバッジをつけた主権者とともに、「議員としての仕事」を問えるフォロワー(バッジをつけない主権者)のフォロワーシップを集積していくことが問われている。

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