チェジュにて | ||
8月25日から27日、京都大学財政学研究会の夏合宿に参加して、韓国・チェジュ島に行く。 チェジュでは、スマートグリッド実証団地を見学。中東、ヨーロッパ、アメリカ、アジアなど、世界中でしのぎを削るイノベーションの最先端。 | ||
シンポジウム「自治分権の実現力を競う!」 | ||
8月10日、シンポジウム「自治分権の実現力を競う!」を開催。 第一部では、地方分権一括法から二十年を経て、「市民自治はどこまで来たか」。福嶋氏からは、本質問題に迫る鋭い問題提起。熊谷市長、松本市長、山中市長からは、それぞれの自治体での「市民を自治の主体者とする」ための取り組みが述べられた。諸富教授からは、自然エネルギーの分野においても「地域主体」で行くのか、住民以外の主体で行かざるをえないのか、正念場に来ていることが示された。 第二部では、介護保険を切り口に、「受益と負担」をいかに「見える化」し、市民の議論で決めていけるかをめぐって、市長の問題提起を受け、フロアの会員議員との議論が展開された。 人口減時代を迎え、「あれも、これも」ではなく「あれか、これか」が問われる時代には、市民が単なる受益者のままでは、「サービスはよこせ、負担は先送り」となり、将来世代に借金をつけ回すことになる。こうした「未来の搾取」をこれ以上、続けるわけにはいかない。まず、「受益と負担」を市民に明らかにし、市民の議論で決めていけるかが問われる。これは介護保険だけではなく、いっせいに更新期を迎える公共施設の問題などでも、否応なく直面する。 自治分権、市民自治の基盤整備も、次のステージに進みつつある。 | ||
「次のステージ」へ〜戸田代表を囲む会in京都を開催〜 | ||
8月6日、第21回戸田代表を囲む会in京都を66名の出席のもと開催。 当日は、諸富徹・京大教授をコーディネーターに、隠塚功・京都市会議員、上村崇・京都府議会議員、中小路健吾・京都府議会議員、泉健太・衆議院議員、戸田代表が、二大政党〜政権交代を目的化した民主党の役割は終わったという共通認識のもと、「次の政党政治のステージをどのようにつくるか」を論議。(福山哲郎参議は、参議院会長選挙のため欠席) まず「マニフェスト選挙の再考」(中小路議員)。有権者とのコミュニケ―ションツールとして、単なる政権選択から「地域レベルで受益と負担の関係を考慮したボトムアップ型の争点設定」(諸富教授)という複雑系の選択肢が問われる。 「政党は人材をどうつくるか」も重要な教訓。英国では政権運営経験ある野党を議会第二党という。「政権運営の失敗の教訓を今すぐ語れないことははっきりした。十年後には語れるか?十年一日の活動の蓄積が政党人を生む」(戸田代表) 「政策をまじめに有権者に訴えつづけている自治体議員」(隠塚議員)がいる以上、「3・11以降の投票箱に収まらない民意」とのコミュニケ―ションの教訓は「次のステージ」の基盤になる。 (文責・杉原) | ||
第20回「戸田代表を囲む会in京都」を開催 | ||
5月25日京都市内で「戸田代表を囲む会」を開催。 諸富先生の問題提起は「なぜ飯田市からイノベーティブな政策がうまれてくるのか」 ベースにある公民館活動は社会教育の場というみならず、自治機能と学習機能を備え「人を恒常的に育てる仕組み」として息づいていること。また法や制度による既存組織も、目的のためにつくりかえていくことはでき、「主権在民の公民館活動」の実証モデルを普遍化していく段階(議会の再定義、行政の再定義など)。 戸田代表のコメントでは、日本でも社会的イノベーションの構造は生まれつつある。住民自治の涵養は可能。依存と分配から「準備なき国民国家の崩壊」を迎える日本では、アベノミクスが創造的破壊の契機になる。問題は責任感=当事者性とスピードにあると強調された。 隠塚功・京都市会議員(市会副議長)からは「自治の力は直面する課題から逃げずに向き合い、しんどい協議を尽くすことからしか育たない」京都市でも、本気で地域の学校のためにという自活・自立の動きが始まっていると報告された。 池田光繁・全京都建設協同組合専務理事は、「従来の議会や行政への陳情から、地域のことを一緒に考えようというスタンスで京都府下の全自治体回りたい」と、自治の観点からの事業協同組合の再生の意思を表明。 持続可能性を生み出す普遍的価値=社会関係資本の蓄積のありようが討議を通じていっそう明らかになった。 | ||
ちば議員フォーラム | ||
「あれもこれもには応えられない財政、未来への責任ある選択への合意形成へ」と題して、三重県松阪市の山中光茂市長をお招きしたフォーラムを、総会の翌週、五月十八日に富里市にて開催。 第一部は山中市長の講演、第二部は我孫子市議会議員内田みえこさん、船橋市議会議員津曲俊明さん、富里市議会議員窪田優に山中市長を交えたパネルディスカッション。 | ||
14時間マラソン演説会 | |||||||
当初は事前の準備から当日の運営、事後の処理まで、殆ど白川議員が担当していました。しかし六年前の市会議員選挙後、所謂「白川ひでつぐ後援会」の解散から「チーム白川」の結成を通して、14時間マラソン演説会の主体は「チーム白川」に移行しました。そのため、近年は開催日の一か月前には「チーム白川」の中に実行委員会を立ち上げ、事前準備と運営を行っています。 その後は、白川議員の所属する会派のメンバーは勿論、超党派の議員や隣の松伏町会議員などの地方議員とともに非バッチの市民が、次々にマイクの前に立って切れ目なく駅前の演説が14時間続きます。 | |||||||
第124回 東京・戸田代表を囲む会 | |||
ともに東京学芸大学におられたころ、お二人にお出でいただいたことがあったが、それから早くもン年が。 (第65回定例講演会「若者―家族、教育、働くこと」2005年4月) そのころはまだ、非正規雇用はもっぱら若者の問題だったが、いまや「非正規」はすべての年代の雇用形態で、「当たり前」のことになりつつある。同時に定年延長や「40歳定年制」など、生涯現役で働き続けることができるような人生設計や、転職を普通のことにするような人生設計、キャリア形成も必要になっている。 働くこと、雇用形態がこれほど多様になっている時代に、旧態依然の労働法制や社会意識が完全にミスマッチとなり、その矛盾が噴出している現状について、それぞれ論点を整理していただいた。 | |||
慶応大学 小林ゼミにて講演 | ||
5月14日、慶応大学の小林節先生のゼミに招かれて講演。 てっきり憲法の話かと思っていたが、急遽、軌道修正。 最初と最後には全員で「起立、礼」と。さすがは小林先生のゼミ! 講演の内容は6月号に。 | ||
第七回大会第三回総会 | ||
5月11日、第七回大会第三回総会を開催。 キーワードは「実現力」。do action を突き抜ける実現力、そのために必要なスピード感。方向性一般ではなく、実現のための徹底したリアリズムであり「力」。 グローバル化とフラット化が加速的に進行するなかで、自由・民主主義の新しいステージが、自治の現場からその姿を明確にしつつある。 | ||
何かと話題の武雄市長にインタビュー | ||
5月9日、武雄市にて樋渡市長にインタビュー。その前に、武雄市図書館へ。 本題の市長インタビューのほうは、6月号を。 型破りとも見える樋渡市長だが、賛否を巻き起こしながら市民を巻き込んでいく、というアプローチは、本質的には山中・松阪市長、熊谷・千葉市長とも通じる。「愛の反対語は、嫌いではなく無関心。反対や批判は無関心ではない。批判されれば、それだけいいものができるのだから、反対、批判は大歓迎」という樋渡市長。 市民も、賛成、反対をただ言うだけではない。図書館を紹介した『図書館が街を創る。』(ネコ・パブリッシング)に登場する市民は、最初から「図書館民営化賛成」ではない。むしろ「反対」だ。それでも代官山TUTAYAを自分の目で見、若い人が期待するならと考え、だからこそ「反対していた人たちも『自分たちが反対したから、よりよいものになった』と思えるようにしよう」と行動する。 市民が無関心ではいられないようにする、という市長の作戦勝ちか? そういわれれば、きっと樋渡市長は「市民をこうしようとか、そんなことは考えていません。私が市民ならこうあってほしい、という私なりの最適解をその時々で提案しているだけ」と答えるだろう。 | ||
映画「異国に生きる〜日本のなかのビルマ人」 | ||
「囲む会」(「日本再生」390号)でもお話しいただいたことのある、ビルマ民主化運動活動家のチョウチョウソーさん。彼の生き様を追ったドキュメンタリー映画「異国に生きる〜日本の中のビルマ人」が、スーチーさん来日に合わせて公開されています。(舞台あいさつをするチョウさんと土井監督) 民主化運動に参加し、弾圧を逃れてやってきた日本。なかなか政治難民として認められず、生きるために苦労しながらも、祖国の民主化のために仲間とともに活動する日々。5年後、ようやく実現した妻の来日、14年ぶりに第三国で実現した父との再会。 3.11では、在日ビルマ人の仲間とともに4回にわたって東北に支援に赴いた。「自分の居場所ではない」日本でなぜそこまで?との問いに、チョウさんはこう答える。「困っている人がいれば、自分にできることをするのは当たり前」「人は自分のためだけに生きているのではない。社会のなかで生きているのだから」「日本社会への恩返し」と。 映画は、チョウさんのまっすぐな生き方を通して、日本人に「いかに生きるか」を問いかける。
「異国に生きる〜日本の中のビルマ人」http://doi-toshikuni.net/j/ikoku/#c1 4/25まで、ポレポレ東中野 http://www.mmjp.or.jp/pole2/にて。 札幌、大阪、名古屋でも順次公開。 | ||
やくそく旅行 | ||
やくそく旅行。それは被災地の子どもたちに「学びの場を」と活動するコラボスクールhttp://www.collabo-school.net/を卒業する中学3年生たちの「卒業旅行」。 大槌、女川の中3生たちが四人一組になって、「復興のために自分たちに何ができるか」を話し合い、その結果を発表する。 「人口流出」が課題と、われわれは簡単に一言で言うが、この子たちにとってそれは、仲のいい友だちとの別れだったりする。目の前で自宅が流され、大切な思い出が一瞬にして無くなる、という経験をしたうえで、なお、自分たちの可能性を信じ、感謝の気持ちを忘れずに、何かの役に立ちたいという彼ら。そんな子どもたちの未来に投資する社会にしたい。 やくそく旅行は、未来の自分との約束でもある。 以下はそのなかの一人、吉田美涼さんの手紙 【カタリバ メルマガより転載】 「十年後の自分へ」 今、この手紙を読んでいる君は何をしていますか。 十年後だから、私はもう25〜26歳になっているでしょう。 なぜなら、私は中学生活最後のこの「やくそく旅行」で、自分には、とてつもなく大きな無限の可能性が広がっているということを学んだからです。 今日の午後行うプレゼンのために、とても辛く大変なことが多い旅行でしたが、とても良いプレゼンができそうです。 どんなプレゼンをしたか覚えていますか? 一昨日に聞いたヤマト運輸の松本さんから聞いた“まごころ宅急便”から、注目される世代(ターゲット)だけに注目するのではなくて、新たな視点から、陰の部分にいるような人たちに光や希望を与えること、 そして昨日の「BIG ISSUE ビッグイシュー」というホームレスの方々を支援する方々やホームレスの方々を見て感じた「立ち上がらない人」と「立ち上がる人」と「立ち上がることを支援する人」の立場があること。 これらのヒントを参考に、“今、復興について、私たちができること”は大槌のためにはたらく大人達に「ありがとう」と「頑張れ」を言うことだと確信しています。 何が正解で何が間違いなのか、15歳の今の私にはわからないけれど、でも、今はこれでいいかなと思ったりもしています。 なぜなら、たくさんの意見があるからこその世の中だからです。 だから、25〜26歳の君にも、何でもいいから何か1つだけ、信念(できれば例がないような大きなことで、誰も考えつかないような、私にしかできないこと)を持って、その達成に向かって 歩んでいてほしいと望んでいます。 考え方とか夢とか、全然変わっているかもしれないし、過去の自分にあれやこれやと言われるのは嫌かもしれないけど、 今、3月20日、この時の私は、ぜひ将来の自分が誰かのために役に立つことをしていることを願います。 そして何よりも自分がやっていてやりがいを感じること、楽しいと思えること、その職業を自信を持っていること、そんなことが達成できていたら、喜びます!笑 でも、自分ならできると思います。 立ち向かって、くじけてもくじけても何回も立ち上がって頑張って前を向いて! 君の向かう先にはきっと明るい未来が待っています。 それがこの約束旅行を通して学んだ一番のことです。 こんな考えを持っていた自分のこと、どうか忘れないでください。 平成25年3月20日 吉田美涼 = = = = = = =【転載 終わり】= = = = = = = これまでのメルマガでもご案内した、3/20「やくそく旅行」発表会。 “震災復興のために、いま私たちができること”をグループ発表した後に生徒数名が代表した、この「十年後の手紙」を読み上げました。 ※映像は、音声や画像など多少粗いところもありますが、 以下からご覧になれます。 | ||
国民主権の発展という観点から憲法改正を考える | ||
第123回 東京・戸田代表を囲む会は、「国民主権の発展という観点から憲法改正を考える」と題して、小林節・慶応大学教授をゲストスピーカーにお迎えして開催。 小林教授は、憲法は主権者国民が権力者を統制、コントロールする道具であり、権力者による国民統治の手段ではないと、立憲主義の原則を明快に述べて、それが分かっていない安倍改憲論の危うさを具体的に指摘。同時に現行憲法が破綻していることは明白であるとして、国民主権による憲法改正について提起された。 憲法については、これまでは「護憲vs改憲」という枠でとらえられていたが、国民主権による改正vs国民主権を後退させる改悪、という議論の土俵ができつつあるということでもある。 一部に取りざたされている96条先行改憲論(憲法改正の発議要件の緩和)については、「最悪である」と。.主権者国民が権力者をしばる道具である以上、それは「うっとうしくて当たり前」であり(硬性でこそ憲法である)、改正要件の緩和は、主権者から権限を奪うものにほかならない。仮に96条改憲が発議されれば、国民投票法によって国民的議論にさらされることになるので、その議論で討ち取るべしと。 ただその場合は、憲法改正そのものがいったん腰折れになるのは避けられず、国民主権の発展の貴重な機会を失うことになる。その意味でも、96条先行論は最悪の愚策といわざるをえない。 | ||
あれから二年目の陸前高田 | ||||||
東北新幹線には、喪服姿の人たちがチラホラ。三回忌を迎えるのだろう。新幹線のなかも、観光ムードとは違う雰囲気が。 早めに到着して、追悼式会場へ。午前中は市民による追悼式が行われていた会場。若い人たちは、卒業して市外にいるのだろうか。友達は無事だったのだろうか。会場は、市街地で唯一、残った小学校。その校庭ではかさ上げ工事が行われていて、折からの強風にあおられて土煙が舞っている。目の前は、コンクリートの土台に草がぼうぼうの更地。ところどころに花が手向けられていて、手を合わせている家族連れも。 あれがおかしい、誰かが悪いといっていても始まらない。上手くまわす仕組みをそれぞれ考え、小さくてもいいからイノベーションを、その成功事例を積み重ねていくことだ。それが「ハート・タウン・ミッション」の意味するものだろう。 新しい未来を立ち上げる一歩は踏み出されたが、長い道のりを歩み続けるためには、それを支える息の長い支援が必要だ。 | ||||||
日本はなぜ財政再建できないのか | ||
第122回 東京・戸田代表を囲む会は、財政規律と予算制度改革をテーマに開催。 日本はなぜ財政再建できないのか。 どうすれば、予算制度改革ができるのか。田中先生は、予算制度改革に取り組んだ国は、一言でいえば財政破綻危機に直面して尻に火がついた、国民の怒りによって改革せざるをえなくなった、と述べられた。 「日本国債は国内の貯蓄で賄われているから破綻しない」という魔法の呪文は、いよいよ「いつ解けるか」という段階にはいりつつある。 五十嵐氏のコメントは、財務副大臣の経験も含め、リアルかつ痛烈なものだった。また地方議員会員からは、地方における財政規律の取り組みについて、報告・質問がなされた。 | ||
飯田が、すごいことになっている | ||
2月22日、飯田市で、再エネによるまちづくり条例をテーマに、シンポジウムが開催された。 今年は三月議会での成立、四月からの施行をめざす「再エネによるまちづくり条例」(正式名称は写真のタイトル参照)について、条例作成タスクフォースの委員長である諸富・京都大学教授の講演と、専門家と市長によるパネルディスカッションが行われた。 飯田がすごいことになっている! 条例のキモは、間違いなく「地域環境権」という概念。2月12日のシンポジウムで諸富先生からも報告があったが、再エネ資源(地域の自然資源)を使用する権利は、第一義的には地域の人々にあること、そして再エネによって得られた利益も、第一義的には地域に還元されるべきであること。これを、どのように「法律的に」書き込むか(タスクフォースメンバーの水上弁護士の言葉を借りれば「(財産権の侵害にあたる)違憲、ということにならない」ようにどう書くか、ということだ。 再エネ資源(地域の自然資源)は、なによりも地域の人々の長年の営みなしにはありえない。そうである以上、よそから企業がやってきて、儲けるだけ儲けて、あとは知らない、というやり方では、初期資本主義の世界に逆戻りしてしまう。ここには、地域の自然資源の使用に関する、新しい市場のルールが必要だということ。それには地域の関与が不可欠だ。 そして、買取制度によって事業者は、国民のお金で「市場で売れないかもしれない」というリスクを免れている以上、その利益は「公」的に還元されるのは当然である。したがって、利益は株主や出資者、従業員のみならず、地域住民というステークホルダーにも配分されるべきだということ。これはある意味、資本主義の概念も変えるようなことだが、一方で国民のお金を使っている制度である以上、一部の人だけではなく、国民全体の利益につながるものでなければ、買取制度そのものに対する理解もえられない。 条例がうたう「地域環境権」は、こうした考え方を法制度に落とし込んだものといえるだろう。前述の「違憲」問題に関して言えば、条例は、こうした性質の再エネ事業に取り組む場合、飯田市からどういう支援をえることができるのか、という組み立てにすることで、クリアできているとのこと。 「地域環境権」という概念を、ここまで飯田市が書き込むことができたのは、おひさま進歩に象徴される地域の取り組みの集積だろう。 市職員の能力と志の高さにも感心。 | ||
古川元久と新春を祝う会 | ||
2月24日「古川元久と新春を祝う会」が古川元久後援会主催で開催された。 後援会会長による主催者あいさつから、来賓あいさつ(大塚耕平・参議院議員、松原武久・前名古屋市長)、古川元久衆議院議員のあいさつまで、時代認識と政策の時空観の一致が見事だった。 「人口減社会で将来世代につけをまわさないと総選挙で訴え続けた。民主党政権は、年金・医療・介護に、雇用・子育てを加えた。この社会保障政策をさらに進めなければならない」(細川力・後援会長)、「政治に終わりはない。次の総選挙へ向けた戦いは始っている」(大塚議員)、「政治は少なくとも20年先を見据えなければならない。拙速な公共投資は将来に禍根をのこす」(松原前市長)「3月中にできる公共工事は、不要不急なものになる。本当に必要な道路工事には用地取得だけで二十年はかかる」「3・11を忘れない。福島を忘れない。被災地にとっては、まだ二年しかたっていない。いつもそばにいるんだという共有感を大事にしよう」(古川議員) 会場では、福島県いわき市産の「高級蒲鉾」「自然乾燥米」も販売され完売。 (写真:左から古川衆議、一人おいて大塚参議、松原前市長) | ||
「負の再分配」のマネジメント力はどこから・・・ | ||
2月16日「第19回戸田代表を囲む会in京都」を開催。 冒頭戸田代表から「政権選択と政策選択とがこれほど乖離した選挙は世界的に見ても例がない。だらしない民主党への懲罰選挙という事実をどう克服できるか」と問いかけが。泉議員から民主党内での総選挙総括が「党が目指す社会と党内のガバナンスが乖離していた」と政党のガバナンスを直視しなければ(綱領検討も党改革も)一歩も前に行かないところにきていると報告。 同人議員から、「京都マニフェスト」を通じた組織活動の蓄積を背景に、失った政党としての信頼の回復は政策と組織方法の一致という原点から始めるしかない(隠塚)、政策的なタフさをまったく経験していない(上村)と議論があった。戸田代表は「要は人格をかけた理論形成をやっていないという問題」と指摘。党内外での理論闘争がなければ、結局「政局の判断を誤った」「有権者が・・・」「人事でどじった」となるのは必定。 党務で遅参の辻元議員「ちょっと変わった議員です」と前置きの後、ソーシャルビジネスのハシリ(ピースボート)から「行動・地域から変える」と一貫して活動してきたこと、総選挙では「民主党への不満をぶちまけることで民主主義が育つのか」と有権者にも問いつづけたと、大阪で唯一の民主党議席を守った選挙戦を報告。「政治の役割が変わった。公正観をもった負の分担のマネジメント、合意形成の仕方も変わる。オープンにやれば有権者が正しく判断する」(白川)など実践的な報告が続き、フロアから山本ひろふみ京都市議、真田あつし宇治市議も発言。 (杉原記) | ||
東京・戸田代表を囲む会 | ||
第121回 東京・戸田代表を囲む会は、大野元裕参院議員をゲストスピーカーにお迎えして開催。 議員になる以前から、中東問題の専門家として政策立案にも関わり、さらに政権与党として政策立案ならびに政権運営、党内合意などに関わった経験から、「民主党政権の失敗と、その教訓」について、私見をお話しいただいた。 「民主党政権の失敗」については、さまざまな角度から語ることができるし、指摘することも可能だが、本質的には、主権在民・国民主権の深化につながる総括とは?という点だろう。その点で、大野議員の提起に貫かれていたのは、旧来の利益分配型とは違う、参加型民主主義のコミュニケーション、意思疎通、合意形成とは、ということだ。そのような視点がある場合と、ない場合とでは、「失敗」の意味も、とらえ方もまったく違うものとなる。 12月の総選挙結果と、1/27松阪市長選の結果が象徴しているように、自治の思いがあり、その根をしっかり生やし続けていれば、その思いも実感もない側が「総がかり」になっても、それに負けない、どころか勝てるところまで、 この四年間の集積からだけでも、せめぎあいは来ているということだ。 自治の深化・集積を基盤に、2015年統一地方選、2016年衆参選挙という時間軸で、未来を搾取する社会から未来へ投資する社会、への転換を担いうる主体を準備していくという構え方になるだろう。 | ||
河内〜大和路から京を駆ける | ||
「日本の戦後は国民主権。でも国民主権の中身は与えられるものではありません。飯田さんが30年以上、欠かさず週三回駅前で訴え続けてきたような忍耐力と持続性がなければ、ほんものの政治の信頼関係は生まれません。先ほど連合自治会長さんが、お年寄りに優しいまちづくりをしたいと今年の抱負をのべました。自治の力は地域の 一人一人の意思と責任から生まれま す」 ご婦人の姿が目立つ、飯田芳春・東大阪市会 議員後援会の新年互礼会の参加者は、戸田代表の乾杯のあいさつ一言一言に深くうなずく。 1月27日に開催された、恒例の新年互礼会にはことしも190名が参加。十数名の青年部のメンバーも紹介され、終始華やいだ雰囲気の中で議員活動30周年(8期)を祝う宴会はすすめられた。参加者の大半は、30年間欠かさず続けてきた駅頭で作った縁。女性の割合が半数近く、若い世代もかなりいる。 飯田議員のメッセージのなかで印象的だったのは「政党が離合集散する中無所属できたが、一人でも政党人を自負している」という矜持。「感謝しているのは、早朝の駅立ちのマイク演説に一度も苦情がなかったこと。いまでは、演説がはじまったから7時だなぁ、終わったから8時半だなぁと時計代わりになっている」 戸田代表は、続いて奈良のまぶち澄夫タウンミーティングに出席。さらに京都へと急ぎ、まえはら誠司後援会・新年会に駆けつけて、終電で帰京した。 | ||
新春特別シンポジウム「エネルギーと自治〜民主主義のバージョンアップとフォロワーシップの転換」 | ||
1月12日、新春特別シンポジウム「エネルギーと自治」を開催。この時期は通常、大会を開催するが、年末に総選挙があったことと、本格的な「負の再分配」の時代の民主主義のためには「自治」の基礎が不可欠であることから、表記のテーマでのシンポジウムを企画した。 政権交代によって原子力発電の今後については、政策転換のゆり戻しも予想されるが、原発の如何にかかわらず、再生可能エネルギーの促進は不可欠である。ポイントは、再生可能エネルギーはそれぞれの地域の資源を活用しうる自治、地域力が決定的であるという点。旧来の工業団地誘致とおなじ発想で、遊休地にメガソーラーを誘致するということでは、再生可能エネルギーの可能性をひきだすことはできない。 今回のシンポジウムでは、地域の市民の力で太陽光発電事業を展開し、エネルギーの地産地消に取り組む飯田市のおひさま進歩エネルギー、そして塩田跡地にメガソーラーを作り、これをまちづくりのなかに位置づけて展開しようという瀬戸内市の取り組みを軸に、自治を深め発展させる観点から、再生可能エネルギーの可能性について議論した。
3.11でようやく変わり始めたエネルギー政策(その基盤となっている20世紀型経済社会からの転換)は、自民党政権になったことで後退したり、障害が大きくなったりすることもありうるが、自治という「ふんばりどころ」は見えている。それが見えていれば、「制度が〜だからできない」という前に、やるべきことも見えてくるというものだ。
講演:「エネルギー政策はどう変わろうとしているか」 植田和弘・京都大学教授 シンポジウム終了後、新年会もかねて懇親会を開催。 | ||
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