「サンチョパンサの日記」では、機関紙などで紹介しきれない活動を紹介します。
サンチョパンサは、ご存知のようにドンキホーテの従者。ということは、もしかして、ボスのことをそう思っているのでは、と勘ぐるむきはどうぞご自由に。
まあ、戦後日本の無責任連鎖に向かって「責任の回復」や、「世直し」を大上段から訴え続けてきた姿は、風車に向かって突撃するドンキホーテに見えるかもしれませんが。

「2020後」を展望して

12月14日、恒例の望年会を開催。「忘」れてはいけないことを教訓として、次への展「望」を語り合う。

来年はいよいよ「2020」。1月の大会では、本格的な人口減少・縮退社会にむけて、「2020後」の民主主義、とりわけ「選挙」を住民自治の涵養の場とすることをよびかけた。統一地方選をはじめとする各地の自治体選挙や参院選の教訓、そして「ポスト安倍」にむけた課題を、語り合う場となった。

感性のストレッチ@あいちトリエンナーレ

あいちトリエンナーレ。「表現の不自由展・その後」の展示中止と再開、文化庁の補助金不交付決定などの一連の事態は、それ自身が「表現の自由」を内実化する社会的なムーブメントになりつつあるのかもしれない。

「表現の不自由展」の中止に抗議して展示をボイコットしたキューバ人アーティストは、「一度検閲された作品がふたたび再開された経験は一度もない、しかし今回はそれが可能なのではないか」と述べている。

閉鎖された展示に続く扉には「あなたの不自由は何ですか」という問いに対して、参加者が付箋に書いた無数の「私の不自由」が貼られている。再開決定の前には、付箋でいっぱいになった扉が、さらに付箋を貼るスペースを確保するために開けられた。

「表現の不自由展」をめぐる一連の問題は、ある意味で、あいちトリエンナーレのテーマである「情の時代」―ポスト真実の時代に、「情によって情を飼いならす術としてのアートとは」ということを、ダイナミックに提起したともいえる。

 ど素人の目線で印象に残ったもののなかから、いくつか。展示の多くによって、日常のなかの認識のギャップ―「見えているもの」と「見えていないもの」との間に気づかされる。

 ウーゴ・ロンディーノ「孤独のボキャブラリー」

 一番「映える」展示。今にも動き出しそうなピエロのリアリティ、でも顔や手の造形は作りものとすぐに分かる。みんな同じ無表情なのに、「佇む」「呼吸する」はては「嘘をつく」といった日常の行為の名前がつけられているそうだが、どれがどれだか分からない。隣で同じポーズで写真を撮る人たちも。  「見た目」は分かりやすいけれど、何だろうと思わせる。

 アンナ・ヴィット「60分間の笑顔」

 フォーマルな服装の8人の人物が、60分間、同じ姿勢でほほ笑み続ける映像。見ているうちに、「これは本当に笑顔なのか」と思い始める。見ているこちらも疲れてきて、ずっと見続けてはいられない。  そういえば秘密警察などの拷問のひとつに、狭いところにずっと立たせておく、っていうのがあったと、何かで読んだような…

 ユェン・グァンミン「日常演習」

 台北で毎年行われる防空演習を、ドローンでとらえた映像。車も人もいない、何ひとつ動くものがない台北の街が、上空からとらえられる。日常と隣り合わせの非日常。英語のタイトルがeveryday maneuverというのも…

 これを見たあとに、ジェームス・ブライドル「ドローンの影」を見ると、リアリティーが増す。こちらは、地上に描かれた無人偵察機グローバルホークのシルエット。アフガニスタンで実戦運用され、誤爆による民間人の死傷者も多数。自衛隊にも導入予定と。

ホー・ツーニェン「旅館アポリア」

藤井光「無情」

 「旅館アポリア」は、豊田市にある喜楽亭という料理旅館を舞台にした作品。草薙特攻隊の隊員が沖縄に発つ前の最後の夜を過ごした旅館で、四つの空間に作品が展開される。

 登場するのは、特攻隊員たち、京都学派の学者たち、戦時の宣伝を担った小津安二郎、横山隆一。彼らの言葉や戦後の作品を通して、単なるプロパガンダではすまされない、戦争という非日常と日常との地続きを、否応なく感じさせる。

 映像と言葉だけでなく、音響によって風や波、さらには時代のうねりまでが体感される。とくに「虚無」という京都学派についての展示は圧巻。

 「無情」は国立台湾博物館所蔵のモノクロフィルムと、日本で暮らす外国人の若者たちのカラー映像を対で見せる。

 前者は、戦時におけるいわゆる「日本人化」のための「国民道場」の記録映画。後者はそこで行われる訓練や儀式の様子を、現在日本で暮らす外国人の若者が演じる。留学生や研修生として働いている彼らを「見えなく」している日本社会の、今と過去が否応なくつながる。

長田康祐「Translation Zone」

 三つの映像作品のひとつ。チャーハンを作る映像と語り。料理教室? と思っていると、グーグルの誤変換(*)の話から、ある言葉を別の言葉に翻訳することの難しさ、そこに生じる創造性が語られる。

 英語にすればfried riceだが、チャーハン、炒飯、ガパオライス、ナシゴレン…。各自の文化とその混ざり具合や、コンピューターやAIが与える認識とのギャップ。そこには創造性の空間とともに、ポスト真実の危うさも垣間見える。

 にしても、炒飯の話がそこへいくとは。

 *グーグルの誤変換 香港のデモについて中国語の翻訳が、まったく逆の意味になったことがあったという。それはハッキングされたというよりも、中国語圏の用法でそれが上位になったことを、AIが学習した結果だという。AIが学習した結果、ヘイトスピーチを撒き散らし始めたという話を思い出す。

感性のストレッチと思っていたが、なかなかヘヴィーな体験。

疲れ果てて、夜は円頓寺商店街の見学もそこそこに、ベトナム料理の屋台でチケットを見せて、ドリンクサービスとともに、フォーとガパオライスを。

第38回戸田代表を囲む会in京都を開催

8月29日「第38回戸田代表を囲む会in京都」を開催。7月21日投票の参議院選挙の総括論議をおこなった。

冒頭の、戸田代表の問題提起。日本型翼賛は争点設定をしない、論議をしないところから生まれる。選挙を通じて民主主義は死んでいく。これに抗するためには「くらしとせいじ」の観点で争点設定し、普通の人に参加を促す以外ない。移行期、過渡期は古い制度の既得権を一瞬で終わりにできないからこそ、「将来のくらしやいのち」を争点化できるか。参議院選挙の立憲民主に投票した1,100万が、今後の政治的な争点設定を自分事とできるか。どのような訴え方、活動スタイルがそれを可能にするのか。

つづいて、福山哲郎参議院議員。「争点化をしない、争点をなくす、議論をなくす。それが翼賛につながるというのは本質的問題。安倍自民が徹底的に予算委員会を開かない、EU離脱をめぐってジョンソンが議会の議論を封殺しようとする、これらは軌を一にしている」「全国的にみると、イージスアショアの秋田や辺野古の沖縄は自民が負けた。争点設定ができたかどうかが決定的だ」

次世代にバトンをつなぐには、新しい担い手に「生活に係るものはすべて政治です」という主権者教育ができているところと、世代間の断絶になり「無党派層と無関心層が一体」になっているところでは方法が異なる。京都、大阪、兵庫の候補者のように「自我」を社会に向かって語り始めた主権者のなかで、政治的有用感にまでつなげることができるか。

滋賀県選挙区・嘉田選対の事務局を担った、今江政彦県議から。教訓は、滋賀県での武村知事時代から「チームしが」につながった信頼関係のテーブル。議論の場を壊さずにきたことが近畿で唯一の勝利につながった。自分の選挙の利害だけで動かない、全体の利益を考える人格者がいなければ、目先の利害の「ちゃぶ台返し」になる。

白川秀嗣・越谷市議会議員から、埼玉県知事選挙の報告。大野もとひろ候補は、県民党として県民に向き合い、右肩上がりの時代の制度の外の問題を扱う政策思想もぶれなかった。後半戦は毎日朝6時から夜10時まで、候補者自身と上田知事、50名の自治体議員がリレーで駅頭活動をやった。相当の熱量だった。

越谷の400人集会では、「くらしとせいじ」を登壇した6名の市民が当事者として語り、共感した参加者が大野支持を横に広げた。政治的有用感を生み出す日常活動がなければ、国政選挙や大きな選挙のときだけの活動では勝てない。

「無関心」層をいかに動かせるか。そのためには、社会自身の持続可能性をどう担保出来るか、その原資となる税の負担についての論議が不可欠だ。多様な市民が、右肩上がりの時代の旧い制度の外側にある様々な「くらしとせいじ」の課題に向き合い、「負担と給付」の論議を通じて合意形成していく中から、財政民主主義が機能していく。

(文責・杉原卓治)

囲む会 「人口減少社会の実像」を開催

囲む会 「人口減少社会の実像」を開催 第201回の東京・戸田代表を囲む会。「人口減少社会の実像と、その対応について」。ゲストスピーカーは、首都大学東京の山下祐介教授。

人口減少は、もはや「既定の事実」だが人口減少問題の「実像」をどれだけきちんと理解しているか。いいかえれば、経済成長が人口減少問題の解決策であると考えているかぎり、実像は見えてこない。

経済成長や「稼ぐ力」を煽ればあおるほど、東京一極集中と「奪い合い」が過熱化する。経済が高度化すれば、都市部への集中は避けれないし、ある意味では「自然」でもあるが、現在の東京一極集中はあまりにもバランスを欠いている。少子化―人口減は、その結果である。

現実、とくに「消滅可能性」と言われた限界集落がいまだに消滅していないという現実が示しているのは、「人を生み出すのは経済ではなく、家族であり地域社会である」というシンプルな事実。

そして、「行政サービスなしに維持できない集落なら消滅したほうがいいのでは」という「都市の論理」に対しては、「都市こそが、生活にかかわるあらゆるものをカネや行政サービスに依存している」(その脆弱さの一端が3.11で露呈した!)のであり、むしろ限界集落のほうが、行政以外の「地域の助け合い」で生活が営まれているという、これまたシンプルな事実。

社会の持続可能性を維持するためには、少子化―人口減少に歯止めをかけなければならない。そのためには、少子化に表れている「社会の歪み」―人口減少社会の実像を、とらえることが不可欠だ。

「大野もとひろ個人演説会で6人の市民がアピール

8月25日に投票日を迎える埼玉県知事選挙で、参議院議員として2期9年の活動を続けて来た大野もとひろ氏は、議員を辞職し知事候補として連日選挙運動の先頭にたっている。

8月22日午後7時30分から、越谷市中央市民会館の劇場で、「大野もとひろ個人演説会」―私たちの未来、明日の県政ビジョンを語り合おうーが開催された。ロビーまであふれる約400人の市民が詰めかけた。主宰は大野もとひろさんを支援する越谷連絡協議会。(以下連絡協議会)

この個人演説会開催の準備のため、連絡協議会では数回にわたり打合せを繰り返したが、その目的を以下のように示し全体で確認した。

旧来型の決起集会的な内容では、参加した県民の一票を確認するに過ぎないものになる。応援演説は往々にして政党や議員が中心となり、同じような投票行動の呼びかけが中心となるため、参加した県民が活動家となって明確となった争点を横に広げて行く事にはなりにくい構造がある。(低投票率が想定されるので、ますます票が小さく固定化していく)

そこで、県民党を自認する大野候補の特性を生かし、市民が全ての中心となって運営するスタイルに転換する。それは大野当選のため頑張るための訴えを、市民自身が抱えている制度の「外」にある地域の困りごとをどう受けとめ、解決の方向が県政の政策転換と関連している事を、市民それぞれがアピールする場として設定する。

 青島陣営は、結局中央(政府)との太いパイプ論以外は政策的な展開は出来ない。その上、県庁の建て替えを突然主張し、これまでの議会の討論と議決を無視している。これはこれまでの安倍政権の体質と同質であり、地方自治体の自己決定権の否定となっている。

 選挙運動は当初、与野党対決の構図が先行して、この枠組みでは知名度を含めて圧倒的に青島氏がリードしていた。  しかし、直近の世論調査によれば、自民党調査・大野38、青島42、大野調査・大野26.3、青島24.2。しかしネット調査で6割、(支持政党なし約50%)電話調査で4割(支持政党なし30%)もの県民がまだ態度を決めていない。

 つまり、この決めていない県民層を3%から5%動かす事が出来れば十分勝算があることが分かる。  特に青島陣営には、人口減少時代、縮退社会における制度の外で苦しんでいる市民が見えておらず、だから政策が旧来の制度の延長線でしかない。 大野陣営はこれらの県民に寄り添い、地方自治の中における機能をフル稼働させて、この声に対応する制度運用や当事者の声を最も大切にしている。

 参加する県民はこれまで何度も同種の集会に慣れており、旧来の手法でも何ら違和感はないだろう。しかしそれは一票を大野に投票すればいいとの範囲を超える事が出来ない。  県民自身が直面している地域の困りごとは、これまでのように誰かに依存しても解決が出来ず、自分自身が当事者として受け止め、参加していかないと解決出来ないという、これからの地域社会の主体的責任者であることを最も重視し、可視化する場として個人演説会を位置付ける。

 そのため、出来うる限り県民が主催、運営している姿を参加した県民に徹底して見せる事が、大野候補の公約を横に広げて行く最大の武器となって行く。  8月22日から残り投票日まで2日間であり、この雰囲気を醸し出すことに成功すれば、参加した県民自身が選挙の運動員として全員がフル活動して頂くことが期待出来る。

これを受けて当日は、吉田理子さん(企業組合理事長)の司会で開始された。まず主宰者を代表して、連絡協議会の会長の高橋努越谷市長からあいさつ。  続いて6人の市民が次々と地域の問題や困りごとについて、市民自身の体験や失敗を含めた経験値が披露された。市民の発言とテーマは以下の通りだが、吉田さんは次のように発言した。

本年は4月に統一地方選挙、7月に参議院選挙、そして今回の埼玉県知事選挙と続いていますが、人口減少時代、縮退社会を迎え、すでに右肩上がりの時代はとうに終わっています。 そのため、今日社会や地域で起きているさまざまな問題、市民の困りごとは、多岐にわたっています。空き家の問題、バス路線の廃止の問題、公共施設の縮小や維持の問題、ブラック企業や過労死や自死の問題、シングルマザー問題、子ども達の不登校やいじめや虐待など、新たな貧困と格差がますます広がっています。

  これらの問題は、これまでの人口が増加して行く右肩上がりの時に制定された制度の外で起きている問題であり、市民が行政や政治にお願いするだけでは解決出来ない問題ばかりです。 私たち市民一人一人が当事者意識をもって、今自分が直面していない問題でも、私の問題ではなく、私たちの問題としてどこまで主体的に受け止め、社会参加して行けるかが、大きなポイントです。 そこで、くらしと政治の視点から6人の市民の皆さんから問題提起をして頂きます、と。

子ども食堂は、地域の実情を大切に(片山玲子・白岡市で仲間と子ども食堂を立ち上げ、運営 )

地域住民の足、公共交通を守る(きつい公治・越谷市の民間バス会社の運転手)

障害ある人もない人も当たり前に暮らす(野島久美子・車椅子で埼玉県しょうがい者市民ネットワーク代表)

私たちがめざす働き方( 近藤嘉・連合埼玉会長)

介護は家族だけの責任なの(中野昌子・両親の介護を通して家族、特に女性への過剰なケア負担を問題視)

女性の活躍って何? (佐々木郷美・小学校3年と幼稚園児のママ )

 共通しているのは、制度の外で起きている社会問題への認識

 市民の発言の中で片山さんは「こども食堂は貧困対策にはならない」と強調し、言葉のイメージだけが先行している「こども食堂」の現状を明確にあらわし、「行政は市民活動との並走の視点を持ってほしい」と発言。市民と行政のどちらか一方ではない、両軸で取り組むべき問題であると強調した。

中野さんは、家族が病気になった時に誰が退院後のケアをするのか、その最優先の選択肢が当然のように親族である事。また介護に関連する現在の社会保障への思いは、「今」自分に関係がなくても「いつ」関わるようになるかわからない身近な課題に対する社会保障の在り方について、考えることを先送りにしてはならないと強く市民に訴えた。

 最後に発言した佐々木さんのアピールは、最後を締めくくるのにふさわしいものになった。子育て中の母親である彼女自身が感じている「女性の活躍」とは何かという疑問。活躍を期待されていることや、自分の思いと反するような社会の支援体制の脆弱さについての指摘は、女性だけでなく、この社会に生きるすべての人に等しくふりかかる問題であると強調した。

これらの発言に共通しているのは、制度の外で起きている問題が市民の暮らし向きを直撃しており、この問題を市民が当事者としてどう受け止め、論議しているのかが、それぞれのメッセージとして会場に伝搬していった。

もちろんこうした生活感覚や問題意識が低い市民もいたが、それも市民のひとつの意識として多様性が可視化されていった。

 これを受けて、連日埼玉県内での主要な駅で午前8時から午後8時まで駅立ちを続けている大野もとひろ候補が、午後8時過ぎにクイーンの名曲「We will rock you」を背景に登壇した。  この日も南越谷駅で駅頭を時間ギリギリまで続けて、文字通り駆けつけた。しかも数日前から開始時間は午前6時で終了が午後10時までと延長されていたが、気迫あふれる演説となった。

 大野候補が湾岸戦争時の外務省職員として、死を覚悟した体験談には会場に衝撃が走った。このことは、これから埼玉県で開催される様々なスポーツ大会などで起こりうる「テロ」等に向けての危機管理に対し、冷静なプロの覚悟と自信を感じさせるものとなった。

また、埼玉県が国に先がけて取り組んでいるウーマノミクス政策については、結婚・出産後の女性の職場復帰率があまり高くない埼玉県において、単なる助成金交付等では解決は見込めない、現実に即した女性のキャリア支援を行うことが、同時に経済政策にもなりうるような広い視野を持った取り組みが必要であると訴えた。

 最後に選挙情勢の報告と残り2日間の選挙運動の行動提起のため、連絡協議会の役員全員が会場席から登壇したが、議員や元市長などのあいさつはいっさいなく、紹介さえない進行となり、最後まで市民主体の個人演説会となった。

 また、事前告知されていた、大野候補のギターの生演奏は諸般の事情で中止となった。 会場には労働組合員や各地方議員の後援会員が多数参加していたが、終始市民アピールに集中しており、知事選選挙での市民それぞれの争点設定と判断基準を示せたことは、今後の自治や地域の運動への大きな足がかりとなった。

「人生百年時代の税金!?

埼玉政経セミナーが主催する、第6回連続講座市民シンポジウム「人生百年時代の税金!?」が7月19日(金)午後7時から、越谷市市民活動支援センターで開催されました。  講師の野口裕子越谷市財政課長からは「越谷市の財政の基本知識」、高端正幸埼玉大学准教授からは「支え合わない国?私たちの税と社会保障」について、それぞれ講演が行われました。

 8年間にわたる埼玉政経セミナーの特別講座の開催の中で、初めて越谷市の後援を取りつけたことから、市内13地区の地区センターや老健施設等にも案内チラシが配布されるなど、市役所内での認知や更なる市民への呼びかけが広がりました。

 また、講座に先立ち7月2日午後7時から、せんげん台駅西口で政経セミナーの会員7人が集まり、それぞれマイクを握り、案内チラシの配布等の宣伝活動も実行されました。

 当日の講座では、司会は吉田理子さんが担当し、白川秀嗣代表のあいさつから野口課長の話がありました。

 まず予算に関して歳入、歳出は同額で市長から提案され、議会の議決で成立すること。また予算は一般会計と特別会計と企業会計の3つで構成されていること。歳入に関して市税は景気の影響を受けやすく、今後は人口減少時代なので大きな伸びを期待する事は出来ないこと。

 歳入に関して、国と違って借金は大きな工事をすることに限られる通常債と、国の都合で市が代わりに借金をする特例債があり、特例債は市の権限では決定することは出来ない事。しかも通常債は年々減少してきているものの、特例債は大きく増加の傾向にある事。

 歳出の50%近くを民生費が占めており、更に今後伸びが予想される事や、性質で分類される義務的経費(扶助費、人件費、公債費)も歳出の50%を超え、これも増加して行く事などが分かりやすく説明されました。

 その後、高端先生から問題提起がありました。

 まず、日本人は主要国の中で税負担はかなり軽い方にも拘わらず、重く感じている非常に強い「嫌税感」を持っている。

 人が生きて行く際に生じる必要と欲求に関して、「必要」は生存と人間的な生活のため必ず要するモノ・コトで、財政が満たすもの。一方「欲望」は必要を超えて欲しいモノ・コトを欲しい人が自力で自由に買う事で、市場がこれを満たす。  近年着実に増えて来た「皆でまかなうも」の、半分は社会保障や福祉となり更に拡大している。

国際比較研究所の調査によれば、

@自分の生存・生活のための必要を満たす事は?

A病気の人に必要な医療を施すことは?

B高齢者がそれなりの生活を維持出来る様にする事は?

C家を持たない人にそれなりの住居を提供する事は?

D収入の少ない家庭の大学生に経済的な援助を与える事は?

の質問の何れについても日本人は「自分の稼ぎや家族の助け合いで何とかする」という選択が多く、政府の責任であるという回答は最低を示した。

さらに教育は無償であるべきだ、無条件に基礎的所得を補償すべきだ、との問いにも最低の回答となっている。つまり日本の社会は自己責任要求が強く、そのため、失業、子育て、障害、住宅などは極端に自己責任に任されている。

この自己責任主義に根差した社会保障政策の悪循環が、市民の強固な自己責任意識を生み出している。

 自己の稼ぎと家族の自助に過度に依存する経済成長依存、自己責任主義の戦後の日本生活モデルが限界に達し、貧困問題の深刻化つまり貧困リスクの高まりによって中間層を含めた広範な生活安定度の低下を生み出している。

これらの事から、負担をいかに分かち合うのかが課題となる。特に消費税増税に典型的だが、所得税の負担は、それなりの累進課税となっているものの、社会保険料負担は所得の高低とは関係なく、一律20%前後となっている。

市民負担における税と社会保険料の双方を対象として論議して行く事が、極端に不足している。よく富裕層を狙い撃ちした財源確保が主張されるが、課税してもせいぜい5兆円程度しか確保出来ない現実がある。これは現行路線維持でも、2040年には約68兆円が必要となり、その財源は45兆円で、差し引き23兆円もの財源不足を生じることになる。

 つまり、広く負担を分かち合わねば、自己責任社会からの脱却はない、皆が支えられるために、皆で負担することを原則とすべきだ。

 まとめとして、急速な経済発展に任せて「頼り合わなくてもやっていける人」を増して行く経済成長依存の自己責任社会は完全に行き詰った。

そのため社会を維持していくには、人間と人間が「必要を満たしあう関係」つまり共同性の基本を問い直す必要がある。税は軽いが自分の稼ぎだけで基礎的なニーズまでも満たさざるを得ない社会から、税は増えるが、基礎的なニーズは誰もが必ず満たされる社会への転換が強く求められている、との結びとなりました。

これに対して会場に参加した市民からは、市民税の増税は地方自治体で出来るのか、また前例はあるのか、との質問があり、野口課長から市民税は、全国的に標準税率を適用しており、増税は過去にはない、との答弁がありました。

また、税を公平に負担していくには、市民はどうしていけばいいのか、との質問には、高端先生から、政府も自治体も殆ど同じ取り組みが必要だが、例えば地方自治体レベルで子育てや介護など、まずはひとつ取り組むことを決めて、その財源を満たしていくために負担を増やす。

いきなり住民に負担を強いたら受け入れることは難しいが、いま自分たちが住んでいる地域の財政はどうなっているのか、財政課の方々や住民の方たちが熟慮しながら、自分たちの地域を盛り上げていく、そういう「地方の民主主義」が機能していくようにすればとても良い、との話がありました。

最後に白川代表から、高端先生の話で印象に残ったのは、第1に必要なものを満たすために税金があり、欲望を満たすために市場がある、とのことだが、小泉政権以来、新自由主義の路線が徹底されており、それは市場の原理に公的サービスを任せることである。だから今まで公的な部分が次々と後退していった。

第2に「自己責任」による分断と不信がますます広がっているが、政治がこれを促進してきており、今回の参議院選挙でも対立だけを煽り、自己の優位性だけを強調する政党や選挙となっている。

第3に税金を納入することで、市民がその有用感を受け取るようにして行く事が大切との話は、選挙での公約や政策でも同じことで、一票を投じることで生活や暮らしぶりが変化出来る様にすることが必要。そのためには日常的な地域や自治の現場での地域の困りごとを取り上げ、市民で論議し、運動化して行く市民が当事者としての小さな成功体験を無数に作りだして行くことを皆さんで一緒に作って行きましょう、とあいさつし終了となりました。

その後、駅前の居酒屋で反省会が開催され、高端先生を始め参加者10人で講演の感想や、具体的な地域の運動をどう作り出して行くのか、参議院選挙の投票判断など遅くまで論議が尽きませんでした。

国会の風景を変えよう!

6月26日、予算委員会開催を与党が約三ヶ月拒否し続けた国会が閉会した。議論を封じる・逃げる、都合の悪いデータは改ざんする、公文書は破棄する、さらには逆らう者には狙い撃ちのように報復するという政権運営を続けさせるのかどうか、判断は参院選で有権者に委ねられる。

新宿東南口では、参院選に向けて、立憲民主党の街頭演説会が開催された。2017年総選挙で、立ち上がったばかりの立憲民主党が演説会を開催した場所だ。 枝野代表は、「令和デモクラシー」に込めた、安倍政治に替わるポジティブなメッセージを、次のように訴えた。

人口減少と高齢化、価値観やライフスタイルの多様化、生活の不安定化が進み、国際社会も不透明さを増すなかで、様々な課題を可能性に変え、未来を切りひらくための価値観と社会のあり方の転換をするための政策を、「ボトムアップ経済への転換」「多様性を力にする社会への転換」「参加型社会への転換」の3つのパラダイムシフトとして示しました。

東京選挙区および比例代表の候補予定者には、こうしたメッセージを体現する人材がそろった。ロスジェネ世代、ボイパの保育士、障がい者、LGBT、セクハラ・サバイバー、女性・・・ それぞれが、「制度の外」の問題に当事者として声をあげ、「あなたの問題は私の問題です、そして私たちみんなの問題ですよね」という共感を呼び起こす。

今回の参院選は、政治分野における男女共同参画推進法(候補者男女均等法)が成立してはじめての国政選挙となる。女性国会議員比率が世界193カ国中165位という日本の現状は、政治の場が社会の現実とかけ離れていることを端的に表している。

立憲民主党の候補予定者の女性比率は45パーセントを達成したとのこと。

社会の現実とかけ離れた国会の風景を変えるための一票を!

香港の自由を守れ

「逃亡犯引渡し」条例に反対して、香港では100万人ともいわれる抗議デモが展開されている。雨傘運動のときの若者はもとより、従業員のデモ参加のための休業を会社が認めるなど、抗議行動がかつてない広がりを見せているのは、逃亡犯の引渡し先に中国本土も含まれているからだ。

 銅鑼湾書店主の「失踪」事件は記憶に新しい。この条例ができれば、民主活動家や人権活動家が罪をでっちあげられて、中国本土に引き渡されることもありうる。  一国二制度の建て前で、曲がりなりにもあった香港の「言論の自由」がねじ伏せられようとしている。雨傘運動は「まだ手にしていない」普通選挙を求めたが、今度は「今ある自由」を奪われようとしている、というところに香港の人々の深い危機感がある。

 雨傘運動をねじ伏せて成立した現在の香港行政府の対応は、さらに苛烈なものになっている。ニュースやツイッターには、催涙弾やゴム弾に立ち向かう若者や負傷した人々の姿があふれている。

「日本人も関心を持って!」という香港の人々の呼びかけに応えて、6月13日、香港の自由と民主主義を守る緊急行動」が行われた。前日夜、ツイッターでの呼びかけにもかかわらず、夕方の香港経済貿易代表部前には約300人(写真は始まったばかりのところ、次第に人が増えていった)が、夜2100からの渋谷ハチ公前には2500人が集まった。

 訴えの多くは、香港にゆかりのある人たちから。「顔のみえる」関係を思いやりながらのスピーチに、自由や民主主義を求める東アジアの連帯を思う。香港からの留学生やビジネスパーソンの参加には、かなり勇気がいっただろう。催涙弾が飛んでこない私たちは、彼らの分も声を上げて励ますとともに、香港行政府さらには中国に対しても、強硬手段については国際社会が厳しく注視していることを示さなければならない。 

埼玉政経セミナー主催のシンポ「「我ら統一地方選挙をかく戦う」を開催

 埼玉政経セミナー主催のシンポ「「我ら統一地方選挙をかく戦う」を開催 5月25日(土)、越谷市中央市民会館を会場に、埼玉政経セミナー主催の「市民が設定する市議選挙の争点とは パート5」として「我ら統一地方選挙をかく戦う」が開催され、議員や市民など約20名が参加した。

討論の柱として@何故立候補したのか、(市民は何故応援したのか)A選挙のスタイルはどうしたのか(旧来とのスタイルとの対比)B公約・マニフェストの策定及び伝え方はどうしたのか(争点設定を含めて)C選挙運動の以前、最中、選挙後議員と市民との関係はどのように深まったか等の観点から論議が展開された。

市民団体代表の吉田理子さんが司会を担当し、殆どの市民は、このままでは社会も生活も未来も迎えることが出来ないだろうと、感じている。この共通認識の中で、どの様な未来社会を作り出すのか、問題意識の共有化を図って行きたい、と挨拶から開始。

政経セミナー代表の白川秀嗣越谷市議の挨拶。

今回の市議選挙の特徴は、史上最低の低投票率(全国平均は46%、越谷市は35%)と、都市部の複数定数の選挙区でも無投票が目立ち、また相変わらず選挙期間中の候補者による名前の連呼と検証出来ない抽象的なスローガンが喧伝された。 今回から、選挙期間中に法定ビラを有権者に配布出来る様になったのは、大きな前進ではあるが、各候補者の政策、特に現職候補者は4年前の公約の検証(実現出来た公約だけでなく、実現出来なかった公約を含め)を掲載している者は極めて少数だった。 そのため、低投票率と政治不信がさらに広がった。今日のシンポではこの様な状況から選挙公約をテーマとして市民と議員、行政との関係性をどの様に変えて行くのか話し合いたい、と強調された。

パネラーには越谷市在住で脱サラで農業を営む岡田英夫さん、さいたま市議に初当選した出雲けいこ市議、コメンテーターに埼玉大学の財政学者の高端正幸先生、千葉県野田市の前市長の根本崇さんを含め5人の発言を中心に論議された。

出雲市議は、立候補の理由として前回投票した市議と選挙後意見交換してみてがっかりしたことから、自分がやった方がいいと思い立候補した、と。  吉田さんや岡田さんは政経セミナーの活動の中で市民間討議を通じて今回の市議選に向けて市民マニフェストを、約半年をかけて作成し市民マニフェスト(市民が創る、地域の未来2019)の発表会も開催した。 これまでの様に政党や候補者だけで策定されるマニフェストでは、市民は常に選ぶ側に立たされ、マニフェストは与えられるものとなっている状況を変えようとしたと発言。 さらに、岡田さんは人口減少時代に山積する地域問題の解決ための政策を実行するには、市民税や固定資産税による増税で財源を示すべきだと訴えたことを報告された。

これに対し高端先生からは、スウェーデンの例を挙げて、政党が減税政策を出した時には、有権者からは公共サービスの何を削減するのかと批判が出てくる。 日本での税金は払いっぱなしで、自分たちの生活には反映されないという意識をどう乗り越えていくのか、国政でも自治体でも大きなテーマだ、と発言された。

根本前野田市長からは、地方の議員のなり手不足の原因の一つは報酬が低く、また議員年金廃止によって若い候補者が立候補出来る条件が整備されていない、と発言された。 これらの発言受けて全体の討議に入った。 出雲議員は、選挙期間中に公園で花見に来ていた子どもづれのママ達に、グループ毎に端から順次話し掛けていった。話題は算数セットの共有や地震の際、学校で子ども達が上履きを使用していると、靴入れが倒おれ避難の遅滞や危険性があるので、土足にする、と話した。 これに対し算数セットは全員が賛成してもらえたが、土足の方は賛否が分かれた。 そのため、当選した後賛否が分かれる公約の実現には、市民への説明や共通認識の涵養とともに、議会での多数化の形成が必要となるため、そのためのマネージ力が試される、との指摘があった。

また、今回同じ様に初当選した野々口白岡市議からは、そもそも立候補するには若すぎるし、女性ではだめだと回りから苦言されたが、解決すべき地域課題も見えていたので立候補したと発言された。  この様な話を受けて会場からは、主権者教育を始め行政による日常の運用は、市民の新しい提案や参加に対して形式的な対応が目立つことが話題となった。

 野田市ではすでに常設型の住民投票条例を制定しているものの、市民の関心は薄く活用されていない状況が報告され、条例制定もその運用も市民が参加し、納得していくプロセスが大切であることが全体化された。

自治の当事者性の涵養を進める中で、暮らしの問題をマニフェストに落とし込み、地域の政策として解決するためも増税も視野に入れないと制度設計や運用はできないという現実に直面している。 その観点がなければ目の前の問題を私事として政治家に頼み、依存と分配のスパイラルに陥る。加えて、暮らしの問題を地域の政策として普遍化して実現するにも周囲の人々の意識改革を進め、多数派工作も必要であり、そのために自治基本条例を使いこなすなど様々な策を講じる必要があることが議論された。

最後に白川代表から、地域の困りごとに向き合うためには、まず市民自身が自分ごとから私たちごとにして行く事が大切。そのためには議員や行政との話し合いをすることから始め、解決に向けた小さな成功体験を通して、市民が受益感を持つ場面を多くつくりだしましょう、との呼びかけで集約となった。

シンポ終了後、参加した議員や市民と懇親会が開催され、7月の参議院選挙や8月の埼玉県知事選挙に向けて、より一層市民同士の連携を強化することを確認した。  次回は7月に「参議院選挙・埼玉県知事選に臨む、市民の責任」(仮題)をテーマにしたものを準備中。

外交・安全保障 シンポジウムを開催

2017年12月以来となる外交・安全保障をテーマとするシンポジウムを開催(4月14日)。

米中の「戦略的競争」関係が、安全保障のみならず経済、技術、価値観などにも及ぶ一方、ヨーロッパではイギリスのEU離脱や各国内で反移民感情が高まるなど、これまでの国際秩序は大きく揺らいでいる。このなかでわが国はどう生きていくか。同時にこの時期、われわれの社会は「2020後」(人口減少時代)という課題にも直面する。

自由で開かれたリベラルな国際秩序と言われる戦後国際秩序。日本は、その恩恵をもっとも享受してきた国の一つであることは間違いない。これを消費するだけに終わるのか、その担い手として何か役割が果たせるのか、という観点も含めて議論を進めて行きたいとの開催趣旨。

冒頭でまず、中西寛・京都大学教授より講演。現在の行き詰まりを歴史的に考察するものとして、冷戦終結を「自由主義の勝利」とした驕り≠フツケを今払いつつ、先行きが見えないため、とりあえず現状をなんとか維持しようとしているのが現在で、それも限界を迎えつつあるかもしれないとの提起。(「日本再生」480号に掲載)

バネルディスカッションは中西先生、川島真・東大教授、遠藤乾・北海道大学教授、大庭三枝・東京理科大学教授、佐橋亮・東大准教授という錚々たる顔ぶれ。最初の中西先生の提起をめぐる議論をはじめ、米中関係を軸に日本の立ち位置まで、これまでにも増して奥行きのある議論となった。(「日本再生」481号に掲載予定)

埼玉政経セミナー「私たちが創る、地域の未来」―2019統一地方選挙に向けて

埼玉政経セミナーが主催する「私たちが創る、地域の未来」―2019統一地方選挙に向けてー」の発表会が、3月17日(日)13時30分から17時まで、越谷市市民活動支援センターで開催された。  コーディネーターには政経セミナー代表の白川秀嗣議員、コメンテーターには法政大学の廣瀬克哉教授、パネリストには市民団体フラットの岡田さん、白岡市で活動している中野さん、春日部市で活動している吉田さん、山中啓之松戸市議。インターンの学生、高校生など若者の参加者を含め、会場には約30名が参加。

 これまでの政策に基づく数値や工程表を盛り込んだマニフェストではなく、コミュニケーションツールとしてのマニフェストを掲げ、埼玉政経セミナーの政策思想の軸を示したマニフェストに昇華させた内容の発表となった。 特に、「市民が設定する市議選挙の争点とは」をメインテーマに昨年より、3回にわたる特別講座の開催と並行して約半年間にわたり市民間討議を重ねた賜物である。

 発表会では自治基本条例、総合振興計画、社会保障、エネルギー・防災問題、議会改革の5点について、参加と対話を通じて住民自治への当事者性の涵養を促すという観点からのパネラーによる発表と廣瀬先生からのコメントが行われた。

 議論が集中したのは議員定数削減についてであり、議員定数削減を進めることと、廣瀬先生が指摘した、議会を活性化させる多様な「外れ値」になる議員を構成する議会の両立が難しいことが論じられた。それ故に、議員の定数は住民が議員を評価する中で決まっていくものであり、一概に人口比などで決めるべきではないという方向性が確認された。

また、増税についても議論がなされ、必要な社会保障や教育には増税は必要であることが強調され、財源としての増税と所得制限の撤廃による普遍的な社会保障の負担と給付についても議論された。

 その後の参加者とパネリストの議論では、参加した高校生たちが自分たちの学生生活の実感から、「対話や参加を促されても、それに伴う内面が自分たちも足りていないが、大人たちには十分な内面(価値観を持っているのか)があるのか」と疑問を呈する発言が目立った。これに対して参加した大人たちの側が答えに窮するという場面や、もう少し具体的に発言するように“指摘”するなど、特に団塊の男性が全く若者の状況に日ごろから関心がない現実も浮上した。

 その中でも廣瀬先生は、内面のない大人が政権や企業の中枢にいるようになってしまうと大変であり、そうならないようにしていく活動を市民自身が引き受ける大切さを強調された。

埼玉政経セミナーの今回のマニフェストは、埼玉県内の自治の現場で課題に直面しているすべての人々に、気づきと動機付けためのコミュニケーションツールとして活用されていくことを訴えて閉会した。その後に開催された懇親では廣瀬教授も参加し、4月の統一地方選挙を主権者運動として取り組んで行くことを全員で確認した。

ほりぞえ健 市政報告会

3月13日、川崎市高津区で堀添川崎市議の「市政報告会」が開催され、自治会をはじめ100名を超える方々が参加されました。

集会は演壇の堀添議員と参加者が一体となって集中した雰囲気で終始しました。

堀添市議は、川崎市も財政的には非常に厳しくなっていること、7つの区の抱えている課題が異なる中、市の優先順位を決めるのはかなり難しいこと。だからこそ、区毎に議会と住民が集まって身近な区で優先順位を決める場が重要であること、安心して暮らせる地域を作る為に全力をつくしたいと言う演説は参加者の心に響き、熱い拍手で受け止められました。

誇りうる京都の未来のために!

3月3日、毎春恒例の「おんづか功 市政フォーラム」をグランドプリンスホテル京都で開催。市会議員5期目にのぞむ、事実上の決起集会になった。

自身5度目になるマニフェスト「誇りうる京都の未来のために!」の3つの柱は、1、誰もが住み続けたい「まち」づくり、2、誰もが希望の持てる「まち」づくり、3、誰もが好きでいられる「まち」づくり。

2003年の一期目でかかげたのは、「グリーンマニフェスト」つまり、さまざまな政策のもつ環境負荷を最小にするという「政策の判断基準」を示したもの。この基準は、今回のマニフェストにも「環境負荷低減を前提にした市政運営」として、脈々と継承されている。

2007年からは、民主党京都府連としての統一マニフェスト「京都スタイル」を、東日本大震災直後の2011年統一地方選、そして2015年と主導してきた(2014年、京都スタイルのマニフェストサイクルが評価され「マニフェスト大賞」受賞)。

「誇りうる京都の未来のために!これが私の議員としての心情です。もちろん、個人としての心情もありますが、議員としては、私たちが住まいするこの京都を、誰もがいつまでも住み続けたいと思え、またこれまで培ってこられた京都に対する誇りを、これからも持ち続けることができる`まち`として発展させたい。そのために、今を大切にして取り組むべきこと、将来の京都のために取り組むべきこと、何れにもしっかりと向き合っていかなくてはならないと考えています」

「しかし、地球温暖化に起因するとされる昨今の気象変化は、京都を変貌させようとしています。また、少子高齢化による労働人口の減少は、これまでのように市債に頼る市政運営の限界を突きつけています。このように、これまで経験したことのない社会環境が日本を、そして京都を襲います。一方で、AIの急速な発展が社会構造を根本から変革することは間違いありません。これらのことを予見しながら、既成概念にとらわれることなく、新たな取り組みを進めることで、京都が持つ潜在能力を引き出し、分断がなく、市民の満足度が高い自治体に変えていくことは可能であると考えています」

とくに共感したのは「クリエイティブ型経済都市に向けた取り組み」。フローとしての観光客増追求から、人的資産(人財)を引き付けることのできる魅力ある`まち`づくりへの転換でもある。米旅行雑誌「ワールドベストアワード2014・2015連続1位」の一方ですすむのは、日本人宿泊客の京都離れ。昨年の京都市内主要ホテルの日本人宿泊客実数は前年比9.4%減で、四年連続のマイナスになった。明治の東京遷都による空洞化を、琵琶湖疎水と蹴上水力発電所の電力事業で克服しようとしたような、都市経営〜産業自治の思想の回復が問われる

全京都建設協同組合「新年組合員交流会」で戸田代表が挨拶

1月18日、京都市内で「信頼の組織!住民と共に歩む 協同の力」を掲げ、全京都建設協同組合・新年組合員交流会が開催された。

冒頭、建設組合にふさわしく、新年の祝儀を兼ねた木遣り(きやり)唄を、洛中支部の組合員有志でつくる「京都木遣り会」が披露。 田中守代表理事から「昨年の自然災害の教訓からも、今年は住民や他団体との協同を積極的に進めたい」と新年の抱負が語られたあと、来賓を代表して、戸田政康「がんばろう、日本!」国民協議会代表が挨拶。

民主主義社会では日々の凡庸の努力が欠かせない。「平成」は日本が初めて自ら戦争の当事者にならなかった30年であり、その意味(この30年をどう語っていくか)はきわめて重い。「グローバル化×新自由主義×デジタル化」を推し進めるのか、その歪みやひずみを是正し民主主義のバージョンアップをはかっていくのか、問題提起された。

交流会では、100名を超える組合員(工務店、大工・左官など中小規模の京都府下建設業者約300社が参加する事業協同組合。1955年の創設以来63年の歴史をもつ)を中心に、「新年くじ引き大会」のアトラクションを挟み、新組合員の紹介や青年部への勧誘など活発な懇親が行われた。 「人が集まる魅力ある建設業界にしたい」との、宮下茂一副理事長の閉会挨拶の後、田中宏樹副理事長の一丁締めで二時間にわたる会を終えた。

「がんばろう、日本!」国民協議会第九回大会を開催

1月6日、「がんばろう、日本!」国民協議会第九回大会を開催。第八回大会から約三年半ぶりの開催となる。この間の国内外での「多数決民主主義」やポピュリズムの台頭など、いわゆる「民主主義の危機」は、ある人々には「あきらめ」や無力感を強いるものかもしれないが、ある人々にとっては「民主主義のイノベーション」に向けた課題やチャンスを明らかにする契機となっている。 こうした主体状況からさらに前へ踏み出すべく、第九回大会は開催された。記念シンポジウムのタイトルは「『2020後』にむけて 立憲デモクラシー(議論による統治)か、立憲的独裁か〜国民主権で統治機構を作りこんでいくプロセスへ」

第一部は講演&問題提起。吉田徹・北海道大学教授からは、「『民主主義の〈赤字〉』をいかに解消するのか〜民主主義政治のイノヴェーションに向けて」とのタイトルで、民主主義の劣化の要因とともに、イノベーションに向けた課題として「〈代表〉の新たな経路をつくる」こと、とりわけ自治の領域において、「自治能力の『選出』ではなく、能力の形成を可能にする制度設計」にむけて、民主主義の赤字=自治の空洞化をむしろ貴貨として捉えることで提起された。

諸富徹・京都大学教授からは、「人口減少時代の都市経営と住民自治」とのタイトルで、人口減少下の都市を自ら「経営」していくという、自治体にとっても市民にとってもチャレンジング、かつイノベーティブな方向性が提起された。ドイツのシュタットベルケにならった日本版シュタットベルケによるエネルギー自治の試みや、熱海市における財政危機からの再生への取り組みなど、人口減少をむしろ自治の新たなチャンスととらえる実例に基づく提起となった。

第二部は、吉田先生、諸富先生に加えて、廣瀬克哉・法政大学教授、山本龍彦・慶應大学教授、松本武洋・和光市長によるパネルディスカッション。AIと民主主義、AIと自治、水道民営化、PFI、EBPM(エビデンスに基づく政策立案)とPBEM(政策に合致したエビデンスづくり=恣意的な統計≒でっち上げ、ですな)、熟議民主主義など、パネラーの間で多様な論点、切り口が交わされていく議論は、さながら迫力に満ちたラリーのようだった。

閉会に際しては、会場の地方議員会員、候補予定者とともに、以下の「2019年統一地方選にむけたよびかけ」を行った。

2019年 統一地方選にむけたよびかけ

はじめに

「2020後」という問題設定は、本格的な人口減少社会の到来にどう向き合うか、その当事者性をどう準備できるか、ということにほかなりません。人口減少は、ある日突然訪れる危機ではなく予見しうる事態だからこそ、事実に向き合う当事者性が問われます。 2019年統一地方選をはじめ各地の自治体選挙を、「2020後」を生き抜く自治力を涵養する場とするために、以下のことを呼びかけます。 もとより地域の課題は多様であり、その課題を共有するための社会関係資本のあり方もまた多様です。その多様性を前提に、課題を共有するところに生まれる公共性=共有地を、より豊かなものへと耕していくための基本的な視点を提起し、共有したいと思います。

【1】人口減少時代の合意形成への視点を

人口減少時代には、これまでの拡大基調から縮小・減退基調への転換が問われることは、言うまでもありません。「あれも、これも」から「あれか、これか」、「何をあきらめるか」と言われる所以です。 問題は、この転換を経済合理性や効率、選択と集中などの「市場の論理」「行財政改革の論理」で行うのか、それとも「民主主義」「自治」の論理で行うのか。この価値軸を持ちたいと思います。

少なくない人々が、地域の持続可能性に漠然とした不安を持ちつつあるなかで提起されるべき議論は、経済合理性からの「あれか、これか」ではなく、何のために何をカットするのか、絶対に譲れない領域は何か、あるいは何を守るためには負担増という選択肢も選ぶのか、というような議論でしょう。 こうした議論を提起し、市民に開かれた議論を展開することこそ、議会の重要な役割だと考えます。

【2】議員(候補者)に求められる「審査員としての構え」

議会において前記のような議論が行われるためには、多様な視点を反映する多様な議員が求められます。言い換えれば議員(候補者)に求められるのは、市民の多様な視点を反映するとともに、どういう視点や基準で議論を展開し判断するかという「審査員としての構え」です。 議会のもっとも重要な権限は自治体の「団体意思の決定」です。その決定の審査過程(議事)における審査員としてのポイントを明らかにすることは、それぞれの候補者の政策志向とともに、有権者にとって重要な判断材料になるはずですし、そうしたいと思います。

「あれか、これか」といっても優先順位はさまざまです。企業であれば市場の論理で決められますが、地域経営はそうはいきません。さまざまな利害を表出させつつ、議論を通じて優先順位を決めていくためには、「自分は財政の視点から審査する」、「自分は子育ての視点から審査する」、「自分は産業自治の視点から審査する」など、多様な審査の視点が不可欠です。審査過程を担う審査員としての構えを(誰とともに審査するのか、も含め)有権者に提示しようではありませんか。

【3】課題を共有する場としての選挙へ

人口減少時代の地域経営は、「選挙で勝てば、後は何でも決められる」というトップダウンでは立ち行きません。何のために何をカットするのか、絶対に譲れない領域は何か、あるいは何を守るためには負担増という選択肢も選ぶのか、といった議論の場としての議会にするためには、その議員を選ぶ選挙も「選挙で選ばれれば、後はお任せ」の白紙委任ではなく、地域の課題を共有する場とすべきです。

言い換えれば、選挙を地域の利害や意見の違いを「数で決着つける」場ではなく、さまざな地域の課題が提起され、それらを共有していくための場へとつくりかえることです。公約やマニフェスト、審査員としての構えについても、市民との共同作業を通じて、課題を共有する当事者性を涵養しようではありませんか。 課題を共有するところに公共はうまれます。選挙を通じてそうした共有地≠つくりだし、選挙後も耕し続けることで、「2020後」を生き抜く自治の力を生み出そうではありませんか。

2019年1月6日 「がんばろう、日本!」国民協議会 第九回大会

関西政経セミナー特別講演会&望年会を開催を

12月6日、年末恒例の関西政経セミナー特別講演会&望年会を開催。 隠塚功・京都市会議員の主催者挨拶のあと、昨年につづいて中西寛・京都大学教授から「米中戦略的競争関係と東アジアを考える」問題提起。

中西先生が指摘した今年の東アジア情勢にかかわる「二つの衝撃」は、いずれも米朝・米中関係に関するもので、6月12日のシンガポール米朝首脳会談と10月4日のペンス副大統領演説。 まずシンガポール会談実現のプロセスで重要なのは、「経済制裁が対話の道を開いた」というのは根拠のない俗説であること。北朝鮮経済の実態は政府に頼らない民間闇(ヤミ)経済であり、核開発に使う金も世界に張り巡らされたアンダーグラウンド経済を利用して調達する仕組になっている。わずか数カ月程度の経済制裁が、北の政府が態度を変えることはない。もう一つの注目点は、CIAの長官から4月に国務長官に就任したポンペオ氏が早い時点で金正恩委員長の意志を掴んでいて、トランプ大統領を米朝会談実現に向かわせたこと。情報と意思決定のチャンネルが大きく変化している。

一方の米中関係。ペンス演説は経済の側面からだけでなく、「習近平・中国」の体制と体質そのものを問題とした。戦後冷戦の米ソ関係と今日の「米中新冷戦」と言われる状況は、経済のつながりにおいて根本的に異なる。英の「合意なきEUからの離脱」の比ではない、世界経済への大打撃が考えられる。日本にとっては、韓国や北朝鮮、ロシアとどういう関係を持つのか、自立した思考が求められる。中西先生は、そのような中で日本国内の経済社会の健全性の問題に、非常に大きなリスクがあることを指摘された。

望年会に移り、戸田代表からの冒頭発言。「民主主義観が変わると、プレーヤーも変わる。『冷戦』の意味も変わると中西先生は強調しました。日本は官邸外交だが、実際は外務省への丸投げ。既存の行政権力依存では縛りも効かない。制度の内側から変革の要素はでない。民主主義観の歴史的転換の時期には、問いの立て方が決定的になる。民主主義観の転換で、選挙も変わる。多様な民意をいかに議会に反映するか、一つの価値基準に一元的に管理する〜切り捨てるのか。リーダーシップもフォロワーシップも変わります。行政の序列としての『権限』のリーダーシップか、フラットな多様性の関係をコーディネートするのか」

今江政彦・滋賀県議の乾杯のあいさつの後、宮小路康文・長岡京市議、山本ひろふみ・京都市議、来年の統一地方選に初挑戦の、戸山昌宏・京都市会選挙予定候補、小川直人・八幡市議選挙予定候補、大阪読者会、京都読者会などから、来年に向けた抱負が語られた。当日東京出張中の門川大作・京都市長、田中誠太・八尾市長、福山哲郎・参議院議員、尾立源幸・元参議院議員からもメッセージが寄せられた。

(文責・杉原卓治)

保守化?する若者たち〜民主主義観の次世代への継承を

8月23日京都で、戸田代表を囲む会を開催。山田昌弘・中央大学教授の講演「保守化?する、若者たち」の後、活発な質疑応答が行われた。

冒頭、山田先生から「そもそも若い人たちが、自分たちにとって望ましい社会とは何かをイメージできなくなってきている」という本質的問題が提起され、学生へのインタビュー映像から、「現状に不満はないが、将来は不安だらけ」、つまり現状に満足しているが、将来に悲観的で夢をもてない、という大学生の現状が明らかにされた。さらに「(学歴の高い若者に)公正や平等というような普遍的価値や、社会全体を発展させなきゃという意識はあまりなく、私と私の家族、友達が幸せであれば満足」「将来の不安は社会の制度で解決するというよりも自分で解決する」という若者像が提示された(山田先生の現状分析と課題提起については、『日本再生』470号の東京・戸田代表を囲む会の記事を参照)。

「恵まれた三分の二と恵まれない三分の一の分断が進んでいる。恵まれた三分の二も余裕がないので、三分の一のことは考えない」「三分の一は連帯のしようがない」という分析と共に「地域社会が、若い人にとってだんだん意味がなくなってきている」「連帯の場がない」「活力ある若者は海外に活路を求める」という指摘は、社会にとって衝撃的。

質疑に入り、まず出版会社勤務の労組役員60代から。「労働組合の組織率低下、地域と人のつながりの希薄化を日々実感している。『保守化“?”』が重要。今日のお話を聴いて、保守というより保身ではないのかと思った」「責任と権利をきっちりとらえて生きていく民主的国民が多くないと、社会が持たない。若者だけの問題ではなく、社会的な連帯の場はどうしたらつくれるのか」「新聞は見たくもないことまで目に入る。SNSでは自分のお気に入りだけで、見たくないものは見なくて済む。印象や現象でなく、事実とその本質が問題」

泉健太衆議事務所でインターンをする20歳の学生。「今の若者は、安定といっても職業や結婚、カネという、物質的な安心感を求めている傾向が強いと思う。もう一つの対極の軸や視点が増えたら変わっていくのではないか。それは、精神性や人間性だと思う。AIの時代に入ると、人間だからできることの部分が大事になる」「今の教師は、ベンチャー企業にリスクをとって投資してきたような人ではなく、安定を求めてきた人。教育はここから変えないといけない」「あきらめている若者が多いことがいちばんの問題。活力そのものがない。ネガティブなイメージの、働くこと自体が楽しくなったらよくなるのでは」

67歳女性「自分さえよかったらいいという人が増えている。しかし、目に見えない人たちの力によって救われていることが結構多い。人は生かされていると、この歳になって思う。年配者もあきらめないで、若い人たちと人間であるということの意味を話し合い、声をかけ続けることが大切ではないか。毎日それを実行している」

最後に、戸田代表のまとめ。

若者論〜「今の若者をどう思うか」。民主主義を次の世代―子どもや孫の世代にも継承せないかん、という民主主義観が日本でも生まれた。「民主主義は単純な多数決ではないよね」、合意形成や議論のプロセスを大切にする、そこから見て「安倍さんにはそもそも議論する意志はない」ということがわかってきた。これは大きな前進。同時に「安倍さんは保守ではない」ということも、立憲民主主義を深めないかんという部分が言い出した。「自分の原点の民主主義を守る」では、子や孫の世代に継承はできない、多様な民主主義観があるんだということがわかってきた。たとえば、立憲民主党の綱領の中には「多様性、包摂性、持続可能性」が入るようになった。直接体験や間接体験の延長では「民主主義では何も変わらなかったではないか」となる。これが、ファシズムの基盤。今までの日本の民主主義には「奴らを通すな!」という基準がなかった。民主主義を次の世代につなぐところから、日本の若者の主体基盤の形成も始まっていく。

(文責・杉原卓治)

対テロ戦争の時代の戦争と平和のリアル

4月の囲む会は、テロの時代の戦争と平和のリアルについて。

柳澤協二氏(4/9)は「平和に生きるための戦争学の視点から」と題して。

【平和に生きるための戦争学とは】

今日は「戦争危機と日本の安全」ということで、お話ししたいと思います。なぜ「平和に生きるための戦争学の視点から」というサブタイトルをつけているか。今は日本人がかなり戦争の危機を感じている時期だと思うんです。そこで「国が危ないなら、憲法変えてもいいじゃん」みたいな話になってしまう。これを相手にするのは、なかなか容易ではないと思っているんです。「護憲」とだけ言っていても、背景にある「本当に戦争になったら怖いから、憲法でも何でも変えたっていいじゃないか」という流れは変えられない。そこをどう考えていくかということで、今戦争学というものを勉強しています。

〜中略〜 戦争学というと、「どうやって戦争に勝つか」という話になりがちですが、むしろ軍隊をどう使うかという意味での、政治の課題としての戦争学です。したがって、目的達成のために適切な手段は何かを政治が考えなければいけない、それは戦争以外にもあるだろうと。その戦争以外の道を、少なくとも日本は今まで選んできたわけですし、今後も選び続けてはいけないのかと。そういう問題の立て方をしたいと思って、こういう副題になっています。(「日本再生」468号より)

「国が危ないなら、憲法変えてもいいじゃん」の背景にある、戦争のリアルの欠如。または現実世界の「生きにくさ」や「希望の見えなさ」と、それに対するリアリティーの欠如。

イラク派遣時の責任者の一人として、政策決定者は「死者が出たらどうするか」について臆病であるべきで、それに知らんぷりをする卑怯者になるべきではない、と言う柳澤氏。日報は、自衛隊にとっても国民にとっても貴重な教訓であり、これは単なる公文書管理の問題にとどまるものでなく、隊員の命がけの任務をあまりにも軽視していると。 テロの時代の戦争と平和のリアルが、あまりにも欠如しているといわざるをえない

国際NGO、日本ボランティアセンターの谷山博史氏(4/20)は、イラク、アフガンなど、対テロ戦争で攻撃される人々の側から、戦争と平和のリアルを語る。

対テロ戦争が平和ではなく戦争のドロ沼化、より頑なな原理主義を生み出していること。「テロ」も「対テロ」も、分断を生む他者とのかかわりという点では「共犯」関係にあり、この関係性を乗り越える「たゆまない対話の連続」=非戦というかかわりが、イラクやアフガンのリアルを踏まえて提起された。(「日本再生」469号 6/1 掲載予定)

憲法改正の論じかた

4月23日、第33回戸田代表を囲む会in京都を開催。 「憲法改正の論じかた/立憲的な憲法改正の論じかた・非立憲的な憲法改正の論じかた」をテーマに、曽我部真裕・京都大学教授から「統治機構を見る視点」を中心に、問題提起をうけた。

〇90年代の統治構造改革の目的は「忘れ去られた」のか?

国民主権の発展として憲法改正を論じるために、避けて通ることのできないのは「小選挙区制導入による選挙制度改革」「首相主導の政策決定を目指した内閣機能の強化(中央省庁の1府12省への再編)」を軸とした、「平成の統治機構改革」の総括だ。2001年の政府委員制度の廃止、2014年安倍政権下での内閣人事局の設置も「官僚主導から官邸主導へ」の流れの中にある。また、2009年の民主党マニフェストには「政治家主導」「政府・与党の一体化」「官邸主導」が明記され、政権交代が実現した。これら一連の統治構造改革の目的を、その当事者たる国民が「忘れ去った」結果、目的を失った制度が「安倍一強」を構造的に下支えしてきた(立憲民主主義とは真逆の目的に使われてきた)。

〇統治機構を見る基本的視点とは何か?

曽我部教授は、「立憲主義とは権力を縛るものという原則が強調されることが多いが、それだけでは十分ではない。現代国家では、社会や個人が抱える様々な課題の解決のために国家の活動が求められることも多い。権力は縛られる(統制力)以前に、迅速的確に行使されること(推進力)が必要」という。推進力としての官邸(内閣)に対し、統制力として国会が有効に機能しなければ、このバランスが崩れる。90年代以降、選挙制度や政府・行政に係る統治機構改革や地方分権改革、司法改革が行われてきたが、肝心の国会は本格的な改革の対象になっていない。国会に期待される役割は、立法機能、政府統制機能までは日本でも認識はされている。しかし、多様な民意を反映する機能についてはどうか?

〇多様な民意を反映する機能とは〜応答義務と公開性

多数決の民主主義と合意形成の民主主義の間は万里の長城で隔たれていない。社会の中に存在する少数派の意見を国会の場にインプットして問題提起すること、それ自体が重要だ。様々なマイノリティの問題に疎い日本(その正直な反映が国会議員)という批判のみならず、統治機構上の構造問題としてもとらえることが必要。社会における問題提起に政治が応答する仕組みとして示された、ホワイトハウスのホームページの「あなたの声をホワイトハウスに」は好例(ページに投稿された問題提起に、30日間で10万筆以上のオンライン署名が集まれば、ホワイトハウスが回答する。日本の請願法には請願への応答義務はない)。オープンな場で問題提起されることで、マイノリティの権利が社会に認知される。

立憲主義や法の支配は、まっとうな社会の前提であり、これを機能させ有効性を高めるのは、権力を構成する主権者たる国民の義務である。

 杉原卓治

立憲民主主義で語る、くらしと政治パート5

3月10日、越谷市中央市民会館の劇場で、立憲民主主義で語る、くらしと政治パート5が「野党共闘のこれからと市民参加」をテーマに開催された。 主催は、オール越谷市民アクション。

オープンセレモニーとして集会冒頭、弥栄ソーランチームの総勢20名を超える子ども達の演舞で、のっけから会場は大きく盛り上がった。 司会の松田典子越谷市議の開会あいさつに続き、3,11東日本大震災から7年目を明日に控え、参加者全員で鎮魂の1分間を呼びかけ、会場は一旦静かな空気となった。参加者はそれぞれのこれまでの7年間とこれからの未来に思いを馳せた。

主催者を代表して、石河秀夫弁護士のあいさつに続き、来賓の山川百合子衆議院議員(立憲民主党)と平野厚子草加市議(共産党)の挨拶。 続いてフィフクロ(埼玉15区市民と野党をつなぐ会)の市民6人が出演。 ブルゾンちえみ風のエンターテイメントで憲法改正問題等をコミカルにアピールしたことで更に会場の空気感が集中して行った。

その後パネリスト5人が登壇して「野党共闘のこれからと、市民参加」をテーマに100分のシンポジュームに入った。 パネリストは、政党を代表して、立憲民主党の北條智彦氏(東京13区候補者)、希望の党の小川淳也衆議院議員、日本共産党の梅村早江子氏(元衆議院議員)。 市民を代表して、辻仁美さん(安保関連法に反対するママの会@埼玉)と 高松久美子さん(埼玉15区市民と野党をつなぐ会)の二人でコーデネイターは白川秀嗣越谷市議。

まず、白川議員から今日のテーマ設定について、3点が提起された。 @これまでのシンポジューム開催の経過に触れ、シリーズとして今回を含め5回にわたり取り組んで来ており、第1回は2016年6月3日「衆議院選挙の臨む各野党の基本政策」(安保法制定を含む)をテーマとした。 第4回は、2017年4月1日「衆議院選挙における野党共闘と市民の責任」をテーマの当時民進党だった小川淳也議員を講師に「なぜ今野党が必要なのか」を提案して頂いた。 立憲民主主義の視点から市民が当事者として、政治や行政と市民参加の在り方を考えて行く企画として連続の集会となっている。

A先の衆議院選挙の結果の特徴として、憲法を改正しようとする政党が野党を含め国会の三分の二以上となった。また立憲民主主義を政党の綱領の基準とする政党が戦後初めて結党されたこと。公明党の比例票は、2000年以来の選挙から最低の698万票に留まり、また共産党は2014年からの600万票から440万票に減らしていること。しかし自公の合計得票数は2000年以来ほぼ2500万票で、野党の合計とそれほど変わらないこと。

B安倍政権の様々な立憲的独裁政治によって、ポスト55年体制の終わりの始まりとなり、これまでの護憲か改憲か、平和憲法か押し付け憲法かという二項対立的思考に終止符が打たれたこと。 この様な状況の中で、野党の役割とは何か、立憲民主主義の視点からこれまでの政策や合意形成がどう変わっていくのか、本日それぞれの立ち位置から議論を進めて行きたい、と提起があった。

これを受けて、それぞれのパネリストは、先の衆議院選挙での闘いの総括と見えてきた課題について話して頂いた。

 その中で論点となったのは、@国会での野党共闘を含めて、政権交代を目指す今日的な野党の役割とは何か。A安倍政権を変えて行くことを前提に、その後どの様な政治や社会を実現して行くのか。B日常の暮らしの中で起きている問題と政治の関連性をどう市民に伝えるのか。

@では北條氏から現政権を徹底的にチェックして行くこと、そして次回選挙での政権交代をめざし人材の発掘と育成の二つの役割が話された。 これに対して、小川議員からは民主党時代の政権運営に触れ、政権与党は与党議員のマネージを含め官僚をどう使い熟すのか、また国民に不人気の政策の実行も迫られるなど、野党時代とは大きく違っていた、と。 梅村氏からは、野党の連携によって共同提案の議員立法の議案をこの間、多く提案して来た実績を強調された。

Aでは梅村氏から、選挙時に各野党と市民の協定によって7つの政策が結ばれており、これを誠実に履行する責任があり、安倍政権を打倒したのちはこれを基本政策にして政権を運営していくべき、と話された。 北條氏からは、7つの基本政策を実現することは当然としても、政権公約として、野党各党によって政府を樹立することまでに至っておらず、今回の野党の再編過程の中で、詰めて行かなければならない課題ではないのか。また、それぞれが、それぞれの領域で最大限の活動を進めることを前提とすべきだ、発言された。

Bでは、辻氏、高松氏から、選挙を闘う中で野党が分裂状態に陥る中、野党共闘の進め方が、希望の党や共産党との関係で困難な事態が発生した。 それでも安倍政権に代わる政府を作ることを市民に訴えた。その中で日常の地域の問題をどの様に取り上げ、説明し、伝えるためのメッセージ力が試された。自公政権よりましな政府を選んで行きましょう、との合意を広げて行きたい、と強調された。

また、政党側のパネリストは、政党の基本的な見解や立場の説明とともに、これを実現して行く中での政治家個人としての悩みや苦悩が率直に話されたことから、市民側からこんなに人間臭い一面を聞くことが出来て、本当に有意義な討論だった、と発言が続いた。

これらの論議の締めくくりとして、白川議員から、立憲主義とは、憲法が権力行使を縛って行くことと同時に、その権力を形成していく普段の国民の責任のことも示している。 憲法改正問題を含め現在の安倍政権の立憲独裁は、官邸主導と言う専門化集団によって決定がなされる。戦前の軍部も同じ体質だったが、専門家集団によって決定のプロセスが閉ざされ、市民の参加は断絶される。 しかしこの反立憲主義に対して圧倒的な位置にある非立憲の政党や市民を、今後どの様にマネージして行くのか問われている。

これを実行する際の会話と対話の違いについて、会話は同質性が共通しておりどんなにレベルの高い集団でも低くても同じことであり、意見や立場が違う市民に対して対応が全く出来ない。その典型例が安倍総理であり、国会での答弁に見て取ることが出来る。 一方対話とは、意見や立場の違いを認めた上で、合意を図ることであり、その時にはより高いパブリック感を必要となる、と話された。

集会終了後、午後11時まで主催者とパネリスト全員で懇親会が開催されたが、異口同音に政党と市民がこんなにフラットに話し合える場に初めて参加することが出来た。 今後も、それぞれの地域で国会議員だけでなく、地方議員と市民によって地域の問題について話し合う場を作り出して行こう、と全員で確認した。

2017/1〜2017/12の《日記》はこちら
2016/1〜2016/12の《日記》はこちら
2015/1〜2015/12の《日記》はこちら
2013/11〜2014/12の《日記》はこちら
2013/1〜2013/08の《日記》はこちら
2012/1〜2012/12の《日記》はこちら
2011/1〜2011/12の《日記》はこちら
2010/1〜2010/12の《日記》はこちら
2009/1〜2009/12の《日記》はこちら
2008/1〜2008/12の《日記》はこちら
2006/12〜2007/12の《日記》はこちら
2006/1〜2006/11の《日記》はこちら
2005/1〜2005/12の《日記》はこちら
2004/5〜2004/12の《日記》はこちら
2003/9〜2004/4の《日記》はこちら
2003/2〜2003/9の《日記》はこちら
2002/7〜2003/1の《日記》はこちら
2001/11〜2002/5の《日記》はこちら